政府が秘密を守る仕掛けを強化したがるとき、そこには必ず不都合な事実が横たわっている。
1970年代初め、日米両国で、国中を揺るがす事件が起きた。「ペンタゴン・ペーパーズ」と「沖縄密約事件」だ。
ペンタゴン・ペーパーズとは、元国防総省調査官だったダニエル・エルズバーグ氏が、ベトナム戦争に絡んだ最高秘密指定の極秘文書を米紙に漏らす。報道の自由をめぐり、大きな一石を投じた事件だ。
同氏から約7千ページに及ぶ文書を入手したニューヨーク・タイムズ紙(NYT)は、長期に及ぶ連載でニクソン大統領のうそを暴き、4人の歴代大統領が失策を隠蔽(いんぺい)し、終わる見込みのない戦争を意図的に奨励した事実を次々と報じていった。
国家の安全保障をおびやかすと激怒したニクソン政権がNYT紙を起訴すると、同紙のライバルのワシントン・ポスト紙も文書掲載に踏み切り、報道の自由を守る戦いに参戦。メディアは一貫して政府の罪を追及し、ニクソン政権は公訴を棄却され、機密漏洩(ろうえい)罪に問われたエルズバーグ氏とNYT紙は「英雄」となった。
対する沖縄密約事件では、毎日新聞の西山太吉記者(当時)が沖縄返還に絡む外務省極秘電文を同省事務官から入手。メディアは西山氏の逮捕を不当とし、報道の権利を主張する論陣を張ったが、東京地検が起訴状に「ひそかに情を通じ」と記述すると、焦点は2人の関係へとすり替わり、文書を漏洩した事務官と西山記者は有罪となった。
国の歴史を変えうる可能性を秘めていた沖縄密約事件は、男女問題に矮小(わいしょう)化され、国民をだました政府の責任は問われず、米軍基地は沖縄に残ったのである。
基準のあいまいな秘密保護法が成立すれば、厳罰を恐れるメディアの自己規制も進むだろう。米軍基地をめぐる不都合な事実は、さらに厚い秘密のベールで覆われることになるかもしれない。(平安名純代・米国特約記者)