東日本大震災が起きた3年前。
今は更地となったこの場所で悲劇と呼ばれる出来事が起きました。
今年3月11日。
残された家族が訪れていました。
ここには震災の前の年に出来たばかりの建物がありました。
241人もが逃げ込んだと見られています。
釜石市鵜住居地区防災センター。
押し寄せた津波は2階の天井付近まで達し建物全体をのみ込みました。
本来津波の避難場所ではありませんでしたが市の避難訓練でここを使っていたため多くの人が逃げ込みました。
子供からお年寄りまで200人以上が犠牲になったと見られています。
「釜石の悲劇」と呼ばれています。
その中に幼稚園に勤める2人の女性がいました。
1人は亡くなり1人は今も見つかっていません。
行方が分からないままの娘を捜す両親です。
この3年防災センターに足を運び手がかりを探し続けてきました。
頭がおかしくなったんじゃねえかなと思うくらい最近ちょっとおかしい。
だんだんこう月日がたつにつれてその感情がねだんだん強くなってくるみたいで。
今年1月建物は解体されました。
この場所で最愛の人への思いを募らせてきた家族たち。
その心の軌跡です。
震災当時26歳だった疋田菜津子さんと31歳だった片桐理香子さんです。
あの日2人の幼稚園児を連れて防災センターに避難しました。
子供たちは奇跡的に助かりましたが片桐理香子さんは震災の4日後防災センターで亡くなっているのが見つかりました。
疋田菜津子さんは一緒に避難した姿が目撃されています。
しかし震災から3年余りたつ今も行方が分からないままです。
行方が分からなくなった菜津子さんの父疋田信一さんです。
がれきだらけの町の中で娘を捜していました。
勤めていた幼稚園は建物全てが津波にのみ込まれました。
(信一)あっいた!うちの娘だ。
これがうちの娘です。
幼稚園のすぐ隣に防災センターはありました。
このころ信一さんは毎日のように足を運んでいました。
天井に泥の跡手の跡ついたのかな?これ。
何か分かんないけども結構な泥がありますよね。
ここまで上がったんだこれ上まで。
やっぱ10センチぐらいしか…梁の部分のとこしか残ってない。
一緒に避難した2人の幼稚園児は津波と天井との僅かな隙間に抱え上げられ助かったといいます。
菜津子さんは釜石市内で両親と暮らしていました。
成人式の時一緒に撮った写真です。
小さい頃から何にでも一生懸命だった菜津子さんを2人は頼りにしていました。
会社勤めをしながら自分で学費を稼いで資格を取り夢だった幼稚園の先生になったのです。
震災の年の夏疋田さん夫妻は菜津子さんを捜し続けていました。
いつも足が向くのは娘が最後にいた防災センターでした。
この部屋からどこに流されたんだかね?ここしかないもんな。
そうだよね。
ここしかねえ。
こっちはこっちだもんな。
あと壁だからな。
子供たちは向こうの部屋に行ったっていうからあっちに流されればみんな固まっているはずだもんな。
菜津子さんはどこにいるのか。
2人が娘を捜す時間は1年2年と続いていきました。
震災から2年半がたった鵜住居地区です。
辺りを埋め尽くしていたがれきが消えても手がかりは見つかりません。
信一さんは震災の翌日から毎日その日の出来事を手帳に記しています。
(信一)毎日毎日書いてんだけど同じ事ばっかり書いてっから。
「菜津子と連絡取れず」。
その文字が手帳を埋めていました。
悲しいけども同じ文字なんだねえこれは。
変わってないね。
変化なしで…。
年だけは取っていくけど変化なしで…。
疋田菜津子さんと一緒に避難した片桐理香子さんです。
防災センターで亡くなった理香子さん。
結婚したばかりの夫がいました。
震災以来防災センターに足を運び続けています。
結婚して9か月だった2人。
理香子さんのおなかには赤ちゃんがいました。
3月11日は産休前の最後の出勤日でした。
家族3人での暮らしを守っていくために美容師としての仕事に力が入っていた片桐さん。
「なぜ最愛の家族を守る事ができなかったのか」。
自分を責め続けています。
生まれてくる女の子には太陽のように明るく彩りのある人生を送ってほしいと「陽彩芽」と名付けていました。
最愛の妻と子が亡くなった防災センター。
片桐さんは事あるごとに訪れるようになりました。
いつも向かう場所があります。
妻理香子さんが逃げ込んだ2階の部屋です。
「この場所にいると今は会えない2人に会える」。
いつしか心のよりどころになっていました。
自分のほんとに今の生活の中で一人がつらくてここに来たり今日みたいに素直に会いに来たり…。
いろんな思いで来てますからね。
去年10月防災センター解体の方針を釜石市が説明する場が持たれました。
妻とおなかの子を亡くした…娘が今も見つかっていない疋田礼子さんの姿がありました。
疋田さんは震災前娘菜津子さんから片桐さんの妻理香子さんの事をよく聞いていました。
しかし一人残された片桐さんの気持ちを考えた時にどんな言葉をかけていいか分からず一度も話しかける事ができずにいます。
この日片桐さんは「無念の死を無駄にしてほしくない。
防災センターを残してほしい」と訴えました。
今日まで過ごしてきた私のそして遺族の苦しさを経験してほしくないんです。
それを伝えたいんですよ。
伝わらなきゃいけないんですあの場所で。
疋田さんは初めて片桐さんの思いを知りました。
しかしこの日も言葉をかけられませんでした。
震災から2年9か月となる去年12月。
この日は疋田礼子さんの誕生日です。
携帯電話にお祝いのメッセージが届いていました。
(「ハッピーバースデイトゥーユー」)送ってくれたのは娘の菜津子さんです。
去年もお祝いしてもらったね。
セットしておいてくれたんだよね。
誕生日にお知らせメールが届くようにね。
震災の前菜津子さんが自分の携帯電話を譲ってくれた時母親を驚かせようと設定していたのです。
うれしいような悲しいような…。
悲しい音楽に聞こえるよなこれすごく。
うん聞こえる。
菜津子さんの部屋は今も震災当時のままです。
防災センターに通ってもなかなか見つからない娘。
父信一さんは次第に解体を望むようになっていました。
もしかするとねあの防災センター壊してる最中に周りからね亡くなった人の骨が見つかるかもしれないしそういうのを期待してるんだけども。
12月2日。
防災センターの解体が始まりました。
残された家族の思いの詰まった祭壇が片づけられます。
防災センターの解体を望むようになっていた疋田さん夫妻です。
解体が始まっても菜津子さんの手がかりは出てきません。
通う度に期待が裏切られここに足を運ぶのが日に日に苦しく感じるようになっています。
(信一)ここの周りには絶対いるんじゃねえかなと思ってこの2〜3年…2年間思ってきたんだけども無くなって何も出てこないとなるとやっぱりこの辺にはいないんだなって。
海の方なのかなと思ったりも…。
「菜津子と連絡取れず」。
そう手帳に記し続ける毎日。
「今日防災センターに行ってきた。
まだ半分くらいしか解体されていなかった。
早く解体されれば気持ちがいくらか楽になるんだろうか」。
そしてこの日も最後には…。
待つよ帰りは。
帰りは待つし…。
死ぬまで待つから。
私たちが生きてるうちにね帰ってきてほしいけど。
防災センターを残してほしいと訴えていた片桐浩一さんです。
心のよりどころだった場所が無くなろうとしています。
亡くなった妻と子に会うために掛けがえのない時間を過ごしてきた部屋。
その壁に心の内を書き始めました。
「忘れないでほしい」。
「ここで多くの命が失われたことを」。
「忘れないでほしい。
生きたかった命がここで絶たれたことを」。
疋田礼子さんはずっと話ができずにきた片桐浩一さんに会う事にしました。
どうしても伝えたい事があると連絡を取りました。
はじめましてですね。
話するのははじめましてだけど。
片桐さんも震災以来疋田さんの事を気にかけていました。
しかし行方が分からないままの気持ちを思い言葉をかけられずにいました。
礼子さんが伝えたかったのは2人と一緒に避難し奇跡的に助かった子供の祖母から言われた言葉です。
助かったうちの一人の子のおばあちゃんが私の同級生だったの。
ああそうなんですか。
「孫助けてくれてありがとう」って。
だからね理香子先生と菜津子が命に代えて守ったんだなと思って。
その時はね片桐さんの事もね全然頭の中になかったしもうだんだんにね時間がたってきたらねもし片桐さんや寺澤さんに会ったらねその事を伝えたいなと思って。
2人で守った命だって。
だからきっとねその子たちも頑張って生きてくれると思うしね。
うちの主人です。
(片桐)あっそうなんですか。
今日新年会でもし時間があったらって言ってたみたい。
どうもはじめまして。
すいません遅くなって。
すいません。
地域の会合に行っていた信一さんが駆けつけました。
片桐と申します。
菜津子の父です。
疋田です。
(片桐)本当にうちの理香子がお世話になりまして。
いえいえこちらこそありがとうございますほんとに。
悔しいですよね…。
震災以来胸に閉じ込めてきた思いが込み上げてきた2人。
どうしてもその自分の話ができなくなってて。
誰にも話せない。
(礼子)ほんとだよね。
(信一)そうですよね。
もう他人事になってしまうからね。
ほんとだ。
これはねそうだっけね。
話しててももう他人事になってしまってっからね。
(片桐)ずっとそれをしまっちゃってて出せない。
今出しちゃうと全然町の復興と…みんなその話ばっかりやって自分の事は全くそれをしまったままにしないと何か申し訳ないなという時もあるし。
どんどんどんどんそれがつらくなってきて…。
(礼子)話せる人がいるといいけどね。
私もね我慢しないで泣きたい時には泣こうとは思ってるけど。
(信一)つらいんだ。
だって一人だもん。
つらいんだ一人ほんとに。
ほんとにつらいよ。
つらいつらいってば絶対に。
家族うちみたくいるんだったらまだあれだったって家族亡くしてるもの2人も。
また是非。
頑張って。
いつでも電話下さい。
(信一)ここ毎日見てっから。
仕事の帰りに。
頑張って下さい。
ありがとうございます。
(礼子)体大事にね。
(信一)体だけね大事にして下さい。
震災から2年10か月。
すいませんどうも。
ありがとうございました。
(礼子)それじゃまた。
どうも。
ようやく持てた時間でした。
釜石の悲劇が起きた鵜住居地区防災センター。
2か月かけて解体が進められました。
今年1月下旬。
姿を消しました。
震災から3度目の3月11日がやって来ました。
妻理香子さんの母親と更地となった跡地を訪れました。
理香子さんが最後にいた部屋があった場所で花を手向けたいと考えていました。
これまで何度も見てきた風景を頼りにその場所を探します。
「黙とう」。
(サイレン)おととしも去年もここで手を合わせてきました。
その夜。
片桐さんは暗闇に包まれた更地を一人で見つめていました。
(片桐)昼間だともうセンターのあった映像が出てこないっていうか自分の頭の中にそれを描けなくなっちゃうんで。
夜だとそれを…解体したのを何か隠してくれるっていうか。
「亡くなった2人に会いたい」。
じっとこの場所にいました。
ほんとに3年間毎日毎日その日その日だけの事を考えて後悔しないようにその日一日を生きるっていうか。
3年たってもいまだに明日は分からない1分1秒先は分からないというそういう思いは変わらないし。
震災から3年のこの日。
娘の帰りを待ち続ける疋田礼子さんは一人車を走らせていました。
やって来たのは防災センターではありませんでした。
その近くの海です。
娘は海のどこかにいるのかもしれない。
その思いが強くなっています。
無人島にでもいてくれればいいなと思ったり。
いろんな事を思うね。
海の底だと思う時もあるし。
この日仕事をして過ごしていました。
(信一)今日は誰にも会いたくなくてね。
うちから出たくなかったな朝から。
何でなんだか分かんないけど。
まあしょうがない仕事は行かなきゃならねえけど。
何かね落ち着かなくて…。
3年間ずっと娘の帰りを待ち続けてきた信一さん。
震災1年2年とは違う3月11日を迎えていました。
1年目は必死で捜したり何だりしてあれしたけど気が張ってたんだか何だか分かんないけども。
やっぱ3年目になればちょっとふっと力が抜けたというんだか。
そういうのもあってちょっとね何て言うの気分的にもちょっと何と言うの落ち込むっつうんだかこの時期になるとガクッとくるっつうんだか分かんないけども。
気が張ってない分そうなってんのかもしれないし。
これから来年再来年になればどうなるのかね分かんないけども。
一生懸命生きますよ。
あんまり早くね逝ったんじゃあちょっと菜津子に怒られて「来るな」ってしゃべられて戻ってくるかもしれねえから年相応になったら。
それまでに帰ってきてくれればそれに越した事はないけども。
「どんな形でも娘に会いたい」その思いと「生きて帰ってきてほしい」という思いの中で揺れてきた父信一さん。
菜津子さんを待ち続ける日々が続いています。
震災以来深い悲しみと向き合い続けてきた家族たち。
最愛の人への思いを一層募らせています。
津波の爪痕が消えていく被災地。
4年目の春を迎えています。
2014/04/08(火) 01:25〜02:15
NHK総合1・神戸
釜石の悲劇〜残された家族 4年目の春〜[字][再]
震災で推定200人以上の犠牲者が出た「釜石の悲劇」。残された家族は、最愛の人への思いを募らせ、癒えない悲しみと向き合ってきた。家族たちの心の軌跡を見つめる。
詳細情報
番組内容
東日本大震災で、市の避難訓練で使っていた建物が津波に襲われ推定200人以上の犠牲者が出た「釜石の悲劇」。この3年あまり、残された家族は最愛の人への思いを募らせ、癒えない悲しみと向き合い続けてきた。「悲劇」の現場となった建物は、町づくりのため、1月に解体されて姿を消した。そうした中で迎えた今年3月11日、家族たちはこれまでとは違う時の刻み方をした。最愛の人を思い続ける家族たちの心の軌跡を見つめる。
出演者
【語り】原田美枝子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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