等身大の父親を演じ続けて〜追悼・宇津井健さん〜 2014.04.07

映画やテレビで二枚目俳優として活躍した宇津井健さん。
先月14日82歳で亡くなりました。
昭和28年映画「思春の泉」で主役デビュー
民放のテレビドラマ「ザ・ガードマン」など安定感のある落ち着いた演技で親しまれました
夫婦というものは長い年月がたって初めてその味が分かる。
NHKではテレビ放送の初期から出演
「武田信玄」や「信長」「天地人」など「大河ドラマ」での貫禄ある武将姿が印象的でした
されば申し上げておるのでござりまする。
信玄が動き封じねば京に上る事できませぬ。
そして宇津井さんといえばお父さん
もうみんな自分の力でやっていけるという事や。
平成6年に放送された連続テレビ小説「ぴあの」などホームドラマでの包容力のある父親は宇津井さんのはまり役でした。
多くのドラマで等身大の父親を演じ続けた宇津井健さん。
60年に及ぶ俳優人生を振り返ります
ゲストご紹介致します。
ゆかりのあるお二方にお越し頂いております。
まずお隣俳優の篠田三郎さんでいらっしゃいます。
宇津井さんとドラマ映画で数多く共演されていらっしゃいます。
そして演出家の大森青児さんです。
元NHKチーフディレクターで連続テレビ小説「ぴあの」や大河ドラマ「武田信玄」の演出を担当されました。
どうぞよろしくお願い致します。
(2人)よろしくお願い致します。
篠田さんは宇津井さんの映画会社の後輩にあたるんですね。
東京大映撮影所の後輩なんですけれども自分が入った頃は先ほど流れました「ザ・ガードマン」とかね。
宇津井さんはスターでしたからちょっとお話なんかできなかったんですけれども後にテレビで共演させて頂きましていろいろとお世話になりました。
ちょっと信じられなかったですね。
まだ亡くなったという事が実感できないですね。
3週間余りたちますけれども。
宇津井さんはホント100歳ぐらいまで俳優としてやれる方だななんて思ってましたので。
もうホントに自分は俳優が天職だって言ってましたし俳優という仕事を愛していましたし誇りを持ってこれからがっていうとこだったのですごく残念な気持ちもあったでしょうけども燃焼した人生だったのかなと思いますけどもね。
そして大森さんですね演出家としてご自身で随分演出されましたけれども俳優としてはどういう俳優さんですか?演出家として申し上げますとね非常にやりやすい何て言うかな…応援してくれる役者さんの一人でした。
…と言いますのは年齢に関係なくよく話を聞いて下さるとまず。
演出家の言う事を。
それでその方向で考えられて芝居なさるという事で非常にやりやすい役者さんの一人でした。
残念ですねホントに。
ホントに先ほど篠田さんもおっしゃいましたけど頑健な方だったので訃報を伺った時はびっくり致しました。
ホントに体気を付けられてねいろいろ走ったりいろんな…鉄アレイでやられたりそういう姿拝見してましたのでちょっとびっくり致しました。
いつまでも若々しくてね改めて82歳でいらっしゃったのかって思いましたしね。
さあそれではまずは宇津井さんご自身がご自身の人生そして演技役作りへのこだわりなどを話しておられる映像が残っているんです。
それからご覧頂きたいと思います。
平成10年放送の「スタジオパークからこんにちは」。
再編集したものをご覧下さい。
宇津井さんは昭和6年東京・深川に生まれました。
4歳の時に父親を亡くし祖父母に育てられた宇津井さんは幼い頃から歌舞伎や日本舞踊に親しんだといいます
僕は深川生まれなんですけど姉が日本舞踊やなんかやってましてね。
祖父とか祖母が好きで。
それを見ているうちに何か僕がふっとまねしたりですね。
「そこは違うよ。
こうだよ」なんていうね。
(堀尾)お稽古事もなさっていたんですか?日舞とか?ええ。
祖父や祖母がそういう事が好きだったもんですからもういやいやですけども当時やってましたけど。
ですから戦争前の歌舞伎座なんかへよく連れていかれましたんでね。
名優といわれた六代目菊五郎とか十五代目市村羽左衛門とか吉右衛門さんとかああいう貴重な方のお芝居僕は脳裏に残ってますね。
高校時代には演劇部で活躍し早稲田大学に入学した宇津井さん。
そこで大きな転機となる出会いがありました
実はそれで僕の俳優としての道が大きく開けるきっかけがその早稲田にあったんですけども。
(高見)それは何ですか?馬です。
早稲田に入ってもう2〜3日目です。
新宿の今の伊勢丹の所にいましたら馬のひづめの音がするのでふっと見たらば早稲田の学帽で顎ひもして白い手袋で信号待ちしている馬が4頭いるんですね。
今なんか考えられませんでしょう。
あの交通量の多い所で。
ほとんど馬運車という車に乗せて馬は移動するんですけど昭和26年ですからね。
終戦後まだ5〜6年の時ですから車なんかほとんどなくて。
その雄姿に一目ぼれしたんですね。
(堀尾)かっこよかったんですね。
もともと馬もお好きでその乗っていた人たちが早稲田関係の人たちだった…?早稲田の馬術部だったんですね。
ですから即刻新宿からまた早稲田に引き返してその日のうちに僕は入部をしたんです。
馬術部に?ええ馬術部に。
だからお芝居をやりに入ったんじゃなくて馬乗りに入ったという事ですか?まあそういうつもりではなかったんですが3日目にしてもう僕の道は馬というふうに定められてしまいました。
大学の思い出は乗馬の思い出が?もう全てです。
乗馬に熱中する一方芝居への思いを抱き続けていた宇津井さん。
大学在学中の21歳の時に俳優座の養成所に入ります
仲代達矢さんとか佐藤慶さんとも同期ですよね?そうです。
というのも早稲田を4年では卒業できないという見通しが早くも2年で。
(高見)2年生の時分かったんですか?分かったっていうかもうそうなったんですね。
それでじゃあまあどうせ卒業もできそうもないから俳優座を受けてみようかなって受けましたらかなりの難関だったんですけど受かってしまったんですね。
翌昭和28年宇津井さんは映画の主役に抜てきされ本格的に役者の道を歩み始めます。
決め手となったのは乗馬経験でした
はっ!自分は馬っこさ洗いにかかります。
馬っこさ洗ったらすぐ帰るであります。
それで馬ができるという事で俳優座の時に映画を作る。
で主演が馬を乗り回さなくちゃならない役だったんですね。
それで僕がいきなり抜てきされたという。
じゃあ乗馬ができる役者さんそんなにいらっしゃらなかった?当時は全くいなかったらしいんです。
その大スターの中にはね。
それで泣く泣くっていうかまあしょうがなくて僕が抜てきされたという。
早くも主役ですか?いきなり主役です。
それが「思春の泉」という映画で?石坂洋次郎さんの「草を刈る娘たち」という作品なんですけど。
それからもういわゆる新東宝の映画に何十本も出て?ええそうですね。
やがて活動の場をテレビに移した宇津井さん。
民放ドラマ「ザ・ガードマン」の大ヒットでお茶の間の人気を獲得します
当時は映画全盛。
まだ今ほど悪くなっていない頃で。
それで僕がテレビの映画に出ると言ったらみんなが「何で宇津井さんこんなのに出るのよ?」って言うくらい…。
結局映画の方が?テレビという映画の地位がまだ確立されてない時代でした。
ところがこれが始まってかなりそれは挽回できる事になりましたね。
最初抵抗はありましたか?僕はありませんでした。
プロデューサーも僕の親友で信頼できる人だったしお亡くなりになった大映の巨匠だった増村保造という監督さんが陰になってピシッとした監修をして下さるという信頼がありましたんでね全てを任せて一生懸命やりました。
理想の父親というイメージを確立した「赤いシリーズ」。
「赤い激突」ではバレエ教室に通って役作りに励んだといいます
駄目だやめろ!どうした?さくら。
お前のバレエには全然厳しさも情熱もないぞ。
気持ちが散ってるよ。
あなたどうしたの?夜遅く突然踊りだして。
ハハハハッ。
我が家の将来を想像したらとてもうれしくてねつい踊りだしてしまったんだよ。
「宇津井さん今度の役決まったわ」。
「何?」って言ったら「クラシックバレエダンサー」というひと言ですよ。
それで朝はね10歳ぐらいの女の子のクラスへ入るんです。
そいでやる訳ですね。
「おじさんそこ違うわよ。
脚こっちよ」なんて。
朝から練習してたんですか?子どもたちと一緒に。
そうです。
それで夜はもう本格的な一流のバレエ学校の方たちの中に突っ込まれる訳です。
みるみるウエストなんかですね細くなって。
その時のジーンズ僕はいまだに記念に取ってありますけどこの辺までしか入りませんよ。
今はもう?ええ。
筋肉痛の毎日でしょう?もう寝返りも打てません。
まず背中が痛いんですね。
脚が痛くなるかと思ったらそうじゃなくて。
とにかくこういう姿勢で顎上げてやりますからね背中が…。
やっぱりもうやらざるをえないですからね。
もう決まっちゃった以上は…。
(笑い声)だからいいんですね役者って。
やっぱり一つ一つそういう目標があってね。
それでこういうふうになっちゃったんでしょうねきっと僕は。
研究熱心な事で有名だった宇津井さん。
当時出演していた「金曜時代劇」では目明かしの役作りのために捕り物道具を自作するほどの徹底ぶりでした
これがそもそも僕たちが考えて作って頂いた本物の…本物っていうか仙吉が使う十手。
(高見)短い。
短いんです。
本当は籐を巻いたりなんかしているんですけども。
これで六角ですね。
先が細くなってちょうどバランスがいいように作ってある。
先程のVTRに出てきたのはどれを使っていたんですか?実は3本使ってるんですね。
あの中でうまく。
どういうふうに使い分けているんですか?例えばぱっと相手に見せたアップの時には…。
これだったりする訳ですか。
それで実際にロングで引いてやる時は…。
これだけの長さの差が。
随分楽なんですね。
これで刀をこうやったりなんか。
動きやすくなるって事ですか?ええ。
やりやすくなるし。
それで最後に久保井というつじ斬りにこれをポ〜ンと外されるんですけどそういう時はこれならば地面に落っこっても壊れてもいいようにという。
この役のためにわざわざこういう物を作ったんですか?そうです。
宇津井さんが頼んで職人さんに。
いやいやこれ僕自分で。
自分で作ったんですか!?これ。
これレザー革ですね。
僕は実はいろんな物を作るのが趣味でして。
それでちょっとこれ握って…非常に握りやすいでしょ?握りやすいとっても。
これふだん持って歩いていたらいいですよね?いやそんなのやめて下さい。
駄目ですか?ふだんは危ないでしょう。
ですからこういうのを自分で常に触って車に乗っていても…。
なじませておくんですね。
家でもいるというのが…何と言うんでしょうね?仙吉これが見えない…。
やっぱり役者さんの見えないしかし絶対に必要な努力なんでしょうけれども。
そうですね。
やっぱりこの仕事が好きだし引き受けた以上は徹底的にやろうという事じゃないですかね。
満足するまでやっちゃうというんでしょうかね。
だから終わった時の充実感というんですか毎回それなりにありますけど。
楽しいもんですね。
すごいですね。
すごいですね。
自分で作って絶えず身の回りで動かしてその…本番の時だけじゃなくしてね。
僕今のバレエのドラマ実は見た事ないんですけれどもそのあと違う仕事でご一緒になった時にもやっぱり自分をリラックスさせるために片隅でやってるのをよく見ました。
バレエの踊りとかを。
違うドラマでもそのバレエの…?
(篠田)ドラマの中で。
はい。
あっそうですか。
なかなか上がらないですもんねあんな脚曲がったりね。
相当ふだんから鍛えていらっしゃったんでしょう…。
すごかったですね。
ストレッチ代わりによかったんじゃないですかね。
こだわりはすごかったですよね。
いろんな事の。
ただしこだわってるところ…今その話になってましたけどあんまり見せないんですよこちらには。
現場では。
じゃあ陰でこっそりやる…?努力は見せる事はよしとしない方だったと思います。
それはやっぱりご自身の何か美学…。
美学だと思います。
ダンディズムというか何かある種おしゃれというか生き方というか。
ものすごく努力してるのが分かる。
だから台本なんか持ってリハーサル室に来ないです。
もう全部せりふは当然のごとく…。
ともすればほかの方のせりふまで全部覚えて。
そういう方でした。
そうですね。
僕が言うのおこがましいですけど宇津井さんはホント美学ってあったと思いますね。
自分の生き方とか。
ですからいつも…自分なんかよく部下の役なんかやらせてもらってもたもたとかぐずぐずしてるんですけれども恥ずかしいぐらいなんですけどもう堂々とねいつもねまっすぐシャンとして。
生き方もまたそういう方だったですしとにかく仕事が好きこんなに好きな人…ぐらいにもうご自分の仕事俳優という仕事を愛して…。
仕事を愛した…。
もう一生懸命。
ホントに好きなんだなって思いますね。
やってて。
素顔いわゆる素顔の宇津井さんどんな方でいらっしゃったんでしょうね?
(篠田)宇津井さんは僕なんかが見るとこの世界に入った時から主役をずっと主演をやられてるんですけれども一緒にやってて「こうしたらいい」とか「ああしたらいい」って事は言わないんですよね。
そういう事は言わないんですけれども何かこう…ずっと長い間下積みをされた方のような振る舞いっていうんですか…スタジオに入る時は誰が見てようが見ていまいが一礼して入る。
そのとおりです。
ですから脚本を見る時も脚本の方とかに「ありがとうございます」という…。
そういうのが常々言わないんですけれども見えるっていうところがすごいなというのはありますよね。
…あれですよね一緒にやった事あるんですけどスタジオのスタジオいろんなスタッフがいるじゃないですか。
いろんな…美術さん専門の方がいたり技術さんもいたり。
誰に対しても気配りというかね目が行き届いてるというか。
隅の方にいる人なんかもちゃんと見ていました。
それでしかも…みんなに同じように話しかける。
それは印象的でした。
それはずっと一緒でした。
ずっと。
だから人望厚かったですよね。
だからいつも宇津井さんが来られる現場というのはいつも宇津井さんが座長という感じになりましてね。
自然に。
別に「自分が座長です」というのじゃないんですよ。
自然に宇津井さんが言うならしかたないやという空気が生まれましてねスタッフも役者さんも。
だから非常にチームワークのいい番組になるんですよね。
ドラマ作りになるんですよね。
だからそういう意味でも宇津井さんって貴重な方だったと思いますよ。
そういう宇津井さんホントにドラマの中でもホントに家庭の中の父親といいましょうかねまさにホームドラマでの理想の父親としてお茶の間で親しまれましたけれども今度は宇津井さんが出演されましたNHKのホームドラマダイジェストでご覧下さい。
昭和36年放送の「長い髪の女」。
NHKに残っている最も古い宇津井さんの映像です。
当時29歳の宇津井さんはヒロインの友人役として出演しています
山田君はあなたを愛しているでしょ。
分かりませんわ愛してるってどういう事か。
あなた役所で山田さんにお会いになるでしょ?少し話してあげたら?いや近頃彼とは課が換わってしまったしもともと無口な男だったから。
でも私たち事実上の仲人のようなもんでしょ。
それがあなた結婚して1か月もたたないうちにこんなんじゃ先が思いやられますわ。
いや夫婦というものは長い年月がたって初めてその味が分かる。
先へ行くほど楽しみなもんですよ。

昭和60年放送の銀河テレビ小説「男が家を出るとき」
下の坊主の高校入試の発表があったもんだから。
合格なさったんですね?…うんまあなんとか希望のところへね。
じゃああそこなら名門中の名門じゃありませんか。
いや部長はお宅の事など話しては下さいませんがいつかお邪魔した時…。
単身赴任が盛んになった時代仕事一筋だったサラリーマンが家を離れる事をきっかけに家族のあり方を見つめ直していくお話です
電話代だってばかにできないんだぞ。
できるだけ手紙を書くようにするよ。
せっかく来たんだからゆっくり大阪見物でもしていったらどうだい?ううん。
こっちの様子も見届けたし安心して明日帰るわ。
だっておばあちゃま待ってて下さいますもの。
文句を言う相手がいないと張り合いがなくてお寂しいんじゃない?おばあちゃま。

昭和59年放送の正月ドラマ「ゆずり葉物語」
宇津井さんの役は娘の結婚に反対する頑固な父親でした
どういう事なんだ!?一体!あの男はおとうさんに「お前とは会わん」と約束しておきながら。
それも今日の今日だぞ!私が勝手に会いに行ったの。
しかし駅前の喫茶店まで出てきてたんだろう?そんな所へ来てるってどうして分かったんだ?ねえお父さん信用して。
私たち別にやましい事なんか…。
そんな事聞いてるんじゃない!第一一日も約束も守れんような男どうして信用できるんだ?
娘の恋人が真摯に仕事に取り組む姿を見て父親は結婚に理解を示します
君はこの工房の全部を任されているのかね?一応。
でこれからもずっとこの仕事を続けていくつもりかね?はい。
天職だと思っています。
利子さんとの事なんですが…。
今夜親父のうちの方に来てくれないか?はい伺います。
利子が君に引かれた気持ち分かるような気がするよ。

平成6年放送の連続テレビ小説「ぴあの」。
早くに妻を亡くし男手一つで4人の娘を育てる心優しい父親の役でした
そん時になこの家の柱とか天井板使う事ができるんやて。
お母ちゃんのもある。
お母ちゃん?下の方ばっかり見てたから気ぃ付かへんかった。
いやホンマや。
気ぃ付かへんかった。
36いうたらお母ちゃん亡くなる前の年やね。
もしかしたらこの家がお母ちゃんやったんかもしれへんね。
ああ。
そうやね。
お母ちゃんが私らの事を見守ってくれてたんかもしれへんわね。
という事はまたお母ちゃんと別れなあかんて事やね。
別れる?そうかて今日でここ出ていくんやから。
多分もう大丈夫やと思たんと違うか。
大丈夫て?う〜ん…。
まあお母ちゃんが見守ってなくとももうみんな自分の力でやっていけるという事や。
篠田さん今見た4本の中でも2本共演してらっしゃいますね。
はい。
やっぱりこうやって見ると頼れる上司であり頼れるお父さんですね。
いつも前向きな。
あまり…何て言うんですか自分が苦しいとか悲しいとかあまり見せないでというような。
安定感がありますよねやはり。
改めて思いました。
大森さんは「ぴあの」を演出されました。
入り時間ってありますよね。
例えば10時から開始するとしますでしょ。
大体男の人は1時間前入りなんですよ。
例えば10時だったら9時なんですね。
ところが多分「ぴあの」の時だったと思うんですけどね。
7時ごろ朝。
10時なのに7時って3時間前ですよね。
3時間前に入ってこられる訳です。
それが連日なんです。
大阪へずっと来てたっていう事情はあったにしても。
それでね本人は体を起こし声を起こし…。
役者ですからその準備運動。
10時にベストの段階で迎えられるようにという事なんでしょうけれども。
必要なんでしょ?3時間が。
必要なんです。
ただしね我々スタッフとしましてはね演出はまあ別にしまして宇津井さん一人でスタジオ入ってくれっていう訳にいかないですよね。
そしたら誰かがお出迎えしなきゃいけない訳ですよね。
「宇津井さんおはようございます」と。
毎朝6時半からスタンバイしなきゃいけないんですよ。
そうするとね夜中まで例えばやってたりするでしょ?そしたら次の日また6時半からですよね。
スタッフの一人がですね「大森さんちょっと相談があります」と。
「宇津井さんにちょっと…申し上げにくいんですけどもうちょっと遅く入る事はできませんでしょうか」と。
私はそれ初めて聞きましたんで「ちょっと話してみるよ」って話で。
それで宇津井さんにいまだに覚えてるんですけど「宇津井さん実はあの9時入りはですね守って頂けませんでしょうか」。
きょとんとして「えっ私ちゃんと入っております」。
「いやそうなんです。
あのいわば入り過ぎてらっしゃって午前7時だとうちのスタッフが受けなきゃいけないので」…っていうふうに言いましたら「そんな必要はありません」と。
「私のために入ってるので全然気を遣ってもらう必要はありません」と。
「いやでもそうはいかないですこちらは」とお話ししましたら「あっ分かりました。
それでは大阪城をもう一周しましてそれで9時に入るようにします」というね。
外で体を起こして。
お願いした事あるんですよ。
本人はねそういうつもりじゃなくて万全を期して9時が7時ごろ入ってらっしゃったんですけどちょっとこちらも申し上げにくかったんですけどそうさせて頂いた事を思い出します。
そこまでおやりになるって役に対するこだわりとか誠心誠意向き合っていたという事になりますか?そのとおりです。
全て全力だと思います。
もう一つ思い出すのは冗談めかして冗談だと思ってたんですけど「僕ね大森さんいつどうなってもねこのシーンがラストだと思ってやってるんですよ」と言われた事あるんですよ。
最後の仕事だと思って。
いつどうなっても。
私その時まだ若かったし宇津井さんも60ちょいですから冗談だと思って聞き流しておりましたけれどもふとね何か…本気だったんじゃないかというふうにね。
今思うと。
それぐらいこういつも全力投球の人でした。
先ほどスタジオでね演出家の方ともめたりはなかったとおっしゃったんですがとはいうもののやっぱり役に懸けてらっしゃると時には言い争いとか時にはこれだけは譲れないと。
そういうような議論みたいな事全くなかったんですか?それはないです。
ない人の特徴というのはですね宇津井さんに限らずねキャパシティーが非常に広いという事です。
要するに引き出しをいっぱい持ってらっしゃるという事です。
ですから私が言う事「こっちの方向に近いんだな」あるいはAという方向Bという方向Cという方向「そっちに近いんだな」というところで宇津井さんが考えはる訳ですね。
ですからその数が少ない人は「こうじゃないかこうじゃないか」というタイプになる訳ですよね。
だからキャパシティー広いと「この辺の事を言ってるんだな」と演出は。
「この辺の事言ってるんだな」。
そういう事ですから争い事になる事はなかったです一度も。
役者さんっていうのは非常にやっぱりその例えば個性的であったりだとかあるいはホントにワンカットでも非常に存在感の強い役者さんですとかいろんなタイプの役者さんいますけれどもそういう意味では宇津井さんというのは演出家からご覧になってどんな役者さんだと…。
何て言いますかねその…ワンカットでね個性豊かに勝負するタイプではないと思います。
でも全体でね…。
テレビって特に…映画じゃなくてテレビっていうのは人柄がそのままどんな役やっても映し出されるって部分があるもんですからまあ演技的に言いますとね僕なんかいつも今持論で言ってるんですけど人間性を上げない限り芝居なんかうまくならないよと。
若い人にね特に言ってるんですね今。
テクニックだけで芝居うまくなろうとするのは間違いだと。
それはある程度のレベルまでは行くかもしれないけどあるレベル以上になるとやっぱり人間性というかその人の持ってるもの以上は出ない。
どんな芝居でも。
だからそうだとすると宇津井さんぐらいのハイレベルの方になりますと人間性ですよね。
人間性がそのまま出ていくという事なんですよね。
宇津井さんはすばらしい人間性でそれがそのまま反映されると。
その…役柄の中にですね。
そういう事だったと思います。
私がつきあい始めたのは「男が家を出るとき」で53歳の時だと思うんです。
宇津井さんが。
53歳の時から「ぴあの」の時は63ぐらいだと思うんです。
その間に「武田信玄」が入りますのでその10年間ぐらい私ものすごいおつきあいしたんですよね。
その中で私は30から40歳ぐらいだと思うんですけど非常に勉強させてもらったっていう気持ちがあります。
人間として。
「そうかこういうふうに穏やかに物を言う…」。
穏やかじゃないんですけどね私はね。
大森さんは。
はい。
「そうかこういう対処のしかたがあるのだ」とかですね「あっこういうふうに考える事ができるんだ」とかですね非常にできる役者さんにはね学ぶ事多いですよ。
演出家は。
宇津井さんのすごいところって今話聞いてて僕も「男が家を出るとき」で大森さんとも出会って宇津井さんとも出会った訳ですけど。
そのあと「武田信玄」もご一緒させて頂いて。
そのあとずっとやっぱり宇津井さんはつながっていくってところがすごいですね。
先ほどの「男が家を出るとき」も脚本家は橋田先生ですけれどもほかの民放でも橋田先生とはずっとやってらして。
つい最近まで民放で橋田先生やってる訳じゃないですか。
そういうこう…長く宇津井さんのために書いてあげようとかっていうのはやっぱり宇津井さんの人徳であり俳優としての…。
すごいなと思いますね。
今非常に人格的にも優れてらっしゃるというお話ありましたけどもそういう中でやっぱり父親役としてはホントに宇津井さんはいろんな方に愛されましたよね。
父親としての宇津井さんはどんなふうにご覧になってますか。
「ぴあの」でキャスティングを頼みに行ったの私なんですけれども4人姉妹という事でね。
要するに男1人の家庭な訳ですよね。
お母さんがいないから。
それでまあ女性4人になるといろんな事ありまして。
4人ともに。
それをね全て包むような包容力のある役者さんを探してた訳ですよね。
それで今までのつきあいも含めて宇津井さん以外にないという事で口説きに行った。
その時にね「大阪弁は私はちょっと」っていうのはありましたよ最初は。
はっきりありました。
「『朝ドラ』だからせりふ多いでしょ?」って。
「そりゃ多いですよ」と。
「全部大阪弁ですよね?」。
「そら大阪弁です」と。
「ちょっと…」。
「いやいや」。
それを超えてもねある種キャラクターとしての包容力とかね。
しかもそのうちの一人が後でドラマ上分かってくるんですけど自分の子ではないという事がありましてね。
それは後で分かるんですよっていう話でそういうお子さんまで含めて自分の子としてちゃんと育てていくあるいは育てていったという包容力が持てる包容力として説得力がある役者さんというのはそういませんでしょう。
だからもう必死で口説いた記憶あります。
言葉はちょっと置いときまして。
宇津井さんですけれども「大河ドラマ」にも数多く出演されています。
若手の俳優を引き立てる脇を固める役者として活躍されました。
いくつか印象的なシーンをご覧下さい。

昭和63年放送の「武田信玄」では上杉家に三代にわたって仕えた重臣直江実綱を演じ常に謙信を陰から支え時には戒める事もありました
この際今川の願い聞き入れ甲斐信濃へ塩止めしたらいかがにござりましょうや。
越中の一向宗とも謀反も全て武田信玄の差し金にてどうにかせねばなりませぬ!それどころではあるまい。
信長は上洛したぞ。
されば申し上げておるのでござりまする。
信玄が動き封じねば京に上る事できませぬ。
そしてこちらのシーン。
事もなげに馬を操る様は宇津井さんならでは
もはやこの場にとどまるのは危険にござりまする。
お下知を。
善光寺に向かう。
皆の者に伝えよ。
はっ!
平成4年放送の「信長KINGOFZIPANGU」では織田家の家老林通勝を演じています
天が味方じゃ!続け!
(一同)オ〜!誠に申し訳ない事ではござりますがこの林ひと言も申し上げずに岐阜へ帰る事できませぬ。
それがしは織田家三代いえ四代に仕えてきた者にござりまする。
申し上げるべき事を恐れず申し上げる事がこの林に与えられた役目と心得ております。
正直に申し上げまする。
このようなお触れはお出しにならぬ方がよいかと存じまする。
上様よくよくお考え下さりませ。
自らを神と仰せになるは畏れを知らぬ所業にござりまする。
そもそも神仏とは天にありて地に存するものではありませぬ。
生きるものからは遠いものにござりまする。
人は生きて死にやがて神仏になるやもしれませぬ。
されどいかなる善なる人でも生きて神仏になる事できませぬ。
たとえ上様であろうとも神名乗る事できませぬ。
神名乗るは天に向かってつばするごときものにて必ずや世間から侮られ御名に傷つきまする。
「大河」の宇津井さんいかがでらっしゃいましたか?以前はNHKのドラマもよく山梨県の小淵沢っていう所でロケがありまして。
自分もNHKのドラマで馬に乗らなくちゃいけない役だったんで練習に行ってこいっていう事で練習に行ったんです小淵沢に。
でドラマの収録もそこでやったんですけれどもその時に宇津井さんは個人的に…。
小淵沢には何か所か牧場があるんですけどある牧場に自分の馬を委託してて。
私は撮影だったんですけどよくお会いして。
それから撮影終わったあとも個人的に家族とか友人たちと小淵沢に行ったんですけどそこでよく宇津井さんとご一緒させて頂いて。
宇津井さん馬はものすごくお上手なんですけれども牧場の人の言う事を聞くっていうかマナーをちゃんと守っていて。
すごいんですよ。
愛犬のようにちょっと10mくらい離れて「止まれ」って言ったら止まって。
馬が?ええ。
で「来い」って言うと馬が来るんですよ。
分かるんですね。
(篠田)分かるんですね。
それはもう格段にうまかったですけどね。
あの大森さんは…。
(大森)馬の思い出がね「武田信玄」でありましてね。
確かね落馬会って当時作ってなかったですか?あのね馬からロケ中に落ちるんですよね役者さんが。
みんな上手なんですよ。
「武田信玄」やった方。
中井貴一さん菅原文太さん上手なんですけど宍戸錠さんも。
ところがねやっぱり馬の上で芝居する訳ですから。
単に馬に乗ってる訳じゃないですから。
それでね徐々にロケごとに落ちていくんですね。
それでねスタジオで冗談でね中井貴一さん中心だったか落馬会って言ってましたね。
馬落ちた人の会。
ロケ行くごとに「落馬会に入りました」。
皆さんねそういう冗談を言い合ってたような記憶があるんですよ。
宇津井さんはそこに…。
(大森)宇津井さんは最後までね入会なさらなかったと思いますよ。
さすが。
ちょっと記憶違いか…多分そうだと思います。
落馬会は入ってませんでした?入ってなかったです。
じゃあ落ちてないんですね。
そういう何か…思い出しました。
もう格段にうまいですから。
宇津井さんは。
もう馬術部で鍛えた…。
レベルがちょっと違いますから。
そういうその宇津井さんですけれども役柄ではですね主役を立てるまあ脇を固める役柄がね随分後半多かったんですけどその辺りはいかがですか?今も見ましたけどかっこいいですよね。
信長の重臣ですね。
重臣っていうのは戦国時代特にお館様とか殿様というのはワンマンですよねみんな。
だから重臣がいいのがいないと滅びる訳ですね国が。
だから重臣がいいのを持ってる国だけが生き延びたみたいなとこがありましてね。
それで重臣っていうのは言いにくい事もワンマンの人に言わなきゃいけない訳ですよね。
これは命を賭して言う訳ですよね当時ですから。
いつ首はねられるか分からないっていう緊迫感の中言う訳ですよね。
戦国時代っていうのは。
宇津井さんがその役を何役もやってらっしゃるという事はそういうキャラクターだったんだという事なんだと思います。
だから義の人と言えると思うんですよね。
「人間はこう生きるべき」「こうあるべき。
人の生き方は」という事を自分で持ってらっしゃった人だと思います。
それがキャラクター要するに役柄に反映されてそのキャラクターのまま今「信長」のご覧になったみたいにホントに説得力ありますよね。
すっごくあります。
信長に対して「これはすべきでない」「これは言わなきゃいけない」とちゃんと言ってますよね。
この事はねものすごく大切な事で宇津井さんならではと言いますかね何か現代に通じるところがあるような気がしましてね。
重臣の大切さって言いますかねある種…無礼の大切さって言うんですか。
無礼ですからねあれ。
だから戦国時代はそういう人いい人がいた国が生き残ってると思います。
義の人。
義の人。
義の人だと思うんですね。
いかがでしょう。
そういう宇津井さんっていうのは。
やっぱり今言った武将は宇津井さんの生き方にも通じるものがあって説得力があるなあと思って見てましたけどもね。
画面を通してね私たちもそれを見てた訳ですよね。
さあ宇津井さんですね平成20年76歳の時に出演されました「ディロン〜運命の犬ふたたび」では老いの悲しみを表現する新しい役に挑戦されました。
老いる事がつらい。
この作品で宇津井さんが演じるのは自らの過去を偽る独居老人です。
見せかけの暮らしをしている中セラピー犬のディロンと出会い孤独が癒やされていきます
「永らえば永らえるほどに辛き事の多くを重ねきて明日こそは明日こそはと想いを馳せて拝む朝陽も月もいずれは限りあるものと知る」。
いや〜これは何ともやるせない詩ではありますが。
え〜実はこれには…。
ちょっとちょっと…。
あ…あ…すみません。
大丈夫です。
おとなしいですから。
ええこの子は優しい目をしてますね。
はい。
もういくつぐらいなんですか?もうじき13歳です。
へえ〜!開いてる。
お邪魔します。
どうも…。
全てお見通しだったようですね。
私はただ心配で…。
体調でも壊されたんじゃないかって。
公園にもず〜っとお見えになっていないようですし。
行かれるはずないじゃないですか。
どうかもうこれで…。
こうしてる今も顔から火が出るくらい恥ずかしいです。
お元気なら…。
きっとあなたのお母様も初めから分かっていらしたんでしょう。
なのに私を迎え入れてまでしてくれてお優しい方だ。
二度とお目にかかる事は致しません。
ディロン…。
帰ろうディロン。
どうしたの?ディロン。
うん?どうしたどうした?こういう時のこの子動かないんです。
あの…もしご迷惑でなかったら今晩この子をここに置いていってもいいでしょうか?もしよろしかったら話し相手に。
案外この子聞き上手なんです。
私もいつも聞いてもらってます。
じゃあこれ。
あっ…。
いやいやちょっと里中さん。
ごはんはもう済んでますから。
おトイレの方もうちの中ではしないようにしつけてあります。
お水の方だけお願いします。
それじゃあ。
いやいやあの里中さん。
ちょっと。

(「オーベルニュの歌」)さっき犬の世話はした事がないって言ったけどねうちに犬がいた事はあったんだよ。
雑種の子犬を女房が拾ってきて。
だけど私はほとんど関わった事がなかった。
女房と息子が世話してたからね。
これは女房が好きで聴いてたらしい音楽でねラジオから録音したフランスの民謡だそうだ。
私の方は仕事一筋でねこうやって音楽を聴く事も詩を読む事もましてや書く事なんか興味なかった。
こう見えてねそれなりの商社で部長にまでなったんだよ。
働いたなあ。
いかにして利益を上げるか。
そのためにはどう他人を出し抜くか。
そんな事ばっかり考えてた。
16年前その女房が体を壊して病院に運び込まれた時私はもう定年間際でねこの仕事が最後になるかもしれないって必死で取引先で駆け引きしてた。
それでとうとう死に目にも会えないで…。
そういえば外国旅行なんかも連れていってやった事なかったな。
葬式で久しぶりで息子に会った。
一人息子でね。
だけどひと言も口利いてくんなかったよ。
全く…駄目な父親だ。
何か月も何年もろくに人と口も利かずに…。
そんな時にねふっと思ったんだよ。
「私は…私の生きてきた人生はこんな生活に行き着くためのものだったのか?」って。
そう思ったらねもう何もかもが嫌になったんだよ。
うそでもいい新しい自分が欲しいって。
どこから…どこからやり直そうってそう思った時にね思い出したんだよ。
そう小学校の時の事だ。
担任の先生の事を思い出したんだよ。
私たち生徒をみんな教室の外へ連れ出して。
こう原っぱでみんなで…こう…横に手つないでパタ〜ンてあおむけに倒れるんだ。
見上げる青い空に白い雲が流れて…。
いい事も悪い事も分かち合おうって…。
そういう大人になろうってその時はホントに思ってたんだ。
それを思い出したんだよ。
よく詩を朗読してくれる先生でね私たち生徒にも詩を書かせた。
ある時私の書いたつまんない詩を褒めてくれたんだ。
「君には豊かで優しい心がある。
それを大切にしなさい」って。
うれしかったなあ。
あんなにうれしかったのにいつの間にか忘れてしまったんだよね。
かと言って今更この年になって詩を書こうと思ったって書けやしない。
結局本で読んで好きになった詩を書き写しているうちにいつの間にか自分で書いたと思いたくなってきたんだよ。
今思えば私は詩を書きたかったというよりもあの先生みたいな大きな優しい人になりたかった。
そういう事なんだよな?女房にも息子にも部下にも謝りたかった。
もう遅いのにな。
言葉で自分をごまかし人をだまして…。
私は言葉の使い方を間違えた。
うそと言い訳ばっかりだ。
嫌だね〜。
このまま…うその自分のままここで独りで死んでいくなんて…嫌だなあ。
ディロン…寂しいよ。
とても…寂しいよ…。
ディロン…。
ディロン…。
老いの悲しみを表現された宇津井さんですね。
篠田さん…。
寂しいですねホントにね。
一後輩として生意気な事言わせてもらえば宇津井さんはよく70からこれからが俳優として僕は面白いと思いますって何回か聞いた事あるんですが今みたく「寂しいよ」っていう自分のその思いと宇津井さんという方も前向きな方ですから俳優としてそれをまた今度表現していこうという…。
70以前はホントに凜としてさっそうとした役柄が多かったですけれどもこれからホントに宇津井さんって方はこう…年相応の人生の悲喜こもごもを自分の中でやりたいって思いがすごくあったと思うんですよね。
だからそういう意味じゃちょっと残念だなと思いますが…。
でもそのつどそのつど燃焼された方なんだなというのを改めて思いましたね。
大森さんどんな…ご覧になりました?すばらしいお芝居でしたね今のね。
これを見させて頂くと…私もNHK辞めてだいぶたつんですけど要するにどんな形でもいいからねもう一回何か仕事したかったなっていうふうに思いますね。
私がおつきあいしたのは先ほど申し上げましたように63歳ぐらいまでなんですね宇津井さんが。
亡くなられたの82歳とお伺いしましたのでいや〜何かいいですね今の。
はつらつとしてない宇津井さん。
いや〜すばらしいなと思って今拝見致しました。
いや〜…ちょっと別の宇津井さんを見ましてちょっとやりたくなりますね。
演出する側としましては。
今日ホントにずっとですねさまざまな宇津井さんの役映像ご覧頂いてきたんですけども改めてどんな事を今お感じになってますか?篠田さん最後にひと言お願い致します。
すばらしい先輩と俳優としての宇津井さんとご一緒できた事それとそのつど温かく接して下さった事を改めて思いますし自分の宝なんだなというのを思います。
出会いがね。
(篠田)はい。
大森さんいかがでいらっしゃいますか?私はもうただひと言「ありがとうございました」と。
いろんな事を思い出しましていろんな面で今の私の…栄養と言ったら言い過ぎなんですがいろんなとこに宇津井さんの影響かなんかあるような気がし始めましてね。
いろんなところで。
その時は気付いてなかったんですけど。
今日ねいろんな…ふと義の人だという言葉が出てきてみたり。
自分の中からね。
そういうふうに生きなきゃいけないというふうに今思おうとしてる自分がいたりしましてね。
何かいろんな面で宇津井さんとおつきあいできた10年間が今の自分をね65歳に私なりましたけれども何かある形作ってくれようとしてるかもしれないなと。
後ろに写真が3枚ありますけれどもどれもそれこそ手を合わせて「宇津井さんホントにありがとうございました」と。
もう一回やりたかったなというのだけ先ほどのVTR見まして…。
残念ですけれども。
またどっかでやる事はあるでしょう!…と思います。
そう思いたいです。
改めてホントに義の方と伺いましたしまた映像もそうですけどご自身も非常に誠実な方だったんだなと改めて今日思いました。
(篠田)あと温かい方でしたね。
ホントにどうも今日はありがとうございました。
今日は篠田三郎さんそして大森青児さんと共に宇津井健さんの俳優人生振り返ってまいりました。
どうもありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
2014/04/07(月) 00:50〜01:50
NHK総合1・神戸
等身大の父親を演じ続けて〜追悼・宇津井健さん〜[字]

3月14日に亡くなった俳優・宇津井健さん。多くのドラマで「理想の父親」を演じてお茶の間に親しまれた。出演ドラマやトーク番組を通して、その演技や人柄をしのぶ。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】篠田三郎,大森青児,【司会】桜井洋子
出演者
【ゲスト】篠田三郎,大森青児,【司会】桜井洋子

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
ドラマ – 国内ドラマ
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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