STAP細胞の問題から飛び火して、早稲田の先進理工学研究科に提出された小保方さんの博士論文に剽窃があるという問題が持ち上がった。と思ったら、どうやら小保方さんだけではなく複数の博士論文に剽窃が、それもものによってはかなり大規模な剽窃があるということがわかって、早稲田の先進理工学研究科は過去の博士論文280編の全調査を始めるのだそうだ。これは大変な話。
剽窃といっても、誰かの研究を盗んだという話ではなくて、論文のイントロ部分。研究論文を書いたことがないかたには、もしかするとその重要性が伝わらず、なあんだと思われるかもしれない。だけど、イントロというのはとてもだいじなところで、そこで自分の研究の歴史的位置づけや価値を主張するのだから、きちんと書かなくてはならない。博士論文の審査でも、研究の背景をきちんと理解しているかとか、自分の研究をきちんと位置づけられているかは問われる。だって、「その研究のどこが新しいの?」っていう質問にきちんと答えられないと困るでしょう? 指導教員に言われた通りに研究するだけなら、誰にでもできるわけで、博士号を貰うからには「言われた通りにやりました」では済まない。だから、背景を自分の言葉で書けるのがとてもだいじなのだ。僕らも普段から「自分が実際に研究した内容を書くのは誰にでも簡単にできる。大変なのはイントロだ」と指導している。実際に書いてみないと、その大変さは実感できないけどね。
そういうだいじな部分のはずなのだけど、今回、早稲田の先進理工学研究科(の一部)で、剽窃が横行していたらしいというニュースを見ると、どうもイントロを「だいじ」と考えない文化を持つ学問分野があるのではないかと思えてくる。大規模な剽窃をしたのがひとりふたりではなかったのだとしたら(ネットで見る限り、ひとりふたりではなさそうだ)、実は「イントロなんか剽窃で構わない」という文化がそこにあったのではないだろうか。僕はもう一歩踏み込んで、そういう指導をする教員が(おそらく複数)いたのではないかという疑念を持っているのだけど、それは今後明らかにされるだろう(万が一にも、先進理工学研究科の調査が単に剽窃の有無の確認だけに終わって、教員の指導体制にまで踏み込まないなんてことにならないように望む)
いずれかの学問分野に「博士論文は自分が研究したことを書きさえすればよくて、背景や位置づけなんかは剽窃で構わない」という文化があるとしたら、それは学問としてとてもまずい。これは先進理工学研究科だけの問題ではないかもしれない。調査がどういう結果になるか、注目している
「まずい」の科学的根拠が知りたいです。