テニュアの是非
- 2014/04/09
- 07:46
この間学生や同僚ポスドクと話をしてて興味深かったことがあった。
それはテニュアの厳しさやその意義についてだった。
テニュアというのは終身雇用資格とも言われる。
Tenure (academic) - Wikipedia, the free encyclopedia
テニュア - Wikipedia
日本でもテニュアトラック制をはじめていて頻繁にその言葉を聞く制度だ。
そもそもテニュアというのは雇用者である大学からの圧力に影響しないよう、自由に研究できる権利、つまり雇用資格を大学から乖離させようということではじまったらしい。由緒正しいというか、素晴らしい考えだ。
だから、大学の不利益になるような研究であっても、それが学問的正義であれば失職の心配なく研究できる。
ま、でも今ではただ単に失職しない安定したポジションということになっているけども。
でも、このテニュア制度はぐらついてきていると僕は感じている。
すでに多くの学生が指摘しているのだけども、テニュア取得が厳しい。テニュアの条件自体はひょっとしたら変化がないのかもしれない。しかし、研究費が削減されまくってなかなか研究費がとれない。なので、条件をクリアできない。
その結果、若いテニュアトラック上のPIはとにかく研究費をとるために論文を欲しがる。論文を出すためにデータを欲しがる。データを得るためにポスドクや大学院生をプッシュする。その結果、学生は絶えず教員のプレッシャーにさらされた大学院生活をおくることになる。。。
もちろん大学院生はそんな研究室になんか行きたくない。だから行かない。
中西部あたりの普通のラボでは大学院生がこなかったら研究がすすまない。研究がすすまないからデータがでない。データがでないから論文がでない。論文がでないから研究費がとれない。研究費がとれないからテニュアがとれない。。。
特に生命系だと研究費の獲得が研究出来るか出来ないかの条件になる。
だとすると、テニュアとってようが研究費とれなかったら研究ができない。学問に集中できない。
そして、研究費はアメリカ国民の税金から賄われているから国民の利益に還元する必要がある。そのとき自分のやりたい研究というものは関係ないのだ。
もちろん、現実的にはすりあわせていくものだけども。
しかし伝統的に?テニュアをとるとバーンアウトしてしまう人がいる。
学生もそれを指摘していて、テニュアとったのに週1日しか学校に来ない教授がいるじゃないか。と。
ああいうのがいるから若手のテニュアが厳しくなるんだ。去年なんて、ここでテニュアの条件が厳しいからって大学うつった若手PIがいたよ。どこにいったとおもう?ハーバードだよ。同じ厳しいならハーバードのほうがいいって。
テニュアがあるから悠々自適な”科学者”をやっていけるんだ。
と、まぁ、日本でも聞いたことあるような話をしていた。
しかし一方でテニュアとってもペースを落とさず研究にまい進するPIもいる、うちのボスのように。
彼らは大学にとっても学生にとってもプラスなのだ。そして、重要なことは彼らはテニュアがなかったとしても雇用され続けるということ。だって研究費をバンバンとってくるのだから。
学生たちはテニュアというのはlazyになるための資格にすぎない、と厳しいこといってたけど、理解できなくもない。
でも、あれだけとるの厳しいんだから少しは楽させてよって思うし、そう伝えたら、らくしたかったらアカデミアに残らなければいいんだよ、と、もう正論ストレートパンチでぶっ飛ばされた。
一方で、大学側はリサーチに強い教授よりも教育に強い教授を増やそうとしている。
これももっともな話で、研究費をとれないんだったら、教育に貢献してくれたほうがよっぽど社会の役に立つという考えなのだろう。
この大学でもファカルティを増やすといってるけど、教育に重視したファカルティを増やすらしい。
同僚ポスドクはこの大学も教育大学に墜ちていくのか、嘆かわしい、と言ってたが、でも州立大学なら州民に還元すべきで、研究費もとれず、いつ役に立つかわからない基礎研究が好きな研究者なんかより、教育に熱心で良い人材を生みだす研究者のほうがいいのだろう。
一昔前なら研究費をそれなりにとれたので、研究に特化した教授も研究費の一部が大学にいくから大学にも得があった。
でも、これだけ研究費がとれないと大学にとってお荷物になるのだ。人件費はかわらないのだから。
さすがにテニュア廃止という声は僕はきいたことないけど、テニュアがない国はたくさんあるし(日本もそうでしょう)それでやってこれてるんだから、ハーバードとか有名大学がテニュア制廃止したら根こそぎそうなりそうだけどねぇ。
そりゃ、廃止させたくないけどお金がないんだからしょうがないんじゃない?ってなりそうな。
反対する人に、じゃぁあなたテニュアとったら研究費をとらなくなるの?とり続ける自信があるんだよね?だったらテニュアなくても雇用され続ける自信があるんだよね?ってきいたら無言になるんじゃないかなぁ。
日本でもテニュアトラックの先生方と話したことあるけども、殆どの人が日本ではうまくまわってないといっていた。
そういう文化がないからと言われたけども(だから既得権益を守るために利用されているだけなのかもしれない)、そもそも今の時代はテニュア制度があってないのかな。
そんな感じもした。
それはテニュアの厳しさやその意義についてだった。
テニュアというのは終身雇用資格とも言われる。
Tenure (academic) - Wikipedia, the free encyclopedia
テニュア - Wikipedia
日本でもテニュアトラック制をはじめていて頻繁にその言葉を聞く制度だ。
そもそもテニュアというのは雇用者である大学からの圧力に影響しないよう、自由に研究できる権利、つまり雇用資格を大学から乖離させようということではじまったらしい。由緒正しいというか、素晴らしい考えだ。
だから、大学の不利益になるような研究であっても、それが学問的正義であれば失職の心配なく研究できる。
ま、でも今ではただ単に失職しない安定したポジションということになっているけども。
でも、このテニュア制度はぐらついてきていると僕は感じている。
すでに多くの学生が指摘しているのだけども、テニュア取得が厳しい。テニュアの条件自体はひょっとしたら変化がないのかもしれない。しかし、研究費が削減されまくってなかなか研究費がとれない。なので、条件をクリアできない。
その結果、若いテニュアトラック上のPIはとにかく研究費をとるために論文を欲しがる。論文を出すためにデータを欲しがる。データを得るためにポスドクや大学院生をプッシュする。その結果、学生は絶えず教員のプレッシャーにさらされた大学院生活をおくることになる。。。
もちろん大学院生はそんな研究室になんか行きたくない。だから行かない。
中西部あたりの普通のラボでは大学院生がこなかったら研究がすすまない。研究がすすまないからデータがでない。データがでないから論文がでない。論文がでないから研究費がとれない。研究費がとれないからテニュアがとれない。。。
特に生命系だと研究費の獲得が研究出来るか出来ないかの条件になる。
だとすると、テニュアとってようが研究費とれなかったら研究ができない。学問に集中できない。
そして、研究費はアメリカ国民の税金から賄われているから国民の利益に還元する必要がある。そのとき自分のやりたい研究というものは関係ないのだ。
もちろん、現実的にはすりあわせていくものだけども。
しかし伝統的に?テニュアをとるとバーンアウトしてしまう人がいる。
学生もそれを指摘していて、テニュアとったのに週1日しか学校に来ない教授がいるじゃないか。と。
ああいうのがいるから若手のテニュアが厳しくなるんだ。去年なんて、ここでテニュアの条件が厳しいからって大学うつった若手PIがいたよ。どこにいったとおもう?ハーバードだよ。同じ厳しいならハーバードのほうがいいって。
テニュアがあるから悠々自適な”科学者”をやっていけるんだ。
と、まぁ、日本でも聞いたことあるような話をしていた。
しかし一方でテニュアとってもペースを落とさず研究にまい進するPIもいる、うちのボスのように。
彼らは大学にとっても学生にとってもプラスなのだ。そして、重要なことは彼らはテニュアがなかったとしても雇用され続けるということ。だって研究費をバンバンとってくるのだから。
学生たちはテニュアというのはlazyになるための資格にすぎない、と厳しいこといってたけど、理解できなくもない。
でも、あれだけとるの厳しいんだから少しは楽させてよって思うし、そう伝えたら、らくしたかったらアカデミアに残らなければいいんだよ、と、もう正論ストレートパンチでぶっ飛ばされた。
一方で、大学側はリサーチに強い教授よりも教育に強い教授を増やそうとしている。
これももっともな話で、研究費をとれないんだったら、教育に貢献してくれたほうがよっぽど社会の役に立つという考えなのだろう。
この大学でもファカルティを増やすといってるけど、教育に重視したファカルティを増やすらしい。
同僚ポスドクはこの大学も教育大学に墜ちていくのか、嘆かわしい、と言ってたが、でも州立大学なら州民に還元すべきで、研究費もとれず、いつ役に立つかわからない基礎研究が好きな研究者なんかより、教育に熱心で良い人材を生みだす研究者のほうがいいのだろう。
一昔前なら研究費をそれなりにとれたので、研究に特化した教授も研究費の一部が大学にいくから大学にも得があった。
でも、これだけ研究費がとれないと大学にとってお荷物になるのだ。人件費はかわらないのだから。
さすがにテニュア廃止という声は僕はきいたことないけど、テニュアがない国はたくさんあるし(日本もそうでしょう)それでやってこれてるんだから、ハーバードとか有名大学がテニュア制廃止したら根こそぎそうなりそうだけどねぇ。
そりゃ、廃止させたくないけどお金がないんだからしょうがないんじゃない?ってなりそうな。
反対する人に、じゃぁあなたテニュアとったら研究費をとらなくなるの?とり続ける自信があるんだよね?だったらテニュアなくても雇用され続ける自信があるんだよね?ってきいたら無言になるんじゃないかなぁ。
日本でもテニュアトラックの先生方と話したことあるけども、殆どの人が日本ではうまくまわってないといっていた。
そういう文化がないからと言われたけども(だから既得権益を守るために利用されているだけなのかもしれない)、そもそも今の時代はテニュア制度があってないのかな。
そんな感じもした。
- 関連記事