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探求大都市のマリー 作者:葛城

第四章:忘れ去られた者たち

第13話:語りかける者

 

 どうやら、こいつはココがどこなのかということと、どうやって俺をここに連れて来たのかということを答えるつもりは無いらしい。
 濃厚な花の香りが、辺り一面から漂ってくる。ぼんやりと、背中に感じる体温に欠伸を零しながら、マリーはそんなことを考えていた。
 不思議と、警戒心は覚えない。胸中の警戒センサーも反応しないし、敵意や殺意が無い事が、伝わってくる気配でよく分かる。何とも言えない、奇妙な安らぎすら覚える程であった。

「ずっとあなたのことを見ていて思ったんだけど、あなた……少し弱すぎるわよ」
「……いきなりなんだよ」

 そんなときに、前触れも無くそう言い放った女の声に、マリーは目を瞬かせた。別段、気を悪くしたわけではない。純粋に、女の意図が読めなかったことによる困惑が大きかっただけであった。

「だって、そうでしょ。あんなちゃちなウイルスに耐え切られずに高熱を出して寝込むだなんて……いくら何でも、脆弱過ぎると思わない?」

 そう言われてもなあ……マリーは首を傾げる。いきなり何を言いだしたかと思ったら、『高熱を出して寝込む』ときた。いったい誰のことを、何のことを言っているのかさっぱりマリーには分からなかった。

「なんだ、そのウイルスってのは?」
「何って、ウイルスはウイルスよ……なに、あなた覚えていないの?」

 不思議そうに尋ねられた……というのが、声色だけでも分かる。覚えてないのと聞かれても、覚えていないマリーは「知らねえよ」としか答えられなかった。

「高熱を出したことはあるが、それはけっこう前のことだぞ。ていうか、ウイルスって何だ?」

 そうマリーが尋ねると、声が返って来るまでに少しばかりの間が生まれた。

「……まあ、いいわ。それで、ウイルスって何って質問だったわね」
「その奇妙な間が気になるところだが、そうだよ」
「単純に言えば、物凄く小さな病気の元よ……先に言っておくけど、風邪とは全然違うものだから」
「……ふーん、病気の元……ねえ。小さいって、どれぐらい小さいものなんだい? 虫眼鏡で見ることは出来るのか?」

 マリーがそう尋ねると、声は笑った。それはもう、けらけらと……幼女がそうするように、軽やかな笑い声を辺りに響かせた。

「うふふ……虫眼鏡なんかじゃ見えないわよ。虫眼鏡よりも、もっともっと倍率の高い顕微鏡で見ないと、存在を確認することすら不可能に近いわ……あっ」

 そこで、女は言葉を止める。「顕微鏡と言うのは、大がかりな虫めがねと思ってちょうだい」と、不思議なこだわりを見せて注釈を入れると、「それはそうと」一言入れてから一方的に話を戻した。

「あなたが、弱すぎるっていう話だったわね」
「まだその話を引っ張るのか……ていうか、俺って弱いか? こう見えても俺は大抵の相手なら瞬殺できるぞ」

 さすがに正面から二度も弱いと言われて、何とも思わないわけでは無い。少々の苛立ちを覚えたマリーは、言外に『言う程弱くはないだろ』……という反論を潜ませたのだが――。

「弱いわね」

 女は、マリーの反論を一蹴した。その言い切りっぷりは大したもので、言われたマリーの方が黙ってしまうぐらいであった。

「有象無象の雑魚と比べている時点で駄目。それに、その魔力が切れたら初潮も来ていない女の子にも負けるでしょ、あなた……ただでさえ弱いのに、そんな弱点まで抱えて――」
「おい待て、お前……なんで俺の力が魔力によるものだと知っているんだ?」

 聞き捨ててはならない言葉に、思わずマリーは待ったを掛ける。けれども、女はマリーの問いかけを無視して、「まあ、強いか弱いかの目安を教えておくわね」そのまま話を続けるようであった。

「あのイシュタリアとかいうお婆ちゃんを、正面からねじ伏せることが出来るかどうか。強いか弱いかの境界線は、そこよ」
「……『時を渡り歩く魔女』が境界線って、無茶言うなよ。基準が厳しすぎやしないかい?」
「これでも緩くしているつもりよ。それに、あのお婆ちゃんよりも弱いっていうところは、あなた自身が認めている部分でしょ?」

 そう言われて……少しばかり無言のままでいたマリーは、静かに頷いた。

「そりゃあ、相手はほとんど不死身らしいからな。勝つことは出来るかもしれんが、殺し合いになれば……まず間違いなく、俺が殺されているだろうな」

 それは、マリーの正直な評価であった。『時を渡り歩く魔女』、その名はイシュタリア・フェペランクス・ホーマン。かつてマリーがイシュタリアと戦った際、その全身を粉砕して勝利をもぎ取った。
 しかし、それはあくまでイシュタリアが本気でなかったからこその結果である。仮にイシュタリアが本気でマリーを殺しに掛かったら……持久力の関係で、マリーは確実に押し負けていただろう。
 それに気づいている者は、マリーと件のイシュタリアだけである。最も、イシュタリアの方はそう思ってはいないようで、『先に私の心が折れるじゃろうな』と零していたが……マリー自身は、イシュタリアよりも自分は弱いと考えていた。

「そう、あなたは負ける。あなたの一番の弱点は、そこなのよ」
「そこ?」
「その身から放たれる膨大な魔力……それを活かしきれていないのが問題なのよ」

 活かしきれていない……か。マリーはふむ、と首を傾げた。己の魔力運用に問題があることは前々から自覚していたし、イシュタリアからも指摘はされている。なので、それに関しては特に否定するつもりはない。

「一度、あなたの魔力がどういうふうに使われているかを視覚的に確認しましょうか」

 そう女の声がしたと同時に、ぱちん、と女が指を鳴らした……ように、マリーには聞こえた。何をするのかと身構えるマリーの前で、変化はすぐに訪れる。
 ぬるりと、花の香りから姿を見せたのは、大きな樽と、小さな桶と、ガラスのコップであった。樽の大きさはマリーの頭よりも少しばかり高く、桶はマリーの身体には少し大きく、コップはマリーの手に余るサイズであった。
 もう一度、女は指を鳴らす。
 途端、虚空から現れた水が樽の中に注ぎ込まれた。轟音を立てて瞬く間に一杯まで満たされると、途端に注ぎ込まれる水の量が減る。溢れた水が、ぱちゃぱちゃと花の中に滴り落ちていった。

「樽はあなたの身に宿る魔力の総量」

「注がれる水は生み出される魔力の量」

「溢れた水は体外に自然排出されている魔力」

「桶はあなたが一度に引き出せる魔力の量」

「コップはあなたが現在運用できる魔力を表しているわ」

 女が指を鳴らす。
 直後、ふわりと桶が動き出し、桶の中へ……叩きつけるように水を掬った。あまりの勢いに大量の水飛沫が樽の外に零れ落ちるが、桶は気にする用も無く多量の水を滴り落しながら、コップの頭上へと移動する。

 女が指を鳴らす。
 直後、桶はゆっくりと傾き始め……桶よりも高い位置から落とされた水流は、そのほとんどがコップに収まることなく弾き飛ばされる。最後の一滴が落ちたとき、コップの中には三分の一程度しか残されていなかった。

「具体的に表したら、今のあなたの魔力運用はこんな感じよ。零れた水は、無駄に排出されてしまった魔力ってところかしら……御感想は?」
「……こうして見ると、すげえな。我ながらなんて言ったらいいか分からんぞ」

 改めて形として確認したマリーは、ため息を吐くしかなかった。以前、イシュタリアから『お主は魔力の無駄遣いが酷過ぎるのじゃ』と睨まれたが、こうして視覚化されるとイシュタリアの苦言も納得できる。
 無駄遣いどころの話では無い。いくら魔力コントロールが苦手だと自覚していたとはいえ、予想以上に酷い。これでは魔法術士であるイシュタリアが眉をしかめるのも無理はない……そうマリーは思った。

「そう、あなたはあまりに魔力の運用が出来ていない。今まではそれでもやってこられたでしょうけど、これからあなたの身に訪れる戦いを考えると、ちょっと今のままでは力負けしちゃうの」
「……? 俺の身に訪れるって、何の話だ?」

 二度目となる、聞き捨てならない言葉。問い返すが、やはり女は答えるつもりが無いようだ。露骨なまでにマリーの質問を無視して、またもや指を鳴らした。

「不甲斐ないあなたへの応援の意味も兼ねて、私はあなたをここに連れてきた。あなたの中にある鍵を、二つだけ開けることにしたのよ」

 女は指を鳴らす。
 途端、マリーは脳裏を過った奇妙な不快感に思わず頭を押さえる。だが、不快感は瞬きが如く一瞬であった。しばしの間、目を瞬かせていたマリーは……その場から飛び跳ねる様にして身体を捻り、裏拳を放った。
 けれども、やはり裏拳は空を切った。飛び散った花びらが降りかかる中、マリーはジッと虚空を見つめると……大きく息を吐いて、元の場所に腰を下ろした。

「俺に何をした?」
「別に、大したことしていないわよ。あなたを押し留めている鍵を二つだけ開けただけよ……と言っても、残っている鍵は数えるぐらいしかないけどね」

 ふわりと、音も無く背中に圧し掛かる体温にマリーは舌打ちする。マリーの苛立ちを分かっているのか、それとも分かっていないのか、女は含みのある笑みを零した……ような気を、マリーは感じていた。

「何も怖れることなんてないわ。それはあなたが元々持っていた力……いずれ訪れる選択の時、選んだ未来によってその力が必要になるわ」
(……また、訪れる……か)

 勿体ぶった言い方はマリー自身、嫌いではない。しかし、こうもしつこくされると、いい加減苛立ちを隠しきれなくなってくるのも事実である。

「それで、選択だか何だか知らんが、結局お前は俺に何の用があるんだ?」

 若干の刺々しさが見え隠れする、ぶっきらぼうな言い方だ。けれども、やはり女の方から気にする気配は微塵も感じ取れなかった。

「用なら、もう終わったわよ。あなたが死なないように手助けしたかっただけ……こんなので死んじゃったら、面白くないんだもの。それに、あなただけは他と一緒になんて出来ないもの……でも、あんまり私の助けを期待しちゃ駄目よ」
「……わけの分からんことを……結局、なんでそんなことするんだ? 俺はお前が何者なのかすら知らんのだぞ」
「知らなくていいわよ。こっちからは名前以上のことを教えるつもりなんて無いし……それに、私が今やっていることに強いて理由を付けるとすれば、ただの暇つぶしだから」
「暇つぶし?」

 暇つぶし……どういうことだろうか。今、ここにマリーが連れてこられたのは暇つぶし。マリーに力を与えたのも暇つぶし……暇をつぶす為に?

「そうよ……私はずっと前から、一生懸命退屈を潰し続けているのよ。あなたが生まれた時から……ううん、生まれる前からずっと、ずっと、ずっと、ずっと……」
「……お前、さっきから何を言っているんだ?」
「言ったでしょ、理由なんてないの……私はただ楽しければ……暇さえ潰せれば、それで満足なのよ」
「…………」
「トカゲをけしかけたり、タナグラを引っ張り出したりして遊んだ玩具……ちょっとやり過ぎて玩具が壊れそうになったから、完全に壊れる前に補修しようと思っただけ。強いて今回のコレに意味を見出すなら、そう思って貰った方が分かりやすいかしら」

 …なんだ、こいつはさっきから、何を俺に伝えようとしているんだ?

 振り返りそうになったマリー。しかし、振り返ることはしなかった。ただ、背中に感じる女の体温にうすら寒い物を覚える。「ああ、タナグラっていうのは、あなたたちに襲い掛かった触手のワンちゃんのことよ」ひどくあっさりとした、明るい感じの声色が、マリーには恐ろしく思えた。

「たださ、勘違いしないでいてほしいんだけど、私は別にあなたたちをどうこうしようとは思っていないの。ただ、退屈が潰せたら私はそれだけでいい……それだけが私の望み……でも、だからといってここまで頑張ったのに、全部終わりにしちゃうのは少し寂しいと思わない?」

 そう言うと、女は大きく息を吐いた……のが、気配でマリーには分かった。何を考えているのかとマリーはジッと気配を探るが、特に変わったところは見られなかった。

「終わりにしない為に、私へと至る手がかりは色々と残し、かつての英知の欠片も地上に放った。それを使って、いつかは私の存在に気づく者が現れると思っていたけど……ぜーんぜん、だーれも、思ったようなことをしてくれないし、私の意図に勘づくやつもいない。あのお婆ちゃんなら自力で導き出してくれるかなって思って二百年以上待ったけど、駄目ね。見つけてくれる気配すらない……長生きしすぎて考えが凝り固まっているのかしら」
「…………」
「いずれは誰かが、何者かが、私へたどり着けるだろうと思って、最初はのんびり構えていたわ。でも、いいかげん待つのもうんざりしたし、トカゲは自滅しちゃったし……ああ、でも、地上に残した私の資料は微々たるものだし、それだけで私の存在を導き出せっていうのは無理があるか……」

 そう言って女が再びため息を吐いたのが、背中から伝わってきた。

「本当、ままならないものだわ。この身に受けた使命を果たし、継続し、幾百年。何も変わらない、何も起こらない、ずっとずーっと前から続く昨日の繰り返し……ようやく迎える終わりを前にした私の、短い短い余暇の有意義な潰し方……それに思いを馳せた時、私はあることを思いついた」

 ねえ、と手を握られた。思わず払いのけようとしたマリーであったが、それよりも早く女の手がするりと離れて行った。

「誰かに、私のことを知っていてほしくなった」

 ポツリと、女の小さな呟きがマリーの耳に届いた。

「このまま終わりを迎えたら、私は誰にも知られることなく消えてしまう。誰にも私の存在を悟られないように頑張った、幾百年前の私とは正反対の思考……孤独が、私の前に立ち塞がった。その時までに、私が作り上げたものを誰かに、何かに、託したいと思った」

 でもね。

「ただ託すのは、面白くないの。だってそうでしょ? 私はあなた達の為に頑張って来たのに、そのあなた達は私のことを知らない。私のことを知らないあなた達に、私の生涯を黙って託すなんて……そんなの、つまらないでしょ?」

 だからね、考えたの。

「あなたは、私の元に来る必要がある……いいえ、そんな程度じゃ駄目。あなたは、私の元に来なければならない。私が終わるその時までに、あなたは私の元に来る定めなの……その為に、あなたはいるのよ」

 そう、静かな声で、力強く言い放った女に……マリーは、背筋を走る戦慄に声を出すことすら出来なかった。
 ごくりと、マリーは唾を呑み込む。ともすれば震えてしまいそうな四肢を、ギリギリのところで抑え込む。頬を伝った汗が、ぽたりと太ももに跡を残す。辛うじてでも動揺を抑え込めている自分が、マリーには不思議でならなかった。

 今、俺はとてつもない存在の前に居るのかもしれない。

 漠然とした、その考え。女の口から語られる内容のほとんどは、マリーの頭には残っていない。ともすれば、女の語った内容は支離滅裂の一言。優れているわけではないマリーの頭では、到底理解しきれないものであった。

 ――戦う、べきなのか?

 そう思っても、一向に反応してくれない警戒センサーに、マリーはギュッと拳を握りしめた。攻撃方法を考えるよりも前に、マリーはすぐさま魔力コントロールを行い、フルパワー状態へと――。

「それじゃあ、どうあがいても私を倒すなんてことは出来ないわよ……というか、この世界では私に勝てるわけがない」

 なろうとした瞬間、柔らかくも温かい小さな手がマリーの首に宛がわれた。それが、女の手だとマリーが理解するよりも前に……フッと、練り上げた己の魔力が身体から四散していくのが、マリーには分かった。

 他人の魔力を操作する。そんなことが出来るなんて、聞いたことが無い。

 造作も無く行った女の手腕に、マリーは言葉を無くす。あのイシュタリアですら、放出された魔力を横流しする程度のことしか出来ないのに……!
 ふわりと、マリーの頬を熱気が掠めた。背中に触れる確かな柔らかさ、撫でる様に首筋を通って行く熱気。それが、女のものだと言うことにマリーが思い至った瞬間、フッ、と今まで経験したことの無い独特の吐息が、鼻腔をくすぐった。

「今回の仕事が終わったら、『ダンジョン』に潜りなさい」

 反論を許さない、強い言葉であった。

「あなたが考えている全ての答えが、そこにある。そこに、私が全ての答えを用意しているわ……いいわね? 分かったら、あなたに私からの三つの宿題を渡しておくわよ」

 反抗する余地など、マリーには無かった。

「一つ。目覚めたら、お婆ちゃんにこの夢のことを話しなさい。包み隠さず、覚えている限りのことを……そうねえ、『フロンティア』と言えば、あのお婆ちゃんも目の色を変えるでしょうね」

 ――なにを、と言い掛けたマリーの唇は、痛みすら覚える力で掴まれた両肩の痛みによって、押さえつけられた。

「二つ。気づいていないようだけど、今のあなたってけっこう危険な状態なの。あなたの身体を犯しているウイルスは、一度発病すると途端に厄介になる代物。今はあなたのお仲間が治療に当たってくれているけど、あれでは気休めにしかならない。いずれ、あなたの身体はウイルスが生み出す毒に耐えきれなくなって、命を落としてしまう」

 だから……スルリと指先に覚える、固い感触。チラリと視線を下ろせば、封の無い細くて小さなガラス瓶が三つ、マリーの掌に収まっていた。

「それを注射すれば、一時的にウイルスの活動を抑えてくれるわ。炎で炙らないかぎりは使えるから安心よ。それが効いている間は、全快……とまではいかなくとも、多少は長生きできるでしょうね……そして、治療薬は……」

 とん、と女の指が、マリーの頭に触れる。なんだ、と疑問符をマリーが浮かべるよりも前に、音も無く指がマリーの頭の中に沈んだ。

 ――っ!? 声にならない悲鳴を、マリーはあげた。

 異様な感覚であった。ぐにゅり、ぐにゅり、脳を直接触られているかのような違和感。吐き気すら覚える程の喜色悪さに、マリーは固く目を瞑り――。

「あっ――!?」

 脳裏を過った閃光に、意識が明転した。明暗を繰り返す視界の中に次々と映し出される、見たことも無い光景。訳が分からないままに映像が脳へ焼き付けられていく不快感に、マリーは身体を震わせる……と、ぬるりと、音も無く女の指が抜けた。

「あなたが見たのは、この『地下街』から出て、地上へと続く線路の間から入ることの出来る通路の先。迷路のように張り巡らされた暗闇の向こうにある、失われた英知が眠る場所への切符。そこでなら、特効薬が作れるわ」
「……っぐ、……っぐ」
「間違っても、地上で薬を作ろうと思っちゃ駄目よ。今の人間にそれだけの技術力は無いし、作れたとしても完成前にあなたがくたばるだけよ」

 マリーの口から、一筋の涎が糸を引いた。断続的にこみ上げてくる吐き気を耐えることに精一杯で、悪態をつくことも出来ない。徐々に暗くなっていく意識の中で、「三つ、ちゃんと聞きなさい」話を続けようとする女の声がまるで彼方の向こうに思えた。

「あなたとお婆ちゃんが倒したあの筋肉男だけど……あれね、まだ居るわよ。あれは一人じゃないの。あれはね――」

 ぐらりと、視界が霞む。意識が完全に闇へと飲み込まれようとしている中で。

「前に植え付けておいた暇つぶしの種……嬉しいことに、ようやく目を出してくれたみたい……おかげで、私は楽しいわ」

 女の声が、子守唄のように遠く、遠く、遠く……。

「――――」

 ブツリと、意識が途切れた。



 今まで体感したことの無い、強い喉の渇きと痛み。痺れすら覚える重苦しい関節の痛みに、胃の中をかき回されたかのような吐き気。生まれてきたことを謝りたくなってしまう程の苦しさに、マリーは最初自分がどういう状態になっているのか分からなかった。
 眼前に広がった世界をしばしの間、マリーは黙って見続ける。それが天井の木目にこびり付いたシミであり、自分が布団の中で横たわっているのを理解するまで、少しばかりの時間が必要であった。

 ……ここ、は……?

 声を出そうとした瞬間、雷鳴のように脳裏を揺るがした痛みにマリーは息を詰まらせる。脈動する激痛に顔をしかめたまま、マリーはぼやけた頭で室内を見回し……座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいるサララに視線が止まった。

 ……サララ?

 思わず、声を掛ける。しかし、マリーの乾ききった喉は、掠れた吐息しか出してくれない。それだけで、体中の力を吐き出したかのような疲労感が、全身に圧し掛かる。魔力切れを起こしたときよりも酷い倦怠感だ。
 ぐらんぐらんと揺れる頭を騙しながら、気力を振り絞って身体を起こす。布団の端が、傍に置かれた桶に当たって水飛沫をあげ……ゆっくりと開かれたサララの意識が……マリーを見て、跳び起きてマリーの身体を支えた。

「――マリー、駄目、動かないで……今はゆっくり休んで」

 サララ……俺は、どうなった?

「覚えてないの? あの後高熱が出て……事情は後で話すから、今は横になって」

 声にならない声でも、サララには届いているようだ。状況説明を求めるマリーを涙声で諌めて、優しくマリーを布団の中へと戻す。枕元に落ちていたタオルを濡らして絞ると、それをそっとマリーの額に乗せた。
 その冷たさが、心地よい。ホッと息を吐くマリーの視線が、ぽろぽろとサララの両目から滴り落ちる大粒の涙を捉える。それに気づいたサララは、乱暴に涙で濡れた顔を拭うと、にっこりと、痛々しくも喜びに満ち溢れた笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、少し離れる。イシュタリアたちを呼びに行かないと……」

 マリーが頷くと、サララは涙で潤んだ瞳が目の前に来たかと思ったら、足早に部屋を出て行った。遠ざかって行く足音、頬に残るくすぐったい感触に、マリーはゆっくりと息を吐いた。

(心配、かけてしまったか……)

 サララの泣き顔を見るのは、何度目だろうか。いまいち思い出せないが、何かあるたびに泣かせているような気がしてならない。そのうち、館の皆に怒られてしまうかもしれない。
 これが終わったら、ゆっくりと遊びに行こうか。そう思ってサララが来るのを待っていると……ふと、左手に触れた固い何かに、マリーは目を開けた。
 何だろうか。気になったマリーは、関節の痛みを堪えて何かを掴む。それを眼前に持ってきて……掌に収まったソレを見て、マリーは驚愕に目を見開いた。

(これって、夢の中で渡された――!?)

 そこに有ったのは、小さくて細いガラス瓶であった。驚いたマリーは瓶の有った場所に手を突っ込み……合計、三つのガラス瓶を前に、マリーは目を瞬かせた。

 ……夢では無い――っ!?

 そうマリーが認識した途端、マリーの手からガラス瓶が零れ落ちた。脳裏に溢れかえる、思考全てを埋め尽くす情報の濁流に、マリーは思わず息を詰まらせる。
 身体を丸めて痛みをやり過ごそうとするが、濁流は耳鳴りを生み出し、鋭い苦痛にも姿を変える。頭を掻きむしりたくなるほどの痛みに、マリーは強く歯を食いしばった。
 苦痛が、また姿を変える。ぐにゃり、ぐにゃりと形を変えたそれは……魔法術の力。頭に刻まれていく新たな力を、マリーは布団の中で呻き声を上げながら受け入れさせられた。

 ――こ、れは!?

 言葉で理解するよりも前に、心が、魂が、理解する。あの女が語っていた二つの鍵……それが何なのかを、マリーは痛みと共に悟った。

「マリー、イシュタリアたちを連れて――、マリー!?」
(――サララ?)

 耳を塞いでいる中、サララの悲鳴を聞いた気がした。頬を叩かれた感覚にマリーがうっすらと目を開けると……青ざめて蒼白となったサララの顔が、目の前にあった。

「マリー!? ああ、マリー! 起きて! 眠っちゃ駄目! 起きて、起きないと死んじゃう! 起きなさい! 起きてよっ!」

 死ぬって、大げさな。

 そう言いたかったが、痛みで食いしばった奥歯から力を抜くことが出来ない。涙と鼻水を垂らして酷い顔になっているサララを慰めようと思ったら、グイッとサララの姿が目の前から消えて……イシュタリアが現れた。
 視界の外に消える直前、ナタリアとドラコの二人が苦笑しながらサララを引きずって行くのが見えた。三人の話し声が聞こえていたが、すぐに静かになった。

「無理に話さん方が良い。少し熱が下がっただけなのじゃからな……順々に説明してやるから、今は大人しくしておるのじゃ」

 イシュタリアの小さな手が、タオルの外された額にするりと当てられる。ほわっと灯る癒しの光に、少し痛みが軽くなる。イシュタリアは笑顔を見せることなくしばしの間治癒術を行った後、外したタオルをマリーの頭に戻した。

「少しは熱が下がったようじゃが……お主は、どこまで覚えておるのじゃ? あの肉の化け物とやり合ったところから後は覚えておるか?」

 かすかにマリーが頷くと、イシュタリアも頷いた。

「あの後すぐにお主は高熱を出して寝込んでのう……持ち合せの薬草ではなかなか熱が下がらず、かれこれ三日程眠り続けておったのじゃ。その間は私たちが交代で看病をしていたのじゃが、この三日間は本当に大変だったのじゃ。治ったら、酒の一杯を忘れるでないぞ」

 三日……そんなに眠り続けていたか。呆然としているマリーの反応に、イシュタリアは無理も無いと苦笑した。

「あの化け物は粉々になった。これでお主が抱えていた不安も無くなるじゃろ……それと、バルドクたちから頼まれていた仕事の件なのじゃが、今の所手つかずなのじゃ」

 手つかず?

「バルドクたちの言うやつのことなのじゃが、いっこうに姿を見せぬのじゃ。色々と手を使ってみたのじゃが……お主のことも気にかかるし、一度館へ引き返そうかと迷っていたところなのじゃ」

 ……そうか。

 マリーは、力無く息を吐いた。仕方がないこととはいえ、悔しい気持ちが無いと言えば嘘になった。

「……あと、それとな」

 イシュタリアは、マリーからは見えない位置に居るサララを指差した。

「どこぞの小娘が『マリーが死んだら私も後を追う』と喧しくてのう。昨日、お主の呼吸が止まったと勘違いした時には迷うことなく己の手首を切りおってな……斑と焔の御二方のご厚意で部屋を変えさせてもらったのじゃ」

 手首を……切った!?

 驚いて室内を見回せば、なるほど。確かにマリーが初日に寝泊まりしていた部屋と少し違う。全体的な作りは似ているが、確かに別の部屋だ。バルドクたちの姿が見えないが、席を外してくれているのだろうか。

「おかげで昨日は流石の私も疲れてしまったのじゃ……まあ、そこで監視している『人形使い』の狼狽する姿を見られたから、私としては帳消しじゃがな」

 ――やっぱり、しばらく遊びに誘うのは無しにしよう。

 そう固く心に決めたマリーの耳に、「ところで、一つ聞いていいかのう?」イシュタリアの声が届いた。そちらに目をやれば、「これは何じゃ?」イシュタリアが先ほどの小さなガラス瓶を手に取っていた。

「お主、こんな洒落たもの持っておったか?」

 ああ、それは……

 起き上がろうとすると、サララたちが素早く手を貸してくれた。サララの手で優しく、椀に入った水を啜る様に舐めさせてもらう。喋れる程度にまで喉を潤したマリーは、ガラス瓶を指差した。

“夢の中に現れた女に手渡された。”
「……ふむ、夢の中か。幻覚と捉えるところか、迷うところじゃのう」

 真剣な面持ちで、そう答えるイシュタリア。言葉通り迷っているのが、表情に良く表れている。信じるのか、とマリーが尋ねてみれば、「そんな冗談を言うお主では無い」と返された。

「残された文明の英知、ダンジョンにしかない植物が繁茂する『地下街』、暗がりから姿を見せた触手の化け物に、化け物へと姿を変えた人間……今更夢がどうのこうの言われたところで、信じない理由がどこにある?」
“言われてみれば、そうだな。“
「それで、その夢の中に現れた女は、それ以外に何かをしたのか? 名前とかは名乗ったのか?」

 言われて、マリーはハッと女に言われたことを思い出す……だが、どうしたことか、女の名前を思い出すことが出来ない。それ以外の部分は鮮明に思い出せるのに、まるでそこだけ靄が掛けられたかのように不鮮明だ。

「……思い出せぬのであれば、無理に思い出そうとするでない。お主は死にかけたのじゃぞ……頭を使おうとしてはいかぬのじゃ」

 表情から察したイシュタリアが、助け船を出す。マリーはよほど酷い面になっているようだ。
 ……確かに、今はそれよりも。イシュタリアの手に収まったガラス瓶に視線を向けると、マリーはそっとイシュタリアに腕を差し出した。

“イシュタリア、お前、それを俺に注射することは出来るか? 確か、お前のビッグ・ポケットには応急処置の為にプッシュ・パスが入っていたはずだよな?”

 プッシュ・パスとは、魔力文字式が彫られた特殊な注射器のことである。自動的に滅菌消毒と針の修復を行い、常に最適な状態を用意できる優れものである。

「む……まあ本職には適わぬがな……お主のは血管が太くて刺し易いから注射は楽じゃが……まさか、これを?」
“そうだ。本当かどうかは分からんが、その薬は俺の中にあるウイルスとかいうやつを、一時的に抑えてくれるらしい”

 イシュタリアの目が見開かれた。

「ウイルス……待て、その女、なぜその名称を知っておるのじゃ?」
“その女は、お前にこの言葉を言えば、目の色が変わると言っていた”

 イシュタリアの疑問を遮って、マリーはジッとイシュタリアを見つめた。

“その言葉は、『フロンティア』”
「…………なに?」

 ――ぽかん、と大口を開けて、これ以上ないぐらいに大きく見開かれたイシュタリアの瞳に映っていたのは……驚愕の二文字であった。
 それを見たマリーは、首を傾げるサララたちと、部屋の隅で成り行きを見守っている源たちを順々に見やると……改めて、イシュタリアに腕を突き出した。



 しかし。
 指示通りに注射を終え、熱が下がるまでに女から与えられた情報を伝えようとした直後。

「――全員動くな!」

 部屋に、怒声が飛び込んできた。思わず肩をびくつかせるマリーたちを他所に、豪快に足音を立てながら室内になだれ込んできた、数人の亜人たち。
 そして、その中に居た毛むくじゃらの獣耳……無憎が、巨大な片手剣をマリーたちに付きつけた。

 ……何だ何だ、いきなり何をするつもりだ?

 マリーたちからすれば、それは当然の反応であった。しかし――。

「おほほほほ、しらばっくれても無駄ですよ」

 呆然とするマリーに対して、無増の後ろから姿を見せたキツネ顔の亜人……九条と名乗った男は、いやらしい笑みをマリーたちに向けた。

「この地に化け物を連れてきた張本人……既に調べは付いている。立ちなさい! あなた達を、『ツェドラ』に連行します」

 ……はあ?

 そう宣言した九条に……マリーたちは、ただただ突然の展開に首を傾げるしかなかった。
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