落語と仏教のコラボレーションでブッダのありがた〜い教えをご案内!落語はもともとお坊さんの「お説教」がルーツともいわれる伝統芸能。
実はブッダの教えのエッセンスがちりばめられている。
そこでお寺の本堂に東西の噺家がそろい踏み。
仏教にまつわる古典落語を披露します。
今回の噺家さんは上方落語会をひょうひょうと泳ぐ…これはあの…捨て…捨て子!?ど…どうしたらいい?開演です。
(読経)舞台は大阪・西成にある古刹…第6回目は「なにわ商人と船場文化そして浄土真宗」です。
何やらちょっと難しそうですね。
それで演目は…「お文さん」と聞けば女性の名前かなと思われると思いますが…。
浄土真宗では「お文さん」といえば「蓮如上人」が書いた手紙の事です。
「御文章」とも言われ門徒にとってなくてはならない大切なものです。
そしてこのお噺の舞台は大阪の船場。
船場というのは大阪における商業・文化・芸能の拠点でした。
お文と船場との深い関係これが今回のキモです。
「お文さん」の舞台は船場にある大店の酒屋。
登場人物は外にお妾さんを囲っている若旦那・作次郎。
お妾さんは「お文」と言い元は北新地の一流の芸子でした。
ご寮人さんと呼ばれている若旦那の妻・お花には子供がいません。
そして丁稚の定吉。
ある日男が赤ん坊を抱いて酒を買いに来ました。
丁稚の定吉が酒を運びについて行きますが途中男は赤ん坊を定吉に預けたまま消えてしまいます。
途方に暮れた定吉は赤ん坊を抱いて店に帰ってきます。
では桂塩鯛師匠の「お文さん」聞いて頂きましょう。
塩鯛師匠よろしくお願いします。
(拍手)店に舞い込んだ赤ん坊を大旦那がうちの子として育てようとする場面から。
考えてみたらなうちには跡取りの子供ができへんのじゃ。
これもひょっとしたら何ぞの縁かも分からんな。
この子をうちで育ててなゆくゆくはうちの子のせがれとお花との間の子として育てようと思うんやけれどもなお前には異存はないかいな?私には異存はございませんけれども若旦さんがどうおっしゃいますやら。
いやいやせがれにとやかくは言わしませんがな。
あちょっと待って。
これこれ!作次郎ちょっとこっち。
いやいやお前はんはどう思う?どう思うもこう思うもあんたどこの誰や分からん者を跡取りなんかにできますか?何を言うてんの。
あのな考えてもみなはれどの子も仏の子と言うやないかいな。
そないせやけどあんた急に言われましてもな。
ああそう!ああそうか!お前はそういう心の冷たい男やったんやな。
分かった分かった。
お前にはもう相談せん。
こうなったらな私とお花との間の子として育てます。
おいこらこら定吉定吉!ちょっとこっちおいで。
これからすぐ手伝いの又兵衛の所行きなはれ。
お乳母どんの世話をせいつうて。
それも今日中にじゃ!ええな?今日中にそれが用意できなんだらうちへは今後出入りは差し止め今まで貸した金耳をそろえて皆返しなはれと言うてきなはれ。
へ〜い!あ〜えらい事になったなこりゃ。
しかしむちゃな事言いよったであれ。
今日中にお乳母どん世話せいってそんなもんできるわけがないがな。
ほんまにもう。
あの〜又はんのおっさん。
おう!お乳母どんの世話してくれゆうて頼みに来たんか?え?おっさん何でそんな事分かったの?分かるがな。
お前の顔にちゃんと書いてあるがな。
え?俺の顔に書いてあるの?誰書きよったんやろ。
大丈夫大丈夫。
お乳母どんちゃんといてはる。
えっ!お乳母どんいてはる!?うん大丈夫。
ご寮人さんちょっとこっち出てきなはれ。
いやいや定吉っとんですさかい大丈夫ですわ。
これはこれは定吉っとん長いことご無沙汰をいたしました。
あら!あんさんあの鰻谷のご寮人さん。
そうや。
このご寮人さんが今日からお前んとこのお乳母どんや。
え?何でうちのお乳母どん。
こりゃ訳言わんと分からんけどな。
まあお前には特別に話をしたろ。
そのかわり店でしゃべったらあかんぞ。
分かったか?このご寮人さんはなもともと北の新地の梶川という所から文という名前で出てはった一流の芸子はんやねん。
若旦那がほれてほれてほれ抜いてな引かして家を一軒あてごうてそこで暮らしてはったんや。
で男の子ができたんや。
若旦那殊の外のお喜びでな毎日この子の顔を見たい。
ご寮人さんにしたかてやな自分で自分の子を育てたいと思ってななんとかこの親子3人一つ屋根の下で暮らす工夫はないかいなとうちへ相談に来はったんや。
捨て子騒動の張本人は若旦那とお文さん。
驚く定吉。
何も知らないのは大旦那です。
そして妾のお文さんがいよいよ乳母としてやって来ます。
これはこれはお初にお目にかかります。
どうぞよろしゅうにお願いをいたします。
あら!あらま〜こりゃまたきれいなお乳母どんじゃな〜。
こんなお乳母どんやったら赤子よりもワシが乳飲みたいがな。
(笑い)いやいやこりゃ冗談じゃがな。
とにかくなおなかをすかしてますんですぐに乳をやっておくれ。
乳をやっておくれ。
どうじゃどうじゃどうじゃ?まあ泣く子に乳というのはよう言うたもんじゃなあ〜。
もうごくごく飲んどるじゃないかいな。
こんな姿を見てたらまるでほんまの親子みたいやなぁ。
ほんまの親子なんでございます。
書いた筋書きどおりにご寮人さんがこの家へ入り込むわけでございますな。
けどもやっぱり元は芸者さんでございます。
誠によく気が付きます。
ぼんの守りはもちろんの事でございます。
奥の用事から手の空いてる時は店番までしようかという。
まあべっぴんでございますんでなすぐに「婿のお乳母どんはえらいべっぴんやで」とダーッと評判が広がりますな。
もう客足と言いますかどんどんうなぎ登りでございます。
とうとう酒を飲まん人まで買いに来るというそういう始末でございますな。
まんまと乳母として潜り込んだお文さん。
美しい上によく気の付く女で客の評判も良い。
若旦那は大喜び。
問題は定吉がついつい乳母の事を「お文さん」と呼んでしまう事。
おい定吉定吉。
若旦さん何でございますかいな?ちょっとこっちおいで。
あのなこの度の事ではなお前にいろいろ世話になってえらいすまなんだ。
どういたしまして。
お前に一つ言うとかなあかん事があんねや。
お前なあいつの事を呼ぶ時にこのごろ「文さん」とか「お文さん」とか言うて呼んどるやろ?え?あんな事言うたらあかへんやないかいお前。
皆お乳母どんお乳母どんって呼んでるのにお前があんな事言うたらばれてしまうやないかい!ええか?これからは「文さん」とか「お文さん」とか下に「さん」を付けて呼んだらこれからお前を放り出すさかいな。
そのつもりでおれよ。
さあ若旦さんは丁稚を手なずけたと思うておりますな。
ところがここのお店には年古く奉公しております丹波の園部から出て参りました雀のお松という女中がいるわけでございますがこれがどうも怪しいなあとうすうす感づいたようでございまして。
ご寮人さんご寮人さん。
何やねん?今度来たあのお乳母どんご寮人さんどう思いなはる?どう思うもこう思うもぼんの守りはようしてくれはるし用事もようしてくれはるしよう気が付きはりますしええお方やと思うとります。
ええお方やなんて…。
あのなあのお乳母どんの着てる着物から帯から全部ご寮人さんの物より2つほど上の物着てまっせ。
あれ皆若旦さんが買うてはりますねやがな。
え?若旦さんが?そうですがな。
まあそれについてなあの丁稚の定吉がその事についていろいろ知ってると思いますんでこれから定吉っとんを呼んで締め上げて白状させてやります。
定吉っとんその前になお饅がありますやろそれあんたが食べ言うてご寮人さんがあげる言うてな。
竹の皮の座布団敷いてある。
うわ〜。
わあこれは結構ですわ。
定吉っとんそのお饅なただのお饅と違うし。
そのお饅頭の中にはあるものが入っててなそれ食べてうそついたら血吐いて死ぬし。
へ?これ血吐いて死ぬの?さあしゃべってしまいな!白状してしまいな!定吉っとん私からもお願いします。
知ってる事があんのやったら隠さずに話をしてもらいたい。
このとおり頭を下げますんで。
ちょっとご寮人さん!頭下げなはんないなもう〜。
ああもう言うてしまいますわ。
ご寮人さんをお乳母どんに仕立ててこの家へ入ってきたとこういう事でんねん。
ご寮人さん聞きなはったか?これが足元に火がついてるちゅう事でっしゃないかいな!で若旦さんとお乳母どんはどこで会うてんねん!そんなポンポン偉そうに言いやがって不細工な顔しやがって!不細工な顔で悪かったな!知らんがな。
わしうそついたら血吐いて死ぬもん。
(笑い)で今若旦那はどこで何してんねん!離れで文読んではります。
ほんまにもう!家の中におっても手紙のやり取りか何かしてるんかいな!ほんまにああ腹の立つ!カーッ!ふだんは冷静なお方なんでございますけれどもさすがに腹が立ったと見えまして頭にカーッと血が上って廊下をタタタタッとこの離れのふすまをシュッと開けます。
中へ入ろうとしたんでございますがそこはやっぱり教養のあるお方でございますな。
いっぺんグッと思いとどまって中の様子をのぞいてみますと離れが仏間になっておりまして立派な仏壇が置いてございます。
そこに若旦さん今ちょうどお経を上げなはってお正信偈御和讃も済ましてちょうどこの御文章お文さんの拝読中でございます。
「われや先人や先今日ともしらず明日ともしらずおくれさきだつ人はもとのしずくすえの露よりもしげしといえりされば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」。
さあこれを聞きますと再びこのご寮人さん元の所へタタタタッと帰ってくるなりこれ定吉っとん!あんた何ちゅう事言いなはんな!あんたあれ御文章お文さんやないかいなあんた!あんなとこで私がパッと入っていってたらそれこそ私の落ち度やとか何とか言われるとこやったやないかいな。
お文さんやったら何でお文さんとちゃんと言いなはらへんねん!あほらしい。
文に「さん」付けたら今度は私が放り出されまんねん。
(拍手)何とも考えさせられる噺でしたねえ。
大坂船場の雰囲気がよく描かれた貴重な落語でした。
お疲れさまでございました。
ありがとうございました。
今日は「お文さん」をして頂きましたけども。
私あの〜女中が出てきますよね?雀のお松という。
あれ好きですね。
またけったいなところに思い入れがありますね。
ただ最後のね…まあ言うたら妾さんの子供を家に入れて本妻さんを追い出すという誠に人道的にまずい今の世の中に誠にそぐわない…。
そこはちょっと聞いてる人も共感できないかもしれませんね。
できないと思います。
跡取りというものが必要な時代だったというのとお妾さんを持つのが男の甲斐性みたいな…。
そんなに抵抗のない時代なんですよね。
その話を聞いたところで「うん。
なるほど。
そのぐらいの事はあるやろな」というような日本人がたくさんいた時分に出来たお噺だと思うんです。
この若旦さんはどういう人なんですか?どういう人っていうかものすごく純粋な方だと思います。
それで朝夕のお勤めと言うんですか。
大きな仏間にですね…。
それは欠かさず?やってはるわけですね。
ここのお家のしきたりとしてね。
このねいわゆる船場という所は船場の旦さんという一つの型みたいなのがあるわけです。
特に信心深くなくてもお寺にお説教に聞きに行ったり毎日お仏壇に向かってお正信偈御和讃上げるのが一つの船場の旦さんの型なんですよね。
それは一つの船場文化を作ってきたわけで…。
落語の舞台となっている「船場」は江戸時代大阪城の西旧淀川に沿った広い地域でなにわ商人の町として発展しました。
船場の歴史は浄土真宗と関係があります。
浄土真宗の本願寺中興の祖「蓮如上人」が大坂に居を構え後に「大坂本願寺」となりました。
寺の周辺に門徒宗が集まり「寺内町」を形成していきます。
豊臣秀吉が本願寺の跡に大阪城を築いた際門徒宗は城の西側に集まります。
ここに2つのお御堂を建て船場の基盤を作りました。
今も南北のお御堂からは朝夕の鐘の音が響き渡ります。
お御堂の前を走る「御堂筋」。
船場は現在も大阪経済の中心地なのです。
だから船場の商人さんたちはお経というか鐘の音を聞きながらお商売してはったわけですね。
そうです。
船場という所は仏教的な土壌といいますかやっぱり船場に店出すという事はお仏壇も大事にしお寺にお話も聞きというのが船場に店を出す事やといういわば商業と宗教というか信仰とか立ち居振る舞いとか日常の倫理とか商売の倫理そこまで関わってくる話。
だからこそ大阪の文化の発信地となっていったんですね。
船場商人が信仰した「浄土真宗」は「阿弥陀仏」の力で救われる他力本願の教えです。
ごく普通に暮らす人たちに開かれた仏道で商人にも幅広く受け入れられました。
落語の中で若旦那が読んでいたのが蓮如上人の「お文」です。
「お文」は蓮如上人が浄土真宗の教えを民衆のために易しく述べた手紙をまとめたものです。
中でも特に有名な文章「白骨章」は朝には元気な顔であっても夕べには白骨になってしまうような身であると説いています。
ここで蕚住職に「白骨章」を読んで頂きます。
本式でお願いします。
こんな感じ。
あら〜。
だいぶ違いますね。
(笑い声)でも若旦那がこんな声出してやったら家の人ビックリしはります。
ちょっと今聞いてて恥ずかしくなってきました。
もはや大阪の船場は空襲で消えてなくなってますので…。
船場文化自体が…。
一旦消えてますのでやっぱりかつて船場の商家の中ではお家の中でお文さん御文章を朝な夕なに拝読なさってたんだなという事が逆にすごくリアリティーを持って感じられるので。
師匠の腕もあって。
我々の作ってきた文化はこういう文化やなあと。
ただ…あれはだから日々のお経の…。
あんまり日々にですねお正信偈御和讃のあと「白骨章」を読む人はあんまり多くないんじゃないかな。
あえてかなと。
「白骨章」のテーマはこれなんですよ。
これです。
「無常」とは読んで字のごとく常なるものなどないあらゆるものは変化し続け保たれる事はないという教えです。
我々は何となく漠然とこの日常というのは明日もあさっても続くというふうに思い込んでますけども実際には突如として崩れたりする。
すごくもろいものじゃないですか。
皆今自分勝手な事をしていろいろな思惑で動いてるけどもやっぱり無常の風が吹いたらどうなるか分からないというね。
それはまた若旦那が読んでるというのもね非常に皮肉なものですよね。
そうなんですよ。
全ては無常であるずっと存続するものは無いんだというのは仏教の無常の教えなんですけどもそこで…みんなで大事にしようというこのメンタリティーみたいなものが落語にもどこかあるような。
これが日本文化の中にあってだからこそこの「白骨章」が胸に届くのかなと思うんですよ。
なるほどね〜。
これは非常に深読みされてますね。
だから「深読みのコーナー」なんです。
ほんとにそう思いますね。
ありがとうございました。
古典落語「お文さん」に読み込まれた蓮如上人の教え。
「明日をも知れぬ命なのだから一日一日を愛おしんで真面目に生きるべし」。
いつの時代にも響く教えです。
今回の内容はこちらのテキストに詳しく紹介されています。
今後の放送予定も掲載されています。
それではお坊さんの謎かけを聞いて頂きます。
お坊さんとかけまして朝刊と解きます。
その心は?けさきてきょうよむ。
落語と仏教のコラボレーションでブッダのありがた〜い教えをご案内!落語はもともとお坊さんの「お説教」がルーツともいわれる伝統芸能。
実はブッダの教えのエッセンスがちりばめられている。
そこでお寺の本堂に東西の噺家がそろい踏み。
仏教にまつわる古典落語を披露します。
今回の噺家さんは軽快なキャラで爆走する…イエス様申し訳ありません。
お分かりにならないお客様がいるようです。
もう一遍やらせて下さい。
(笑い)開演です。
(読経)舞台は東京・新宿「火ぶせの大黒天」として親しまれている…第7回目のテーマは「宗教を笑い飛ばす!?」。
演目は…でも今回のお噺は仏教内の宗派論争ではありません。
さてどんな宗教や宗派でもやはり自分のところが一番だと考えてますよね。
そりゃそうですよね。
だから時にはお互いに主張し合って宗教論争になったり激しい議論になったりします。
「宗論」の登場人物はある店の大旦那先祖代々浄土真宗の熱心な門徒です。
一人息子の若旦那・孝太郎はキリスト教を信仰しています。
でもちょっと変に暴走気味。
番頭が親子の仲を取り持ちますが…。
それでは五明樓玉の輔師匠「宗論」お願いします。
(拍手)大旦那が跡取り息子の事で番頭さんに愚痴を言っている場面から。
番頭さんそこへ座っておくれ。
弱ったもんだ。
うちのせがれだ。
朝出かけたっきり帰ってきません。
どこ行ったのかは分かってんだよ。
教会とかいう所行って大勢でもってうなだれてるんだ。
もう私は情けないと思ってさ。
うちには代々浄土真宗というありがた〜いお宗旨がある。
なぜ阿弥陀様を拝んでくれないの私はねそれが言いたい。
旦那様の前でございますが別に若旦那女狂いをされているとか博打に凝って金を湯水のごとく使うというわけではございません。
お宗旨の事宗教の事でございますのでどうかあまりお叱りになりませんように。
まあ私がこういう口を利くのは何ではございますがお宗旨が違うからといって色眼鏡で見るというのは…。
そうじゃないそうじゃないんだよ番頭さん私も他人様なら何も言いません。
ところがあの子はねうちの一人息子跡取りだよ。
私はねばあさんが亡くなってからというものあの子の成長だけが楽しみなんだ。
この間も久しぶりにあの子の部屋に入って驚いた。
部屋中の壁という壁に十字架っていうのかい?あれがぶら下がってて布団の柄まで十字になってる。
ご丁寧に机まで十字の形に切ってある。
私言ってやった。
「これ使いにくくないのか?」あの子何て言ったと思う?「お父様これが本当のテーブルクロスです」と。
わけの分からない事を言ってる。
(笑い)このままじゃとんでもない事になるんじゃないかと思うから今日という今日は小言を言わせてもらいますんでね。
間に入らないで下さいよ。
言いたかったのはそれだけだ。
じゃあ店の方よろしくお願いしますよ。
はいご苦労さま。
はあ…ばあさんない子に泣きは見ないって言うが全くだね。
そっちの方からもあの子の事よろしくお願いし…。
誰だ?お清か。
どうした?せがれが帰ってきた?分かった。
じゃあ通しなさい。
ばあさん戻ってきたようだよ。
誰だそこにいるのは?孝太郎か?こっちへ入りなさい。
お父様ただいま帰りました。
何だ?何だこれは?これは西洋の握手の礼です。
握手も杓子もない。
そこに座りなさい。
この店が忙しいというさなか一体どこへ行ってなすった?無断で外出いたしました事心よりおわび申し上げます。
店をほったらかしにしていた息子をとっつかまえて大旦那の説教が始まります。
この度関西よりディオールと呼ばれる牧師が見えられたのであります。
この牧師は皆から愛されクリスチャン・ディオールと呼ばれております。
情けないね。
その免税品みたいなものを大勢で拝んでるのかい?お前は亡くなったばあさんに連れられてあっちのお講こっちのお座聴聞ありがたいお御法が入ってそれをお前学校を出てからというものキリスト教だか耶蘇教…いやいやそれが悪いと言ってるんじゃないんだよ。
そういうものはそういうお方にお任せをしてうちには代々浄土真宗というありがた〜いお宗旨がある。
なぜ阿弥陀様を拝んでくれないの私はねそれが言いたい。
オゥ!お父様のお気持ちはかゆい…?痛いほど分かります。
私もこの間まではまことの神のある事を知らずお父様のごとく偶像仏を拝んだのであります。
おいおい。
そういう事言ってると罰が当たるよお前。
阿弥陀様と呼ばれるお方はな法蔵菩薩の昔世自在王仏と言われる尊きお方の御元にましまして「われ超世の願」をかけられ五劫思惟の後兆載永劫の難行苦行をあそばされた後に阿弥陀如来といわれる尊きお方におなりあそばされた。
我々も今日にも息が切れたならお待ちもうけのお浄土へ参らせて頂く事のありがたやかたじけなや。
ナンマンダブナンマンダブ…とこれぐらいある。
そのお前の神様っていうのは一体どれくらいありがたい?我々の信ずるところのすなわち天の神は我々の造り主であります。
バカかお前は。
私と亡くなったばあさんと2人でこしらえたんです!誰にも手伝ってもらった覚えはありません。
確かにこの肉体をお造りになられましたのはご両親です。
しかし知力能力魂をお造りになられましたのは天の神様です。
じゃあ何かい?私と亡くなったばあさんと天の神様と三角関係か何かあったというのかい?お父様そのように脱ぷん…興奮なされてはいけません。
そもそも主イエス・キリストと呼ばれるお方は遠きユダヤの国夫なき処女の腹に宿られ馬小屋の藁の中で産声を上げられたのであります。
そういう事を言ってんじゃないんだよ。
え?大体お前の神様ってのは一体何をした人だ?お父様私その質問を玄関玄関…オウ〜…?台所?お茶の間?「今か今か」と待っております。
(笑い)イエス・キリストと呼ばれるお方は数々の奇跡を起こされたのであります。
その一つをご紹介しましょう。
これはある宴に出た時の話です。
人数の割に葡萄酒が少なかったので皆からブーイングが出たのであります。
その時にそばにあった水を全て葡萄酒に変え皆から拍手喝采を受けたのです。
これが奇跡です!ほ〜それは急な来客の時に助かるな。
お父様3分クッキングではないのです。
分かって頂けませんか?それではもう一つご紹介します。
これもある宴に出た時の話です。
あるおじいさんが口からペッと肉を吐き出してしまったのです。
するとイエスは言いました。
「なぜ天からの授かり物を無駄にするのか」と。
するとおじいさんは「イエス様申し訳ありません。
私は年を取って歯が悪くて肉がかみ切れないのです」。
するとこのおじいさんに向かってイエスはこう言ったのであります。
「食い改めなさい」と。
そしてその肉を口の中に含んだ時にはその肉は軟らかくなっていたのです。
これが奇跡です!お父様まだ分かって頂けませんか?それではイエス最大の奇跡をご紹介しましょう。
これは復活です。
時のローマの帝に嫌われていたイエスは自分の生命の危機を感じたのであります。
そして信者たちを集めてこう言いました。
「ちょっと3日ほど死んでみようかな」と。
そして最後の晩餐を開いたのであります。
そしてこの席でとても重大な告白をするのです。
この中に裏切り者がいる。
誰とは言えないがヒントだけは与えよう。
ここに3つのグラスがある。
この中に入ってるのは葡萄酒だ。
これは水だ。
そしてこれは…「湯だ」。
(笑い)イエス様申し訳ありません。
お分かりにならないお客様がいるようです。
もう一遍やらせて下さい。
ここに3つのグラスがある。
この中に入ってるのは葡萄酒だ。
これは水だ。
そしてこれは…「湯だ」。
(笑い)まだお分かりにならないお客様がいます。
しかし私には時間がございません。
ますますエスカレートする親子にハラハラ見守る番頭。
若旦那は絶好調大旦那は爆発寸前。
何なんだその滑稽話は。
お前一体何が言いたい?お父様まだ分かって頂けませんか?それでは一緒に歌いましょう。
お父様賛美歌ご存じですね?賛美歌312番。
「いつくしみ深き」。
・「バーバッバッバッバーバーアーッ」・「いつくしみ深き友なるイエスは」お父様どうなさいました?恥ずかしがる事ありません!一番恥ずかしいのはこの私です。
それではまいりましょう。
・「バーバッバッバッバーバーアーッ」・「いつくしみ深き友なるイエスは友なるイエスは」お父様どうなさいました?前より険しい顔をされております。
一緒に歌いましょう。
親子で夢のデュエット!何がデュエットだ。
このバカ野郎。
お父様…安倍?野田?小泉?「おぶち」になりましたね。
結構でしょう。
汝右の頬を打たれし時は左の頬を出せ。
どうぞお父様こちらもおぶち下さい。
そうかい?遠慮なくぶたせてもらう。
このバカ野郎。
普通ぶたないもんです。
頭がクランクランしております。
鼻血もちょっと出ております。
前歯もプランプランしております。
なんたるちやサンタルチア。
結構でしょう。
「聖書」より古く「ハンムラビ法典」いわく目には目を歯には…お父様…。
何だこのバカ!まあ若旦那旦那様手をお下ろし下さい。
昔からこう申します。
宗論はどちら負けても釈迦の恥。
お釈迦様の恥は阿弥陀様の恥。
阿弥陀様の恥はまたお釈迦様の恥でもございますんでどうかその手をお下ろし下さい!いや私もねそれ知らないわけじゃないんだがこのバカ野郎が「お父様〜」なんてやるもんだからついカッとなっちまった。
ほんとすまなかったよ。
私もねばあさんが亡くなってからというものどうも気が短くていかんな。
それでは旦那様。
新しい奥様おもらいになるというのは?新しいってそんな結構な話があるのかい?ですから私がどんな方でも探してまいりますんで。
一体どんな方がお好みで?誰でもいいのかい?ちょっと恥ずかしいんだけどね芸能人でいうとフーミンかな。
フーミンと申しますと?細川ふみえだよ。
お父様踏み絵だけは勘弁して下さい。
(拍手)いや〜きわどい笑いでした。
さて釈先生のお話はどのような展開になるのやら。
大丈夫ですか?あの「宗論」。
聞いて頂きましたけど。
NHKでこんなもん流しちゃって。
随分しゃれのきつい「宗論」で楽しませて頂きました。
ありがとうございます。
上方の方の「宗論」であれば「お前よく考えてみろうちの商売知ってるのか?仏壇屋だぞ」とかねお父さんの商売が仏壇屋だったりそんなところがあるんですが師匠の「宗論」はどちらかというとキリスト教の方がグッと体重が乗ってる感じがしますけど。
そうなんですよ。
だからやってくれって言われてこういうシスターさん…。
クリスチャンを前にして。
その学校でこういうシスターがいっぱいいる所で生徒さんもいる所でやった。
この「宗論」を。
いかがでしたか?いや大爆笑で。
だからまあそれぞれ感じ方もあるんでしょうけどね。
例えば病院で「犬の目」というすごくいいかげんなお医者さんが出てくるネタをして頂いた事があったんですがお医者さんをはじめ看護師さんたち皆さん大爆笑が起こった。
逆に言えばすごく身近だからこそ笑えるといいますかネタになるというような部分もありますよね。
結構私大事な事ではないかなと思うんです。
いわば…考えてみますと…宗教性であるというのが一つ言えるかなと思います。
僕の場合はそこまでじゃないですけど。
先生にそう言って頂けるとありがたいです。
そういう意味ではこの「宗論」はなかなかユニークなといいますか非常に貴重な話だなあとは思うんですよ。
ただ「宗論」というのをもっと遡っていきますと狂言に「宗論」という演目がございます。
こちらの方は浄土宗の僧侶と日蓮宗の僧侶がたまたま道で出会ってお互いの宗派の主張をしだすわけですよ。
狂言「宗論」は旅先で出会った宗派の違う2人の僧侶の話です。
「日蓮宗」は法華宗とも呼ばれ「浄土宗」とともに鎌倉時代以降庶民への布教を熱心に行い互いに対抗心を燃やしていました。
2人は互いの宗派を批判し合い宿で一晩中「宗論」を続けありがたいと思った方が宗旨変えする事にします。
浄土宗のお坊さんが「なまふだなまふだ」と唱えると法華宗のお坊さん負けじと「れんげ経れんげ経」と対抗。
言い合っているうちにこんがらがってしまい2人はうっかり相手の唱え言を言ってしまいます。
で最後……というふうになってます。
これなどは先ほどの師匠の「宗論」の言葉にもあった…それに近いような事。
弥陀とは阿弥陀仏の教えでもちろん仏教です。
法華は法華経の事でこちらも仏教の教え。
仏教の元をたどればどちらもお釈迦様に行き着くので……となるわけです。
ところがこの落語の「宗論」はキリスト教だからお釈迦様の恥でも何でもないんですがああいう言葉が残ってるというのはもしかするとこういう狂言の「宗論」なんかも関係あったのかもしれないですね。
仏教とキリスト教との「宗論」が書かれた背景には江戸時代禁止されていたキリスト教が明治維新以降に認められた事があります。
劇作家益田太郎冠者はそんな自由な空気を落語「宗論」の笑いに仕立て上げました。
考えてみますとこの「宗論」ですよね先ほどの狂言は日蓮宗と浄土宗でしょ。
今回は浄土真宗とキリスト教です。
これどれもですねただ一つを選んで道を邁進するという性格の強い宗教なんですよね。
そういう性格が強い。
だからこそ宗論が熱心になる。
だからまじめだからこそ面白いわけですよね。
そうなんですよ。
まじめな人ってどんどんまじめになって。
ちょっと笑いがあればいいのにそうするとすごくバランスが良くなるのにというようなねそんなところがあるような気がしますね。
あんまり熱心になるとちょっと社会適応能力も落ちていったりするじゃないですか。
そんな2人がこうやる。
…というようなところに落語の本領があるような気もするんですよ。
そう言ってもらえるとありがたいですよ本当に。
ここから日蓮宗・経王寺の住職互井観章さんが議論に加わります。
あっ!ま…まずい!まさか本物の「宗論」が始まるんですか?おっ本物の宗論勃発か?さあいっちょやりましょうか!やばい。
逃げますよほんとに。
宗論やろうという人は落語で仏教学んだりしませんので我々全然大丈夫。
仲良しです。
仲良しですか。
よかった。
(3人)よろしくお願いします。
今日はいかがでした?いや〜楽しかったですね。
怒ってないですか?他人事だと楽しい。
かつて日本の仏教史上にも有名な宗論がいくつかあったりしてしかも我々浄土真宗とか日蓮宗は割とバッティングして有名な宗論もあったりするんですが江戸以降ですね幕府の宗教政策もあって宗論はあまり行われなくなってきたという事情もありますよね。
ただ宗論が決して悪いものではなくてそれこそ…あの人に負けないようにこういう質問にはこう答えようみたいな。
ここのところがまだ自分は弱いからこうやって勉強しようとかそうやって宗論をする事によってお坊さんのレベルアップができたんですね。
それはそれで大きな力だったんですけどところがそれが今度は「おらの村が一番だ」みたいなそういうふうになっていっちゃうのでそうすると…それを江戸の人は結構シニカルに見てたんだと思うんですよね。
なるほど。
そこで今日のキーワードでこういうものを考えてみました。
「偏執見」。
「偏見」とも申します。
偏見と意味は同じなんですか?同じです。
偏見も仏教用語です。
そうなんですか。
「偏執見」とは一つの考えに凝り固まって視野が狭くなり偏ってしまう事。
考えてみますと我々日常生活の中でつい一つの考えに凝り固まってしまう事もありますしまたあれでしょ?自分が正しいと思ってる人ほど厄介なもんはないっていうのが…。
いますようちらの仲間にも。
名前は言えませんが結構います。
自分が正しいと思ってる人ってなかなか自分の姿が見えなくてどんどん偏った方向に行ってしまって視野が狭くなるでしょ。
我々現代社会を生きる人間にとってすごく大事かなと思うんですよ。
今の現代社会は針の振れが大きいような気がするんです。
ある時こっちだったのが一気にドバッとそっちに行っちゃう。
この仏教の教えすごく大事なような気がします。
今日はキリスト教が出てくるところがこの話の大きな特徴なんですがこれから……という社会にならねばならないわけです。
これからの世界の大きなテーマだと思いますね。
お互いに違う道を歩んでる人同士尊重し合うという。
そういうのが大事だと思います。
大変に勉強になりました。
あっそうですか!それはそれは。
偏執見なんか特に。
僕の落語を笑わないのは偏執見だ。
落語が世界を救うってやつですね。
まあ救えればね…。
結構ネタで使えそうな感じも今ありましたのでこれから更にバージョンアップした「宗論」を!それは楽しみです。
何かあったらね駆け込んできますんでよろしくお願いします。
落語「宗論」は庶民の目庶民の感性を通して宗教を笑う豊かさを相手を認める度量を説いています。
落語って懐の深い芸能ですね。
今回の内容はこちらのテキストに詳しく紹介されています。
今後の放送予定も掲載されています。
いらっしゃいませ。
何差し上げますか?え〜とね〜じゃあブレンドとあとトースト。
申し訳ございません。
当店にはそういうメニュー置いてないんです。
ちょっと待ってよここ喫茶店でしょ?コーヒーが無いってどういう事?ちょっとメニュー見せてメニューを。
え?おかしい…何これ?え?天道人道阿修羅道畜生道餓鬼道地獄道って…何これ?ここ何なの?はい「めいど」喫茶です。
(笑い)お後がよろしいようで。
(拍手)落語と仏教のコラボレーションでブッダのありがた〜い教えをご案内!落語はもともとお坊さんの「お説教」がルーツともいわれる伝統芸能。
実はブッダの教えのエッセンスがちりばめられている。
そこでお寺の本堂に東西の噺家がそろい踏み。
仏教にまつわる古典落語を披露します。
今回は上方落語の芸達者…凶事かいずれにせよ怪しきこの場のありさまよな〜!
(読経)舞台は滋賀県東近江にある古刹…さて今回の演目は…蛸が芝居をするというナンセンスな設定なんですね。
落語には芝居もの「芝居噺」というジャンルがありまして歌舞伎をパロディーのネタにするそんなお噺がいくつもあります。
登場人物はある商家の芝居好きの旦那。
2人の丁稚定吉と亀吉は仕事中も芝居ごっこで遊び半分。
出入りの魚屋も売り口上は芝居がかっています。
そしてなぜか魚屋の売り物蛸も登場!今回は舞台の横に笛太鼓三味線の寄席囃子が入って上方落語ならではの世界を作り出します。
それでは桂文我師匠「蛸芝居」です。
どうぞ。
朝寝坊の丁稚を旦那が芝居がかって起こす場面から。
これ定起きておくれ。
寝ながら見得切ってるやないか。
何をしてんねんこれ。
あ〜…。
面白ないな。
わしがこないして起こすだけやな…お?砂糖の紙袋が落ちてるな。
かぶろっか。
おっこれかぶると烏帽子みたいになるな。
おっ一反風呂敷があるわ。
よいしょ。
これをこう…。
お〜こうすると素袍になるな。
ちり払い…あ〜あるある!よっしゃ。
これ持ったら何や芝居の幕開け三番叟みたいな格好になるな。
朝やちょうどええわ。
今日は三番叟踏んで起こしたろか。
そしたらこっちも楽しんで起こせるさかいな。
あ〜ら遅いぞや遅いぞや。
夜が明けたりや夜が明けたりや。
丁稚よ女子衆いや起きよ。
お乳母〜!
(囃子)ぷぷ〜!ちょっと亀吉どん亀吉どん。
何でっか?あくびしてる場合やおまへん。
見てみなはれ。
旦さんわたいらの枕元でね砂糖の紙袋かぶって三番叟踏んで起こしてくれてますわ。
うれしい旦那でんな〜!こんな旦那やさかい生涯ついていこかっちゅう気になりますわ。
おもろいでんな。
ちょっと声かけましょか。
いよ〜日本一!これこれ!掛け声かけてんじゃないよ。
起きなはれ。
さあ布団片づけて。
ええか?定吉と亀吉は早いこと表の掃除をしてきなはれ。
へ〜い!起こされた亀吉は中庭の掃除。
定吉は仏間のお仏壇の掃除に。
うわ〜ぎょうさん位牌が並んでるな。
この位牌立派なん誰のやろ。
…あっご隠居はんのや。
ええお方でしたなあんさんなあ。
あんさんにはご恩返しせなあかんと思ってるうちにコロッと逝ってしまはりましたんや。
ほんまにな。
温めてあげますわこないして。
温もりました?さよか。
ほな一番ええ所で。
よいしょっと。
ええとこへお参りしとくれやっしゃ。
え〜とこっちのは誰かいな。
小さい…うわっバアバや。
悪い婆やったでこの婆だけは。
竹屋のお菊婆ちゅうたら町内の嫌われもんやったんや。
あんた根性悪いのにな猫なで声使うのが気色悪いねん。
「しゃだきち〜しゃだきち〜」ってな事言うて「何でっか〜?」言うて行ったら「こっち来い」コンッていきやがる。
あんたほんまにな根性悪い人でしたわ。
今となったら懐かしいけどな。
ほんまに嫌でしたんやで。
あんさんなあの世へ行ってもええとこへはお参りしまへん。
間違ごうてもええとこへ行けやしまへんけどね。
死んでからも頭痛患うようにな位牌逆さま立てといたろ。
しばらくその格好でいてなはれ。
後で戻してあげますさかいね。
え〜とこれは誰かいな。
あっそうや。
こないして位牌持ってする芝居なかったかいな。
いやあるある。
そうや。
これは…そうそうあだ討ちもんや。
宿屋の一間で家来が主君の位牌立てて悔やんでるとこがあるわ。
あそこちょっとやったろ。
霊光院殿尊山大居士様。
(囃子)先年天保山行幸の折何者とも知れぬ悪者の手に掛かりあえないご最期。
その折この定吉はまだ前髪の分際。
その前髪を幸いに当家へこそは入り込みしが合点のゆかぬはこの家のハゲちゃん。
今に手証を押さえなばハゲの素っ首打ち落とし主らのご無念晴らさせましょ〜!誰がハゲや誰が。
旦さん後ろで聞いてはりました?聞いてるわいな。
「ハゲやハゲや」言うてからに。
丁稚の定吉旦那に怒られて今度は子守を言いつかりますが…。
子供抱いてする芝居なかったかいな。
せやあるある。
あるで。
忠義な奴が和子さん抱いて落ちていくとこがあるわ。
そこやったろ。
憂き世じゃなぁ〜。
(囃子)この度の騒動以来一家中はちりぢりバラバラ。
お労しいはこの和子様一文奴の懐を玉の寝床とおぼし召しすやらすやらと御寝なさる。
お労しゅうございまする。
どりゃこの兵衛が子守歌を歌うて進ぜましょう。
・「ねんねんよ〜おねやれや〜」・「ねんねの…」えらい何や知らんけど気分出してやってるな。
ちょっとこのほうきで肩を打ってやろうかな。
いやあっ!・「あの山越えて」いやあっ!・「里へ行った」えらい喜んでたな。
今度はこっちのふすまの陰からな左の肩を打ったろか。
いやあっ!・「でんでん太鼓に」いやあ〜!・「笙の笛〜」これ!ボンを庭へ放り出して何をすんねん!ボン目むいてるわ!こっち来なはれ。
あ…首が無い。
逆さまじゃそれは!ありました。
またしても旦那に怒られた丁稚たち今度は店番に回されます。
ちょうど表通りを芝居好きの魚屋が通りかかります。
ほら来た!来た来た来た!魚喜よろ〜し!よっ魚屋!魚屋!
(囃子)へい旦那!何ぞ御用はごありませぬか。
1人増えたでおいこんなんが。
それでなくてもうちは役者が多くて困ってんじゃないかい。
それより魚喜今日は何があるか言うてくれるか。
へい!豊島屋五座をハネのけて市川海老十郎中村鯛助尾上蛸蔵。
アホな事言うな尾上蛸蔵てそんなもんがあるかいな。
ほなその鯛とそれから蛸ともらおうかな。
それは酢蛸にするさかいな。
すり鉢で伏せといて。
頼んだで。
へい!よっしゃこのすり鉢で逃げんようにこういうふうになまだ生きてるさかいこういうふうに伏せとこうか。
蛸を買った旦那は後で酢蛸にしようと考えます。
丁稚の定吉に切らしていた酢を買いにやらせ一服していますと…。
今までのこの様子ジーッと聞いておりましたのがすり鉢の中の蛸。
(笑い)わしを酢蛸にする?わしを食うっちゅうのかい。
食われてたまるかい。
静かになったな。
誰もいてないんかい静かになったとこみると。
よし!逃げたろ。
蛸すり鉢の縁へ2本の足を掛けますとねぼちぼちこのすり鉢を持ち上げだしよった。
(笑い)
(囃子)まず掛かってた布巾を取るとこれで目計頭巾にしまして足を2本前で結ぶとこれが丸絎のつもりで体にフゥーと墨をかけますとこれが黒四天黒装束という事に相成ります。
そこにありましたすりこぎを取りますとそれを腰へぶち込む。
これが一本刀という事でございますな。
酢蛸にされてはたまらんと逃げ出そうとした蛸もなぜか芝居がかってる。
台所が騒がしいのに気付いた旦那は…。
旦那もすり鉢でポイと伏せてしもうたらそれでおしまいやったんですが至って芝居好きですからこの蛸を使って芝居がしたいという気がございます。
そ〜っと後ろへ回ってまいりますと蛸の差していたこのれんげ一本刀の先を…。
いやあっ!うん!ふ〜!墨を吐いた。
辺りが真っ暗になる。
暗転という事になりますかね。
一人と一匹が暗闇の中の探り合いをいたしております。
(囃子)いやあっ!
(囃子)いやあっ!
(囃子)旦那の体をくるっと回しておいてみぞおち一発。
うぅ〜ん!口ほどにもねえもろいやつ。
今の間に千尋が海へ。
おっそ〜じゃおっそぉ〜じゃ。
(囃子)旦さん酢買うてきましたで。
旦さん旦…あれ?旦那いてはらへんがな。
旦さんこんな所に倒れてはるわ!大丈夫でっか!旦那様への〜!定吉か〜遅かった!あんたまだやってますのか。
何してはりまんねん。
定吉腹痛の薬持ってきてくれ。
蛸に当てられた。
(拍手)いや〜見応えたっぷり!芝居好きにはたまらないですね。
さあて釈の旦那!この噺はいかに料理してくれやっしょう。
ありがとうございました。
どうもありがとうございます。
「蛸芝居」というユニークなネタをして頂きました。
「蛸芝居」の場合は全体を通すとコントなんですけども最後の蛸のところでSFに変わるというんですか。
なるほど。
それでやっぱり歌舞伎が下敷きになってるので型のきれいさというんですかそういうところも少し見て頂く要素がありますし。
「はめ物」と言いまして落語の中に入ってくるお囃子さんですね。
つまり三味線太鼓そういう…まあはっきり言うと裏で頑張ってくれてはるその役の方と私とが総合芸術的になるというんですか総合芸になるっていうんですか。
そのところが面白いですよね。
お囃子が入る事で世界が深まるというか広がるというか奥行きが出てまた何とも言えない楽しい気分にもなりますし華やかですし。
そうですね。
しぐさなんかがですね見得を切ったりするあの所作がやっぱりある程度堂に入ってないと楽しめない部分もあるかと思うんですがその辺の工夫などはあるんですか?やっぱりお芝居も見せて頂かなあかんですし当然踊りも習う。
あとは義太夫とか長唄とかそういうのも習ってくると自然にそれは多少身に付くというんですか。
ただ私が心がけてるのは「噺家の芝居」を心がけなきゃいけない。
あくまで本線は落語のお噺なのでその枠内で所作をする。
あくまでも芝居の所作を軽く頂いてみんなが楽しくやってるという事を主に考えるという事が私は芝居噺の基本形やと思ってます。
落語の中の一場面に「お仏壇」が出てきましたね。
このお噺の特徴的なところにお仏壇を掃除する場面ですよね。
お位牌を逆さにするところねすごく好きなんですよ。
いや間違うてもええとこへは行けやしまへんけどね。
死んでからでも頭痛患うようにな位牌逆さま立てといたろ。
しばらくその格好でいてなはれ。
後で戻してあげますさかいね。
小僧さんはですねほんとに語りかけるようにお話をしながらお掃除されますけども。
おうちにお仏壇があるいわばお仏壇のある生活というのは一つ我々の文化圏の大きな特徴でしてある種…そういう機能もあるでしょうし。
朝夕家族が集まって一点集中して気を合わせる場所。
そこがすごく大事な事だと思いますね。
そうですね。
私お寺の住職してますので各家庭のお仏壇にお参りさせてもらうでしょ。
そしたら合格通知があったりとか宝くじを置いてる家も…。
ありましたありました。
そんな当ててくれへんっていうんですよご先祖は。
いろんな物をお仏壇に置くという。
それはやっぱり思いのある物を置きはるんですけども。
そこの家庭の人たちの人柄が出てるような感じですごくいいなあと思います。
もちろんお仏壇なしでも生活はできますしでもあればねおろそかにできないといいますかそっちに足向けて寝転ぶというのは抵抗があるとかそういう…そんな気が…。
なるほどね。
お仏壇は日常の暮らしの中に聖なる空間を設定する装置です。
仏壇と位牌その存在は日本人の宗教的センスを培ってきました。
落語は笑ってなんぼ!人間は笑う動物。
笑いと落語について考えます。
お寺で笑ってもらおうと落語会を始めて20年の法泉寺住職増田洲明さんに参加して頂きます。
ご住職にも文我師匠にも見て頂きたいものがあるんです。
何でしょう?これは向源寺さんの十一面観音さんです。
滋賀県長浜市向源寺所蔵の…堂々たる一木造り。
頭上にいくつものお顔を頂きあらゆる方向を見守る観音様です。
悟りへ導くお顔はさまざまな表情を持っています。
左右にそれぞれ3面正面には本面を含む4面を拝む事ができます。
これで十面。
残りの一面は…。
これが十一面。
いかがですか?へえ〜!大笑いしてますでしょ。
にこやかなお顔ですね。
これを「暴悪大笑面」といいます。
「十一面観音」の後ろ側にあるのが「暴悪大笑面」。
普通は光背があるため見る事のできないお顔です。
その意味するところは煩悩にまみれた人間の愚かさを大笑いして改心させ仏の道に向かわせるといわれています。
私の落語のイメージってこの「暴悪大笑面」なんですよね。
ちょっとそれどういう事か教えて頂けます?何と言いますかねえ落語というのは人間の具合悪いようなところを排除しないでしょ。
「あんな人おるおる」とか「自分もあんな事ある」そんなふうにお噺が展開していきますでしょ。
それを非難するんじゃなく排除するんじゃなくて笑う。
いかがですかご住職。
今のお話。
そういうまぬけた部分とかねそれぞれに皆そういうところを持ち合わせてるわけでねそこらが共感できるというかそこで笑いが起こるというのはね。
特に我々浄土仏教の道を歩んでるものにとっては…人間の愚かさに気付いていくという。
そこに…。
悪い事をやめてええ事をしようなんていう教えもありますがそれができないんですよね。
分からない。
それができないという自覚に基づいて…。
そうそう。
そっから始まる。
「暴悪大笑面」は私たちの煩悩にまみれた心の中を笑い飛ばし自分の愚かさに気付かせてくれます。
意識的にバリアを張ってるつもりでもずっと張りっぱなしだと心というのはどんどん枯れていくような気がするんですよね。
やっぱり自分のバリアを外すっていう。
話ししてるうちに笑いが加わるとそのバリアが自然に外れたりする。
「笑い」はバリアを外す一つの大きな手やと思うんですよね。
全面的にバリアを下ろす場と時間が必要だと感じてる現代人が結構いてそういう人がお寺に来てくれたり寄席に来てくれたりすると大変ありがたい。
そういう感じで法泉寺寄席に足向けて頂ける方感じますね。
その時間と場所があるかないかというのは人生の分岐点のような気がします。
皆さんは笑いましたか?心が和らぎました?仏教と落語を笑いでつなぐ「落語でブッダ」。
堪能して頂けましたでしょうか?ではテレビの前の皆さんもご一緒に一本締めで!それではお手を拝借よぉ〜!どうもありがとうございました。
お気を付けてどうも。
今回の内容はこちらのテキストに詳しく紹介されています。
8回にわたってひも解いてきた「落語で…」。
(一同)「ブッダ」。
これにて終演です。
2014/04/07(月) 01:10〜01:34
NHKEテレ1大阪
趣味Do楽 落語でブッダ第6回▽桂塩鯛“お文さん”〜なにわ商人文化と浄土真宗[解][字]
落語と仏教のコラボで送る「落語でブッダ」。第6回は桂塩鯛の上方落語「お文さん」なにわ商人の集まる船場は浄土真宗の信仰が篤(あつ)い。大阪文化発祥と仏教の関係は?
詳細情報
番組内容
落語と仏教のコラボで贈る「落語でブッダ」。第6回は桂塩鯛の上方落語「お文さん」。お文さんとは浄土真宗「本願寺中興の祖」蓮如上人が門徒衆のために分かりやすく書いた手紙のこと。御文章ともいう。江戸時代、大阪船場の商家の旦那衆はみな浄土真宗の信仰あつく、毎日「お文さん」を読誦するのが日課であった。近松の文楽など数々の大阪文化の舞台となった船場と、浄土真宗の関係を宗教学者・釈徹宗が分かりやすく解説する。
出演者
【出演】落語家…桂塩鯛,【講師】如来寺住職・相愛教授…釈徹宗,【語り】三宅民夫
ジャンル :
趣味/教育 – 生涯教育・資格
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
劇場/公演 – 落語・演芸
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