DVの果ての生き地獄−−軽く見られた妻の証言(1)
縛り上げられた母親の面前で、1歳半の幼子の鼻と口がふさがれ、窒息死させられた。足をばたつかせ、苦しがる子。その動きを少なくとも5分以上封じ続け、殺したのは実の父親だった。母親にとり、これ以上つらい生き地獄があるだろうか。
7月25日からの先週5日間、東京地裁で殺人・傷害事件の刑事裁判を傍聴した。8月2日に判決を迎えたその裁判員裁判では、外国籍の男Aに対し、懲役12年の実刑判決が言い渡された。問われたのはAの息子Bに対する殺人と、全治3カ月の重傷を負わされた日本人妻Cに対する傷害だった。
判決では、妻に対する傷害についてははっきりとその犯意を認めたが、殺人については未必の故意を認めるにとどめた。
この12年をどうみるか。率直に言えば、短すぎると感じる。子殺しは、殺人の中でも総じて軽くみられてきたと思うが、このように悪質なケースでも、犯行後に自殺を図ったからか、被告人側に同情的な判断が裁判員によりなされたのは残念に思える。
<信用されたりされなかったりの妻の証言>
では、どう悪質だったのか。検察側は、妻Cの証言に基づいて、被告人Aが「妻に精神的打撃を与えるため」にBを確定的殺意をもって窒息死させたと主張していた。
妻Cは、「おまえのやった重みを見ろ」と息子Bを手に掛ける前にAが言い放ったことや、B殺害後にCへの暴行を再開した際に「子供が死んでもまだ生きたいと思うのか、おまえは最低の母親だ。これがおまえのやった結果だ、生きて地獄を味わえ」とAが言ったことを証言したが、判決では、このA発言に関する妻Cの証言の信用性を「なお躊躇が残る」と認めなかった。
妻Cの証言は、Bが殺害される際にAによりBの鼻と口がふさがれ続けた点についてや、C自身が受けたナイフとハンマーによる傷害の点については、客観的証拠と合致するなどとして信用性を認められた。それなのに、AとCとの会話関係においては信用されなかったと言える。
そして判決は、犯行時の被告人Aの不安定な精神状態にはCとのトラブルが間接的に影響を及ぼしており、Aを「一方的に責められない」としてAに同情的だった。夫婦間の会話関係は直接的な証拠もなく、被告人Aの利益になるよう、Aの言い分を信用したと思われる。
<日常的に「泣きやませるため」子の口をふさぐA>
では「妻Cに精神的打撃を与えるため」とのAの息子Bに対する殺意を立証するような証拠は、妻Cの証言以外になかったのか。
実は、妻Cの証言を裏付けるAの暴力的思考は、被告人自身がBや、妻Cに対して行った事実に関する供述に如実に表れていた。ただし、A本人は暴力との認識はなく、むしろ「私は暴力的な人間ではない」と繰り返した。Aの弁護人も「心優しき家族思いの青年A」との枕詞を、冒頭陳述で多用していた。
被告人Aは、1歳半の息子Bが大泣きした時に泣きやませる手段として、強制的に「口をふさぐ」ことを普段から行っていた。これは、自他の証言から明らかになった。A本人はそれをおっぱいを持たない自分には仕方ないかのように言い、妻Cの親族からの「苦情」があるからと正当化した。さらに、返す刀で苦情を言う親族がおかしいと非難した。
(この「苦情」についても、言語の問題から意思疎通がうまくいかなかったのか、それともAがうまくすり替えたのか…親族によれば、Bが泣いてもヘッドホンをしたままゲームに興じるAを見かねての「泣かせっぱなしにするな」という意味だった。)
妻Cとその親族は、口ふさぎを苦しがり、手を押しのけるなどいやがるBのしぐさもあり、その行為を良いこととは思わずやめるよう注意していたものの、「AはBに暴力をふるったことはない」とCは証言した。暴力とまでの認識は無かったようだ。
ちなみに「かわいそうだからやめなよ」と口ふさぎを注意した親族の女性は、そういった指図をAにするたびに「うるさい、ブス」と言われるほか、「突然抱きつかれ、逆さづりにされて本気で嫌がっていた」という証言もあったが、そう証言した親族男性も、「逆さづり」についてはAが「ふざけてやっていること」との認識に立っていた。
<Aの供述に現れた妻への暴力>
では、妻Cに対してはどうか、Aの供述を見てみよう。
妻Cに対する「身体的暴力」としては、「傷つけるつもりはない」と言いながらもナイフで刺す、ハンマーでたたく、縛る、唾をかける、睡眠を取らせないで問い質し続ける、「本気になれば殺すことができることを示すために」失禁するまで首を絞める、蹴る、さらに「性的暴力」としては、相手の疲労を知っていながら性的行為をしていた。過去には「中絶したばかりで妊娠は心配だから」という理由で中絶を勧めたこともあった(さらなる中絶の方が体には良くないのでは?)。
また、「経済的暴力」としては給与明細を細かくチェック。「言葉の暴力」では(法廷で通訳が訳したところによれば)尻軽女、娼婦、売女、おまえは私を殺した、家族を壊した、お前は最低の奴だ、目をくりぬいてやる…等々を言っていた。
「精神的暴力」としては、Aは法廷の効力を十分に使い、常に妻C側を批判・非難し、自分の不倫は棚に上げてCの過去の異性関係をすべて暴露し、息子Bの死を含め悪い結果は、第一義的に悪いのは自分とした後で、それをさせたCが悪いと責めることも忘れなかった。
また、事件に至る過程でのひどい嫉妬、侮辱、常に監視、「Cを引き留めたい気持ちがあって」自殺したいと言い、自殺の脅しをしていたことも自ら供述していた。
A本人の供述だけでも、これだけ暴力的なことを実際にしたと自ら認めておいて、なお「妻や他人を傷つける意図や暴力的な意図はない」と言っていることについて、なぜ裁判所は大いに疑問を感じ、首をひねらなかったのだろうかと不思議に思う。
そしてAは、実際に事件3日前、離婚が現実のものとなり出て行かなければならなかった日に自殺未遂を実行、医師には「別居をしたくなかったからしたことであり、精神科の診察は受けたくない」と伝えて無理やり退院している。そして事件当日、Cの面前で息子Bを殺す様子をまざまざと見せつけ、Cに暴力をふるってから切れるだろう細いコードで首をつる自殺未遂を図るに至っている。
…出て行けなんて言うからだ、本気になれば俺はおまえを簡単に殺すことが出来るんだぞ、Bの最期を見たろう、また自殺を図ってやる、これでもか、これでも俺の怖さが分からないか…と妻Cに対して脅し続けているようにしか見えない。
<暴力=相手を自分の思い通りにするための手段>
以上のAの暴力については、当然ながら妻側の証言にも出てきている。
妻Cの親族は、「顔にあざを作っているのを見た」「腰にコルセットを巻いていた」と証言し、殴る蹴るの暴力がひどいとCから1度相談を受けたことも明かした。
妻Cも、事件当日の性行為について、酔いからよく覚えていないがあったと思うと認めたうえで「普段から、嫌がってもしたくない時でも無理やりする。何を言っても、嫌だ嫌だと言ってもする。言い争いが面倒くさくなって分かったと言ってしまう」と証言していた。
言うまでもなく、本当に優しい人間は何があっても暴力はふるわない。問題解決のために暴力をふるってもいいと考えることこそが問題なのだ。本来なら、自分の思い通りにならない問題があったら、相手を尊重して話し合いつつ、互いにとって良い結果を導けるように方法を探すものだ。
法廷でのAの供述だけを見ても、Aは抱えた問題を言うことをきかない妻Cのせいにし、行動を正当化している。そして、妻が言うことをきかないと見るや暴力をエスカレートさせていき、起こした惨劇が今回の事件だと定義できるのではないか。
「おまえのやった重みを見ろ」という妻Cに対する発言は、この暴力性を持った人間Aが言うことに何の違和感もない。検察が主張したように、妻に精神的打撃を与えることを目論み、おびえさせて精神的に従わせる目的で幼子BをAが殺したように見えるのに(実際、妻Cは現在PTSDで苦しんでいる)、それがどうして否定され、被告人への同情的な判断につながったのだろうか。
以下、次に続きます!
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