『三途の川』というと、以前投稿した記事【「三途の川を渡る」ということ】にて、恐山にある三途の川の状況についてご紹介しましたが、今回はふとしたきっかけから、人によって三途の川が異なったイメージとして認識されるという話になりました。
■ 日本古来の『三途の川』を渡るイメージ
人が死ぬと三途の川を渡ると言いますが、より正確に表現すると、三途の川の向こう岸が死後の世界で、渡し船に乗れる通行手形を持っている者だけが、三途の川を渡ることが出来ます。
三途の川の向こう岸には関所があるのですが、関所を通る通行手形を持っていない人は、その脇にある閻魔様の間に送られて、その後の身の振り方を決めるのだそうです。
大抵の人は、閻魔様の部下の方と相談した後、自ら選択して次の行き先に向かうのですが、一部の我が侭な人は直接閻魔様に説得されて、次の行き先に向かうのだそうです。
日本古来の『三途の川』を渡るイメージは、大まかに述べてこの様なものなのだそうですが、人の生前の生活環境や文化的な背景の影響によって、三途の川を渡るイメージは随分異なって感じられるようです。
では、いわゆる現代の日本人が三途の川を渡る場合は、日本古来のイメージと比べて、何がどの様に異なって感じられるのでしょうか。
■ 現代的な『三途の川』を渡るイメージ
現代的な三途の川には橋が架かっていて、橋の真ん中に自動改札があります。
自動改札を通るためには(Suica的な)通行パスが必要なのですが、パスにチャージされているポイントの量が足りていないと、自動改札が閉じてしまいます。
自動改札を通って三途の川の向こう岸へ渡ると、またしても自動改札があって、通行パスにチャージされているポイントの量が足りていないと、自動改札を通ることは出来ません。
三途の川の向こう岸にある自動改札を通れない人は、その脇にある裁判所的な建物に入ります。
まずは地方裁判所的な場所で、その後の行き先を相談して決めるのですが、そこで納得できない人が最高裁判所的な場所に訴えます。
最高裁判所的な場所で、如何にも裁判長チックな出で立ちの閻魔様が、その人のその後の成長に最も有意義だと考える行き先へ向かうように説得します。
ところで、三途の川を渡る人が持っている(Suica的な)通行パスには、一体どんなポイントがチャージされているのでしょうか。
三途の川の真ん中にある自動改札では、人間が産まれてくる前に予め設定されている寿命と現在の年齢、それから産まれてくる前に予め設定した人生の目的と進捗状況を読み取ります。
年齢が産まれる前に設定した寿命に達した場合、もしくは、人間として産まれてきた目的の達成が不可能になった場合、もしくは既に達成してしまった場合は、三途の川の真ん中の自動改札を通り抜けることが出来ます。
そして、三途の川の向こう側の自動改札を通り抜けるためには、言わば人間としての人生経験値を一定以上にしなくてはなりません。
人生経験値と言っても基準は一つではなく、幾つもの判定基準をすべてクリアした状態になって、初めて自動改札を通り抜ける資格が得られるようです。
例えると、RPGでプレイヤーキャラクターを育成する際に、攻撃力や防御力、体力や精神力など、幾つもの要素をバランスよく成長させる事によって、歩兵クラスから騎士クラスにクラスチェンジ出来る様になります。
そして、三途の川の向こう側の自動改札を通り抜けた人は、人間として生活する経験を通じて成長する過程を終了して、更なる成長を目指して新たな境涯に身を置くことになるようです。
■ キリスト教的価値観から見た『三途の川』を渡るイメージ
さて、ここまでは、時代の変化によって、三途の川を渡るイメージがどの様に異なって感じられるのかを比べてきましたが、キリスト教徒の人が三途の川を渡る場合は、果たしてどの様に認識されるのでしょうか。
キリスト教には『三途の川』という概念がありません。
ですから、当然ながら三途の川はありませんが、その代わりに見上げるほどの高さの巨大な壁が行く手を塞いでおり、その真ん中に大きな門があります。
その門の入口には天使が控えており、門の前に立つ人について、門を通る資格があるかどうかを選別しております。
この第一の門は、三途の川の渡し船であり、三途の川に架かる橋の自動改札です。
そして、渡し船の通行手形や、自動改札の通行パスに当たるのが、門番の天使による選別となります。
第一の門をくぐり抜けると、すぐにもう一つの巨大な壁が聳えており、その真ん中に第二の門があります。
第二の門の入口にも門番の天使がいて、門を通り抜ける資格のある人を選別しております。
第二の門を通る資格のない人は、門の脇にある大天使の間に導かれて、大天使や天使と相談の上、その後の行き先を自ら決めて赴きます。
ちなみに、閻魔様に当たるのが大天使だそうです。
そして、無事に第二の門を通り抜けた人は、その先に待っているイエスと待望の面会を果たすのだそうです。
■ 人間としての経験値が足りなくて、閻魔様のお世話になった場合
閻魔様(キリスト教的価値観では大天使)のお世話になってしまった人は、その後地獄に送られて必要な経験を積まなくてはなりません。
といっても、地獄という境涯があるのではなく、現在私たちが暮らしている人間の世界を『地獄』と比喩的に表現しているようです。
そして、閻魔様やその部下に相談することによって、自分自身の経験不足の点を補って、最も効率よく成長するにはどの様な環境で過ごしたら良いのかを判断して、再び人間としての人生を送るようです。
この転生のサイクルは、人間としての経験値が一定以上になるまで繰り返されます。
場合によっては、閻魔様に相談してから転生した後になって、「こんな筈じゃなかったのに」と文句を言い立てる人もいるようです。
しかし閻魔様は、その人がこれまでに経験したすべての経緯と、その人に足りない経験値を熟知した上で、最も効率的な行き先のアドバイスをしているそうです。
しかも、最終的には自分自身で決断するように導いているそうですので、文句を言い立てられた場合でも、その人が決断した場面をその場で(VTR風に)再現した上で、「あなたが自ら判断したことでしょう」と説得するそうです。
最初は勢い込んで文句を言い立てていた人も、実際に証拠となる場面をみせられて、言い逃れできない状況に持ち込まれるようです。
この様にして、人間としての経験を必要とする霊が存在する限り、時代や文化の影響で感じられるイメージが変わっても、三途の川的なものは人間の生死を分ける存在として機能し、閻魔様は人間経験値の向上に手を貸して下さっているようです。
上記の例は、あくまでも『三途の川』を渡る時に受けるイメージの一部であり、文化的・宗教的な価値観の違いによって、他にも様々なイメージとして感じられるのだろうと考えております。
ですが、それらはあくまでも表面的な印象の相違に過ぎず、本質的な役割や目的については相互に共通性を持っているようです。
Silvercord管理人
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