ニューヨークの独立放送局Democracy Now!を日本語でおとどけしています
ペンタゴン・ペーパーズ(ベトナム機密文書)を世に出した3人の男たち 2:マイク・グラベル
「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム戦争に関してアメリカ政府がどのように政策決定を行ってきたかを第二次大戦直後からの歴史をたどって分析した国防総省の7000ページにわたるベトナム機密文書の俗称です。そこには米国政府が不拡大を約束しながら、じつはトンキン湾事件をでっちあげて直接介入を始め、北ベトナムだけでなくラオスやカンボジアも爆撃して故意に戦線を拡大したことなど、歴代の政権が国民を欺いて"泥沼"の戦争に引きずり込んでいった経緯が如実に記されています。この最高機密文書の一部を、1971年6月13日ニューヨーク・タイムズ紙がスクープしました。
ニクソン政権は出版差止め命令を出しましたが、ニューヨーク・タイムズ側は聞き入れず、ついに最高裁が政府の命令を違憲とする判定を下すという劇的な展開をたどったことは有名です。このときは、諜報活動取締法や国家反逆罪などをふりかざす政府の脅しにもかかわらず、『ワシントン・ポスト』など他紙も続々と「文書」の公表に踏み切り、大手マスコミが国家に反抗するという前代未聞の事態が起こりました。「世界に類を見ない、公的機関による市民的不服従」 とこれを称えるのは、長期の投獄を覚悟で最高機密文書をリークしたダニエル・エルズバーグです。彼はランド研究所から国務省に出向して「文書」の執筆に参加していました。政府のお尋ね者となり、地下に潜伏しながら文書の公開に奔走したエルズバーグの行動は、信念に満ちた勇気ある行動が周囲の人々を動かしていくことを示しています。
ニューヨーク・タイムズの華々しい快挙に埋もれて、あまり知られていないのが、ビーコン・プレス版の存在です。この当時、アラスカ選出のマイク・グラベル上院議員は徴兵制に反対してフィリバスター(議事妨害)の戦術を取っていました。意図的に議会演説を引きのばして議案の成立を妨げる上院特有の戦術です。この一環として「ペンタゴン・ペーパーズ」を読み上げることをエルズバーグに示唆され、反戦派のグラベル議員は承諾しました。予定の議事妨害演説は阻まれたのですが、別の上院小委員会で強引に読み上げて議事録に残し、結果的に4000ページ余りを政府の公式記録に残しました。
このグラベル議員による公表をもとに、全文の出版に踏み切ったのがビーコン・プレスです。大手の出版社がどこも敬遠する中、このユニテリアン・ユニバーサリスト協会の非営利小出版社は1971年7月出版に踏み切りました。その結果ニクソン政権にらまれ2年半にわたって嫌がらせと脅迫を受け、倒産や刑事訴追の危機にまわれました。予想される困難にもひるまずビーコン・プレスが出版の決断に至ったのは、どのような経緯によるものなのでしょう? 『グラベル上院議員版 ペンタゴン・ペーパーズ』出版の35周年を記念する祝典で、事件の渦中にいた3人の主要人物が、あっと驚くような型破りな展開のなかで各自が果たした役割を披露します。(中野真紀子)
★ DVD 2007年度 第3巻 「2007年8-9月」に収録
トリビア:番組中に出てくるバーブラ・ストライサンドとリンゴ・スターの歌は、1973年にエルズバーグの法廷闘争を支援するために行なわれた資金獲得のためのチャリティーコンサートにちなんだものです。故ジョン・レノンやオノ・ヨーコも参加していたようです。"With a little help from my friend" というリンゴの歌は、この物語を背景に聞くとなかなか味があります
ゲスト
*マイク・グラベル(Mike Gravel):元アラスカ州選出の上院議員(1969-81)で、現在は2008年の米大統領選挙に向けた民主党の大統領候補の一人。その異色の活躍ぶりは、こちらを参照。ベトナム戦争当時は、たった一人で徴兵制の延長に反対して意図的な長時間演説による議事進行妨害の戦術をとり、戦後の徴兵制廃止に貢献した。1971年6月エルズバーグからペンタゴン・ペーパーズのコピーを託され、そのうち4100ページを上院小委員会の議事録に残した。これが後にビーコン・プレスから出版された「グラベル上院議員版」で、最終章はノーム・チョムスキーとハワード・ジンが編集を担当し注釈をつけた。
字幕翻訳:佐藤真喜子
全体監修:中野真紀子