The Economist

金融の未来:最後の貸し手としての国家

2014.04.14(月)  The Economist

(英エコノミスト誌 2014年4月12日号)

国による補助金と保証が再び金融セクターを蝕み、新たな危険を生みつつある。

リーマン・ブラザーズが破綻した2008年以降、一般的な認識としては、危機が起きたのは国が金融の管理を市場に明け渡したせいだとされてきた。従って、解決策は規制の強化であるはずだと考えられた。最近の規制強化の標的になっているのは、リーマンを破滅させた危険性の高い融資の元となった米国の住宅だ。

 住宅ローン市場に公的な安全装置を提供し、危機の際の損失の90%を政府が保証するという案も浮上している。それは安心を生むかもしれないが、安心ばかりもしていられない根拠が2つある。

安全装置に安心できない理由

 第1に、国による支援で守りを固めることが、過剰なリスクテーキングの防止にどうつながるのか理解しにくいこと。

 そして第2に、米国の住宅市場の問題がどんなものであったにせよ、この市場はそもそも政府による管理を欠いていたわけではなかったことだ。米国の住宅市場は、自由市場にはほど遠いものだった。それは世界でも有数の規制の厳しい業界で、税金による補助金に支えられ、融資の決定は政府が下していた。

 1856年、本誌(英エコノミスト)の編集長だったウォルター・バジョットは、自身が「ブラインド・キャピタル(やみくもな資本)」と名付けたものを金融破綻の元凶として非難した――資金が考えなしに、リスクを無視して、愚かな対象に投じられていた時代のことだ。そうしたパニックが避け難いことに加え、経済における金融のシステミックな役割を考えても、政府は金融の安全を強化するために、何らかの特別なルールを考える必要があった。

 バジョットが考案したルールは、中央銀行は危機の際に市中銀行を救済しなければならない、というものだった。

 だが、バジョット・ルールには棘もあった。すなわち、救済を受けた者に問われる責任は懲罰的であるべきという主張だ。そうした厳しい主張の根底にあったのは、政府は金融業界を他の産業とできるだけ同等に扱うべきであり、可能な限り多くのリスクを銀行家や投資家自身に引き受けさせなければならないという考え方だ。

 国がシステムを保護すればするほど、システムの中にいる者が何の罰も受けずにリスクを冒す可能性は高くなる。

 そうした危険は、2007~08年に十分に実証された。銀行は好況時に国の保証のもとでリスクを冒し、それにより得た利益を懐に入れておきながら、バブルが弾けると、請求書を納税者に回した。だが、その時の教訓は活かされてこなかった。

 2008年以降、あまり実際的でない米国のドッド・フ…
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