NHKスペシャル「聞いてほしい 心の叫びを〜バス放火事件 被害者の34年〜」 2014.04.09

一日300万人を超す人々が行き交う全国一の巨大ターミナルです。
今から34年前ここで日本の犯罪史上に残るある凶悪事件が起きた事を知っていますか?現場となったのは出発を待っていたバス。
仕事や買い物帰りの乗客30人が乗っていました。
ホームレスの男が突然火の付いた新聞とガソリンを投げ込んだのです。
(サイレン)全く罪のない人たちを襲った無差別通り魔事件。
死者6人重軽傷者14人を出す大惨事となりました。
たまたまバスに乗り合わせただけで突然被害者となった人たち。
やり場のない怒りを抱えたままその後を生きる事になりました。
その一人…なぜ自分が被害に遭わなければならなかったのか。
答えの出ない問いに苦しみ続けてきました。
全身の80%に火傷を負いながら奇跡的に命を取り留めた杉原さん。
30年以上たった今再び事件の傷によって死に直面しています。
火傷の治療で使った血液製剤が原因で肝臓がんを発症したのです。
(せきこみ)自分の犠牲とは何だったのか。
人生の最期を前に杉原さんはもう一度その意味を考えようとしています。
社会に衝撃を与えても次第に忘れられまた繰り返される事件。
被害者は何を思い生きているのか。
その心の叫びを聞いてみませんか。
名古屋市にあるアパート。
ここに被害者杉原美津子さんが暮らしています。
(取材者)こんにちは。
杉原さんは5年前に夫を亡くし今は6畳一間のこの部屋で独り暮らしをしています。
体に残る火傷の痕。
ずっと杉原さんを苦しめてきました。
決して忘れる事のできない瞬間。
その壮絶さを物語る写真があります。
事件のあとしばらくは見る事ができませんでした。
実はこの写真杉原さんにとって皮肉な巡り合わせで撮られたものでした。
写真を撮ったのは…当時報道カメラマンをしていた義治さん。
まさか妹が事件に巻き込まれているとは思いもしませんでした。
事件当日仕事帰りで新宿駅にいた義治さん。
「ガス爆発が起きた」と聞き階段を駆け上がりました。
炎が噴き上がるバス。
義治さんは目の前の光景を次々に撮影していきます。
妹が大火傷を負って病院に運ばれたと知ったのは数時間がたってからでした。
皮膚の移植手術を十数回繰り返して命を取り留めた杉原さん。
一躍時の人となります。
偶然兄が撮った写真。
同じ現場で被害に遭った妹。
社会から集まる好奇の目が杉原さんを追い詰めていきます。
本当の苦しみは誰にも分かってもらえない。
そのいらだちを付きっきりで看病していた母なをさんにぶつけてしまいます。
きっかけは外出できるようになった杉原さんになをさんがかけた言葉でした。
世間の注目を浴びるようになった杉原さんを守ろうという気遣いでした。
事件の3年後杉原さんは自分の気持ちに区切りをつけたいと一冊の本を書きます。
被害を受け止めて生きる決意を記しました。
しかしこの中で加害者について書いた事が逆に杉原さんを追い詰めていきます。
「私には加害者丸山博文を憎悪することができない」。
バス放火事件を起こした…杉原さんは彼を憎んでいないとつづったのです。
貧しい農家に生まれ上京後土木作業員として働いていましたが事件を起こす数日前仕事を辞めました。
新宿駅周辺の路上で寝起きしていた丸山元受刑者。
通行人からバカにされたのをきっかけにたまたま目に入ったバスを目がけて火を放ったのです。
不幸な境遇を知った杉原さんは加害者を責めても社会が変わらなければ事件は繰り返されると考えました。
しかし厳罰を求める人たちから厳しい批判を浴びたのです。
それ以来事件について口を閉ざすようになった杉原さん。
ずっと抑え込んできた気持ちが噴き出したのは2年前肝臓がんを告知された時でした。
血液製剤によって感染したC型肝炎が引き起こしたがん。
事件が今再び自分を死に追いやろうとしている事に激しい怒りが込み上げてきたのです。
杉原さんがもう一度事件と向き合い始めたのはおととしの夏。
事件からちょうど32年がたった8月19日。
ずっと避けてきた場所に向かいました。
新宿駅西口のバス停です。
あの日ここから自宅に帰ろうとしていました。
9時10分の中野車庫行きです。
事件と同じ日同じ時刻のバス。
杉原さんはあの時と同じ場所火が投げ込まれた降車口のすぐ隣に座りました。
よみがえるあの時の記憶。
しかし現場には事件を思い起こさせるものは何一つありませんでした。
何事もなく走りだすバス。
そこから見える風景は当時と全く変わっていました。
(杉原)何だか知らないけどね…。
事件は社会に何を残したのか。
自分の被害は無駄だったのか。
杉原さんは事件についてもう一度書き残す事にしました。
「事件の片鱗はわずかにも残ってはいない。
あの夜の炎が『幻』だったように思える。
それなら私のこの熱傷の痕をどう理解したらいいのか」。
34年前に起きた新宿西口バス放火事件。
通りがかりの人を理由もなく襲う無差別通り魔事件の始まりといわれています。
毎年10件前後起きる通り魔事件。
この10年で130人を超す人が被害に遭っています。
しかし加害者から謝罪が得られなかったり責任能力を十分に問えなかったりするケースも少なくありません。
事件後加害者を責めなかった杉原さん。
改めて事件と向き合う中でその気持ちは大きく変わりました。
心神耗弱のため無期懲役となった丸山元受刑者。
事件から17年がたった1997年服役していたこの刑務所で自殺していたのです。
その事を後になって知らされた杉原さん。
刑を全うせず命を絶った加害者に許し難い気持ちが湧いてきました。
自殺は犯した罪への償いだったのかそれとも逃げだったのか。
杉原さんは丸山元受刑者のふるさと九州に向かいました。
自殺する前何か言い残した事はないか。
遺族に確かめたいと思ったのです。
(ノック)ごめんください。
ごめんください。
すみません。
ちょっとお尋ねしますけど…尋ね歩く事10軒実家が見つかりました。
近所の人に聞くと兄がいる事が分かりました。
ああそうですかすみません。
ありがとうございました。
兄は1年前に亡くなっていました。
丸山元受刑者が自殺した真意を知る事はできませんでした。
「私は彼の自死の意味を考え続けた」。
「加害者には苦しみを投げだす事なく『強く』生きてほしい」。
誰にもぶつける事のできない怒り。
杉原さんはそのいらだちを一番支えてくれた家族に向けました。
衝突を繰り返しこの30年疎遠になっていた母なをさん。
関係を修復できないまま2年前に亡くなりました。
杉原さんはあの時の家族の気持ちを今ようやく受け止められるようになりました。
もう一度家族のつながりを取り戻したい。
杉原さんの気持ちは今事件を撮った兄義治さんに向けられています。
義治さんは自分の写真が妹を追い込んでしまった事に責任を感じその後報道の現場に立つ事はなくなりました。
母を一人で介護し最期を看取った義治さん。
最近杉原さんから手紙が送られてくるようになりました。
杉原さんから届いたハガキ。
介護中義治さんが母の手を握りながら撮った写真。
それを見た杉原さんの気持ちがつづられていました。
「お母さんの心とお兄ちゃんの心を想像して涙があふれました」。
(取材者)何に驚いた?ハガキには最期まで母の面倒を見てくれた兄に向けてこうつづられていました。
「お母さんの人生しあわせでしたね」。
身近な人にさえ分かってもらう事が難しい被害者の気持ち。
バス放火事件で重軽傷を負った人は14人。
ほかの被害者はその後どんな人生を送っているのか。
杉原さんは裁判資料などを手がかりに消息を調べ手紙を出す事にしました。
この日被害者の家族から返事が届きました。
事件直後炎から逃げ出した女性。
杉原さんが一度会った時火傷の痕を気にしていました。
その後杉原さんと同じように輸血が原因で肝炎に感染したと聞いていました。
ああ亡くなったって。
「平成17年4月15日永眠いたしました」。
年老いた父親が書いた手紙。
それ以上の事は触れられていませんでした。
杉原さんの容体が悪化しました。
肝臓がんが進行しこのままでは余命が長くても半年と告げられたのです。
杉原さんはがんが見つかった時死を受け入れる覚悟を決め治療を受けない選択をしていました。
杉原さん頑張ってやって下さいね心配ないですからね。
しかし今回抗がん剤治療に踏み切る事にしました。
少しでも命を延ばして事件に向き合いたいと思ったからです。
(せきこみ)退院後また一通手紙が届きました。
手紙をくれたのは杉原さんと同じように事件で火傷を負った女性でした。
女性が東京から訪ねてくる日。
あの時同じ車内にいただけで直接面識はありません。
初めまして北村です。
杉原です。
初めまして。
北村輝代さんです。
事件に遭った時22歳でした。
仕事が遅くなりいつもより30分遅いバスに乗っていました。
降車口のそばに立っていた北村さん。
目の前に火が投げ込まれ顔と手足に火傷を負いました。
事件の半年後北村さんは仕事に復帰します。
しかし周囲からかけられる何気ない言葉に深く傷つきました。
どうぞ。
すごく狭いですよ。
いえいえいえ。
失礼致します。
杉原さんは北村さんを自宅に招きました。
2人に共通しているのはバスで被害に遭った事だけです。
大体何が起きたのか分かんない。
訳が分かんなくて。
私も何が起きたのか分からないというのがあったんですけども。
とにかくもう何て言うんでしょう?自分の事しか考えられなくて。
それはそうだねみんなね。
2人が共感したのは被害者にしか分からない複雑な感情でした。
人が被害者という時には大変でしたねって言いながらああ自分じゃなくてよかったというのがあるからね。
そうですね。
それは感じますよね。
孤立しちゃうよねどうしても。
そうですね。
「何で私だけこんなに?」みたいな。
被害者って言われるのは嫌なんだけれども被害者意識っていうのはあったと思うんです。
全身の80%に火傷を負い移植手術を繰り返した杉原さん。
北村さんの症状が自分ほどひどくなかった事を知りました。
傷の範囲が少なかったから輸血しないで済んだんだ。
だから余計助かったんだね。
ふ〜ん。
きっと北村さんの場合にはその傷がね私から比べれば大きくはなかった事と意識がしっかりされてたからかもしれないですね。
いろんな意味で幸運でしたね北村さんね。
そうですね。
「幸運」と言った事に悪気はありませんでした。
しかしそのあと会話は続かなくなりました。
被害者の痛みを分かっていたはずの杉原さん。
北村さんに手紙を送りおわびの気持ちを伝えました。
数日後。
北村さんから手作りのティッシュケースと共にメールが届きました。
被害者同士でも分かり合う事は難しい。
それでも心を閉ざしていては誰とも繋がる事はできない。
北村さんとの交流を通じて感じた事を書きました。
「傷つけられるという体験を重ねその痛みを知りつくしてきたはずの私も知らずに傷つけてしまう事がある」。
去年の暮れ杉原さんはある場所に向かっていました。
子どもの頃家族と過ごした街。
今も兄が独りで暮らしています。
(チャイム)母が亡くなってから会っていませんでした。
杉原さんは兄に「元気なうちにもう一度会いたい」と手紙で伝えていました。
事件の被害者となった妹とその瞬間を偶然カメラに収めた兄。
杉原さんは最期の写真を撮ってほしいと頼みました。
兄が選んだ場所は子どもの頃一緒に遊んだふるさとの海です。
かつて事件を撮ったカメラ。
ソフトフォーカス。
唾つけてソフトフォーカス。
その後人に向ける事はなくなっていました。
顎を上げた方がいいんだよ。
あんまり口を結ばないで。
あの日以来初めて過ごす穏やかな時間です。
あんまりこっち見つめないでね。
そうそうそう。
それでいい。
OK!OKOK!いいよね?うまくいったうまくいった。
ずっと抱えてきたわだかまり。
30年を超す月日がたっていました。
自分の人生を一変させた事件。
この冬杉原さんは再び現場に立ちました。
これ書こうと思うんだ。
杉原さんは今書きためてきた文章をまとめ一冊の本にしようとしています。
自分の半生をかけて被害を乗り越えようとしてきた事の意味をつづっています。
バス放火事件の被害者杉原美津子さん。
残された日々をかけて自らの体験を伝えていこうとしています。
2014/04/09(水) 01:25〜02:15
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「聞いてほしい 心の叫びを〜バス放火事件 被害者の34年〜」[字][再]

新宿西口バス放火事件の被害者、杉原美津子さんは火傷の治療が原因と見られる肝臓ガンを発症。命の期限が迫る中、被害者の思いをつづっている。犯罪被害者の苦悩を見つめる

詳細情報
番組内容
1980年に起きた「新宿西口バス放火事件」。全身80%にやけどを負い、奇跡的に命を取り留めた杉原美津子さんは、やけどの治療が原因と見られるC型肝炎に感染し、後に肝臓がんを発症した。命の期限が迫る中、最後の執筆を開始。被害者にしか分からない思いを書き残すのだ。杉原さんは、同じバスに乗っていた被害者と対話し、加害者の情報を探る旅に出た。無差別通り魔事件から34年、終わることのない被害者の苦悩を描く。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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