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国内政治

失われた十五年を取り戻せ


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せきおか ひでゆき
 昭和36年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)に約14年間勤務し、退職。平成13年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。以後、ノンフィクション作家として活躍。平成19年より現職。著書に『なんじ自身のために泣け』『拒否できない日本』『奪われる日本』『大川周明の大アジア主義』『目覚める日本』など。共著に『国富消尽』など。


拓殖大学日本文化研究所客員教授 
関岡英之 さん
※『日本の息吹』21年5月号より

参院での与野党逆転以来、ねじれ国会、支持率低迷に悩む麻生政権。西松建設献金事件で揺れ動く小沢民主党。しかし、本当に大事な政争は、麻生自民対小沢民主党ではない。いま、小泉構造改革を継承するのか、見直すのか、その重大な岐路に我々は立っているのである。今こそ真正保守の出番だ!


●麻生・小泉・小沢の三つ巴の闘争

 今年は天下大乱の年になりそうですね。しかしそれは自民党対民主党、「麻生」対「小沢」という政権交代が本質なのではない。政権交代より重要なのは「麻生」対「小泉」、つまり自民党内の路線闘争に決着をつけなければならないということです。

いま政界では麻生、小泉、小沢の三つ巴の闘争が繰り広げられている。それは単なる権力闘争ではない。日本という国を今後どう運営していくのかという思想闘争を含んだ対立なのです。

 今年に入って、麻生総理が小泉・竹中の構造改革路線を見直す発言をしている。年初の施政方針演説で「市場原理主義ではだめだ」と明言し、盟友である鳩山総務大臣が「かんぽの宿」入札疑惑を追及し始めた。それに呼応するかたちで麻生総理も郵政民営化について「四分社化には反対だった」と国会で発言した。

 これに対して小泉元総理が二月十日に「怒るとゆーより笑っちゃうくらい呆れた、総理としての資質を問う」とまで現職の総理を批判し、自民党議員を十六人だか集め、一度は自分も賛成した定額給付金について衆議院での再可決を阻止するぞと恫喝した。マスコミはすわ「小泉劇場のリバイバルだ」と小躍りした。

 ところが、その衆議院再議決の前夜に小沢代表の公設秘書が逮捕されたため、マスコミの話題は小沢に集中し、本会議を欠席した小泉元総理の影はすっかり薄くなり、追随したのも元秘書官だった議員ただ一人でした。
これで小泉氏の政治的影響力は完全に絶たれた。西松建設問題は小沢民主党への痛手ばかりが喧伝されるが、興味深いのはこれによって自民党内の反麻生の動きがぴたっと止まったことでした。
中川秀直元幹事長をはじめ反麻生派の多くは小泉・竹中路線の継承者でしたが、それらの動きが封じられた。離党した渡辺喜美議員もすっかり忘れられた存在になった。急落を続けていた麻生総理の支持率も底打ちした。

基本的に望ましい方向に向かっていると私は思います。小泉構造改革路線に決別しようとしている麻生総理の決断は正しい。そう考えています。金融危機に伴う経済不況で、アメリカ自身がレーガン政権以来30年近く国是としてきた市場原理主義の見直しを迫られている今こそ、我が国も構造改革という亡国への道を見直す千載一遇の好機です。

●絶対に許せない医療制度改革

なぜ、小泉構造改革は否定されるべきなのか。小泉氏の政治家としての本質は、総理としての最後の一年間に何をやったかに現れています。郵政解散・総選挙で圧勝した後も小泉氏は一年間総理の座にあった。衆議院では与党が三分の二を超える議席を持ち、参議院でもまだ過半数を制していた。

「造反派」はすべて自民党から追放し、もはや党内には小泉氏に逆らう者もいなかった。やろうと思えば何でも実現できる状況だった。その一年間に、小泉氏がやったことfは何でしたか?

皆さん、覚えていますか?
 同じ一年という総理在任期間に、安倍晋三氏は自民党の結党以来の悲願だった憲法改正のための国民投票法の制定、教育基本法の改 正、防衛庁の省昇格という三つの偉業を成し遂げましたよね。では小泉氏は、権力の絶頂にあった最後の一年間に、いったい何を成し遂げましたか?
平成十八年(二〇〇六年)、自分の内閣にとって最後の通常国会で、小泉氏が「これだけは絶対に通せ」とこだわり、衆議院の委員会で強行採決までして通させたのは、あの「後期高齢者医療制度」を含む医療改革法案だったんですよ。

小泉構造改革というと道路と郵政を思い浮かべる人が多いですが、実は五年五ヶ月もの任期を通じて小泉氏が最も執念を燃やし、国民に最もひどい痛みを与えたのは医療分野での改革だったのです。小泉氏は任期中にサラリーマンや高齢者の医療費の窓口での自己負担分を段階的に引き上げた一方、二度にわたる診療報酬改定で医療機関の受け取り分を引き下げました。これが現在、深刻化している医療崩壊をもたらしたのです。

そしてトドメとして、これまで扶養家族として保険料を免除されてきた人々からも年金からの天引きで保険料を差っ引く「後期高齢者医療制度」や、療養病床(慢性疾患の期入院用ベッド)の大幅な削減を骨子とする医療制度改革を置き土産として残していったのです。

小泉氏が狡猾なのは施行の時期を二年後、つまり自分が総理を辞めた後に設定したことです。
小泉内閣最後の通常国会で医療制度改革法案が可決されたとき、なぜかマスコミはまったく注目せず、二年経って福田内閣のときに施行されるに至って急に騒ぎだしたのです。そのときもこれが小泉氏の置き土産だという事実がほとんど強調されなかったため、小泉氏はいまだに相変わらず国民の人気を保ち、くだらない世論調査で「総理に相応しい政治家」の上位にランクされているのです。

小泉構造改革の本質は、この医療制度改革に象徴されています。それは「小さな政府」を実現するために、政府の財政負担を大幅に削減する一方、そのツケを国民と病院・診療所など医療機関に付け替えることだったのです。その背後には、日本で医療保険のビジネスチャンス拡大を狙う米国保険業界の思惑がありました。
「官から民へ」「民にできることは民にやらせろ」というのは医療保険についてもあてはまるのです。ただしこの場合の「民」は日本国民の「民」ではなく、米国系やオリックスなど内外の民間保険会社の「民」のことだったのです。

米国では民間医療保険が主流で、公的保険では国民の四分の一しかカバーされていません。
医療保険を「民」にやらせるとどうなるかは、マイケル・ムーア監督の「シッコ」というドキュメンタリー映画で如実に描かれています。マイケル・ムーアはまぎれもない左翼ですが、そもそも医療の問題に関しては右も左も関係ありません。
医療に市場原理を許容するのかしないのか、許容したらどうなるのか、ということが問題なのです。もしも我が国の行く末を本当に憂いている国士なら、保守といえども虚心坦懐に「シッコ」を観て、真剣に考えをめぐらすべきではないかと私は思います。予備知識が無いと少し難しいかもしれませんので、「正論新風賞」受賞者で精神科医の和田秀樹先生と私の対談本『「改革」にダマされるな!』(PHP研究所)をお読み頂ければと思います。

 我が国は高齢化が進むために、医療にかかるお金(国民医療費)自体はどんどん増え続けていきます。
その中で政府の負担だけを削減するということは、要するに国民の負担を重くしていくということにほかなりません。でもそれは国民が「自己責任」で解決しなさい、不安なら民間保険会社の医療保険をお買いなさい、保険料が払えない人はお荷物だから早く死になさい、というのが小泉構造改革の基本的な考え方です。

 小泉氏が老獪なのは、「改革は痛みを伴う」とは明言したものの、なにがどうなるか、具体的な説明はいっさいせず、いつもわかったようなワンフレーズで国民を煙に巻きながら強引に「改革」を推し進め、既成事実をどんどん積みあげてきたことです。

だからよほど注意して見ている人でないと気がつかず、あとになって知ってきりきり舞いさせられるわけです。本当にしたたかな政治家です。保守論壇の大御所のなかにもいまだに「小泉氏は素晴らしい指導者だった」とあの人気に迎合している人がいますが、国民はいい加減、目を覚まさなければ馬鹿をみるだけです。

 なにしろあの郵政総選挙の投票日当日に「小泉首相はこれまで見たこともない指導者だ(中略)単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」とお追従丸出しの社説を書いたのが、日本破壊を喜ぶ朝日新聞だったという事実を我々は断じて忘れてはなりません。

構造改革によって、私たち日本人は幸せになったでしょうか?
 経済問題や医療問題を苦にして自殺する人が年間三万人を超える事態が十年以上も続いています。親が子を、子が親を殺し、あるいは理由もない無差別大量殺人事件が横行しています。働きたくても正社員になれない若者がたくさんいるのに、小泉構造改革の継承者を自認する中川秀直元幹事長のような政治家は、一千万人もの移民を日本に入れようと画策しています。地方の商店街は「シャッター通り」となり、いまそこを中華街に改造すべく、華僑資本や中国のソブリン・ファンドが狙っています。対馬もいつの間にか韓国資本に買い占められています。
 拉致問題や歴史認識の問題ももちろん重要ですが、こういう経済問題に関して警鐘を乱打しても、保守陣営からなかなか反響が返ってこないのは実にさびしい限りです。

●郵政民営化の狙いも保険だった


郵政民営化の背後にも米国保険業界の圧力が関係していました。平成七年(一九九五年)の米国政府の「年次改革要望書」に「郵政省のような政府機関が、民間保険会社と競合する保険業務を営むことを禁止すること」とはっきり書いてあります。
この年、日本の保険業法が改正され、民間保険業界に市場競争原理が導入されました。その結果、日本の中小の生命保険会社九社が経営破綻、あるいは経営危機に陥り、次々と外資に買収されていきました。こうして日本の民間保険会社を傘下に収めた米国の保険業界が次に目をつけたのが郵便局の簡易保険だったのです。

米国は郵政三事業のうち、郵便事業についてはほとんど関心を示していなかった。米国でも郵便事業はまだ国営だからです。
米国の関心は当初から郵貯二百二十兆円、簡保百三十兆円のカネ、金融部門、とりわけ簡保に集中していた。預貯金は短期資金だが、保険は長期性資金です。保険会社は長期性資金の集金マシンなのです。

百三十兆円といえばカナダのGDPに匹敵するが、政府直営では外資は手を出せない。そこで三事業一体だったのをあえて四分社化し、郵貯と簡保というカネの部分を市場で売却するというのが小泉内閣が強引に推し進めた郵政民営化法案の中身でしたよね。市場で売却するというのは要するに株を上場するということです。上場すればどうなるか。かの「ホリエモン」が教えてくれた通りで、「買収されたくなかったら、上場しなきゃいいんですよ」。

これについて郵政民営化法案に反対票を投じたため自民党を追われ、刺客を立てられ議席まで奪われた城内実前衆議院議員が分かりやすい喩えをしました。魚を三枚におろして骨の部分つまり郵便事業は捨ててしまい、おいしい切り身の部分つまり貯金と簡保を米国にどうぞと差し出す、それが小泉内閣の郵政民営化法案だったと。

城内さんをはじめ、法案に反対した自民党議員たちは民営化そのものに反対していたわけではない。しかし三事業一体でまず公社化し、その後民営化する、というのが共通認識だった。そこへ突然、何の説明もなく四分社化し、カネの部分だけはできるだけ早く上場するという奇怪な法案が出てきたために、反対する以前にまず「なぜだ?」と説明を求め、議論しようとしたわけですが、小泉官邸サイドはなぜか与党との協議に一切応じようとせず、一字一句たりとも修正を拒むという不可解な姿勢を示したわけです。

では、なぜ四分社化してはならないか。
 我が国は国土の四分の三が山地の山国であり、私たちは山地の中に点在する小さな平野や盆地で暮らしてきました。また、『古事記』が島々の創世から説き起こされているように、我が国はまわりを海で囲まれた島国でもあります。人が暮らしている島だけで七千もあります。そうした国土で、葉書一枚50円、封書一通80円の全国均一料金というのは市場原理では絶対に不可能です。都内で「ホリエモン」が村上ファンドの社長に出す葉書は40円、離島のおかあさんが都会に働きに出た息子に出す葉書は120円、というのが市場原理です。

しかしそれではいけない、と考えたのが私たちの父祖たちです。都会に住む母親も、盆地や離島に住む母親も、息子に手紙を出したい気持ちは同じである。そこに経済の論理を持ち込んではいけない。こうして我が国の国民は、日本というひとつの共同体の成員として一体感、帰属意識を育んできたのです。郵便事業は当然赤字になる。これに税金を投入しなくてもいいように、採算の良い金融事業も併営する。郵便局のネットワークを活用して貯金と簡保というサービスを国民に提供しながら、郵便事業のコストを賄う。

郵政民営化担当大臣になった竹中平蔵氏は、これを強制的に遮断しなければならないと四分社化に拘泥したが、いったいどこがいけないのか。私たちの父祖たちがあみだした智慧の結晶とも言える素晴らしい制度をなぜ壊すのか。しかし小泉・竹中氏は、それが米国政府の要望に基づくプランであることは一切説明せず、ただ「イエスか、ノーか」と私たちに回答するよう迫ったのです。

国民の代表として、これに異議を唱え、是正しようとした良心的な自民党議員は小泉官邸によって「抵抗勢力」「守旧派」「族議員」という誤ったレッテルを貼られ、それに便乗して「小泉劇場」で視聴率や購読部数を稼ぐことに狂奔したマスコミの餌食にされ、徹底的にバッシングされ、多くの有為の人材が議席を奪われ、小泉氏への忠実さだけが取り柄のような小泉チルドレンを大量に当選させたわけです。これが四年前の郵政解散・総選挙で起きたことの本質です。

 いま、「かんぽの宿」売却疑惑が問題になっています。私たちはこれを断じて見過ごしてはいけない。立派な土地建物を二束三文で売り払い、それを安値で手に入れ転売して儲けようとしていたのが政府の会議の座長として構造改革を推し進めてきた張本人だったのですからひどい話です。そもそも利害が抵触する一私企業の経営者が長年、経済政策の決定プロセスに容喙してきたことの是非自体が問われるべきです。

国有資産が売却されるときには古今東西を問わずよくこういう事件が起きるものです。明治十四年の政変のきっかけとなった北海道開拓使官有物払い下げ事件では、黒田清隆長官が同郷薩摩出身の五代友厚に不当な安値で払い下げようとしたが、明治の父祖たちはそんな不正を許しませんでしたよね。

当時日本にはまだ帝国議会がありませんでしたが、明治の父祖たちは言論の力で不正を阻止し、払い下げは中止に追い込まれ、藩閥政治の弊害が厳しく糾弾され、ついには明治政府が国会開設の詔を出すに至りました。払い下げ事件が政治の方向を大きく変え、我が国が近代国家として脱皮する、国のあり方さえ変えるきっかけになったのです。

もしいま国民の資産を一私企業に不当な安値で売り渡すようなことを許したら、私たちは明治の父祖たちに顔向けできませんし、百年後の子孫たちから平成の日本人はいったい何をやっていたんだと軽蔑されるでしょう。「かんぽの宿」問題をよくあるスキャンダルだと片づけるのではなく、郵政民営化の本質とはそもそもなんだったのか、本当に私たち草の根の国民のためだったのか、あるいは誰のために強行されたのか、真摯に省察するきっかけにしなければならないと思います。

●小沢と小泉は同じ穴のむじな

三つ巴の闘争のもう一人の当事者、小沢一郎氏はなぜ否定されなければならないか。
小沢氏は、いまは選挙で勝つためにリベラルに偽装転向していますが、骨の髄からの市場原理主義者です。十六年前に刊行した著書『日本改造計画』(平成五年刊)と近年の著書『小沢主義』(平成十八年刊)を読み比べてみると、両方に共通して出てくる有名なエピソードがあります。アメリカのグランドキャニオンに行ったら感動した、あの断崖絶壁には保護柵もなければ注意を促す看板もない、自己責任が徹底されている、だから米国は素晴らしいと。つまり小沢氏は本質的には小泉氏と同じアングロサクソンの申し子なんです。小沢氏の新旧の著作のどこを読んでも我が国の歴史や文化に対するしみじみとした愛情はいささかも感じられません。あるのはアングロサクソン・コンプレックスばかりです。

実は小泉氏がやったことの多くは、小沢氏が著書で提唱していたことだったんです。古いタイプの政治評論家は角福戦争以来の怨念を強調しますが、永田町の素人である私の目から見れば小泉氏と小沢氏は本質的には同じ思想、同じ体質の政治家ではないかと思います。小沢氏は平成五年(一九九三年)に自民党をぶっ壊し、非自民連立政権を作りました。その背後にはこの年に発足した米国のクリントン政権の後押しがありました。

小沢氏の造反により宮沢内閣不信任が可決され、衆議院が解散され総選挙の真っ最中に初来日したクリントン大統領は、各地で自民党政治を徹底的にこき下ろす一方、野党として選挙戦に参戦していた新生党の羽田孜党首や小沢氏と接触するなど露骨な介入工作を展開しました。それは外国記者クラブでイタリア人記者からクリントンがたしなめられるほどひどい選挙干渉でした。その一週間後の選挙で自民党が惨敗し、小沢氏が仕掛けた非自民連立の細川内閣が発足し、構造改革路線を打ち出しました。

私はこれこそが我が国の政治、経済、社会が混乱を極める不毛な時代の始まり、諸悪の根源だったと思います。その翌年、社会党党首の村山内閣のときに「年次改革要望書」や「対日投資会議」といった現在も続く「米国主導の日本改造計画」の枠組みがスタートしています。細川内閣や村山内閣ができるぐらいなら、自民党単独政権が続いていたほうがましだったと悔やまれてなりません。

当時はソ連崩壊直後で、我が国も冷戦終結後の新たな国家戦略を構築する必要がある重要な時期であったにもかかわらず、貴重な時間を空費してしまい、気がつけば我が国は、構造改革という名の米国主導の日本改造計画にしっかり組み込まれていました。その最大の責任は、クリントン政権の手先となって自民党をぶっ壊し、細川・羽田内閣を牛耳っていたずらに日本を混乱させた小沢氏にあると思います。
いま、ブッシュ政権の軍事、経済の両面にわたる大失政によって米国の一極支配が崩壊する一方、中国、インド、ロシア、ブラジルなどが台頭し、G20など新たな国際秩序が模索され、我が国も米国一辺倒から脱却し、独自の国家戦略を構築しなければならない重要な時期にあります。この重要なときに、またしても小沢氏に権力を委ねる愚を繰り返すことは絶対に避けなければなりません。小沢民主党はもちろん、小泉構造改革の継承を掲げる中川秀直元幹事長のような政治家にも、二度と権力を渡してはいけない。三つ巴の闘争の勝者は麻生太郎氏でなければならないと思います。

ただ、麻生総理も構造改革路線からの脱却を真剣に考えておられるのは間違いないと思いますが、それを少しでも打ち出すとたちまちマスコミの集中砲火を浴びるため、なかなか明確に舵をきることができないもどかしさを禁じ得ません。閣内では鳩山総務大臣が郵政民営化の闇を解明しようと孤軍奮闘しておられますが、本来、政権を支えることができる有為の人材が国政の中枢から遠ざけられています。それは四年前、小泉氏に逆らって自民党を離党した平沼赳夫氏や城内実氏といった政治家たちです、彼等こそ真の保守政治家、真に国益を最優先する憂国の志を持ち、いかなる圧力にも屈せず信念を貫く信頼できる政治家です。今年、来るべき衆議院総選挙で、この真の保守政治家たちを政権中枢に復帰させることこそ、私たち草の根の保守が果たすべき使命なのではないでしょうか。

(本稿は三月十一日、日本会議経済人同志会での講演の要旨を校正頂いたものです)

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