災害精神医療:原発避難の2児PTSD「早いケアあれば」

毎日新聞 2014年04月07日 08時30分(最終更新 04月07日 13時40分)

 東日本大震災発生から3年が経過した今も、被災者の心には大きな傷が残る。福島県から東京都内に自主避難する女性(44)は、子ども2人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、月1回の通院が続く。国は大震災後、災害時の心のケア支援を強化しようと、災害派遣精神医療チーム(DPAT)の設置を進めるが、「うちも、もっと早くケアやアドバイスを受けたかった」と、女性は我が子を思い、ため息をついた。【渡辺諒】

 女性は東京電力福島第1原発事故の発生から2日後、福島県内で働く夫を残して子どもとともに避難した。県内外の5カ所を転々とし、2011年7月に現在の避難先にたどり着いた。

 長女(11)と長男(10)は近くの小学校に通い始めたが、すぐ異変が起きた。長男は知っているはずの漢字を書けなくなり、長女は「私は将来お母さんになれる?」と不安を口にするようになった。学校では同級生らから「放射能きったない」「5年もすれば死ぬ」など、理不尽な言葉を浴びせられたという。

 2学期になると、長女は無気力で勉強が手に着かず、長男は逆に落ち着きがなくなった。女性は「震災前と別人のよう。だが、心に問題があると考えたくなかった」と振り返る。

 11年12月に小児科を受診したところ、2人ともPTSDと診断された。震災後、初めて受けた精神的なケアだった。女性は「子どもの体を守ろうとして、心を守ってあげられなかった」と悔やむ。長女は今も、学校での出来事をほとんど話さない。「母子3人、知らない土地で生活することで精いっぱいになり、精神状況まで気が回らなかった。早い時期にケアを受けられたら、こんなに長引かなかったのではないか」

 東日本大震災の発生直後に活動した「災害派遣医療チーム(DMAT)」の多くには、精神医療の専門家が入っていなかったうえ、精神医療の専門家が応援に入った後も活動地域は限られた。特に、原発事故で福島県を離れ、転々とした人たちには支援がほとんど届かなかった。DPATが整備されても、原発事故のような災害の場合、支援から漏れてしまう避難者が多くなる恐れがある。

最新写真特集