Oligarchy and Monetary Policy
http://krugman.blogs.nytimes.com/2014/04/06/oligarchy-and-monetary-policy/

クルーグマンの4月6日のブログの翻訳です。

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少数支配階級と金融政策 Oligarchy and Monetary Policy

 僕は最近、適度なインフレ率をターゲットにすることが望ましい、ということをどのように説明するべきか、あるいはどのように説明するべきではないか、という問題について考えていた。先日のブログで書いたように、最新のIMFの World Economic Outlook は、インフレ目標を2%以上に引き上げる必要があるとほのめかしている。しかし、暗号かなにかのように曖昧な表現に逃げていて、はっきりとした数値目標を挙げるのは避けているのだ。いっぽう、インフレ偏執症という党派的な行動はあいかわらずだ。僕は明日の授業のスライドに、量的緩和策によるドルの「減価」に対して警告する手紙を書いた経済学者たちの署名を付け加えておいた。リストに載っている全員が筋金入りの共和党支持者であり、何人かの人は、経済学者という肩書は疑わしいとしても、イデオロギー的な肩書はまことに立派なものがついている(ウィリアム・クリストルとダン・シーノーが金融政策の専門家だって?)

 これはどういうことなのだろうか? 結局、究極的には階級の問題なのだろう。金融政策は、必ずしも技術だけの問題ではないし、政治的に中立でもないのである。適度なインフレ率は雇用にとっては望ましいものである。また、大きな債務を抱え込んでいるなら特にそうである。しかし、0.1%の人々にとってはそれは悪いものなのだ。そして、彼らは世論に対して大きな影響力を行使できる、という事実がついてくる。

 最初に、歴史的な問題を考えてみよう。というよりも、どのように歴史が記憶されているか、という問題を考えてみよう。最近の金融政策に関する議論では、ジンバブエになるぞ、ドイツのワイマール共和国になるぞ、という終末論的な警告がよく聞かれる。しかし、1970年代に対する警告もひんぱんに発せられているのだ。しかし、別の質問の仕方をしよう。どうして70年代は究極的に悪い時代として称されてきたのだろうか? 確かに、いい時代ではなかっただろう。しかし、平均的な労働者家族にとって本当に悪い時代は、レーガン時代に起こったような、また規模は小さくなるがブッシュ(親)の時代に起こったような大きな景気後退だ。そして何よりも、金融危機後の時代だ。

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実質家計所得のメジアン



 そのような歴史を考慮すると、2010年や2011年の不況期に人々が「注意しろ――さもないと、70年代の再現になるぞ!」(ここでおどろおどろしいBGMが流れる)、と言い続けることがいかに奇妙か、ということがわかるだろう。

 しかし、ある人々にとっては、70年代は本当に最悪の時代なのだ――つまり、金融資産の所有者である。次のグラフは、GDP比での家計が保持している金融資産と、コアインフレ率を示したものである。

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金融資産(GDP比):青いライン

インフレ率(物価指数の変化率):
赤いライン

 そして、労働所得にはあまり関心がなくて、金融資産に対して大いなる不安を感じるのは誰だろうか? そう、0.1%の人々なのだ。ピケティ=サエズのデータによれば、0.1%の人々は全家計の労働所得のうちの約4%「しか」占めていないが、資産に関しては20%以上を保持しているのだ。金融資産に関する割合はさらに高くなるだろう。

 カーメン・ラインハート(pdf)が正しく指摘しているように、債務が大きい国は通常、「金融抑圧」"financial repression" によって債務の大部分を軽減する――つまり、金利を低く保ち、インフレによって債務を減らすのである。これは、悪いことのように思われるかもしれないが、大部分の人にとっては実際悪いことではない。イギリスは第2次大戦後、金融抑圧によって、第一次大戦後の通常の方法(訳注 増税)よりも債務削減に成功している。

 しかし、実際、金融抑圧によって利益を減らされる――そのために彼らはそれをヒットラーがユダヤ人に対してやったことのように嫌っている――少数だが、影響力の強い人々がいるのだ。やはり0.1%の人々だ。

 とはいえ、僕は、その0.1%の人々と彼らの提灯持ちが、正しい政策と称して99%の人々を犠牲にする政策をうまく売り込んだ、と陰で薄ら笑いを浮かべて、自分の口ひげをいじっている、とは思っていない。それにコウク(Koch)一族は口ひげをたくわえていない。しかし、少数の支配階級にとって望ましいことと、経済全体にとって望ましいことがまさにそのように対立するために、間接的に議論を歪める大きな原因になっている、と思うのだ。

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訳注) クルーグマンの議論の中心は、雇用や経済全体を考えると、適度なインフレ率は望ましい。しかし、金融資産を保持している人々にとっては、インフレは金融資産の価値を減らすものなので、インフレは蛇蝎のごとく嫌われる。この階級的利害の対立が議論を歪める原因になっているのではないか、というものです。