歴史秘話ヒストリア「秀吉の愛した京都〜夢のプロジェクト・聚楽第〜」 2014.04.09

祇園祭や葵祭など華やかな行事が平安の伝統を今に伝え多くの人々を魅了してやみません。
しかし皆さんこの町が一度焼け野原になってしまった事をご存じですか?今回撮影で年に何度も京都を訪れるという女優田中美里さんが秀吉の京都復興の痕跡を探ります。
うわ〜!大きいですね。
秀吉が行った驚きの…秀吉は天下の都京で天下人にふさわしい豪華な城聚楽第を築きます。
しかし完成から僅か数年で破壊され姿を消してしまいました。
今宵幻の城聚楽第がCGでよみがえります。
「歴史秘話ヒストリア」。
今日は秀吉が政治生命を懸けてつくり上げた花の都京都の町へと皆さんをご案内します。
華やかな御殿美しく着飾った女性たち。
平安時代より京の都はみやびな雰囲気に満ちあふれていました。
しかし戦国時代に入ると都も戦乱に巻き込まれる事となります。
長年にわたる激しい戦で町は焼き尽くされ華麗な都の姿は消え去ってしまいました。
(馬のいななき)そこへやって来たのが秀吉です。
「本能寺の変」で織田信長が命を落とした後天下の覇権を握った秀吉は…田中美里です。
京都はちょっと中に入っただけでこういった町家が並ぶ風情がたくさん見られて歩いてるだけで心がスーッと落ち着きますよね。
こんな普通の京都の町なかにもいろいろな所に秀吉の足跡が残っています。
例えば町の名前。
こちらをご覧下さい。
「如水町」。
この地域には今大河ドラマで話題の黒田官兵衛の屋敷が建てられていました。
官兵衛が後に名乗った「如水」という名前にちなんでこの町名が付けられたそうです。
京の都にやって来た秀吉は…その名残を町の名前に見る事ができるんです。
「弾正町」はここに屋敷を造った…そしてこちら会津の大名蒲生飛騨守氏郷の屋敷があった場所は「飛騨殿町」となっています。
このように京都に大名の屋敷を造らせた秀吉ですが実は町の復興という目的以外にしたたかなねらいがあったのです。
平成4年京都市上京区の屋敷跡から秀吉の思惑を物語るものが発掘されました。
これが聚楽第城下の軒先を飾ってた瓦です。
金箔が施された豪華な瓦。
秀吉は大名たちにこうした瓦を使ってそれぞれ壮麗な屋敷を建てるよう命じました。
そのため大名たちは屋敷の建設に莫大な費用を費やしたと言われます。
更に秀吉はそれらの屋敷に大名の妻を住まわせました。
妻を人質にとる事で大名たちを秀吉政権に服従させようとしたのです。
更に秀吉は別の敵を押さえ込むための仕掛けを京の町に施します。
こちら京都で有名な繁華街「寺町」。
こちらには皆さんもよくご存じ本能寺の変で有名な本能寺があります。
その他にも寺町通りには「寺町」と言うだけあってお寺がたくさん並んでいます。
実はこうしたお寺のほとんどが秀吉によってこの地に集められたものなんです。
一体なぜ秀吉はお寺を1か所に集めたんでしょうか。
(読経)戦国時代仏教勢力は多くの信者を味方につけ大名に対抗するほどの大きな力を持つ武力集団も現れました。
そう思った秀吉は町の中心にあったそれらの寺を強制的に町外れに移動させます。
信者たちから切り離され寺は次第に力を失っていきました。
この政策によって…こうして誕生したのが今の寺町。
秀吉は京の都を自分が支配しやすい町へと次々につくり替えていったのです。
秀吉の京都改造は人々の暮らしにも及びました。
今も実際に一般の方がお暮らしになっている古い町家の中を見せて頂きます。
こちら7mほどで幅はそんなに広くないんですがちょっと入ってみたいと思います。
お邪魔します。
いらっしゃい。
どうもこんにちは。
十分お構いできませんがどうぞ。
いいですか?ちょっと奥に行ってみたいと思います。
こちらは玄関庭ですね。
それから更に奥に続いているので行ってみたいと思います。
扉を開けても開けてもまだ敷地は先へと続きます。
やっと着きました。
こちら敷地の端までなんと40mもあるんだそうです。
通路に沿って一列に部屋が並び「うなぎの寝床」と呼ばれる細長い京都の町家。
実はこうした伝統的な家の誕生にも秀吉が深く関わっているんです。
家屋敷は四方の通りに面して建てられ区画の中心は農地や空き地になっていました。
住民を増やし町を発展させようと考えた秀吉は碁盤の目を貫くよう…こうして誕生したのが細長い町家「うなぎの寝床」です。
秀吉のねらいどおり…更にこの当時それまでの時代には見られなかったものが京の町並みに出現します。
これは16世紀中頃に描かれた「洛中洛外図屏風」です。
ご覧になってお分かりのとおり外観は平屋の町並みになっています。
これが秀吉の時代になりますと…メインストリートに2階建ての町屋が整然と並んだ秀吉の京都。
これまで誰も見た事のない豪華な景色となりました。
海外を意識して京の町づくりを進めた秀吉。
その総仕上げとしてびっくりするようなプロジェクトを用意していました。
こちらです。
うわ〜大きいですね!これは何ですか?これが「御土居堀」といいまして豊臣の秀吉が京都全体を360度囲い込んだ城壁と堀です。
え?京都全体をこの山のようなもので囲んだんですか?はいそうなんです。
え〜!信じられないですね。
いやほんとに僕も信じられないぐらい立派なもので。
秀吉が造った幅40m高さおよそ5mほどの巨大な御土居。
秀吉はこの御土居を京の都の周囲23kmにぐるりと巡らせました。
なんと町全体を壁城壁で囲ってしまったんです。
こうする事で川の氾濫や外からの攻撃などを防ぎ町を守ろうとしたと考えられています。
しかしそれ以外にも御土居建設には秀吉が日本を治める者としてのプライドを懸けた理由がありました。
…というのは一つ条件だったと思います。
当時中国や朝鮮半島だけでなくヨーロッパでも城壁に囲まれた都市が数多くありました。
海外の事情に通じていた秀吉はそうした事も知っていたのかもしれません。
じゃあ秀吉はやっぱり海外にも目を向けていたという事ですか?世界中から観光客が訪れる京都。
秀吉がその町づくりに込めた考えはそんな国際都市京都につながった。
そんな気がします。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
現在の京都へと続く事になる秀吉の町づくり。
今でも京都には秀吉ゆかりの場所がたくさんあります。
まずはこちら…秀吉が晩年に盛大な花見を催した事で有名です。
これにちなんで今でも毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」が境内をにぎわせています。
そして秀吉の妻おねが夫の菩提を弔うために建てた…霊屋には秀吉とおねの木像が安置されています。
最後は…ここには奈良の大仏を上回ったとも言われる巨大な大仏が秀吉によって造られたそうです。
その後大仏は大地震に見舞われ崩壊しますがどれほどのものだったのか見てみたかったですね。
さて秀吉の京都大改造。
実は更に巨大なプロジェクトが用意されていました。
幻の城聚楽第の建設です。
京都市上京区の公園に来ています。
おととしこの公園の隣こちらの工事現場である驚くべきものが発掘されたんです。
これまで幻と言われた聚楽第の一部が姿を現したのです。
見つかったのは400年以上前の石垣。
長さ30m以上あったこの石垣は…秀吉の城といえば皆さんご存じの大坂城。
実は秀吉ほぼ同じ時期に京都にも壮麗な城聚楽第を築いていました。
宣教師ルイス・フロイスは聚楽第についてこう記しています。
「深い堀と石壁で取り囲まれたその建物は豪華絢爛」。
しかし聚楽第は築城から8年で豊臣家の跡継ぎをめぐる混乱によって破壊されてしまいました。
そのため史料が非常に少なくどこにあったのかさえはっきりとは分からない幻の城と言われています。
そんな中平成3年聚楽第ゆかりの品が京都市内で発掘されました。
ビルの工事現場…そこには豊臣家の桐の家紋もあしらわれていました。
今も京都の町なかには聚楽第の堀の跡と思われる場所が残っています。
ここで右を見てもらったら道が急に下がってるでしょ。
あっほんとだ下がってますね。
(森島)この急激に下がってる所が南から延びてきた堀の一番北の端っこなんです。
でここはもう堀の外側になります。
京都って平坦な道ばっかりだと思ってたんですがこんな急な坂ってあるんですね。
(森島)普通に歩いてたら何の変哲もない坂ですが…へぇ〜そうなんですね。
そこは京都御所の西側。
その時の天皇は当時の天皇ですねはるか東の方に住んではりますのである意味立場が逆転したみたいな感じのところを自分が押さえるというような意図があったのかもしれないですね。
おととしこちらの建設現場から見つかった聚楽第の石垣。
それは聚楽第がどんなに豪華だったかを物語るものでした。
宣教師ルイス・フロイスの記録には…このまま掘り進めればそんな巨石も出てくるかも…。
そう予感させるような発見でした。
更にこの石垣からは当時の城ではありえないほどのぜいたくな造りが見えてくるといいます。
当時城の石垣には簡単に安く手に入る墓石や石仏などを用いる事がよくありました。
しかし聚楽第の石垣にそうした石はどこにも見当たりませんでした。
ぜいを尽くした巨大な石垣。
今回番組では専門家の協力のもと聚楽第の再現を試みました。
広島大学の三浦正幸さん。
これまで全国各地の城郭復元を手がけてきたお城のエキスパートです。
しかし三浦さんはある城が聚楽第の天守を再現するための良い参考材料になると言います。
これは広島城の本丸の復元図ですね。
聚楽第を模したと言われているんですけど。
中国地方の大大名毛利輝元が築いた広島城。
天正16年。
初めて京に上り聚楽第を目の当たりにした毛利輝元はその見事さに驚きます。
そして輝元は自分の居城広島城を造る際聚楽第を手本にしたと言われています。
更に参考になるのは秀吉が聚楽第と同じ頃に大坂で築城していた大坂城。
広島城と大坂城には多くの共通点があります。
例えば一番上の屋根は「妻」と言われる部分が正面を向いており最上階には欄干のような廻縁がつけられています。
また大きな屋根の飾り「破風」が正面にあるのも同じです。
三浦さんはこれら秀吉にゆかりの深い城の特徴を聚楽第も持っていたはずだと推測しました。
更に三浦さんは聚楽第にはこれまでの常識を覆す大きな特色がある事を指摘します。
確かにその時期の城の姿をとどめている岡山城や広島城も黒。
もちろん秀吉が造った大坂城も黒でした。
手入れに余りにもコストがかかるからです。
徳川家康が慶長12年に白い江戸城を築いてからだと言われてきました。
当時の常識からかけ離れていた金と手間のかかる白い城。
それを秀吉はわざわざ造りました。
そこには秀吉ならではのねらいがあったと三浦さんは見ています。
それではご覧頂きましょう。
秀吉が京都に築城した聚楽第の姿です。
真新しい石ばかりでくみ上げられた強大な石垣。
その向こうにそびえ立つのは日本で最初に造られた白亜の天守。
燦然と輝く天守の高さはおよそ45m。
五重の屋根を持つこの天守は町じゅうどこからでも見る事ができました。
大坂城と同じく随所に黄金の飾りをぜいたくにあしらいました。
瓦はもちろん金箔瓦。
シャチホコも金です。
白い城壁には当時の建築によく見られた色鮮やかな牡丹唐草の彫刻。
まさに天下人・秀吉のシンボルにふさわしい城ではありませんか。
なんとまあ聚楽第が日本で初めての白い城だったとは驚きですね。
今回番組では三浦さんの協力のもと天守閣の他に秀吉が政務を行っていた御殿の再現にも挑戦してみました。
フロイスによれば部屋という部屋に金が用いられていたという秀吉の御殿。
早速のぞいてみましょう。
こちら「公卿の間」。
部屋を囲む金箔が施された狩野派の襖絵。
豪華ですねえ。
更に三の間になると柱までもが金箔貼り。
美しい内装を反射させて輝いています。
更に上段の間の天井は「書院造り」という当時の建築様式において最も格式が高いとされる…詳細は不明ですが今回は黒漆による豪華な仕上げを推定しました。
聚楽第は当時考えうるぜいの限りを尽くした城だったのかもしれません。
京都の町に燦然とそびえ立つ聚楽第を築いた秀吉。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
この聚楽第を利用した秀吉の更なる野望が明らかになります。
こちら天皇の住まい御所です。
自らの権威を高めるためにこの御所のすぐそばに聚楽第を造った秀吉ですが実はそれだけでは満足しなかったんです。
「内大臣藤原秀吉をして関白にせしむべし」。
武士で関白になった者は秀吉が初めてでした。
秀吉は名実共にナンバーワンの権力を持つ事となったのです。
自らの威光を誇示し確固たるものにしたい。
そこで思いついたのが日本で最高の権威と言える天皇の力を借りる事でした。
天皇が住まう御所の近くに自分の居城聚楽第を置いた事はそのもくろみの第一歩。
しかしこれだけでは不十分。
やがて秀吉は聚楽第を使った名案を思いつきます。
それは…誰もができる事ではありません。
聚楽第に天皇を招く事ができれば秀吉は足利将軍とも対等といえる存在になります。
それどころか秀吉の力をもってすれば史上最も豪華な行幸も実現可能。
秀吉の権威はいやが上にも高まるはずです。
支度には金を惜しむでないぞ。
朝廷より行幸の許しを得た秀吉は早速準備に取りかかります。
豪勢な準備が進められました。
ですからそれを表現するという意味ではそれまでのさまざまな準備を見ても…いよいよ行幸当日。
この日の早朝行幸に先立って秀吉があるパフォーマンスを行う様子が屏風絵に描かれています。
天皇をお迎えに行く秀吉の姿。
秀吉は天皇のおいでを聚楽第で待つのではなく…記録によれば御所に参上した秀吉は天皇の衣の裾を持って輿に乗る介添えをしたとあります。
この行為こそが秀吉が行幸に込めた重要なねらいだった。
同志社大学の狩野博幸さんはそう考えています。
ただその行幸をお待ちするというのではなくて…秀吉の迎えを受けて御所を出発した天皇の行列はあちら中立売通を通って聚楽第に向かいます。
そしてその後に続いたのが秀吉の行列。
その行列にこそ秀吉の隠れた目的がありました。
この時の行列を描いた絵です。
秀吉が乗る牛車の前後を固める大名たち。
まずは大大名徳川家康。
かつての主君信長の息子織田信雄。
そして石田三成。
更に前田利家と続きます。
戦国の世を生き抜いたそうそうたる大名たちを従える秀吉の姿。
この行列によって自らが天下人である事を人々に強烈に印象づける。
それこそが行幸の最大の目的だったのです。
この2年後満を持して…聚楽第行幸の成功。
それは秀吉の天下統一をかなえる最大の演出だったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
秀吉が亡くなり聚楽第が消え去っても秀吉がつくった京の都の姿は各地のモデルケースとなって全国に広がりました。
風情ある町家の風景が残る…近年この町が秀吉の京都改造と深い関わりのある事が分かってきました。
この建物がそうです。
おととし建築史を専門とする藤田盟児さんの研究によりこの町家が秀吉の時代に非常に近い17世紀の建物である事が明らかになりました。
17世紀の建物の特徴というとこの柱やつかをつなぐ水平のこの板のような「貫」という材料がですねこの横と縦の貫が離れてます。
くっついてません。
その結果2階建て用の材木が不足しそれを補うため大工が工夫した跡だと考えられています。
毎年5月に行われる「御車山祭」は秀吉の聚楽第行幸に由来すると言われるお祭りです。
かつてこの地を治めていた大名の前田家が秀吉から賜った天皇の輿を領民に与えた事が祭りの始まりだと伝えられています。
秀吉の牛車を模した山車に付けられているのは菊の紋と豊臣家の桐の紋。
豪華に飾り立てられた山車が華やかに町を進む様子は秀吉の時代を彷彿とさせます。
天下統一を懸け荒れ果てた京の町をよみがえらせた豊臣秀吉。
秀吉が町づくりに込めた熱い思いは今も日本の各地で生き続けているのです。

(テーマ音楽)2014/04/09(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「秀吉の愛した京都〜夢のプロジェクト・聚楽第〜」[解][字]

戦国時代、焼け野原となった京都を大胆な工事で復興させた豊臣秀吉!豪華な城・聚楽第も築き大イベントも開催。番組では聚楽第をCG再現。知られざる京都の秘話をご紹介。

詳細情報
番組内容
織田信長亡き後、天下取りへ名乗りを上げた豊臣秀吉。秀吉は戦国時代に焼け野原となった京都を数々の大胆な工事でよみがえらせた。そして都のど真ん中に豪華な城・聚楽第を築いて、天皇を招く大イベントも開催。京都復興に込めた秀吉 究極の目的とは?秀吉の京都大改造の足跡を女優・田中美里さんが訪ねながら、今や幻の城となった「聚楽第」もCGで再現!京都と秀吉の知られざる物語をご紹介する。
出演者
【出演】田中美里,【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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