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探求大都市のマリー 作者:葛城

第四章:忘れ去られた者たち

第14話:我慢も限界

ちょっとグロい描写が有る感じ
読む人は注意してくださいな
 


 とりあえず、今はおとなしくしておこう。

 会話は出来るものの、意識が覚束ないマリーに負担を掛けるわけにはいかない。それを考えたサララたちは素直に無憎たちに従うことを決め、源も多勢に無勢ということで従った。
 そうしてマリーたちが連行された、『ツェドラ』と呼ばれた場所。そこは、『地下街』の入口からはほぼ反対の場所にある、家々すら立ち並んでいない外壁の一角。出入り口を塞ぐ巨大な岩が目立つ、洞穴であった。
 そこが『地下街』の隔離施設の位置づけとなっていることは、中に入った瞬間にマリーたちは言われずとも察した。ドラコに至っては、臭いと気配で理解させられた。

 ここで三日も過ごせば、素直になるだろう。

 マリーたちを連行した無憎と九丈が口を揃えてそう言うと、マリーたちをそこに押し込む。出入り口の封鎖を部下に任せると、そそくさとどこかへ消えて行ってしまった。その部下も、妙に嫌そうな顔で入口を塞ぐと、足早に気配が遠ざかって行った。そうやって残されたマリーたちは……あまりに酷い光景に、溜息すら出なかった。

 『ツェドラ』を一言で言えば、『地下街』の外壁をそのままくり抜いただけの、粗末な作りであった。部屋などというものは無く、寝床となる毛布が置かれているだけで、ウィッチ・ローザの数も少ない。幾人かの先住者が闇の中で蠢いているのが、ぼんやりと中を照らす明かりで分かる程度であった。
 唯一の出入り口は、大岩で塞がれている。その隣に用意された小さな穴だけが、『外』と『内』を繋ぐ通気口であり、連絡手段であった。

「――それで、これはいったいどういうことなのかのう? 返答次第では、ちょっとお婆ちゃん色々と本気出しちゃうのじゃ」

 苛立ちを隠そうともない……いや、もはやその程度では収まらない怒りを堪えながら、イシュタリアは通気口の先に居るであろう、バルドクへと尋ねた。彼がここに来たのは、無憎と九丈がここを離れてすぐ後のことであった。

『すまない、俺たちも何が何だか……どうやら、マリーさんたちが『地下街』を破壊したという容疑が掛けられているらしい。容疑を掛けたのは、無憎率いる強硬派の連中だ』
「強硬派とか、そんなことを聞いておるのではないのじゃ。アレはよく分からん化け物が襲ってきたから迎撃したまでと言うたではないか……現に、お前たちも見たじゃろ……粉々に砕けた化け物の破片をのう」
『それは俺たちも分かっている……だが、強硬派の連中から『そんな化け物は見ていない』という証言が出ているみたいだ。強硬派の数は、斑様の急進派と焔様の穏健派を合わせた数よりも多い……すまない、必ず近いうちに君たちをここから出す。それまで、どうか今しばらく辛抱してほしい……!』
「そんなこと私らの知ったことか。私はいますぐここから出せと言うておるのじゃ……さっきから貴様らはずいぶんと虫の良い話をするのう……」

 その気になればこんな場所、いつでも脱出は可能だ。しかし、マリーの状態が悪い今、強硬策は避けるべきという考えの元にこうやっておとなしくはしているが……それにも、限界というものがある。

『すまない……どうか、それだけは止めてくれ……必ず、必ずここを開けるから、どうか……!』
「くどい。これ以上ぐだぐだと同じことを喋るのであれば、無理やりこの岩を破壊し、邪魔するやつらを皆殺しにしてやってもよいのじゃぞ」

 その通気口の先に居るバルドクに、イシュタリアが珍しく怒りを露わにする。知ったことでは無いというのは、完全なとばっちりである源も同意見であり、「……やれやれ」深々と吐かれたため息は、源の内心を表していた。
 そう、かわいそうなことに、源は完全なとばっちりであった。化け物(大男)の件では戦闘に参加していないし、そもそも大男の存在を知ったのはバルドクと同じタイミングである。
 寝耳に水とはまさにこのこと。事情が全く呑み込めないままに仕事を継続する道を選んだ源は、晴れてテトラと共に『大罪人』としての容疑を掛けられることとなってしまった。

「……あんまりさあ、こういうこと言いたくはないんだけどぉ」

 ぐげげげ、と怪物染みた笑みを浮かべたのは、ナタリアであった。通気口を覗き込み、光の向こうにいるバルドクの顔を見やる。ねっとりと、意味ありげに目を細めたナタリアは、はあ、と邪気の籠ったため息を吐いた。

「マリーの具合が悪いのよ……それで、ちょっと私たちは行かないといけない場所があるの。ごちゃごちゃ言わずに、ここを開けてくれないかしら?」

 そう告げたナタリアの後ろには、毛布に包まれて蓑虫みたいになったマリーが、ドラコに抱き抱えられていた。
 ここに来た直後、『女』から受け取った情報を語ってすぐに、眠りに落ちたのだ。今はドラコとサララに見守られながら、静かに寝息を立てている。
 屋敷を出る前に半ば強引に注射を打った(打てたと言う方が正しい)のだが、薬はしっかり効いているようだ。体温も微熱程度にまで下がっているようで、顔色も少し良くなってきている。
 けれども、だらりと垂れさがった手足には全く活力が感じられず、オーラとも言うべき輝きも感じられない……その姿は、まるで萎んだ薔薇。毛布に包まれた、枯れかけの花であった。
 加えて、ここは隔離施設というだけあって、空気というか、衛生状態が悪い。魔法術の明かりに照らされる範囲にはクリア・フラワーは見当たらず、すえた臭いがこもっている。とてもではないが、病人を長居させるような場所では無い。
 だからこそ、イシュタリアたちの苛立ちは当然の話であった。しかも、イシュタリアにはサララたちが気付いていない、もう一つの理由で怒りを覚えていた。

(……如何な存在があやつに魔法術を習得させたかは知らぬが、もし出会えたらその顔面を張り倒してやらねばならんのじゃ)

 マリーが眠りに落ちる前、『よく分からんけど、なんか魔法術を習得したみたいだ』と言った時、久方ぶりにイシュタリアは冷や汗を流した。

 ……そう、流してしまうぐらいに、マリーの語った一言は重大なことであったのだ。
 ただでさえ負担の大きい魔法術の習得を、こんな状態のマリーにさせるとは……ぎりりと、噛み締めた奥歯が軋む。

 そんなことをさせてしまったことに対する、自分への怒り。そして、マリーの口から飛び出した『フロンティア』という言葉……それは、今ではイシュタリアしか知り得ない名称の一つ。
 分からないことが、腑に落ちないことが、あまりに多すぎる。連続して遭遇する理解出来ない事態を前に、知らず知らずのうちにイシュタリアの声は刺々しさを増していた。

「それで、どうするつもりなのじゃ? マリーの体調が思わしくない以上、私たちも悠長に構えていられる余裕は無い。後一時間……いや、後30分以内に答えを出さねば、私たちはこの大岩を破壊しなければならなくなるのじゃ」
『そ、それは……』
「何度も同じことを言わせるでない。不服であれば、今すぐにでもこの大岩を破壊してやってもよいのじゃぞ」
『……分かった、30分だな。30分以内に、ここを開けられるようにする』

 通気口の先にいるバルドクが覚悟を決めたのが、声の調子から伝わって来た。

『30分以内に俺がここに戻らなかったら、この大岩を破壊して脱出してくれ……謝礼は、後日必ず払いに行く』
「その時は二度と顔を見せるな。もし地上で貴様らの顔を見れば……そのときは、私自らの手で八つ裂きにしてやろうぞ」
『ああ、そのときは、そうしてくれ』

 その返事と共に、気配が去っていく……のを感じ取ったイシュタリアは、大きくため息を零した。諸々の感情が込められた、重苦しいモノであった。

「やれやれ、岩の一つや二つで何をあそこまでビクついておるのやら……なんとも面倒な事態になったものじゃな……」

 ふわりと、イシュタリアたちを照らしていた光球が、その強さを増す。途端、暗闇の奥で様子を伺っていた者たちが、悲鳴をあげる。改めて照らし出されたいくつもの裸体を前に、イシュタリアたちは軽く眉をしかめた。
 室内の至る所で蹲っていたのは、年齢も見た目も性別も様々な、薄汚れた亜人たち。明日にでもお迎えが来そうな痩せ細った髭面の亜人もいれば、初潮すら迎えていないであろう子供の姿もあった。
 全員が、突然の強い光に目を眩ませてしまったのだろう。その姿を露わにした先住者たちは、裸身を隠す前に両手で必死に目元を押さえている。その内の一人、比較的大柄な体格の亜人を捕まえると、イシュタリアはその顔をグイッと己に向ける。
 そして、改めて思い知る事実に重苦しい感情を覚えながら、ため息と共にその手を離した。

(『地下街』のもう一つの顔……隔離はせめてもの情け……か。あやつらにとって、この場所は何かを閉じ込めるにはうってつけの場所か……それにしては、些か反応が大げさすぎたような気もするのじゃが……)

 ここに入るとき、無憎や九丈の顔が嫌悪に歪んでいた理由が、これだ。バルドクが、不自然なまでに大岩を……ココと外を塞いでいる大岩の破壊を拒んだのは、こいつらを少しでも外に出したくないからだろう。
 彼らは近寄りたくないのだ。この、正常に生まれなかった仲間たちを……無事に成長出来なかった仲間たちを、見たくないのだ。

「んん?」

 そのイシュタリアの視線が、裸体の集団とは別の……入口から最も離れた奥にて盛り上がっている毛布を捉えた。モゴモゴと蠢いている毛布からは、何とも奇妙な呻き声が聞こえてきている……何だろうか?

「あれ、なにかしら? 大きな虫だったら気持ち悪いわねえ」
「止めて、ナタリア。私、今は素手だから」

 うっとりと、マリーの寝顔を眺めていたサララが、苦虫を噛んだかのように表情を歪める。「まあ、虫は当たり外れが有るからな」というドラコの的外れなフォローが、ポツリと室内に響いた。
 ……無言のままに、イシュタリアは手をあげる。途端、毛布の傍の土が隆起し始め、瞬く間にゴーレムへと姿を変える。ちょい、と指を振ると、ゴーレムはパラパラと土を撒き散らしながら毛布の端を掴み……一息に引っぺがした。

 ――瞬間、室内の時が凍った。

 興味を引かれて近寄っていたナタリアも悲鳴をあげて飛び退き、横目で見ていた源も思わずソレから距離を取る。イシュタリアやサララに至っては……声すら出せなかった。

 毛布の下にいたのは、もはや亜人ですらない……異質の何かであった。辛うじて人の形を保っている何かが居るが、意味不明な呻き声をあげるばかりで、言葉を発する様子は無い。見れば見る程嫌悪感を覚える、おぞましい姿であった。
 中にはもはや肉塊としか呼べない者もいる。うぁぁ、と五つの眼球を痙攣させている何かに至っては、ぼたぼたと口から唾液とも違う緑色の粘液を零している。「やだ、なにこれ気持ち悪い!」と嫌悪感を露わにするナタリアの悲鳴を聞いて、ようやくイシュタリアはその言葉を思い出した。

 『遺伝子劣化』による『細胞変動』……! 

 その言葉をイシュタリアが声に出さなかったのは、単にたまたまであった。そして、すぐにイシュタリアはソレがどういう存在なのかを理解した。

(遺伝子劣化による自我損傷に加えて、ここに隔離されるという多大なストレスが重なった……なるほど、加速度的に遺伝子劣化が進行したことによる細胞変動か……)

 イシュタリアは憐憫の眼差しをソレに向けた。向けてしまう他、無かった。

(機械の子宮と培養液で製造された人造生命体が、野に逃げ出してから幾百年。その間に遺伝子劣化を蓄積し続けてしまった者の末路がこれか……)

「……ナタリア、ここのやつらは狙ってはいかんのじゃ」
「言われなくても分かっているわよ。いくら私でも、さすがにこいつら相手には食指も動かないわよ」
「それならよいのじゃ。余計な気を使ってしまったようじゃな――」

 ……ふと、イシュタリアは視線をドラコへと向ける。見れば、先ほどまでマリーを抱いて大人しくしていたドラコが、ソレの前に歩み寄っていた。
 その瞳は、どこまでも無機質にソレを捉えている。ソレによってドラコとマリーに危害が加えられないように立ち塞がったサララの視線に、ドラコはハッと我に返る。しばしの間、呆然とドラコはソレを見つめ続けると……ゆっくりと、イシュタリアへと振り返った。

「これは、何だ?」
「……言うなれば、亜人どもの成れの果てじゃな」

 ……イシュタリアは、あえて隠そうとはしなかった。ドラコには、それを受け入れるだけの強さがあると、これまでの付き合いで分かっていたから。

「言っておくが、こやつらとお主は違う。少なくとも、お主が存命の間はこれになることは無いと思っていいのじゃ」

 せめてもの慰め。けれども、ドラコはそれに対しては何も言わなかった。

「……これは、元々そういう素質があったのか? それとも、いずれはこれになってしまう者だったのか?」
「両方じゃな。亜人は遅かれ早かれこれから逃れられぬ……いずれは、こうなるのじゃ」
「――っ!?」

 きっぱりと、イシュタリアは言い切った。大きく見開かれたドラコの瞳が、彼らとイシュタリアの間を行き来する。そして、何かを堪える様に強く唇を噛み締めると、マリーの胸元に顔を埋め……くるぅ、と喉を鳴らした。

「……イシュタリア。やはりお前は我らの……亜人の出生を知っているのだな? 我らすら覚えておらぬ、我らの祖先のことを覚えているのだな?」
「ああ、覚えているのじゃ。知りたければ、いつでも教えてやろうぞ……どうする?」

 本当に、教えるつもりであった。けれども、ドラコは大きく息を吐いて何かを堪えると……静かに、首を横に振った。

「今は、まだ……」
「……そうか」

 イシュタリアも、それ以上は何も言わなかった。話しに耳を澄ませていたナタリアも、サララも、源も、テトラも、誰も、何も、言わなかった。
 ただただ黙って、ドラコはソレを見つめ続けていた。30分後の、約束の時間が来るその時まで……。



 どれだけ巨大な岩であろうと、所詮は岩だ。驚異的な力を誇るイシュタリアと、人間を大きく上回る力を持つドラコの手に掛かれば、何のことは無い。
 そう思って、やるか、と構えたドラコとイシュタリアであったのだが――。

『――すまない、待たせたな!』

 通気口から飛び込んできたバルドクの声によって、待ったが掛けられた。その直後、地響きを立てながら出入り口を塞いでいた大岩が動き始め……飛び込んできた外の光の中から、バルドクが顔を覗かせた。

「どうやら間に合ったみたいだな」

 その顔には、大きな汗粒がいくつも張り付いていた。どうやら色々と全速力をさせてしまったようだが……イシュタリアたちはもちろん、源もお礼は言わなかった。
 バルドクの顔が、スッと引っ込む。途端、再び大岩は地響きと共に移動を始め……人一人が通れるぐらいにまで開けられた。「それじゃあ、まずは私から出るのじゃ」と宣言したイシュタリアが、さっさと外へと出て行く。少し経って、大丈夫のサインが出たのを見てからサララたちも外に出れば……並び立つ亜人の中に、斑と焔に付き従ったバルドクたちの姿を確認出来た。
 その斑たちの前には、イシュタリアたちの所持品であるビッグ・ポケットが無造作に置かれており、隣にはサララの武器である『粛清の槍』が地面に深々と突き刺さっていた。
 ……無言のままにイシュタリアが駆け寄って、罠が無いことを確認する。道具をサララたちへと放り投げると、最後に自分のビッグ・ポケットを背負った。

「すみません、ワシらの手違いと誤解が、あなたたちに要らぬ心労と苦労を掛けてしまったようだ……この通り、許しておくれ」
「……私からも、どうかご容赦を」

 装備し終えたイシュタリアたちを見て、斑は深々と頭を下げた。それにならって焔も頭を下げ、バルドクとかぐや、取り囲む亜人たちも一様に頭を下げた。その姿はまるで、ご隠居と孫と使用人である。

 今更頭を下げられても……ねえ。

 イシュタリアは内心ため息を吐くと、斑たちに背を向けた。もう、こうなっては仕事も何も関係ない。今はただ、マリーが言っていた場所へ向かって薬を作らなければならない。

「……帰られるのですか? それでしたら――」

 チラリと、斑と焔の視線が……今しがた出てきた『ツェドラ』へと向けられる。その視線の意味に首を傾げるサララたちを他所に、イシュタリアは「要らぬ」吐き捨てる様に申し出を拒んだ。

「しかし、ここから地上へ帰るには少々お時間が掛かります。せめてもの償いとして、どうか私たちに――」
「言い訳を私たちに押し付けるのは止めてほしいものじゃな。アレはお前たちの『地下街』で生まれたモノじゃろ……どうするかは、お前たちが決めるのじゃ」

 そう言い捨てれば、斑と焔たちは一様に瞳を伏せた。内心を言い当てられた……というには少し芯を外している。けれども、痛いところの大まかな部分を突いたのは確かなのだろう。それ以上、斑たちは何も言おうとはしなかった。

 ……これ以上の長居は無用。

 マリーの寝顔を確認したイシュタリアたちは、目的の場所へと急ごうと歩きだし――。

「――待て!」

 聞き覚えのある、耳障りな怒声がその足を止めた。途端、どこからともなく飛び出して来た大勢の亜人が、マリーたちを一斉に取り囲んだ。マリーを抱きしめていたドラコがその翼でマリーを守ると同時に、素早くサララが槍を構えた。

「お、お前たち、お止めなさい!」

 取り囲む亜人たちを見やった斑が、声を張り上げる。けれども、包囲網を作っている亜人たちは斑の声に耳を貸す様子は無い。加えて、その包囲網はマリーたちだけに留まらず、突然の展開に付いていけていなかった斑たちをも取り囲んだ。
 ウィッチ・ローザの光に鈍くきらめく鉄色の凶器。それらを向けられた斑たちは、互いの身を守る様にして所持していた武器を仲間たちに向ける。「何をする!?」狼狽して声を荒げる焔の前に、キツネ顔の亜人……九丈が、「それはこちらの台詞ですよ」笑みを浮かべながら姿を見せた。
 九丈……その名は確か、無憎の周りにうろつくようになった人物だったかしら。最初の出会いが連行時だったこともあって印象は最悪だが、改めて見ると、信用ならない人物だと思わせる何かを漂わせている。そう、イシュタリアたちは九丈を見て思った。

「九丈……貴様、何のつもりだ!」

 斑と焔の前に立ち塞がったバルドクが、怒声を放つ。色々と悪い噂が絶えないと言っていただけあって、かぐちや他の亜人たちも九丈を見る目は冷たい。
 しかし、九丈は何ら気にした様子も無く頬に生えた髭をちょいちょいと撫でると、「二度も同じことを言わせないでくださいよ」ニヤリと笑みを浮かべた。

「なぜ、我らの採決を無視して『地下街』を破壊した罪人を勝手に釈放しているのですか? 私としては、むしろ責められるべきはあなたたちだと思われるのですが、いかがです?」
「それは既に話したはずだ。彼女たちには『地下街』を破壊する理由は無い。それに、お前らが用意した証人の供述にも矛盾点が多く、かつ不自然な点もある。あれだけで彼女たちを罪人にすることは出来ない」

 バルドクの怒声に、九丈はおほほほ、と口元を隠しながら笑った。

「破壊する理由が無い? そんなの、人間側からしたら、ただムシャクシャしただけ……で十分じゃないですか」
「……話にならん」

 深々とため息を吐いたバルドクに、斑と焔も「そうですね」と頷いた。それを見た九丈は、それでもニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべ……その手を、高く掲げた。
 途端、取り囲んでいた亜人たちが武器を構えた。それを見て身構える斑と焔たちを他所に……イシュタリア一行は、つまらなさそうに目を細めていた。

(……もうさすがに面倒だし、こいつら全員始末するか?)

 そんな考えが、イシュタリアのみならず、源を覗いた全員の脳裏を過った直後――。

「――騒動が起こっていると聞いて駆けつけて見れば、九丈……貴様、ここで何をしている」

 ぬうっと新たに姿を見せたのは、九丈と共にマリーたちを連行した無憎であった。

「無憎!」
「……おやおや、無憎さん。これは良い所にきてくださいました」

 ようやく話が分かるやつが来た。その言葉がありありと顔に出ている斑側。
 やっと来てくれたのかとさらに笑みを深める九丈側。
 また面倒くさそうなやつが姿を見せたと思って、深々とため息を吐くイシュタリア側。

 見事なまでに反応が分かれた。

「聞いてくださいよ、無憎さん。斑さんたちったら、酷いんですよ。罪人である彼女たちを、我らの承認を得る前に釈放するって言っているんですよ」

 その言い分に、かぐちが吠えた。

「無憎、既に話したはずよ。彼女たちを罪人とするにはあまりに不可解な点が多すぎるし、理由が無いわ」
「かぐちさんはあのように仰ってますが、そんなのは『人間だから』という理由で十分でしょう? 彼女たち人間が……一部同胞が混じっておりますが、彼女たちが我ら亜人の祖先に何をしたか……忘れたわけではありませんよね?」
「九丈! それとこれとは全く別の問題でしょう! 話し合っているのは、マリーさんたちが実際に罪を犯したかどうか……それに関しては、あなたたちの出した証言に矛盾があり、不可解な点が多い。それが釈放理由の全てでしょう!」
「そりゃあ、証言ですからね。記憶違いはございましょう。ですが、『彼女たちが町を破壊した』という共通した証言があるのも事実。極刑は私も望みませんが、嫌疑が晴れるまで投獄というのも、あながち間違った話ではない」
「だから、それは彼女たちが『化け物』に襲われたからであって、町を破壊するに至ったのは不可抗力だと言っているでしょう!」
「その『化け物』を見たという証言は、どこにあるのですか? 大方、化け物の破片なんてそこらの土くれを固めただけの偽物でしょう。そんなの、信ずるに値しませんよ」
「あなた、私たちが嘘を付いているとでも!?」
「そんなことは一言も仰ってはおりません。しかし、そう思う辺り、心当たりがあるのではないんですかねえ?」

 ぎゃあぎゃあと言い合いを続ける九丈側と、斑側。遅れて到着した無憎は、双方の言い分に耳を傾け、黙したまま何も語らない。喧騒の熱気は徐々に他の亜人側にも伝達を始め、互いに一歩も譲らない平行線が続く。
 そんな『地下街』の住人同士の論争を前に……我慢の限界に達しようとしていた者がいた。

「……いいかげんにしてほしいのじゃ」
「本当よね……いいかげんにしてほしいわよ」

 それはもちろん、イシュタリアたちであった。彼女たちには、時間が無いのだ。マリーの薬が出来るまでの間は、少しでも時間を節約したいのだ。
 特にサララに至っては、もう今にも亜人たちを皆殺しに掛かりそうな程に苛立ちを見せている……それに気づいているのはイシュタリアたちだけであった。

「……イシュタ、リア」

 普段の声よりも2オクターブは低い、修羅の一声。背後からひしひしと伝わってくる凄まじい殺気と怒気を感じながら、イシュタリアは気づいていないふりをする。

「何かな、お嬢ちゃん」
「……後5分、この糞、みたいな、話し合い、が、続いたら……皆殺、しにする……」

 ギリギリギリギリ……特大の歯軋り音。取り囲む亜人の内、数人が異変に気付いて総身を震わせている。それを気の毒に思う者は、この場にはいなかった。

「……殺すのは、そこの九丈側だけにしておくべきじゃな。下手すればここの住人ずべてとの全面抗争に発展するかもしれんぞ?」
「殺す、全員殺す、絶対殺す、皆殺し、にしてやる……マリー、待ってて、今、終わら、せるから……すぐに、行こう……マリー、が、行こうと、してい、るところへ……!」

 せめてもの折衷案を提示してみるが、サララの耳には届いていないようだ。柄を握り締める指先には力を込めすぎて白くなっており、零している吐息は憤怒によって熱くなっていた。
 ……無言のままに、イシュタリアはナタリアたちへと視線を向ける。ナタリアは困ったように微笑むだけで、ドラコは抱き上げているマリーをあやすのに忙しい。唯一、冷めた目で論争を眺めていた源に視線を止めると、「こりゃ、そこの」そっとその背中へ声を潜めた。

 “私たちはこれからマリーの薬をお前はどうするつもりなのじゃ?”
 “……微力ながら、手を貸そう”

 空気を読んで声を潜める源。彼の口から飛び出した思いもよらぬ提案に、イシュタリアは軽く目を瞬かせた。

 “よいのか? お主は監視者じゃろ?”
 “それはそうだが、さすがに監視対象があんな状態になっているのを見て、知らぬ存ぜぬはできないだろ……それに、こんな場所で俺一人にさせられるぐらいなら、そっちの方がいくらかマシだ”
 “なるほど、協力感謝なのじゃ。頑張って最後まで監視に勤めるのじゃぞ”
 “分かっている。これも、職務の一つだ”
 “泣ける話じゃな……今度酒の一つでも奢ってやろう”
 “賄賂を疑われるから止めてくれ”

 そうして話を打ち切ると、イシュタリアはいまだ口論を続けている亜人たちを見てため息を吐くと……力いっぱいの踏込を行った。
 ずどん、と地中へと陥没するイシュタリアの右足。軽い地響きと共に響いた衝撃が、お互いを罵倒し合うにまで発展しかけていた論争を、一瞬にして止めさせた。

「……そろそろ私らも我慢の限界じゃのう。これ以上グダグダとくだらない罵り合いをするのであれば、こっちとしても手段を選ぶつもりはないのじゃが?」

 イシュタリアとしては、当然の言い分であった。マリーに負担を掛けないように大人しく従ってはいたが、それにも限度はある。
 一回分の効果がどれだけ続くのかが不明であるうえに、残された薬は二回分しか無い。正直、いますぐここのやつら全員を叩きのめしてでも先を急ぎたいのがイシュタリアたちの本音であった。

「――ふざけるな、人間風情が!」

 とはいえ、そんなことは亜人たちにとってはどうでもいいこと。亜人にとっては身勝手で尊大としか思えない言いぐさに、怒りを露わにしたのは当然の帰結であった。

「協議が終わるまではお前らは全員罪人なんだ! それまでおとなしく――」

 ひゅん、と空気が薙いだ。「あっ、馬鹿者」とイシュタリアが、ナタリアが、やっちまったと言わんばかりに頭に手を当てて。

「――していればいいんだ!」

 そう言葉を続けながら落下する亜人の首が、ごとん、と血の跡を残しながら地面を転がった。突然の事態に静まり返った亜人たちの前を転がった首は、「――っれ?」何が起こったのか分からないと目を瞬かせた後……物言わぬ塊となった。
 血飛沫を噴いていた首無しが、どちゃりと血だまりの中へ沈む。亜人たちは呆然と、仲間を瞬時に死体へと変えた褐色肌の少女、サララを見つめることしか出来なかった。

「……人間の小娘、貴様、何をしたのか分かっているんだろうな?」

 ただ一人、巨大な片手剣を構えた無憎を除いて。

「これで、貴様らは何の言い逃れも出来ない大罪人になった。つまりだ、小娘……貴様は――」
「……ごちゃごちゃと、やかましい」

 ぬるりと、サララは槍を構える。ヘドロの中に蠢く虫を見るかのような冷たい眼差しを無憎に向けたサララは……ひゅん、と刃先に付着した血を振り払った。

「死にたいのなら、来なさい。死にたくないのなら、そこを退け」

 その言葉と共に放たれた、強烈な気迫。短い生ではあるものの、ならず者たちを初めとして、モンスター、竜人、神獣、『化け物』を相手に一歩も引かなかった胆力から生み出される、殺気の籠った眼光。
 殺し殺される命の取り合いを経験した者だけが持てる、ある種の凄み。それをまともに受け、無様に悲鳴をあげて腰を抜かす者多数。マリーたちのように修羅場をくぐって来たものならまだしも、腰を抜かさずに耐えられる『地下街』の亜人たちは、数える程度しかいなかった。

「……なるほど、言うだけのことはあるか……面白い」

 その少数の一人である無憎は、ニヤッと男臭い笑みを浮かべると……サララの前に立った。

「人間の小娘……貴様の名は何という?」
「お前に語る名前など無い」
「気が強い小娘だ……だが、そういうのは嫌いでは無い」

 九丈! 出てこい!

 腹に響く大声に、九丈がたたらを踏んで飛び出して来た。「な、なんですか無憎さん!?」額に汗を滲ませているキツネ顔を見やった無憎は、サララを指差した。

「今から、俺はこの小娘たちと同行する……こいつらがどこへ行こうとしているのかは知らんが、そこで、こいつらが愚者であるかどうかを見極める」
「――へっ?」

 九丈は、否、その場にいる全員が目を瞬かせた。

「今のままでは所詮は押し問答。ならば、代表者がこいつらと同行し、人となりを見てから判断すれば文句は無かろう……ただし、俺一人だけ同行するのも何だ……斑、焔、二人にも同行してもらう……それでいいな?」

 しばしの間、九丈は無憎の言葉を脳裏で反芻させる。理解が深まると同時に、徐々に変貌していく表情が、驚愕の二文字に染まった時、「な、何を言うのですか無憎さん!?」九丈は唾を飛ばして怒鳴っていた。

「そいつらは街を破壊した罪人……いや、それだけでなく、我らの仲間を殺した極悪人なんですよ!」
「故意に破壊したのか、仕方がないことなのかを決める証拠は何も無い。それに、理由は何であれ、最初に武器を向けたのは我らの方だ。この小娘は、ただ己の仲間を守ったに過ぎん」
「で、ですが……」
「……九条、俺は今回の件でつくづく気になっていることがあるのだが、一つ聞かせてくれ」

 ズイッと、無憎は九条に迫った。

「お前、何をそんなにこいつらを……いや、そこのマリーとかいう小娘を敵視しているのだ? わざわざ口裏を合わせて嘘の証言を用意し、俺に虚偽の報告をしてまで敵視する理由は、何だ?」

 ――空気が、どよめいた。九丈に向かって反射的に槍を振りかざしたサララを素早く押さえるイシュタリアとナタリアを他所に、玉の脂汗を顔中に滲ませた九丈は……ごくりと、髭を震わせた。

「そ、それは、無憎さんもご存じのとおりですよ。人間は我らの祖先を迫害し、我らをこの地に押しやった元凶……恨みこそすれ、情を向ける相手では――」
「それは理解出来る。では、なぜその恨みを向ける相手がそこに居る優男では無く、高熱を出して寝込んでいる小娘なのかを聞いているのだ」
「えっ」
「全員を恨むのであれば、話は分かる。だが、お前の矛先は何故か、あの小娘にだけ向けられている。わざわざこの俺に『マリーという娘が一番危険だ。主導者はそいつで、『地下街』の平穏の為には真っ先に捕らえなければならない』と言ったのは……お前だよな、九丈」
「…………」

 九丈は何も、言わなかった。

 いや、言わなかったのでなく、言えなかったのかもしれない。

 ただ、九丈は山吹色の体毛越しでも分かるぐらいに紅潮した顔で、無憎、斑たち、イシュタリアたち……そして、眠り続けているマリーを睨みつけると、無言のままに踵をひるがえす。
 ゾロゾロと後を付いていく強硬派の亜人たち。その先頭を行っていた九丈の足が、「……九丈、今回の件で良く分かった。やはり俺は、お前とはやっていけんようだ」その一言でピタリと止まった。

「確かにお前には俺の願いを叶えてくれた恩がある。それには感謝している……だが、お前は何か俺に隠しているな? 俺に語っていない何かが……アレにはあるのだろう……そうなのだろう?」

 ――九丈は、何も答えなかった。だが、振り返った九丈の、狂気で血走る禍々しい視線が無憎たちを貫き……吐き捨てる様に舌打ちをすると、足早に無憎たちから離れて行った。

 ま、待ってくださいよ!

 その後を慌てて追いかける強硬派の亜人たちが居なくなれば、先ほどまであった喧騒が嘘のように消え去っていた。
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