久しぶりに重い話題を書きたいと思いますが。
先日、と言ってももう二か月ほど前になりますが
いつも良くして頂いているご門徒の方が
宗派を「離脱」されました。
もっと言うと、
「浄土真宗本願寺派門徒」
というモノを返上なさいました。
この内容について書きますので
お読みになって不快に思うかもしれない、ということであれば
スルーして頂くようにお願いいたします。
詳細な経緯は省きますが、
宗派内の一部の僧・俗に対する鬱積と言うか、
怒りというか悲しみというか、
裏切られた、という思いもあったでしょうし
またふと宗派全体を鑑みてみても
絶望することも多かったと思います。
僕だって悲観することは大いにあります。
そういう積もり積もった思いが
とある切掛で吹き出したのだと拝察しています。
(僕が勝手にそう思っているだけかもしれませんが)
宗派を離脱する。
信心の沙汰はおいておいて、
何か問題があるのでしょうか。
宗旨は信仰のひとつのカタチに過ぎないのでは。
特にそれ以上・以下の意味はないでしょう。
自分の思うものを信じればいいではありませんか。
宗教ですもん。
僕としたところで、
このご門徒の方の仰ることには
賛同するところもできないところもあるのですが
ご自身で悩み、そして導き出された結論が
「宗派の離脱」であるのならば
我々の誰がそれを止められると言うのでしょうか。
この方は考え抜かれて宗派を離脱された。
それもひとつの道でしょう。
僕は宗派に残ります。
少しでもより良い宗派にするために。
これもまたひとつの道でしょう。
(ここで言う宗派とは、機構・組織としての宗派です)
このことについて、
未だに、というか、今頃になって、というか
ごちゃごちゃと掘り返すような方々がいらっしゃいますが
(もちろん、僕も掘り返しているので同類ではありますが)
一体何のおつもりなのだろうとは思います。
お互いに喧嘩を売り合ってどうするんです。
正しいの正しくないのと、
一体そんなことが誰にわかるんですか。
宗派の離脱などということは
個人の信仰の問題でしょう。
それに外野がどうこう言うことではありません。
内容が、ブーメランになっていることにいい加減気付いてほしい。
凡夫はお互い様でしょうが。
出過ぎたことを申しました。
お叱りもご批判も甘んじて受けますが
諍論は、もういいです。
見ていても嫌な気分になります。

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