秘密保護法:サリン旧上九一色 知らされないことの不安

毎日新聞 2014年04月09日 14時00分(最終更新 04月09日 15時50分)

防毒マスクを着けて第7サティアンの周囲を捜索する捜査員=山梨県上九一色村(当時)で1995年3月31日、伊藤俊文撮影
防毒マスクを着けて第7サティアンの周囲を捜索する捜査員=山梨県上九一色村(当時)で1995年3月31日、伊藤俊文撮影

 「テロ活動防止」に関する情報を秘匿対象とする特定秘密保護法について、オウム真理教がかつて拠点を置き、猛毒の化学物質サリンを製造していた山梨県上九一色村(現富士河口湖町など)の住民が懸念している。周辺住民への健康被害はこれまでのところ確認されていないが、当時、警察からの情報提供は一切なかった。見えない恐怖と対峙(たいじ)し続けた住民は「知らないことは命に関わる」と訴える。

 「自分の住む地域でサリンが作られていた。警察には危険を知らせてほしかった」。村のオウム真理教対策委員会の中心メンバーだった竹内精一さん(85)=同町富士ケ嶺=は振り返る。

 教団が富士山麓(さんろく)の同村に進出したのは1989年。重機による工事が始まり、塀が築かれ、次々と用途の分からない建物が造られた。住民は退去を求め、後にサリン製造施設とされた「第7サティアン」付近も連日、見回っていた。

 95年1月、竹内さんは新聞の見出しに目を疑った。「上九一色村でサリン残留物を検出」とあった。前年6月に長野県松本市で起きた松本サリン事件を捜査していた長野県警がその年の秋、サリンの製造過程で出る副生成物を富士ケ嶺地区の土から検出していたことを、後から知った。竹内さんは今でも「住民の安全は『捜査の秘密』の前に無視された」と憤りを隠さない。

 95年3月、地下鉄サリン事件が発生。警察は2日後、上九一色村の教団施設に強制捜査に入った。施設から約20メートルの所に自宅があった酪農家、山口寿弘さん(58)はカナリアを持ち、防毒マスクを着けた捜査員の姿を覚えている。「こっちは普段着。そんなに危ない場所だったのかとぞっとした。当時から警察は秘密主義で何も分からない。秘密保護法で拍車が掛かる」と懸念する。

 オウム真理教被害対策弁護団メンバーで、自身もサリンによる襲撃を受けた滝本太郎弁護士は「警察は『毒物の危険がある』ということは公表し、住民に避難を呼びかけるべきだった。秘密保護法で、市民の安全に直結する情報が『テロ防止』の名で秘密にされかねない」と指摘する。【春増翔太、松本光樹】

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