河野談話検証 元慰安婦16人聞き取り調査非公開の疑問 体験記を出しているのになぜ公開できないのか?(3/19の続きですが、その前に以下の報道に対する疑問を一言。

「河野談話の検証次第で政府が新談話も」
3月23日 12時53分NHK
いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、政府の謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話について、安倍総理大臣は今月14日の参議院予算委員会で、「安倍内閣で河野談話を見直すことは考えていない」と述べています。

これに関連して自民党の萩生田総裁特別補佐は、23日東京都内で記者団に対し、「菅官房長官は、『河野談話の作成過程の検証作業は行う』と繰り返し言っている」と述べました。

そのうえで萩生田氏は、「検証の結果、談話の中身と事実とで違うものがあれば国民に知らせるべきで、新たな談話を出すことは全然おかしくない」と述べ、河野官房長官談話の作成過程を検証した結果、事実と異なる部分が明らかになれば、政府が新たな談話を出すことはあり得るという認識を示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140323/k10013172921000.html

まず、河野談話は、冒頭に、

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

とあるように、平成5年8月4日という一定時点での「いわゆる従軍慰安婦」に関する政府の調査発表とそれに対する官房長官の見解(=政府見解)を表明したものです。そして、 

なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

と〆られており、訴訟や研究の結果によっては、追加発表があると見る方が自然な結びとなっています。

にもかかわらず、まるで科学の定理か宗教の原理がごとく、見直しや検証をしてはいけないという方がおかしいと思うのです。

よって萩生田氏の、検証の結果、談話の中身と事実とで違うものがあれば国民に知らせるべきで、新たな談話を出すことは全然おかしくない

という発言は、当然のことで、「全然おかしく」ありません。

問題は、それを安倍政権がすることの意味です。

河野談話はその後の内閣から現在の安倍政権に至るまで「継承」されて来ました。しかも、現安倍政権は国会において「継承、談話見直し否定」を明言したばかりです。

安倍さんの忸怩たる思いはわかりますが、もし新談話が、河野談話の事実無根を証明するような爆弾的内容なら、それは事実上の「見直し」なのですから、これを安倍政権が行う事は「見直しをしない」と明言したことがうそだった、ということになります。これは安倍首相の言葉の軽さを証明したことになります。

これでは「新談話」が例え事実に基づいた正しいものであっても、その効力を持ち得ません。

実質的な見直しとなるような新談話は河野談話継承を一度も口にしたことのない政権でなくては無意味です。
河野談話の見直しには、古い自民党を叩き潰す必要があり、これはある意味「革命」です。安倍政権に革命はできません。
いったい、河野洋平や谷野作太郎氏などのキ-マン、その他談話作成に関わった人々、福島瑞穂等々を国会招致することもなく、元慰安婦16人の聞き取り調査の検証もしないのに、どのような「新談話」が期待されるのでしょうか。

単なる調査結果の発表ならば、事実と異なるかどうかに関わらず国民に知らせることは当たりです。むしろ、それをもって、あたかも河野談話を否定できるかのごとき希望的観測を持ち込むべきではないと思います。

とはいえ、これまで封印されてきた検証を「有り」とする苦肉の策は大いに評価し、これを利用したいものです。

おためごかしの検証で終わりにされてはたまりませんから。

案の定、菅さんが否定しましたね。
⇒ 河野談話の検証で新たな談話を出すことはない=菅官房長官

それはさておき
、昨年10月、産経新聞が河野談話の元となった16人の元慰安婦の聞き取り調査報告書を入手したというスク-プがありました。一連の記事を見直して気づいたことがあります。

①「公文書と呼ぶにはお粗末だ」現代史家の秦郁彦氏
2013.10.16 14:59 産経新聞
河野談話の主な根拠が、元慰安婦16人の証言だったことは、河野洋平氏が自認しているところだが、日本政府は調査団がソウルで実施した聞き取り調査報告書の公開を拒んできた。

20年ぶりに陽の目を見たこの報告メモに目を通し、理由が分かったような気がする。身の上、氏名、年齢さえあやふやな慰安婦が多く、公文書と呼ぶには恥ずかしいほどお粗末なものだったからである。

この半年前に安秉直ソウル大教授と韓国挺身隊問題対策協議会が2年がかりで聞き取り調査した慰安婦40人余のうち、信頼性の低い21人分は切り捨て、19人分の結果を刊行していた。ところが、日本政府のヒアリングに韓国政府が差し向けたのは、切り捨て組の面々だったと思われる
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101615020017-n1.htm

②元慰安婦報告書-論理的ではない河野氏の言葉
2013.10.17 12:12 産経新聞
政府はこれまで、聞き取り調査の内容について情報公開請求しても「非開示」としてはねつけてきた。それは名目である個人情報保護のためではなく、実際は中身がずさんなので表に出せなかったのではないか。

本来なら河野談話の主役である河野洋平元官房長官に直接問いただしたいところだ。だが、残念ながら産経新聞の取材は受けてもらえないので、河野氏の言葉を他媒体から引用したい。

日本政府調査団の慎重姿勢に徐々に心を開いた16人が当時、『出所や中身は公表しない』との約束で口を開いてくれた」(平成20年10月8日付読売新聞)

河野氏は聞き取り調査内容を公表しない理由についてこう主張するが、実際には日本での慰安婦賠償訴訟の原告が5人いる。

日本の新聞のインタビューを受けて連載記事で取り上げられた人も、
安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、元慰安婦の「証言集」に収録されている人もいた
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131017/plc13101712140014-n1.htm
慰安婦 2013年10月16日産経新聞
矛盾点を無視、確認せず…河野氏、迫真性あると判断 元慰安婦報告書2013.10.16 10:35 産経新聞

秦郁彦氏は「慰安婦と戦場の性(1999/6)」の中で、河野談話の元となった16人の元慰安婦の聞き取り調査について、ほぼ全員が「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち(1993/11 韓国語版の出版は1993年2月)」に体験記を掲載している19人から選ばれていた、と書かれていましたが、昨年10月の産経の取材内容から、それが間違いであったと判断されていたのですね。
証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち



証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち [単行本]

韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 (編集),
従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク (翻訳)
明石書店1993-11

産経の記事①の秦氏のコメントにある、「元慰安婦の証言集安秉直ソウル大教授と韓国挺身隊問題対策協議会が2年がかりで聞き取り調査した慰安婦40人余のうち、信頼性の低い21人分は切り捨て、19人分の結果を刊行」したものも、②の記事の「安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、元慰安婦の証言集」も、「証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」のことでしょう。

そこで、「証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」を読んでみることにしました。
目次にある証言者の名前を見る限り、産経の記事にある元慰安婦の名前はあまり一致していないようですが、同一人物ではないか、と思える人もあります。(これについては、後日じっくり読んだ後ブログに書こうと思っています)

ところで、この証言集を手に取って、まずパラッと目を通した時、ちょっと想像していたものと違った印象をもちました。
もちろん、巻頭の「解説 軍慰安婦の実相」において、

当時の国際条約に規定されているように「詐欺または、暴行、脅迫、権力濫用、その他の一歳の強制手段」による動員を強制連行だと把握するならば、本調査の19人の場合は大部分が強制連行の範疇に入る。
と同書掲載の19人の証言が日本軍による強制連行の証拠と断じ、 
軍慰安所制度は女性に対する蔑視思想、植民地に対する暴圧的な民族抹殺政策、それに階級問題が複合的に絡まったもので、日本軍国主義国家の強制力によってなされた戦争犯罪の最も端的な象徴である。したがってこの制度の問題点を把握するためには、性・民族・階級・国家の多次元的な資格が必要であり、この制度を実行した主体である日本軍の抑圧的、差別的な特性を明らかにする必要がある。
といったふうに、日本断罪の舌鋒鋭さは容赦なきものではあります。

しかし、実際の証言をながめてみると、ちょっと拍子抜けしてしまったのです。
というのも、さぞや「日帝憎し」の怨念が行間からめらめらと立ち上がってくるような話ばかりかと思えば、そうではなく、どちらかというと、気の毒な女性~当時の貧しい底辺の女性の身の上話に過ぎない、という印象を持ったからです。

「日帝憎し!」の物語というより、その実態は「サンダカン八番娼館」のおサキさんのからゆきさんの話のような色合いに近いのではないか、と感じました。
サンダカン八番娼館 (文春文庫)


サンダカン八番娼館 (文春文庫) [文庫]
山崎 朋子
文藝春秋
2008-01-10



(以前から思っていたことではありますが)、元慰安婦等に対して「うそつきババア」とか「単なる売春婦」という言葉を投げつけることは得策ではないとあらためて痛感させられます。

貧しく、(ほとんど)文盲であるがゆえ、自ら記録を残すこともできず、人に話すことも無く封印されていた彼女らが紡ぐ「記憶」の物語に、事実誤認が多く含まれるのは当然です。

本来は歴史や民族、文化などの研究対象であるべき物語が、日本断罪という目的のために政治的に利用されたことを元慰安婦たちがどこまで認識できていたのか(いるのか)すらはなはだ疑問です。

というのも、この証言集から、彼女らの願いは、苦労話を聞いてくれること、例えば、「とても大変だったんだね」とか「ひどいやつがいたもんだ」と共感してくれる人の存在と、老後生活をもう少し豊かにするお金があればいい、といった至って現実的かつ素朴なものであったのではないかと思えなくもないからです。

とはいえ、彼女らの記憶の物語が「客観的事実」と見なされ、我が邦に切りかかってきたとなれば話は別です。

ここで「証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」にある証言のどこが事実と異なるかといった検証は私にはできませんが、いかに人の記憶があてにならないかということを河順女(故人)という女性の話を例に挙げて見てみたいと思います。

河順女氏は聞き取り調査の16人には入っていないようですが、関釜裁判の原告でしたから「証言~」の話と裁判の証言を比較することができます。そういった内容のブログ記事もネットで拾うことができますが、今回、実際自分で読んで感じたことを記してみたいと思います。
                                             つづく