昨年10月にアーセナルのジャック・ウィルシャーの喫煙が発覚した時、世間は騒ぎ、プロフットボーラーとしてのあり方が議論された。しかし、ある調査によると、今ほどタバコの害が叫ばれていない時代、フットボーラーの喫煙はかなり一般的で、名だたる有名選手たちも長年の愛煙家だったようだ。英国の専門誌『FourFourTwo』がフットボーラーと喫煙の関係に迫る。
■驚くべき過去の真実、選手が喫煙する日常
「大人の男としてタバコを吸いたいと感じているフットボーラーがいれば、ぜひ『Wix』をお薦めしたい。喫煙が体に悪いという批判は『Wix』には当てはまらない。僕も吸い続けているが、ノドにも全く影響がないし、シュートを打つ時の集中力も衰えない。フレーバーも格別。最高の一本だ」(ウィリアム・ラルフ・“ディキシー”・ディーン、1927年のタバコ広告にて)
今シーズンの序盤、アーセナルがチャンピオンズリーグ・グループステージのナポリ戦で勝利を収めた後、ジャック・ウィルシャーがロンドンのナイトクラブの外でタバコを吸っている姿を目撃された。イングランド代表選手が煙をくゆらす姿は紙面を大きく賑わし、思いがけず、サッカー界における喫煙の問題に火をつけた形だ。だが、その楽しみに浸ってきた選手は彼が初めてではない。
ヨハン・クライフ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・マラドーナといったスター選手も喫煙者だった。ウィルシャーは批判に対して、ツイッターにジネディーヌ・ジダンがタバコを吸う写真をアップし、「念のため言うと、僕は喫煙者じゃない」とつけ加えている。ちなみに、ウィルシャーのチームメートであるメズート・エジル、そしてイングランド代表のアシュリー・コールやウェイン・ルーニーも、「一服中」のシーンを撮られたことがある。
過去のサッカー界には、多くの喫煙者が存在した。実際のところ、1950年代までは、ほぼすべての選手とサポーターがタバコに火を灯していた。しかし、医学的研究と強力な嫌煙活動により、今日の我々はタバコの危険性について知りすぎている状況といえる。喫煙がもたらす病気については枚挙にいとまがないが、よく知られているものには、肺がん、心臓病、肺気腫があり、その他のがんや呼吸器、消化器、循環器疾患についてもタバコの影響が取り沙汰されている。イギリスでは毎年約10万人が、タバコが原因で亡くなっているという数値も発表されている。
タバコの短期的な影響として、運動時のパフォーマンスに影響があるという結果が出ている。気道を狭くし、心拍数を上げ、血中の酸素濃度を下げることから、運動機能に悪影響を及ぼすといわれている。タバコを1本吸うと気道抵抗(空気が肺に達するのを妨げる作用)が3倍に増大するとの研究結果もある。タバコはまた、勃起不全ももたらす。これらすべてが、フットボーラーにとっては心配の種となるはずだ。
サッカー界におけるタバコの歴史は、喫煙に対する社会の態度や認識の変化と大きく関わっている。喫煙の危険性に関する認識が世間で高まるにつれ、社会での許容度はみるみるうちに下がっていった。今や喫煙はほぼすべての公共の場所で禁止され、スモーカーはますます肩身の狭い思いを抱くようになっている。
フットボールの人気が高まり、視聴者層が広がりを見せるにつれ、選手は有名人であり模範的な人物となるべき、と考えられるようになった。大衆やメディアが見つめる目はますます厳しく、クラブ、スポンサー、ファンに対する責任を負うようになったのである。ウィルシャーの騒動の後、アーセン・ヴェンゲル監督は、「サッカー選手であるということは、社会の規範にならなければならないということを意味する」と主張している。
フットボールの歴史において、タバコは常に存在してきたと言っていい。1872年にグラスゴーで行われた初の国際試合、スコットランド対イングランドの光景を描いたスケッチには、ボールで軽く足慣らしをしながら、パイプやタバコをくゆらす選手の姿が描かれている。1890年代に行われたイルフォードとテムズ・アイアンワークス(現在のウェストハム)の試合を取材した記者は、「私は嫌煙家ではないが、試合中にGKがタバコをくわえ、ラインズマンがパイプをふかしているのはいかがなものかと思う」と記している。
当時は喫煙が与える悪影響について十分に認識されていなかった。だが、タバコの持つ弛緩・鎮静作用が選手にとってプラスにならないことは知られていた。モンタギュー・シーマンは1887年の著書『陸上競技とフットボール』の中で、スポーツ選手の禁煙の必要性を説いている。「タバコの持つ作用は、運動機能の発達とは全く相いれないものだと考えられる。トレーニング中のスポーツ選手に麻酔効果は必要ないし、精力的な活動が必要な時にリラックスさせるような物質は、運動目的では害しか与えないはずである」
昔のフットボーラーは大半が喫煙者だったが、試合前に本数を減らす必要性についてはほとんどの者が認識していた。ビッグマッチの朝にタバコを禁止したクラブも存在したぐらいである。まだ、ノンスモーカーのほうが珍しかった時代にだ。
スコットランド代表としてもプレーしたエヴァートンのFWアレックス・ラッタはタバコを全く吸ったことがなく、驚きの目で見られていた。1889年、ノーザン・エコー紙のコラム『更衣室のひとコマ』では、同年のサンダーランド所属選手の中には少なくとも7人のノンスモーカー(そして6人の酒を飲まない選手)がいたことが紹介されている。この驚くべき“節制率” の高さは、サンダーランドにとってプラスに働いたようだ。タレント集団と評された
当時のサンダーランドは、その後の数年でリーグを3度制している。
■拡大の一途をたどったタバコビジネス
フットボール創世期のファンは、ヘビースモーカーで満ち溢(あふ)れていた。スタジアムの観客の様子を記録した初期の映像には“蒸気機関車のように煙を吐き出す”群衆で溢れた客席が映っている。タバコ業界はフットボールの人気に乗じ、タバコの宣伝を仕掛けた。タバコ屋のウインドーでスコア速報を表示し、客の関心を惹(ひ)いたのである。店先には愛するチームの情報を求める市民が群がった。当時はこんな新聞広告もあった。「フットボールの最新情報を知りたい方は、タバコ商のジョージ・イッドンまでお電話を。毎週土曜日にリーグの結果をお知らせします」
フットボールの人気の高まりは、タバコの台頭と時期を同じくしていた。大量製造の紙巻きタバコが最初に出回ったのは1860年代。FA(イングランドサッカー協会)が初めてサッカー競技規則を制定した1863年のことだ。それ以前のタバコはパイプやシガーで吸われていたが、経済的で便利な選択肢として紙巻きタバコが登場。1900年までにタバコの販売本数は年間44億本まで伸び、工場が全国の至るところに存在するようになった。
紙巻きタバコとともに、シガレットカードも誕生した。これはタバコの箱に挿入するボール紙製の補強材で、コレクションカード的なプリントが施されていた。マンチェスターの企業『Marcus & Co.』がタバコの箱に初めて“フットボールカード”を封入したのは、1896年のことだ。その後、他の企業も続々と追随。カードは子どもたちの間で人気が爆発し、新たな入荷を求めてタバコ屋の前には行列ができた。驚くかもしれないが、英国では1908年まで、子どもにタバコを売るのは完全に合法だったのである。
パイプからシガーへ、そして紙巻きタバコへの変遷は、スモーカーの健康に大きな影響をもたらした。紙巻きタバコを保存し、結束し、味を改良するために、製造業者は様々な有害物質を添加したのである。ニコチンやタールだけではなく、紙巻きタバコには、ヒ素、ホルムアルデヒド、一酸化炭素、シアン化水素、放射性元素ポロニウム210といった、約4000の化学物質が含まれている。しかし、紙巻きタバコの全盛時には、一般の人々はこの事実をほとんど知らなかった。喫煙が肺がん(当時、着実に増加していた)と関係している可能性を指摘したのは、1912年のアイザック・アドラー博士が最初である。しかし、当時はその関連性を証明することができず、選手もファンも、タバコを吸い続けた。
サッカー界にタバコを持ち込むことを拒否した先駆者の一人が、アーセナルの監督、ハーバート・チャップマンである。当時のDFエディー・ハップグッドはこう振り返る。1927年に初めてチャップマンに会った時、若い彼が耳にした言葉は「酒は飲むか? タバコは?」というものだった。ハップグッドは正直に「両方ともしない」と答えると、指揮官の次の言葉は「それはいい。契約書にサインをもらおうか」というものだった。ウォルヴァーハンプトンの監督、メジャー・フランク・バックリーも選手の喫煙を禁止し、街中でこっそりたしなむ選手を見つけた時は連絡するようファンに頼んだほどだ。
チャップマンもバックリーも、イングランドフットボール史上最も多くの得点を決めたディキシー・ディーンとは契約しなかった。ディーンは“歩く煙突”と呼ばれた選手で、冒頭の『Wix』や『Carreras Club』といったいくつかのタバコブランドの広告塔でもあった。喫煙を薦める選手の中には“ドリブルの魔術師”、スタンリー・マシューズも含まれていた。彼自身はタバコをくわえたことがなかったにもかかわらず、である。ブラックプールで長年活躍したマシューズは、1950年代の広告で「最高の名誉を手にした選手」と評され微笑んでいる。イングランド代表のユニフォームを身にまとい、指にはタバコ。「ノドに優しい、満足感溢れるシガレット。『Craven‘A’』は最高さ」という宣伝文句がうたわれていた。
サッカー界最大の愛煙家には元ニューカッスルのFWジャッキー・ミルバーンも含まれる。比較的安い年俸の埋め合わせとして、クラブ首脳は選手にタバコを支給。「遠征の時は行きに一箱、帰りに一箱、渡された」とミルバーンは当時を振り返る。「私は常に少し余分に持っていた。ジョージ・ロブレドが吸わなくて、いつも私にくれたからだ。チームでは9人が吸っていた。ウェンブリーで3度カップ戦の決勝を戦ったが、ハーフタイムにはタバコに火をつけたよ。それでリラックスして、最高の結果を残すことができた」
ミルバーンと彼の愛煙仲間は、1951年から55年までにFAカップで3度の優勝を飾った。しかし、後日談がある。ミルバーンは肺がんで亡くなったのだ。現役当時からスピードやスタミナに影響があることは気づいていたようだが、命を奪うとまでは考えなかったようだ。1950年代の終わりまでに、イギリス政府の保健省は喫煙と肺がんの関連性を認め、そこから喫煙率のなだらかな低下が始まった。1950年代にはイギリス人男性の80パーセント以上が喫煙者だったが、1975年には60パーセント台に下がり、2000年には30パーセントとなった。今日では、わずか20パーセントしかタバコを口にせず、サッカー界における喫煙も下火となった。だが、それを意に介さない有名選手も存在する。<後編に続く>
(文 ポール・ブラウン)
<後編>は4月22日の配信を予定しています。
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