生字幕放送でお伝えします高畑⇒あしたから新学期。
ありがとうございます。
伊藤⇒元気よくスタートできました。
一緒に司会を務めてくれるのは高畑淳子さんです。
高畑淳子でございます。
月曜日のスタジオパークを担当させていただくこととなりましたよろしくお願いします。
きょうは新学期ということで真っ白ですね。
初回ですから真っ白で来ました。
高い宝石をたくさんつけていきました、借り物ですけど初回に備えて。
きょうもその気分でいらっしゃったんですね。
あしたから新学期なのね。
まだ始まっていないのね。
われわれは新学期ということで楽しくやっていきたいと思います。
ご無礼があったら申し訳ございません、先に謝っておきます。
新年度にスタジオにたくさんのお客様を招いております。
それでは早速いきましょう。
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このスタジオパークからこんにちは、は新年度からデータ放送を使って、テレビの前の皆さんと一緒に放送を楽しむということできょうもデータ放送がありますのでリモコンを手に用意してください。
皆さん分かっているかしら?分かっていますか。
私は、あまり分かっていません。
私がいったときに決定ボタンを押してください。
それは何かしら?ボタンがついていますからそれを使ってデータ放送を行いたいと思います。
さてきょうのゲストは高畑さんはだいぶどきどきしていらっしゃるということで美輪明宏さんがきょうのゲストなんですけれども。
ちょっと夢心地です。
ファンなんですよね。
そうなんですよ。
テンション高いですね。
舞台人として、歌手として。
本当に。
私は、きょう初めてですけれども初回に美輪さんというのは怖いようなありがたいような。
では、そのゲストをお迎えいたしましょう。
本日のゲスト、美輪明宏さんです。
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ようこそ、おいでくださいました。
きょうのお召しものも鮮やかですね。
くるっと回っていただいてもよろしいですか?
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春らしいですね。
どうぞお掛けください。
すてき!これは何色ですか?美輪⇒これは日本風に言いますと若草色です。
ちょうど今の季節にあっています。
春芽吹く色ですね。
爽やかな感じですね、高畑さんも目がきらきらしていますね。
それはそうですよ!スタジオパークの司会をしなければ、こんなチャンスはありませんから。
共演されたことは?ありません、ニアミスはあるんですよ。
美輪さんが「愛の讃歌」という舞台をされたときにこっそり外に行こうと思ったときに美輪さんが、エレベーターからお出ましになってその瞬間に、手を合わせてしまいました。
ニアミスはあるんですけどね。
周りに人魂が出ているんですよね。
オーラがね。
それは覚えていらっしゃいますか。
覚えています。
後光がさしていましたよ。
いいえ、人魂だと思います。
ずいぶんお芝居を見てくださっているんですよね。
「リチャード三世」「毛皮のマリー」「黒蜥蜴
(とかげ)」サンシャインでなさっていた舞台も拝見しました。
そうですか、どうもありがとうございます。
私はきょういらないような感じですよね。
私がたくさんしゃべってしまいますから。
美輪さんファンの高畑さんにプロフィールをご紹介していただきたいと思います。
読ませていただきます。
恐れ入ります。
美輪さんは1935年5月15日長崎県長崎市に生まれました。
幼いころから美声の持ち主でした。
小学校のころ、ボーイソプラノを先生に褒められたことがきっかけで歌に興味を持った美輪さん。
中学時代になると本格的に発声練習を始めます。
そしてシャンソンに出会い歌手になる夢が膨らんでいきます。
1951年高校進学のために上京。
翌年にはシャンソン喫茶・銀巴里で早くもステージに立ちます。
美声の美少年。
そのうわさは瞬く間に広がりました。
1957年、22歳のときに「メケ・メケ」で、正式に歌手デビューを果たした美輪さん。
1966年にはみずからの作詞・作曲による「ヨイトマケの唄」が大ヒットします。
その後、俳優として天井桟敷をはじめ数々の舞台で活躍されますが特に「黒蜥蜴」での、女装の美しさは世間をあっと言わせました。
この「黒蜥蜴」は46年にわたり繰り返し上演されています。
1984年と1987年にはシャンソン歌手としてヨーロッパ公演も成功させた美輪さん。
歌手、俳優、演出家脚本家、そしてコメンテーターとしてご活躍中。
現在も、もちろんパワー全開でいらっしゃいます。
ありがとうございます。
早口ことばを練習しておけばよかったです。
きゃりーぱみゅぱみゅの練習はしたんですけどね。
言えていませんよ。
今、ご紹介しましたけれども「黒蜥蜴」は映画にもなりましたね。
私はきのう繰り返し2回見てしまいました。
映画のほうですね。
深作欣二監督の映画ですね。
深作さんがまだ無名でいらっしゃって。
はじめ、松竹さんからお話があって2度ほどお断りしたんです。
というのは水谷八重子さんがおやりになって実は八重子さんと私は親友でしたので人のものをとるのは嫌だということでお断りしたんです。
でも3度目、お話があったのでお引き受けしたんです。
監督しだいだと私は寺山修司さんとアングラを始めていましたので巨匠の名前が何人かがあったんですけれど美しくなるんだよとは言われましたけれども東映でやめさせられた方がいるということで東映が使い切れないでいるんじゃないのということでお会いすることができるかしらということでお目にかかってお話をしたらとてもおもしろい方だったのでその方にお願いをしましょうということになって深作欣二さんだったんです。
ニューヨークやヨーロッパでも大ヒットしました。
江戸川乱歩原作で美輪さんが演じる「黒蜥蜴」は女怪盗なんですよね。
木村彰吾君という方はずっと私と相手役をやっているんですけれども名演技でびっくりしました。
明智小五郎をやってくれました。
これが舞台衣装ですね。
パーティーコートが鳥の羽でできているんです。
尾長鳥のおんどりです。
7色に輝いていますね。
この衣装は美輪さんがなさっているんですよね。
私は舞台をやるときには三島由紀夫さんですけれど脚本演出今「愛の讃歌」の稽古中ですけれども舞台美術とかそれも自分でやります。
美輪さんはNHKの春から放送しております連続テレビ小説「花子とアン」にご出演といいますかナレーションで、ご出演です。
その様子をご覧いただきましょう。
(空襲警報)昭和20年4月15日東京の夜空に100機を超えるB29が現れ大森の町も恐ろしい爆撃を受けました。
もしもこの夜、たった一冊の原書が燃えてしまったら私たち、永遠に出会えなかったかもしれません。
みんなが大好きなあの「赤毛のアン」に。
この勇ましいおばさんは村岡花子といいます。
「赤毛のアン」を初めて日本語に訳した翻訳家です。
これは、花子とアンが出会い日本中の人たちに、夢と勇気を送り届けるまでの物語。
というふうにドラマ自体がスタートしたんですよね。
実際に1週間ぐらい放送されましたね。
3月31日からです。
今、見ているという方決定ボタンを押していただけますか。
スタジオの方は手を挙げてください。
リモコンの決定ボタンを押してください。
スタジオの方は9割近くの方がご覧いただいていますね。
テレビの前の皆さんは決定ボタンを押してください。
これからdボタンというものを押していただくようですよ。
美輪さんはご存じですか?私は、とんちんかんです。
決定ボタンと書いてあるそうですよ。
メッセージも届いています。
広島県の方です。
男性の方です。
美輪明宏さんの語りが聞こえてくると、胸に何かしらことばにならないものがこみ上げてまいります。
海外でご覧になっている方もいらっしゃいます。
ミクロネシアの方からです。
毎日「花子とアン」の語りを拝聴するたびに胸がわくわくします。
そしてこの方は銀巴里に通っていらっしゃったということです。
うれしいですね。
魅了されていましたということです。
ありがたいですね。
2年前でしたか、銀巴里は終わりましたね。
今回、その語りナレーションをされていますけれどもどういう形でオファーがあったんですか。
担当のチーフディレクターをやっていらっしゃる方が大河ドラマの「義経」のときに出ていたときに私のコンサートやお芝居に来てくださっているんですけれどこの間去年「黒蜥蜴」をやりまして楽屋にみえましてちょうど脚本家の方とご一緒でお話がありましてね。
どうして私なの?と聞いたらごきげんよう、さようならというごきげんようを使い慣れていらっしゃる方が今いらっしゃらないということで。
確かに、なかなか、ごきげんようと言いませんよね。
番組の最後に美輪さんが、ごきげんよう、さようならというんですよね。
童話の1ページが終わって、また始まるような感じがいいんですよね。
花子さんがNHKラジオで放送していらっしゃってね。
最後に、ごきげんようさようならとおっしゃっていたの私それも聞いていますしね。
そうですね、ごきげんようさようならというのは出会ったときも、ごきげんようというんですけれどごきげん麗しくということなんですけれどそれで、さようならということですね、よくお過ごしくださいますように、ということばの代わりに、ごきげんようというんですよね。
さようならば、ということばもあってそれを簡単に言ってさようならとなっているんです。
それを自然におっしゃれる美輪さんにということなんですね。
私の友達は、そんなことばも使いますしね。
それでお話があってお役に立つようだったらということで。
明治、大正、昭和の物語でしょう?私は明治生まれではございませんけれど昭和10年に生まれましたので生まれる10年前は大正時代なんですよね。
生まれる25年前が明治時代で。
明治時代の歌もまだ残っていたんですよ。
時間がゆっくり流れていましたのでね。
大正時代の末に松井須磨子の歌もありましたし私も原爆にあっておりますし、長崎で。
終戦後のこれらの中でみんな日本66か所爆撃を落とされましたでしょうそれもずっと見ていたんです。
実感として空気感を存じ上げていますのでそれが表現できるのではないかなと思いまして。
お断りにならずに。
それで私たちがナレーションを聞けるんですね。
私はシーラカンスみたいなものですよね。
パワーがすごくて血管が開く感じがするんですよね。
汗が出てしまって。
そんなに怖がらないで。
集計結果が出たようですよ。
今ご覧になっている方が2万4756人。
この瞬間に2万人の方が見てくださったんですよね。
先週は1万人ぐらいだったのでたくさんの方が押してくださったんですね。
全世界でしたらそうですよね。
美輪さんが担当していらっしゃる「花子とアン」は月曜日から土曜日放送です。
私は先の先まで台本をいただいていますでしょう。
本当におもしろいです。
脚本がとにかく布石をしてあるんですよ。
その石が、あとで立ち上がってくるんです。
こういう仕掛けがあったんだということが分かるんですよね。
謎解きみたくそれが随所にあちこちに散りばめてありますのでますますおもしろくなりますよ。
ぐっときますよね、泣けるところもありますね。
貧しいところから、娘さんがそうずらよ、ということばからちゃんとした標準語を覚えていって美しいことばを覚えていく。
今ちょうど、ことばが乱れていますでしょう。
ですからまじで、というようなことばになってますよね。
まじっすか、とかって言いますよね。
まじに、え、が混じっていますよね。
いい方もちょっと違いますよね。
きれいな美しい日本語も、このドラマの中で感じていただければ。
しかも美輪さんのナレーションもありますしね。
ごきげんようというのは皆さんお使いいただけるといいですね。
ドラマを通して、ごきげんようを使っていただければと思います。
このように風船が出てくると一区切りです。
美輪さんも、これまでNHKのドラマもそうですけれど、いろんな番組にご出演していただいています。
NHKとゆかりがあるんですけれど膨大な映像資料の中で、貴重な美輪さんの映像資料がありました。
何年の出演ですか?1960年代のご出演です。
創成期のころの放送です。
1963年「夢であいましょう」の美輪さんの様子をご覧いただきます。
♪「デゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤ」♪「ある日アイツが一目惚れしてその日のうちにこれ恋煩い」♪「デゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤ」♪「アイツ生まれた赤ちゃん抱えて」♪「結婚式もこれ挙げそびれ」♪「デゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤデゥヤ」私からするとなんと言っていいんでしょうか。
かっこいいなという感じですね。
栄養失調でやせこけていました。
覚えていらっしゃいますか。
覚えています。
永六輔さんが作詞して中村八大さんが作曲したんです。
これは、オンエアというか当日に初見で渡されたんです。
昼間、録画をする前に吹き込んだんです。
それが4分の5拍子なんです。
難しいんですよね。
ワルツだったら3拍子ですよね。
1、2、1、2とかいろいろあるんですよね。
1、2、3、4、5といくんですよね。
変拍子ですね。
当時は、4分の5拍子が多かったんですか?アメリカにあったんですよね。
それにちょっとヒントを得て、中村八大さんが作ったんです。
初見で、初めて見て吹き込んだんですけれどどうするの?と言ったぐらいだったんです。
しかも覚えなくてはいけませんしね。
覚えていらっしゃったんですか?カンペもなかったんですか?前の方が踊っていらっしゃるから。
あの中に黒柳徹子さんもいらっしゃるんですよね。
そうなんですよ。
坂本九ちゃんとかもいたんですよ。
まだ存命のころでね。
いろんな方が出ていらっしゃって大変でしたよ。
よくこの映像が残っていましたね。
そうなんですよね。
一般家庭にはビデオがない時代です。
フィルムで保存していました。
さすがNHK、管理がいいですね。
1963年ですから。
先ほどの曲が「あいつのためのスキャットによる音頭」です。
これは、スタジオのところで永さんが考えていらっしゃってタイトルを何しようかと言っていたんです。
そうしたら、あいつでいいじゃないかと申し上げたらそれで、あいつという曲になったんです。
しかし生の強さというかエネルギーというか、たくましいですよね。
当時、生放送ですからね。
お芝居も生放送でしたからせりふを覚えていらっしゃらない役者さんはテーブルのところに書いていたりしてね。
徹子さんから聞いたことがあります。
絵も描いたものがなくなってしまうそうなんですよね。
ご覧になった映像ですけれども美輪さんがご出演の「夢であいましょう」をご覧になった方聞いてみましょうか。
先ほど、2万4000ぐらい数字が出ました。
美輪さんの「夢であいましょう」を見た方は決定ボタンを押してください。
毎週土曜日10時でしたね。
生放送でやっていました。
当時のテレビの創成期現場はどんな感じだったんですか。
創成期ってまだ実験放送に。
昭和27年28年でしたかね。
テレビというものが今度できるのでというお話をいただいて2曲歌ったんです。
テレビ局にもモニターがないんですよ。
街頭放送の街頭テレビがないんです。
スタジオで自分がどのように映ってるのか分からないんですね。
そうなんです。
そのころからのおつきあいです。
内幸町にNHKがありましたでしょ。
そのころです。
美輪さんは生き証人でいらっしゃいます。
結果が出ました。
6135。
私と同じようにシーラカンスの域の人がいますね。
さっき押していらっしゃった方の4分の1の方が。
今見ていらっしゃてる方が「夢であいましょう」を見ていたということですね。
実験放送をやっているころからテレビが家庭に入ってくる時代から、活躍していらっしゃったんですね。
ジェスチャークイズとかね。
柳家金語桜さんと水の江瀧子さんと。
私たちの時代は「ジェスチャー」、楽しみで。
ジェスチャーをして人にことばを伝えるんですよね。
美輪さんはお題も覚えているそうです。
サラリーマンが、うちに帰りたくなくて公園で、ブランコで時間をつないでいるというそういうタイトルだったの。
美輪さんがジェスチャーで表現したんですね。
おもしろかったんですよ。
私は全然、記憶がないんです。
65年生まれなので。
放送していたんですけどね、まだ小さいころでした。
夢中になっていました、私は。
ちょうど「ジェスチャー」をされているころ、美輪さんの大ヒット曲流れてきましたね。
♪〜「ヨイトマケの唄」ご自身、作詞作曲ですね。
紅白で出させていただいて。
去年が「ふるさとの空の下に」これは原爆の生き残りの戦争孤児が立ち直っていくという歌です。
去年の紅白の「ふるさとの空の下に」お聴きいただきましょう。
高畑さん、目頭が。
こういう戦災孤児がたくさんおりましてね。
私、長崎、帰郷するとき知り合った隣に座っていた青年がそういう方で私も原爆に遭っていますが、母が亡くなって、家族がおりました。
その方はたった1人になっちゃったんです。
本当に感動しまして、その方をモデルにして。
たまたま出会った方を。
その方の話を聞いて。
そうです。
今は福島のほうでまだまだ三陸のほうでもありますでしょ。
じゃあ、この歌がちょうどあのころの日本人が着るもの、食べるもの、灰の中からなくて立ち上がってきました。
何度も日本はそういうことを繰り返して日本人の生命力復活力はすごいものがあります。
これは歌にしておくべきだと思ってシンガーソングライターをやりだしたころに作ったんです。
去年、おととしと続けて時を経て50年近く経て、多くの人たちの心に届いている。
桑田佳祐さん、泉谷しげるさんいろんな方が歌っていらして槇原君とか。
ありがたいですね。
紅白のお話だと「ヨイトマケの唄」ありきだったんですね。
「SONGS」という番組がありまして、何度も出させていただいてお話があったときにヨイトマケでということで。
紅白は最近にぎやかですけど真っ黒で。
それはお願いしたんです。
歌の邪魔になるものは一切取り払って。
バックの美術もいらないし。
あれが新鮮でしたね。
「ヨイトマケの唄」のときの美輪さんの衣装です。
私たちは存じ上げていますが黒い髪の毛もとても新鮮でした。
髪の毛もこれだとねちょっとそぐわないですから着るものも、歌の邪魔になるようなものじゃなく黒のタートルで、それだけでライトも2本だけで結構です、と。
あとは何もなくてお客様の想像力。
それに、げたを預けてその方その方のいろいろな人生体験の中から全部想像していただく。
想像の邪魔になるものは一切なくしましょう、ということで。
圧倒的な音楽の迫力というのをすごく感じましたよね、このとき。
絵になりますね。
若い人たちが、すごく感動したと。
それがびっくりしたんです。
私も。
若い方のツイッター、何十万というツイッターが。
今まで親不孝をしていてごめんね、かあちゃんこれからは親孝行するからね親のありがたさが分かったとか若い方が、そういうツイッターを残してくださいますでしょ。
私はとてもありがたかったですね。
NHKよくやった、と。
よくやったですよ、NHK。
ありがとうございます。
そのツイッターもうれしかったんですよ。
この1年の受信料が安かったとか。
年の瀬にあの歌が聴けてよかったと思っていらっしゃる方たくさんいると思います。
世代を越えて美輪さんの歌が皆さんの心に届いたんですね。
子が親を殺して子が親を殺す、この世の中いけないと思うんですよね。
原爆のあと、親子の死体が掘り出されるとき必ず親が子どもにかぶさっているんです。
子どもだけは助けたいそういう死体がずらっと並んでいたんです。
親子はこうありたい無償の愛でね。
自分の命を差し出してもわが子を守る親を守るとかそれは人間本来のあり方それに戻るといいなと思って作った歌なんですけどね。
無償の愛というのは2年前に拝見した、エディット・ピアフ皆様のとは違って、無償の愛というのが別にあるエディット・ピアフでした。
ライフワークにもなっていらっしゃいますエディット・ピアフの舞台無償の愛で美輪さん自体も通じるものがあると感じているんですか。
日本、そしてフランス映画でもなっていますし日本でもいろんな方がお芝居されています。
誤解されていましてねいんとうで、わがままで麻薬中毒で、どうしようもないと描かれています。
知識もあって何十歳も年下の女の子にプロポーズされて男の子にプロポーズされて一人前でやっていけるようにと続けていくんですね。
その子にレッスンをつけながら命絶えていくんです。
私は、どうでもいいや愛する人が健康的で、生きてさえいてくれれば何よりも見返りほかには何もいらない与えて、与えっぱなしそれが愛なのよというせりふがいっぱい出てきて。
「愛の讃歌」の歌詞も日本語で直訳という形で説明させていただいたとフランス語でお届けするんですが頭の上に落ちてきたって、大地がひっくり返ったってどうってことはありゃしないあなたが金髪に染めるといえば染めるし祖国を裏切りというのなら愛する祖国も友達も裏切るお月さまだって盗む。
人々に笑われても平気。
たとえ死でも私たちを引き裂くことはできない空で永遠に愛を誓うでしょうという壮大な歌です。
それが日本の場合誤解されていて私がちょっと気の毒だと思って台本を書いて、何度も上演しているんです。
79年からやってらっしゃいます。
残念ながら入手困難なんですよ。
即日完売。
1枚も売れていませんよ。
そんなことないですよ。
舞台をご覧いただきます。
僕、ここへ来ないほうがあなたのためになる。
おだまり!いいこと、テオ。
あんた忘れたの?えっ?私のためだったらどんなことでもすると言ってたの忘れたの?忘れたんじゃなきゃ、うそつきね。
じゃあ、あれもうそだったの?私と結婚したいと言ったのもあれも、うそだったの!何を言い出すんだ。
結婚してくれって言ったのは僕のほうじゃないか。
エディ!エディ!高畑さんもこの舞台をご覧になったんですね。
拝見しました。
自分が死んだあと、あなたひとり立ちするには世の中、冷たいからその世間を今のうちにレッスンをするんだよと。
心配でしかたがないからレッスンしてちょうだいと彼が歌い出していろいろレッスンをして、それで過去のいろんなことを思い出しながら彼は舞台に上がって、舞台が終わってどうだったと言うと死んでいる、というラストシーンでした。
エディット・ピアフの人生と美輪さんの人生の重なる部分はあったりするんですか?そうなんです。
ですから瀬戸内寂聴さんも楽屋に飛び込んでいらっしゃって同じようなことをおっしゃって今までいろんな芝居を見てきたけど、これがいちばんねとおっしゃってくださって今のようなお話が出たんですよね。
だから私自身もそういう生き方をしてまいりましたしエディット・ピアフがいろんな知識、教養を道端で生み落とされて貧しい少女時代でしょ読み書きもできない。
野獣のようだったんです。
それを芸術家と知り合って彼のスパルタ教育で礼儀作法から教養、そしてそのおかげで彼女は作詞・作曲ですばらしい名曲を作っています。
「愛の讃歌」などそこが全部割愛されていたんですね、今まで。
今までのお芝居や映画では彼女は気の毒でね。
アーティストの部分とか物欲がなかったんです。
冗談ばかり言っていたそうなんですよ。
私はエディット・ピアフの友達だった人を調べて聞きましてこれは気の毒だなあと思ってそれで自分で書いて演出させていただいたんです。
その代わり照明、美術、衣装、音楽すべて演出もそうです。
自分で助けるお客様が視覚から、いろんなところから受け取れるように仕掛けをしてやっぱりほかの方に頼むと、どうしても違うなというところが出てまいりますでしょ。
楽しみですね。
エディット・ピアフの世界と美輪さんの歌に対する考えが舞台に両方に出ているんでしょうね。
そうですね、私は芸術のためだったら自分のプライベートは全部捨ててますしねそういうつもりで生きてまいりましたから。
来月で79歳になるんですけれどもそれだけで生きてきましたからね。
よく使命感ですとおっしゃいますよね。
せりふの中にも出てきます。
美輪さんに、たくさんの質問メッセージがきています。
お答えいただきたいと思います。
愛知県30代の男性です。
面接でいつもあがり気味になりうまく話すことができず6年近く就職できず不安感が強くなってしまいます。
不安感をなくすコツがあれば教えてください。
ということは相手に対して過大評価しているんですね。
面接官とか会社のいろんな組織の方々。
その人を自分より、はるかにいろんなものを持っている人だと思っているんですね。
じゃがいもと思えばいいんですか。
そうじゃなく、自分と同じように欠点だらけで。
同じ人間だと。
60億といわれている地球の人間で小さい人からお年寄りまで病気とか、けがとか容姿容貌とか才能とか悩み、苦しみ、痛みを抱えていない方は誰もいないんです。
お互い様なんです。
ですからお互い様だと思うと自分と同じ人間だと思うと。
なるほど、いいところだけ見せようと思わないでということですね。
もう1つ女性の方です。
美輪様の好きな食べ物と嫌いな食べ物を教えてください。
ないんですよ。
戦前はね、ちょっとぜいたくをさせていただいて。
戦時中は飢餓状態でしたでしょ。
東京へ出てきて、しばらくしてからホームレスをやっていましたでしょ。
また、ごちそういただけるようになって。
日本人はみんなそうですけど。
ですから食べ物に。
何でも頂くんですよ。
メッセージもいただいています。
東京都の方からです。
美輪さんの、ごきげんようさようならを聞くときょう一日よいことがありそうなほっとした気持ちになります。
東京都の方からです。
女性40代です。
私も小さいころから母の使うごきげんようの優しい雰囲気が好きでした。
きれいな日本語は絶えることなくつながれていくものですね。
毎朝美輪さんの、ごきげんようが心にしみます。
ありがとうございます。
もう1つ、東京都40代の方です。
「花子とアン」の美輪さんの語りは尋常小学校など今では日常的に耳にしないことばが美輪さんによってかみくだかれて花子さんが身近に感じます。
朝が楽しみです。
やっぱり時代を生きている美輪様のことば。
さっきからずっと涙目になっていらっしゃいますね。
それはもうよかったです、きょうお会いできて。
ぜひ「花子とアン」ご覧いただきたいと思います。
「愛の讃歌」も、もうすぐ公演が始まります。
全国を回りますから。
ご覧ください。
2014/04/07(月) 13:05〜13:50
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 美輪明宏[字][双]
▽花子とアンで初挑戦!“語り”の秘密に迫る 【ゲスト】美輪明宏,【司会】高畑淳子,伊藤雄彦
詳細情報
出演者
【出演】美輪明宏,【司会】高畑淳子,伊藤雄彦
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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