秘密保護法とペンタゴン・ペーパーズ事件の教訓
ニューヨーク・タイムズ社説をなぜ掲載するのか
弁護士 梓澤和幸 2013.11.7
ニューヨーク・タイムズが2013年10月29日、電子版で秘密保護法を厳しく批判する社説(後掲資料参照)を発表した。
論旨がなかなか手厳しい。
全体の主張は後掲英文、訳文を参照していただくとして、次の点が興味深い。
1、特定秘密の定義があいまいなので自分に都合の悪い情報を、政府が秘密指定とすることが可能となる。
2、自衛隊法にもとづく防衛省の秘密指定をみると、その数は膨大であり、秘密が無制限とされる危険が大きい。
3、公務員は萎縮して情報を出さず、メディアも厳罰を恐れ、自由な報道が制約される上、国会議員さえ情報を共有できなくさせる。
4、同時に出ている日本版NSC法(国家安全保障会議法)では、わざわざ中国、北朝鮮の部局が設けられるが、これではアジアに緊張を招く。
この論旨は欧米メデイアと世論に影響をあたえ、日本への国際的警戒感をたかめるであろう。
そうした意味をこめ、資料として英文と訳文を掲載する。
ニューヨーク・タイムズでは、エルズバーグというアメリカ政府公務員の告発により、
ベトナム戦争の真っ直中に7000ページのベトナム戦争に関する 政府文書 Pentagon Papers を暴露した。
連載中止をもとめる政府の要請を断り、差し止め仮処分申請にうってでた合衆国政府としのぎをけずって、
連邦最高裁で差し止め仮処分を却下する決定を獲得した。そして連載を続けた実績をもつメディアである。
(詳しい経過は田中豊著 「政府対新聞」 中公新書参照 この著書は服部孝章立教大学教授のご教示によって知った。古本屋ネットで入手できる。
名著につきご推薦したい。)
政府文書の断固とした公開によって、ニューヨーク・タイムズは歪曲された歴史を正しく書き換え、ベトナム民衆とアメリカの人命を救うことに道を開いた。
秘密保護法は、こうした告発とスクープを著しく困難にする試みである。
以上のような意味を込めて、ここに10月29日付ニューヨーク・タイムズの社説をナマの資料として掲載し、訳文を付ける次第である。
ニューヨーク・タイムズ(電子版)は2013年10月29日付で Japan's Illiberal Secrecy Law と題した社説を掲載した。以下に、全文を訳出する。
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「Japan's Illiberal Secrecy Law」 The New York Times 10/29
「自由を侵す日本の秘密保護法」 (全訳)
日本政府は、日本国民の知る権利を侵害することが予想される秘密保護法の制定に向けて態勢を整えている。
この法律案によれば、政府の全閣僚に、防衛、外交、諜報活動、反テロリズムに関する情報を国家機密に指定する権限が付与される。
だが、ある秘密を構成するものが何であるか、という点に関する指針は示されていない。
この定義の欠落によって、政府がなんらかの不都合な情報を秘密として特定する可能性が考えられる。
この法律案によると、政府当局者には、秘密を暴露する行為を10年間の懲役刑に処すことが可能になる。
こうした条文によって、当局者は、文書の公開に踏み切るよりも、文書を機密扱いにする方向に一層傾斜することになるだろう。
これまでは、防衛省だけが、ある情報を 「防衛機密」 に指定する権限を持っていた。防衛省の記録文書の量は、測り知れない。
2006年から2011年の間に、5万5千に及ぶ文書が機密扱いとされたが、このうち3万4千件が文書規定による特定秘密保護期間の終了時点で破棄された。
機密指定を解除されて情報公開に付されたのは、たった1件だった。
新法によって、秘密保護期間は無制限に拡大されかねない。
さらに、選挙によって選出された国会議員と機密情報を共有する明確な条文を設けないことで、政府の説明責任範囲を縮小している。
以前から不透明な感のある政治体制は、ジャーナリストが 「根拠のない」 「不当な」 やり方で取材活動を行った場合、上限5年の懲役刑に処す、
と脅しをかけることによって、不透明性を一段と強めるだろう。
日本の新聞各紙は、ジャーナリストと政府当局者の意思疎通が著しく阻害されることになると懸念している。
世論調査は、この法案とその適用範囲に関して非常に懐疑的であることを示している。
にもかかわらず、安倍晋三首相率いる政権は、この法案をできる限り早期に成立させることに躍起になっている。
安倍氏は、政府内に、アメリカにならった国家安全保障会議(NSC)を創設することを求めてている。
日本が情報管理を強化しない限り、機密情報の共有拡大はあり得ない、とアメリカ政府は言明してきた。
安倍構想による安全保障会議の6部門のうちの一つは中国を北朝鮮と同列に置いている。
他の部門が同盟諸国や他の国々に対するものであることと対照的である。
こうした施策は、安倍政権が中国に対して取り続けている対抗的な姿勢やタカ派的な外交政策の兆候を反映したものであり、
市民的自由の諸権利を侵害し、東アジアにおいて日本政府に向けられている不信の念をさらに拡大することになるだろう。 (了)
[訳者略歴]
梓澤 登(あずさわ・のぼる)
1946年生まれ
1970年 早稲田大学第一文学部卒業
沖縄・那覇に在住
【訳著】 ジョン・デューイ調査委員会編著 『トロツキーは無罪だ!』
(2009・現代書館)
ヴァーン・スナイダー著 『八月十五夜の茶屋』(2012・彩流社)
ペンタゴン・ペーパーズ事件
アメリカの秘密保護法(スパイ法)に抵抗した男
──エルズバーグと NY Times
古いようだが、今なお新しい。
1971年6月23日、ニューヨーク・タイムズはベトナム戦争についての秘密政府文書にもとづくスクープの連載を始めた。
マクナマラ国防長官が、政府スタッフ40名に命じて行わせたベトナム戦争へのアメリカ介入と拡大の軌跡の調査報告書、
7000ページに及ぶ 「ペンタゴン・ペーパーズ」 の調査報道である。ダニエル・エルズバーグという調査チームの一員だった人物の提供文書である。
(ニューヨーク・タイムズは取材源を明らかにしていない。)
連載の第一回は次のものだった。ベトナムへの戦争権限をアメリカ大統領に与えた議会決議の根拠であったトンキン湾事件
(北ベトナムがアメリカの軍艦に砲撃を加えた)が、アメリカの挑発によるものであったこと、この議会決議に至る開戦のシナリオを、
ジョンソン政権は三ヶ月前には書き上げ、議会の決議案文まで完成していた、という事実から連載は始まっている。
ペンタゴン・ペーパーズ告発の最もショッキングな部分、それ故に膨大な政府文書の報道の第一回に取り上げられたと思われるのであるが、
この第一回報道の内容に少し詳しくふれたい。
北ベトナムが米軍艦に砲撃したトンキン湾事件は、1964年8月3日に起こった。アメリカが議会決議もないまま、フランスからベトナム介入を引き継ぎ、
ベトナムへの介入を続けていた時期である。
時の大統領はリンドン・B・ジョンソンであった。あらかじめ戦争開始決議に先立って立てられていた謀略は、次の三つであった。
1、隠密的な北ベトナム破壊作戦
3A作戦計画
2、アメリカ軍の支援を受けたサイゴン軍による機雷敷設と北ベトナム爆撃
3、米軍、政府軍による艦砲射撃と爆撃
アメリカが挑発して、これに対応する反撃があれば72時間以内に発動する報復爆撃と、30日間で発動する全面北爆の計画が作られていた。
この爆撃計画には爆撃目標が列挙され、与えるべき損害と航空兵力の配置方法が記載されていた(ニューヨーク・タイムズ編 『ベトナム秘密報告』
上 (サイマル出版会) P.283から)。
この計画では、12日間で爆撃目標を破壊できると記載された。
1964年3〜4月に国防総省が立てた計画中の次の記載(前掲書 P.284〜285)は、残忍という形容詞があてはまるほどのプランである。
それによると、マイナス30日(爆撃開始30日前)には、アメリカ大統領が上・下院の合同会議の決議を求める演説を行う、ということにはじまり、
作戦開始日に至る30日間のシナリオが詳しく書かれている。
この中で最も重大なのは、マイナス20日に、必要なあらゆる手段をとる権限を(大統領に)与える合同決議を獲得する、というものであった。
作戦開始日には、米人家族を引き揚げさせるとある。同日、輸送施設、石油貯蔵施設、飛行場、兵舎、訓練場、港湾、工場に爆撃を加える、
との記載もある(5月23日、バンディ国務次官補 アメリカNSCに提出の文書)。
64年4月後半までに、前述の三点の作戦計画が大統領を中心にアメリカ政府中枢で固められていた。
1.隠密34A作戦
2.サイゴン政府軍による爆撃
3.公然たる艦砲射撃
その中核には、米議会決議を獲得するということがすえられていた。
1964年6月のホノルル会議には、ロッジ米大使、ウエストモーランド大将、マクナマラ、テーラー大将、マコーンCIA長官が参加したが、
ここでは94の北ベトナム爆撃目標が承認されている。
6月3日、マクナマラ、テーラー、マコーンCIA長官が大統領に計画の報告をしている。
マクナマラ国防長官はこの会議の後、北ベトナムの爆撃目標と移動能力を検討するため、6月8日に会議をしたいと伝えた。
5月23日の戦闘行動計画も承認された。
マクナマラは6月4日、米陸軍に次のことを命令した。
ここには次の記載があった。
東南アジアでの使用を予想して
(1) 米陸軍の戦闘行動に備えて、ラオス南方の町に軍需物資を増強すること
(2) 沖縄の前進補給基地に空輸不可能な装備を貯蔵させる
7月30日夜、あらかじめ計画された作戦計画にもとづき、米軍指揮下の南ベトナム海軍奇襲部隊がトンキン湾内の二つの島に上陸作戦を行った。
北ベトナムのトンキン湾における米駆逐艦攻撃とされる第一回の砲撃は8月2日である。
これは7月30日の南ベトナム海軍に対する北ベトナムの防衛行動であった。
8月4日朝、午前11時攻撃を受けたとの連絡が通信センターに入り、2時間30分後に、94ヶ所のリストへの爆撃が承認され、のちに実施される。
この8月4日の攻撃は北ベトナムによって不存在が主張され、のちにマクナマラも自伝の中で 「8月4日の北ベトナム砲撃はなかった」 と述べている。
8月7日、上院と下院でかねて用意されていた決議が上程され可決された。
決議文の内容が大切である。『ベトナム秘密報告』 上 P.301 から全文を引用する。
「合衆国議会の上院および下院は、合衆国軍に対するいかなる武力攻撃をも撃退し、侵略を阻止するため、
必要な一切の措置をとるという国軍最高司令官としての大統領の決意を承認、支持することを決議する。
第二項。合衆国は、東南アジアにおける国際平和の維持はその国益と世界平和にとり不可欠のものとみなす。
合衆国は合衆国憲法、国連憲章および東南アジア集団防衛条約に従って、自由防衛のため援助を要請する同条約加盟国に援助を与えるため、
武力行使を含めて、大統領の決定する必要なあらゆる手段をとる用意がある」
この決議を根拠として、ジョンソン大統領、ニクソン大統領政権は、ベトナムへの地上軍派遣、北爆を継続した。
その結果、少なくとも200万人のベトナム民衆の命が奪われ、たくさんの障碍者が生まれた。アメリカの兵士もまた殺戮の途上で5万8000人が命を失った。
以上、エルズバーグという公務員が暴露した情報によって、ベトナム戦争はアメリカの仕組んだ欺瞞と、謀略によって開始され、
継続されたことが白日の下にさらされたのである。この告発がなければ、戦争の不正義、アメリカの戦争犯罪は隠蔽され続けただろう。
そして、それこそベトナム人が全部殺されるまで戦争は続いたかもしれないのである。
これを白日にさらしたエルズバーグとは何者か。ニューヨーク・タイムズと政府の激しい争いとはどんなものだったのか。
秘密保護法と日本の、日本のメディアの将来を考える好個のテキストとして、ペンタゴンペーパーズ事件はもっと参照されるべきだし、
存命の内部告発者エルズバーグへのインタビューをどしどしやるべきなのだ。