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【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(52)にわかに決めた南進政策
2014.4.6 08:06
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「必要な資源求め、武力も辞せず」
戦前、日本で「仏印」と呼ばれていた地域があった。フランス領インドシナの略だ。フランスが20世紀初めごろまでに自国領または保護領としたベトナム、ラオス、カンボジアのことで仏領インドシナ連邦を組織していた。さらに細かく北部仏印、南部仏印と分けることもあった。この「仏印」が日本の近代史にはっきり影を落としてくるのは、昭和15(1940)年の夏ごろからである。
7月17日、日中戦争(支那事変)の泥沼化で首相を辞めた近衛文麿が再び組閣の大命を受ける。近衛は2日後、新たに陸相に就任予定の東条英機や、外相に起用する松岡洋右らを東京・荻窪の自宅「荻外(てきがい)荘」に招き、新内閣の基本政策について話し合った。「荻窪会談」と呼ばれている。
26日にはこの会談を受け、閣議で今後の日本の指針としての「基本国策要綱」を決める。「国是」を「大東亜の新秩序を建設するにあり」とするものだった。
翌日の大本営と政府とによる連絡会議では、これに基づき「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」を決定する。大本営とは、戦時に陸海軍の統一的作戦をたてるため設けられる軍の統帥機関だ。
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