20XX年「第一回全国民コイン投げ大会」が開催されたとします。
ルールは簡単。毎日一回、午後12時に投げられるコインの裏表を予想し、最初に100円を賭けることからスタートし、当たると掛け金が2倍、はずれると終了。
この大会に全国民から一億人が参加したとします。
コインの裏表が出る確率は半々ですから、表と裏におよそ5000万人ずつが賭け、半分が勝ち残ります。
これを10日続けると、(2の10乗=1024)10万人がそれぞれ10万円を手にして勝ち残っている計算になります。
ここからさらに10日が経過するとどうなるでしょうか。なんと20連勝した、約100人がそれぞれ一億円の賞金を手にする計算となるのです。
もしかしたらこの100名は「コイン投げの天才」などと賞賛され、スター扱いを受けるかもしれません。
なかには「ニートだった僕がコイン投げで一億円儲けた必勝法」を出版してベストセラーになるものも現れ、コイン投げの裏表の出目を研究した「テクニカルコイン投げ分析」やコインの重さや材質から結果を予測する「ファンダメンタルズコイン投げ分析」をレクチャーするセミナーが開催され、本や雑誌が出版されるかもしれません。
あるいはどこかのお母さんが「コイン投げの天才の育て方」という本を書いてミリオンセラーになっているかもしれません。
さらにはどこかの科学者が「コイン投げの分析には科学的根拠がない」などと言うのに対して「私は実際に20連勝した」といった論争がはじまるでしょう。
しかしこの100人の勝者がたまたまものすごく運が良かっただけであることはいうまでもありません。仮に「第2回全国民コイン投げ大会」が開催されれば、20日後には第一回での勝者のほとんどあるいは一人残らず敗退し、新たな100名のものすごく運の良かった人が登場することになるでしょう。
なぜこのコイン投げの話をしたかというと、実際に書店などに行けば投資本などを中心に「コイン投げで一億円儲けた必勝法」とほぼ同様の本がずらりと並んでいるからです。
コイン投げで勝った人間の声で溢れているのです。
その一方で負けた人間の声が出てくることはほとんどありません。誰もそんなものは求めていないからです。見たくないし、聞きたくないからです。
だからこそ、人は情報を正しく判断することが出来ません。身に余る欲望を持って市場に参入し退場する人は後を絶ちません。
100人の勝者の裏側には99999900人の敗者がいるにも関わらず、あたかもその100人の声が正しいかのように錯覚してしまいます。もちろんこれはギャンブル系の雑誌や投資本に限った話ではないでしょう。
全国民コイン投げ大会では必ず誰かが勝者になりますが、その勝つ方法には何の再現性もありません。
皮肉なことにこのコイン投げの話をしたのは長者番付で一位になったこともある投資家のウォーレン・バフェットです。
バフェットに関する本は多いですが、ほとんどの人がバフェットになることが出来ないのは株式投資は本質的にはギャンブルだからです。