主にファミコン時代の話ですが、一言でまとめると、良いキャラゲーってのはキャプテン翼のことなんだよこの野郎って話です。
以下常態。
今更いちいち言うまでもなく、キャラゲーというのは、オバケのQ太郎ワンワンパニックであり、ゲゲゲの太郎妖怪大魔境であり、わんぱくダックの夢冒険であり、名門!多古西応援団である。
で、他のあらゆるジャンルのゲームと同じく、キャラゲーにも「当たり・外れ」がある。超面白く、しかも大人気であったキャラゲーもあるし、売れた割に出来はショボーンな感じであった為にダメゲーとしてみんなの記憶に残ってしまったキャラゲーもあるし、そもそも全然売れなかったキャラゲーも勿論ある。
少なくともファミコン時代において、キャラゲーとは「元々人気があるキャラクターが下敷きであった為、原作ファンへのアピールがし易く」「同じ理由で、原作ファンからのハードルも高い」ハイリスク・ハイリターンのジャンルだったと言えるだろう。
で。
とかく毀誉褒貶の激しいキャラゲーというジャンルだが、「どんなキャラゲーが「名作」と呼ばれているか」ということを考えると、ある程度「良いキャラゲーとは何なのか」ということを一般化出来るような気がする。
私が考える限り、「名作キャラゲー」の要件はたった一つ。「ゲームシステムに、その作品を使う必然性がある」こと、だ。
必然性という言葉には、この場合幾つか意味がある。
1.原作を再現する(つまり、原作ファンに、原作みたいな気分になってもらう)為に、そのゲームシステムが適している、という意味。
2.原作という題材によって、そのゲームシステムの特徴が引き立つ、という意味。
3.ゲームシステム自体に、原作の特徴的なテーマや題材が組み込まれている、という意味。
色々だ。
例えば私は、上の「必然性」をあらわすゲームの一つに、SFC版の「幽遊白書(1993/ナムコ)」を挙げたい。上の三つで言うと1,2に当てはまる。
Wikipedia:幽☆遊☆白書 (スーパーファミコン)
SFC版の「幽遊白書」は、私が考える限り、「能力バトルもの漫画」をゲームにする際、考え得るゲームシステムの一つの到達点だった(面白さについては賛否両論あるだろうが)。
幽遊白書は、それまでのジャンプ漫画のゲーム化であれば一般的であった、格闘系アクションゲームや、開き直ったアドベンチャーゲームといった方式をとらなかった。ナムコが採用したのは「ビジュアルバトル」。バストアップのアニメーションを中心として、「使う技」を状況状況で選択していき、ゲームの中核を「シンプルな技選択の読み合い」という点に集約した。
能力バトル漫画というのは、突き詰めてしまえば「能力のぶつかり合いと駆け引き」の漫画だ。それをゲーム化する際、「アクション性を切り捨てて、ビジュアルと駆け引きに全てをつぎ込んだ」というのは、漫画をゲーム化する際の一つの解答だった、と思う。幽遊白書以降、このシステムへのフォロワーがあまり多くないのは個人的には本当に不思議だ。(勿論、メガドライブ版の「幽遊白書」も、あれはあれで素晴らしいキャラゲーだったと思う)
上記と対照的なのが、SFC版の「ジョジョの奇妙な冒険」だと私は思っているのだが、まあそれはここでは置いておく。
一方、以前書いたが、私の中では「SDガンダムスクランブルウォーズ」や「カプセル戦記」も最強に近いキャラゲーの一つだ。
レトロゲーム万里を往く その72 SDガンダム ガチャポン戦士2 カプセル戦記
繰り返しになるのもアレなので、手前味噌だが引用させて頂こう。
ファミコンウォーズがそのまま踏襲した、「プレイヤーの手は介在しない数値戦闘」という手法を、ガチャポン戦士はとらなかった。ガチャポン戦士が取り入れたのはアクションゲーム。戦略要素など知ったことかと言わんばかりの、モビルスーツ同士の一騎打ちアクションが、SDガンダムシリーズのまさに中核となったのだ。「SDガンダム」という題材に、スクランブルウォーズのシステムがベストマッチしていたことは今更言うまでもないだろう。あのゲームを作れたバンダイがいいゲームメーカーでない訳がない、とわたしは思うのだが、まあそれはまた別の機会に。
このシステムと「SDガンダム」という舞台が、神がかり的な好相性だった。
各モビルスーツの差別化の材料として、「持っている武器が強いかどうか」「実際に動かしてみて速いかどうか」という以上のものはなかった。戦闘フィールドを縦横無尽に暴れ回ることは、実際にプラモを動かして戦わせている様な「おもちゃ感覚」を実現し、一方でパイロットとしての気分を味わえるゲーム素材として絶好だった。
で。
私が考える、「(必然性という意味での)究極のキャラゲー」は何かというと、それはテクモの「キャプテン翼」であり「キャプテン翼2」だ。
レトロゲーム万里を往く その5 〜キャプテン翼〜
幽遊白書とある程度似た話になるが、キャプテン翼の本当に凄かったところは、任天堂の「サッカー」と同じシステムにしなかったことだと思う。
任天堂のサッカーは、「サッカーをゲームで再現するシステム」として、既に一つの完成形だった。アクションゲームとしてサッカーを作るのであれば、多かれ少なかれ任天堂の「サッカー」を下敷きにしない訳にはいかない。
それに対して、「アクションゲーム」「スポーツゲーム」としてではなく、「リアルタイムシミュレーションゲーム」に近い形で「キャプテン翼」という素材を料理したのがテクモの凄みだった。
テクモは、「リアルなサッカー漫画」としてのキャプテン翼ではなく、「なんかすごい必殺技が飛び交うバトル漫画」としてのキャプテン翼をクローズアップすることを選択したのだ。いわば、「能力バトルとしてのキャプテン翼ゲーを作った」と言って良い。
そして、これが、少なくとも当時の小学生ファン達にとってはベストな選択だったと言って良かった。ドライブシュートが、オーバーヘッドキックが、イーグルショットが、タイガーショットがゴールに突き刺さる。若林くんが、若島津くんがゴールを守り、森崎くんが吹っ飛ばされる。
これが、これこそが、当時のキャプテン翼ファンが求めていたものだったのだ。
この点で、キャプテン翼は、上記の3つの条件の全てを備えていたと言ってよい。
つまり、
・原作の、必殺技が飛び交うバトル漫画としての側面を再現する為に、ビジュアルシミュレーションゲームというシステムが適しており、
・トンデモな側面(スカイラブハリケーンとか)も内包していた原作が、必殺シュートなどのシステムを更に際立たせ、
・「ガッツ」や「心臓病」といった様々な原作の特徴的な描写がごく自然にゲームシステムに組み込まれていた。
まさに三拍子そろった、「キャラゲーとしての完成形」であったのである。
勿論、現在は更に様々なゲームシステムが出揃っており、同じサッカー漫画を再現するにも色々な方法論が考えられるだろう。
それでも、1980年代にこの「解答」にたどり着いていたテクモは本当に凄いメーカーだったと思うし、現コーエーテクモにもそれを受け継いで欲しいものだと、大航海時代5をやりながら、私は切に考える訳である。
今日書きたいことはそれくらい。