1: 日本@名無史さん 2001/11/07 18:08:00
高木アキミツの成吉思汗の秘密を読んだのだが、義経がチンギスになった可能性はあったのだろうか?
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
2: 日本@名無史さん 2001/11/07 18:42:00
東北・北海道のいろんな場所で義経伝説があるらしいね。
北海道に義経の官位の通称だった判官って言葉が
(水戸黄門の黄門=中納言みたいなもの)
随分古くから伝わってたらしいけど
その判官を指す人物は14世紀の人のようで義経とは別人らしい。
しかし蝦夷・樺太・沿海州・満州を越えて
蒙古の王になるとは話が壮大すぎる。
北海道に義経の官位の通称だった判官って言葉が
(水戸黄門の黄門=中納言みたいなもの)
随分古くから伝わってたらしいけど
その判官を指す人物は14世紀の人のようで義経とは別人らしい。
しかし蝦夷・樺太・沿海州・満州を越えて
蒙古の王になるとは話が壮大すぎる。
7: ワシントン会議 2001/11/08 13:30:00
よく源氏の旗とジンギスカンの旗が似ているとか、両雄の生い立ちが似ているとか、色々あるが全部ノストラダムスの予言と一緒、後づけだったらだれでもできる。しかしロマンはあっていい。
11: 日本@名無史さん 2001/11/08 14:18:00
奥州藤原氏が日本海を挟んで、沿海州、満州あたりと近い関係にあったということを暗示してるということはないのかな?
42: 日本@名無史さん 2001/11/10 10:52:00
>>11
>奥州藤原氏が日本海を挟んで、沿海州、満州あたりと近い関係にあった
ということを暗示してるということはないのかな?
あるでしょう。黄金は貿易で得たものと思われます。
>奥州藤原氏が日本海を挟んで、沿海州、満州あたりと近い関係にあった
ということを暗示してるということはないのかな?
あるでしょう。黄金は貿易で得たものと思われます。
46: 日本@名無史さん 2001/11/10 11:47:00
>>11
日本海を中心にした極東アジアの地図を書いてみると
当時の海外との交易ルートというのがよくわかります。
日本海を中心にした極東アジアの地図を書いてみると
当時の海外との交易ルートというのがよくわかります。
14: 日本@名無史さん 2001/11/08 22:02:00
仮に義経=チンギス・ハンだとしたら
山田長政みたいに移住先で武勇が買われて
手柄を立ててどんどん出世し、
道三のように最後に国を乗っ取ったってケースだろうか?
山田長政みたいに移住先で武勇が買われて
手柄を立ててどんどん出世し、
道三のように最後に国を乗っ取ったってケースだろうか?
17: ワシントン会議 2001/11/09 13:28:00
いくら荒唐無稽な説でも誰だってロマンを持っていいはず、ロマンがない歴史など面白くない。
19: 日本@名無史さん 2001/11/09 17:36:00
北海道のあちらこちらに、義経が滞在したと伝えられる石碑が今でも残っているyo
21: 大野治房 2001/11/09 17:53:00
義経がジンギスカンとは思えないが・・・
当時の状況から考えて、実戦経験のない奥州騎馬軍の強化の為に蒙古へ渡り、そこで援軍要請か外人部隊公募の為に渡った可能性はある。
当時の状況から考えて、実戦経験のない奥州騎馬軍の強化の為に蒙古へ渡り、そこで援軍要請か外人部隊公募の為に渡った可能性はある。
22: 日本@名無史さん 2001/11/09 17:59:00
つ~か、首実検したの景時だろ?それで間違いなく義経の首だっつったんだろ?
それなら義経が落ちてる可能性なんてほとんど0じゃん。
それなら義経が落ちてる可能性なんてほとんど0じゃん。
24: 素人 2001/11/09 19:52:00
くらだない話をやめて、この噂自体を検証してほしいな。
この話って私が子供の頃からもうあったけど、いったいいつくらいから広まったのだろうか?
もう鎌倉時代からそんな噂があったのか、明治になってから出来たのか?
この話って私が子供の頃からもうあったけど、いったいいつくらいから広まったのだろうか?
もう鎌倉時代からそんな噂があったのか、明治になってから出来たのか?
26: 日本@名無史さん 2001/11/09 20:13:00
>>24
江戸中期に偽家系図の制作を生業としてる男が
金史別本という偽書をでっちあげ、
最初に義経が大陸に渡ったと言い出したんだが。
江戸中期に偽家系図の制作を生業としてる男が
金史別本という偽書をでっちあげ、
最初に義経が大陸に渡ったと言い出したんだが。
43: 日本@名無史さん 2001/11/10 10:53:00
>>26
鎌倉時代からすでに御曹司島渡りという義経が北海道に渡った話がある。
井沢元彦なんか相手にしちゃいかんよ、君。
鎌倉時代からすでに御曹司島渡りという義経が北海道に渡った話がある。
井沢元彦なんか相手にしちゃいかんよ、君。
44: 日本@名無史さん 2001/11/10 11:09:00
>>43
それはお伽話しみたいなもので、
衣川以前に義経が千島に渡った話しで、
しかもエンマ大王に経文を受け取ったとかいう
幻想的な話しですよ。
それはお伽話しみたいなもので、
衣川以前に義経が千島に渡った話しで、
しかもエンマ大王に経文を受け取ったとかいう
幻想的な話しですよ。
52: 25 2001/11/10 16:43:00
>>43
御曹司島渡りって室町時代では?
御曹司島渡りって室町時代では?
25: 日本@名無史さん 2001/11/09 20:13:00
小矢部全一郎って人が『成吉思汗ハ源義経也』を書いて
それがベストセラーになったのが初め。
たしか、大正くらいじゃなかったかな?
原型は室町時代の義経蝦夷行伝説と
江戸時代の「清朝皇室の先祖は義経」っていうヨタ話。
それがベストセラーになったのが初め。
たしか、大正くらいじゃなかったかな?
原型は室町時代の義経蝦夷行伝説と
江戸時代の「清朝皇室の先祖は義経」っていうヨタ話。
39: 日本@名無史さん 2001/11/10 07:09:00
>>25
小矢部全一郎って、他にも、日本ユダヤ同祖説も言ってるんだよな。
「日本及日本国民之起源」
そんなひとの主張をマジにうけとってもなあ。
小矢部全一郎って、他にも、日本ユダヤ同祖説も言ってるんだよな。
「日本及日本国民之起源」
そんなひとの主張をマジにうけとってもなあ。
27: 益荒男 2001/11/09 20:29:00
なんかこのネタ随分前に6chの世界不思議発見でやってたけど江戸時代に義経が大陸に渡って金という国の将軍になったというフィクション本がこの説のきっかけになったてやってたけど。
あと平泉に義経の身代わりになってくびを鎌倉に送った人の墓があるって行ってたっス。その首は酒漬けになってたけど膨れてて判らなかったって。まあ全て鵜呑みにするわけではないですけれども
あと平泉に義経の身代わりになってくびを鎌倉に送った人の墓があるって行ってたっス。その首は酒漬けになってたけど膨れてて判らなかったって。まあ全て鵜呑みにするわけではないですけれども
31: 日本@名無史さん 2001/11/09 22:16:00
「義経=ジンギスカン説」だけど…与太話と分かりつつ、何度か歴史にこの話が現れるのは、日本人は蒙古を支配して良い(ついでに北海道も)って根拠として利用したい人がいたからでは?
現に沖縄を薩摩藩が支配したとき、利用したのは沖縄の王族が日本人の英雄の子孫だったという神話(与太話)だったと思うのですが…詳しい話は忘れました。どなたかフォローを…
現に沖縄を薩摩藩が支配したとき、利用したのは沖縄の王族が日本人の英雄の子孫だったという神話(与太話)だったと思うのですが…詳しい話は忘れました。どなたかフォローを…
32: 國學院大學一OB 2001/11/09 22:19:00
>沖縄の王族が日本人の英雄の子孫だった
源為朝のことですな。
為朝はともかく尚氏と倭寇のつながりは指摘されているところです。
源為朝のことですな。
為朝はともかく尚氏と倭寇のつながりは指摘されているところです。
源為朝
源 為朝(みなもと の ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。
弓の名手で、鎮西を名目に九州で暴れ、鎮西八郎を称す。保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも暴れて国司に従わず、伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。切腹の、史上最初の例といわれる。
一方、琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、このとき追討を逃れて現在の沖縄県に渡り、その子が琉球王家の始祖舜天になったといわれる、伝説的な人物でもある。
40: さち子 2001/11/10 08:43:00
この義経=チンギス・ハン説に限らず
為朝=琉球王祖説、日ユ同祖論、日本人ムー大陸支配民族説、
木村鷹太郎の日本人祖先世界支配説、竹内文書等の偽書も
対外侵略の根拠とされてるんですね。
それと維新以降の日本の対外に関する劣等感をカバーするため
の論でもあるんです。
挙げ句の果てが耶馬台国はエジプトにあったとか、
日本人は全世界の祖であり三千億年前にプレアデス星団から
飛来したとか
ニューヨーク、ヨハネスブルク、サンフランシスコなどの
地名は三千億年前、日本人が全世界を支配してた時からあったなどの与太話しですね。
これらの説は異端の史学者や神秘主義者が唱え、
軍人や政治家や宗教者の間に広がりを見せてました。
為朝=琉球王祖説、日ユ同祖論、日本人ムー大陸支配民族説、
木村鷹太郎の日本人祖先世界支配説、竹内文書等の偽書も
対外侵略の根拠とされてるんですね。
それと維新以降の日本の対外に関する劣等感をカバーするため
の論でもあるんです。
挙げ句の果てが耶馬台国はエジプトにあったとか、
日本人は全世界の祖であり三千億年前にプレアデス星団から
飛来したとか
ニューヨーク、ヨハネスブルク、サンフランシスコなどの
地名は三千億年前、日本人が全世界を支配してた時からあったなどの与太話しですね。
これらの説は異端の史学者や神秘主義者が唱え、
軍人や政治家や宗教者の間に広がりを見せてました。
41: さち子 2001/11/10 09:16:00
この手の維新~戦前に流行った与太話しは他にも掃いて捨てるほどありますよ。
山根キクの著書「キリストは日本で死んでいる」では
キリスト、モーゼは日本で死んでおり、シャカ、マホメットは日本に修行に来て英知を学んだとあります。
キリスト渡来は二度あり、一度目はいわゆる「空白の期間」に渡来し越中の偉人に真理を学び、再び向こうへ帰り、
二度目は処刑のさいは弟のイスキリを犠牲にして再び日本に渡来し、
青森の戸来村で妻をめとり子孫を残し、百六の天寿を全うしたそうです。
こういう説て同じくらいに義経=チンギス説は納得できます。
維新~戦前の無知からきた、あんまりバカバカしい説は淘汰されて、
義経=チンギス説のようなマシな説が今日に生き残っているわけです。
山根キクの著書「キリストは日本で死んでいる」では
キリスト、モーゼは日本で死んでおり、シャカ、マホメットは日本に修行に来て英知を学んだとあります。
キリスト渡来は二度あり、一度目はいわゆる「空白の期間」に渡来し越中の偉人に真理を学び、再び向こうへ帰り、
二度目は処刑のさいは弟のイスキリを犠牲にして再び日本に渡来し、
青森の戸来村で妻をめとり子孫を残し、百六の天寿を全うしたそうです。
こういう説て同じくらいに義経=チンギス説は納得できます。
維新~戦前の無知からきた、あんまりバカバカしい説は淘汰されて、
義経=チンギス説のようなマシな説が今日に生き残っているわけです。
53: 日本@名無史さん 2001/11/10 17:10:00
この説はトンデモ説の一つでしかない
55: 日本@名無史さん 2001/11/10 17:28:00
>>53
そうなんだけど、日本の海外進出とそれにたいする理屈付けとして
考えると結構面白いものがあるよ。
例えば、タイの山田長政とか、マレーのハリマオとか…。
そうなんだけど、日本の海外進出とそれにたいする理屈付けとして
考えると結構面白いものがあるよ。
例えば、タイの山田長政とか、マレーのハリマオとか…。
56: 日本@名無史さん 2001/11/10 17:39:00
>>55
ただ、その中に「ムー大陸」のような明らかにおかしいのがあるのはどうだろう?
ただ、その中に「ムー大陸」のような明らかにおかしいのがあるのはどうだろう?
57: 日本@名無史さん 2001/11/10 17:51:00
>>56
ムー大陸だって、かなり前は「いかにもありそう」だった気がする
なぁ。海底地形図が出てきて、こりゃありそうにもないって気がして
きたけど。
でも、人間ってそういった物に惹かれる事があるのは事実でしょ。
JPホーガンのSF「造物主の掟」とかにも描かれているとおり、宇
宙時代にもそういった物が蔓延しているかも知れず。
そういった「怪しい物」は無下に否定しても消え去る訳じゃ無し、
説得された人も「お前はそう言うが、可能性としては残っているだろ」
と心の底で思っているんじゃないかな?
ちょっと離れて見ていて、色々な怪しい物の共通性とか類似性とか
を考えるのもまた面白いかも…。ただ、ナチスはユダヤ陰某論で政権
を取ったし、オウムは独自とんでも理論で信者を集め実際にテロを行
った事は忘れちゃいけないかもね。
ムー大陸だって、かなり前は「いかにもありそう」だった気がする
なぁ。海底地形図が出てきて、こりゃありそうにもないって気がして
きたけど。
でも、人間ってそういった物に惹かれる事があるのは事実でしょ。
JPホーガンのSF「造物主の掟」とかにも描かれているとおり、宇
宙時代にもそういった物が蔓延しているかも知れず。
そういった「怪しい物」は無下に否定しても消え去る訳じゃ無し、
説得された人も「お前はそう言うが、可能性としては残っているだろ」
と心の底で思っているんじゃないかな?
ちょっと離れて見ていて、色々な怪しい物の共通性とか類似性とか
を考えるのもまた面白いかも…。ただ、ナチスはユダヤ陰某論で政権
を取ったし、オウムは独自とんでも理論で信者を集め実際にテロを行
った事は忘れちゃいけないかもね。
60: 日本@名無史さん 2001/11/14 05:09:00
義経が討たれたのは夏
鎌倉で首実検が行われたのは死語一ヶ月以上経ってから
腐乱が進んで判別できなかったのでないかという推測から
義経は生きているのではないか? という説が生まれたんじゃなかったけさ?
鎌倉で首実検が行われたのは死語一ヶ月以上経ってから
腐乱が進んで判別できなかったのでないかという推測から
義経は生きているのではないか? という説が生まれたんじゃなかったけさ?
64: 日本@名無史さん 2001/11/14 07:02:00
>>60
その首実験うんぬんは一応はまともな意見だが、
藤原氏が義経を哀れみ、逃がして替え玉を使った可能性はある。
しかし、だからといって、義経=チンギス説は飛躍しすぎ。
その首実験うんぬんは一応はまともな意見だが、
藤原氏が義経を哀れみ、逃がして替え玉を使った可能性はある。
しかし、だからといって、義経=チンギス説は飛躍しすぎ。
66: 日本@名無史さん 2001/11/14 08:57:00
1は「成吉思汗の秘密」読んだんだよね?
だったら作中で反論が展開されてるのも知ってるよね?
残念だけど、あれが結論だよ。
ただ>>64が述べている通り、衣川で死ななかったって可能性は残されてる。
でもそれはあくまでも可能性であって、それ以上でも以下でもない。
ロマンがあっていいお話だとは思うけれどね。
だったら作中で反論が展開されてるのも知ってるよね?
残念だけど、あれが結論だよ。
ただ>>64が述べている通り、衣川で死ななかったって可能性は残されてる。
でもそれはあくまでも可能性であって、それ以上でも以下でもない。
ロマンがあっていいお話だとは思うけれどね。
83: 日本@名無史さん 2001/11/21 21:32:00
チンギスハンは別として、自分が知らないだけで
実は義経の子孫なんて人もいるだろうね
京から奥州に落ちる道中でも種蒔きは欠かさないだろうし
立寄る村々でとっかえひっかえと・・・
実は義経の子孫なんて人もいるだろうね
京から奥州に落ちる道中でも種蒔きは欠かさないだろうし
立寄る村々でとっかえひっかえと・・・
89: 牛若です 2001/11/23 13:24:00
司馬氏の街道シリーズに、今(こん)氏の話が出てくる。
今氏は金、昆に繋がるらしいんだけど、何れも北方民族の系譜らしい。
満州の愛親覚羅氏は「アイシンギョロ」、確か金の仲間(だか兄弟)という意味になるらしい。北方での民族(交易)交流は間違いないよね。
高木氏の文献にある、金の産出地が北海道・シベリアというのはかなりイイ線言ってると思う。
初代清衡の「中尊寺建立願文」に、大陸にも影響力を暗に誇示する個所があるし。
またオホーツク文化・擦文文化の盛衰もこの時代に思いきりリンクしていて、なかなか興味深い。
源義経がジンギスカンと同一かはともかく、津軽十三湖~北海道にまで、幼少期も含めて行ったことはあったんじゃないかな。衣川以降、
落ち延びたことまでは期待してるんだけど。
今氏は金、昆に繋がるらしいんだけど、何れも北方民族の系譜らしい。
満州の愛親覚羅氏は「アイシンギョロ」、確か金の仲間(だか兄弟)という意味になるらしい。北方での民族(交易)交流は間違いないよね。
高木氏の文献にある、金の産出地が北海道・シベリアというのはかなりイイ線言ってると思う。
初代清衡の「中尊寺建立願文」に、大陸にも影響力を暗に誇示する個所があるし。
またオホーツク文化・擦文文化の盛衰もこの時代に思いきりリンクしていて、なかなか興味深い。
源義経がジンギスカンと同一かはともかく、津軽十三湖~北海道にまで、幼少期も含めて行ったことはあったんじゃないかな。衣川以降、
落ち延びたことまでは期待してるんだけど。
90: 日本@名無史さん 2001/11/23 14:13:00
コン(今、金、昆、紺)とかコンノ(今野、金野、昆野、紺野)
っていう名字は東北にはくさるほどあるよ。
っていう名字は東北にはくさるほどあるよ。
91: 日本@名無史さん 2001/11/24 01:54:00
「成吉思汗の秘密」この小説おもしろかった。
http://www.st.rim.or.jp/~success/takagi_ye.html
まずこの小説で、読者は、下記のような、決定的なトリック(罠)に心を奪われる。
「朕の姓は源、義経の裔なり、その先は清和に出ず、故に国を清と号す」
http://www.st.rim.or.jp/~success/takagi_ye.html
まずこの小説で、読者は、下記のような、決定的なトリック(罠)に心を奪われる。
「朕の姓は源、義経の裔なり、その先は清和に出ず、故に国を清と号す」
93: 日本@名無史さん 2001/11/24 09:42:00
>>91
詳しく誰か解説して欲しいんだけど、
その清朝の祖が義経だったという偽文と
義経=チンギス説とどう関係あるわけ?
清とチンギスなんてなんの関係もないのでは?
詳しく誰か解説して欲しいんだけど、
その清朝の祖が義経だったという偽文と
義経=チンギス説とどう関係あるわけ?
清とチンギスなんてなんの関係もないのでは?
98: 日本@名無史さん 2001/11/27 01:14:00
>>93
滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。
滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。
122: 2001/12/13 06:09:00
モンゴル史学者によると、『元朝秘史』に描かれたチンギスの歴史のうち、1203年ぐらいまでの記述は全く信憑性がないそうだ。
他のモンゴルの史書『元史』や『集史』とも全然かみ合わないからってさ。
つまり、チンギスの1200年以前の生い立ちについてはまだ何もわかっていないわけで、1189年に死んだとされる義経がジンギスになれる可能性はこの観点からだけで言えば完全に否定されるわけではない。
他のモンゴルの史書『元史』や『集史』とも全然かみ合わないからってさ。
つまり、チンギスの1200年以前の生い立ちについてはまだ何もわかっていないわけで、1189年に死んだとされる義経がジンギスになれる可能性はこの観点からだけで言えば完全に否定されるわけではない。
132: 日本@名無史さん 2001/12/17 05:28:00
杉山正明の『モンゴル帝国の興亡』に次のように書かれていました。
「彼(ジンギスカン)の生涯については、これまで山ほどの著述が古今東西の人によって物語られている。
読み物としてはすぐれたものも多い。しかし、率直に言って、どれも確かなものはない。
それはチンギスカンについての史料が、あまりにも虚実入り混じり、
どこまでが伝説や創作で、どこまでが史実であるのか分からないからである。
彼の生涯については彼の子孫たちが作らせた東西文献の中に語られる。
漢文の正史である『元史』、モンゴル語を漢字で表記した『元朝秘史』、そして、ペルシア語によるモンゴル正史の『集史』。
この三つが基本史料となる。その他、いくつかの文献がある。
ところが、それらが噛み合わない。特に権力者に浮上するまでの時期についてはどうしようもない。
これまでの著作は、三つの基本史料のどれか一つ、もしくは二つに基づいた。
しかし歴史研究として信頼に足るチンギスカン伝を著わすには、
どうしても最低限、漢文・モンゴル文・ペルシア文を自在に読みこなす必要がある。
三つ全てを厳密に読みこんで、相互の一致・不一致を網羅し、どこにどれだけの問題と謎があるのか、その輪郭をくまなく指摘するという当然の基礎作業は、残念ながらこれまでのところ為されていない。
そのため、すでにあるさまざまに素晴らしい著作や意見も、
その研究者や歴史家のすぐれた個性による見解・感想・評論・物語の域を出ていないことになる。」
以上です。杉山正明といえば、この方面では今最も注目されている人ですよね。
私は『元史』と『集史』は読んでいないのですが、上の文を読むと、72の方がおっしゃるように、記述がばらばらみたいですね。
確かに、チンギスの前半生(権力者に浮上するまでの時期)については、まだ全然確かなことは分かっていないということみたいです。
(下に続く)
「彼(ジンギスカン)の生涯については、これまで山ほどの著述が古今東西の人によって物語られている。
読み物としてはすぐれたものも多い。しかし、率直に言って、どれも確かなものはない。
それはチンギスカンについての史料が、あまりにも虚実入り混じり、
どこまでが伝説や創作で、どこまでが史実であるのか分からないからである。
彼の生涯については彼の子孫たちが作らせた東西文献の中に語られる。
漢文の正史である『元史』、モンゴル語を漢字で表記した『元朝秘史』、そして、ペルシア語によるモンゴル正史の『集史』。
この三つが基本史料となる。その他、いくつかの文献がある。
ところが、それらが噛み合わない。特に権力者に浮上するまでの時期についてはどうしようもない。
これまでの著作は、三つの基本史料のどれか一つ、もしくは二つに基づいた。
しかし歴史研究として信頼に足るチンギスカン伝を著わすには、
どうしても最低限、漢文・モンゴル文・ペルシア文を自在に読みこなす必要がある。
三つ全てを厳密に読みこんで、相互の一致・不一致を網羅し、どこにどれだけの問題と謎があるのか、その輪郭をくまなく指摘するという当然の基礎作業は、残念ながらこれまでのところ為されていない。
そのため、すでにあるさまざまに素晴らしい著作や意見も、
その研究者や歴史家のすぐれた個性による見解・感想・評論・物語の域を出ていないことになる。」
以上です。杉山正明といえば、この方面では今最も注目されている人ですよね。
私は『元史』と『集史』は読んでいないのですが、上の文を読むと、72の方がおっしゃるように、記述がばらばらみたいですね。
確かに、チンギスの前半生(権力者に浮上するまでの時期)については、まだ全然確かなことは分かっていないということみたいです。
(下に続く)
133: 日本@名無史さん 2001/12/17 05:30:00
私が読んだ本(『それでもやはり成吉思汗は源義経である』)では、
『元朝秘史』におけるチンギスの前半生を、義経の日本における生涯を描いたものだと解釈してあるのです。
ですから、チンギスはもちろん義経ですが、その他、オンカンは頼朝、ヂャムカは範頼、ボオルチュは武蔵坊弁慶、ヂャルメは佐藤兄弟、セングムは梶原景時、ブルカン山は藤原秀衡、などなどとなっています。
日本における義経の歴史を、舞台をモンゴルに移し変えた上で、描いているということです。
そして、もちろん若干の変更操作は加えられているとのこと。
たとえばチンギスはオンカンを倒しますが、オンカンが頼朝ならば、チンギス(義経)が彼を倒すというのは史実に反しています。
しかし、これは、頼朝から逃れて云々という状況を書くと、その後に王となるチンギスの歴史(後半生=史実)との接続がうまくいかなくなるから、
そのように書いたに過ぎないとされてます。また、創作の中で復讐が遂げられたようなものだとも書いてありました。
まあ、そんな感じです。
えー、あと、もちろんタタル部族などは実際に存在していますが、そういうことについても、義経の歴史を、多くの場合モンゴルにある地名、部族名などに置き換えて表現しているのだから、それらがモンゴルに実在しているからというようなことは全然否定根拠にはならないとされてます。
それと小谷部説についてですが、私は小谷部の本は読んでいないので分かりませんが、 髙木彬光の『成吉思汗の秘密』は小谷部説をもとにしていると書いてありましたから、ああいうものだと思っていいんですかね ?
そうだとすると『それでもやはり~』では小谷部説はあまりとり入れられていません。紹介はされていますが。
それと、語呂合せというのをおっしゃってますが、私は語呂合せ、すなわち音の一致というようなことは重要なことと見なしています。
といっても、ジンギスカンはゲンギケイがなまったものという解釈は採れませんが。
『それでもやはり~』という本でも語呂合せはそれなりに重要な手法ではあります。でも、音よりは訓の方がより重要かもしれません。
ジンギスカン義経のスレがあったので、知られていないこの説を少しずつ紹介していこうと思っていたのですが、書いていいですか ? (^_^;)
暇なときにだけですが。
『元朝秘史』におけるチンギスの前半生を、義経の日本における生涯を描いたものだと解釈してあるのです。
ですから、チンギスはもちろん義経ですが、その他、オンカンは頼朝、ヂャムカは範頼、ボオルチュは武蔵坊弁慶、ヂャルメは佐藤兄弟、セングムは梶原景時、ブルカン山は藤原秀衡、などなどとなっています。
日本における義経の歴史を、舞台をモンゴルに移し変えた上で、描いているということです。
そして、もちろん若干の変更操作は加えられているとのこと。
たとえばチンギスはオンカンを倒しますが、オンカンが頼朝ならば、チンギス(義経)が彼を倒すというのは史実に反しています。
しかし、これは、頼朝から逃れて云々という状況を書くと、その後に王となるチンギスの歴史(後半生=史実)との接続がうまくいかなくなるから、
そのように書いたに過ぎないとされてます。また、創作の中で復讐が遂げられたようなものだとも書いてありました。
まあ、そんな感じです。
えー、あと、もちろんタタル部族などは実際に存在していますが、そういうことについても、義経の歴史を、多くの場合モンゴルにある地名、部族名などに置き換えて表現しているのだから、それらがモンゴルに実在しているからというようなことは全然否定根拠にはならないとされてます。
それと小谷部説についてですが、私は小谷部の本は読んでいないので分かりませんが、 髙木彬光の『成吉思汗の秘密』は小谷部説をもとにしていると書いてありましたから、ああいうものだと思っていいんですかね ?
そうだとすると『それでもやはり~』では小谷部説はあまりとり入れられていません。紹介はされていますが。
それと、語呂合せというのをおっしゃってますが、私は語呂合せ、すなわち音の一致というようなことは重要なことと見なしています。
といっても、ジンギスカンはゲンギケイがなまったものという解釈は採れませんが。
『それでもやはり~』という本でも語呂合せはそれなりに重要な手法ではあります。でも、音よりは訓の方がより重要かもしれません。
ジンギスカン義経のスレがあったので、知られていないこの説を少しずつ紹介していこうと思っていたのですが、書いていいですか ? (^_^;)
暇なときにだけですが。
137: 日本@名無史さん 2001/12/17 07:13:00
トオリル・ハンは金と交易しワンの称号をもらった実在の人物だし、
他のモンゴルの王や部族の多くも実在が確認されてるよ。
メルキト族への復讐だの、チンギスの母の話しを義経話しにこじつけるのは無理がある。
他のモンゴルの王や部族の多くも実在が確認されてるよ。
メルキト族への復讐だの、チンギスの母の話しを義経話しにこじつけるのは無理がある。
136: 日本@名無史さん 2001/12/17 07:00:00
チンギス・ハーンの前半生に不明瞭な点があるのが
義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まあ、その可能性が0.00001%から0.00003%に上昇したとか言うのならわかるが
義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まあ、その可能性が0.00001%から0.00003%に上昇したとか言うのならわかるが
140: 日本@名無史さん 2001/12/17 23:05:00
>チンギス・ハーンの前半生に不明瞭な点があるのが
>義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まぁ、もっともな意見だね。
同一人物だったと証明足りうる条件はどんなものがあるんだろう。
遺骨でも見つかれば判別可能なのかな。
子孫とかだとどうだろう。
また日本に義経のDNAって残ってるのかな?
骨なんかでたらこんな説はでてこないだろうし。
>義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まぁ、もっともな意見だね。
同一人物だったと証明足りうる条件はどんなものがあるんだろう。
遺骨でも見つかれば判別可能なのかな。
子孫とかだとどうだろう。
また日本に義経のDNAって残ってるのかな?
骨なんかでたらこんな説はでてこないだろうし。
149: 日本@名無史さん 2001/12/28 06:06:00
昨日たまたまこういう主旨の本を読みました。テムジン=天神
、モンゴルではチンギスカンのことをクローと呼ぶこともあるそうです。
チンギスカンの取った戦法が、義経と同じものがいくつかあるとか。
2%くらい信じはじめています。皆さん、どう思われますか?
、モンゴルではチンギスカンのことをクローと呼ぶこともあるそうです。
チンギスカンの取った戦法が、義経と同じものがいくつかあるとか。
2%くらい信じはじめています。皆さん、どう思われますか?
151: 日本@名無史さん 2001/12/28 07:50:00
>>149
チンギス・ハンをクローと呼ぶ事実などありません。
日本の狂信的チンギス=義経論者の聖地巡礼的な調査による、
いかがわしいものです。
戦法の一致については名将の戦法などそんなものです。
それと、義経=チンギス説のロマンにひたる人に言いたいのですが、
さしずめ、義経=チンギス説は坂本竜馬=ヒトラー説もしくは西郷隆盛=スターリン説、もしくは山本五十六=ポル・ポト説のようなものです(年代のズレはご容赦を)何が言いたいかと言いますと好意的なイメージの英雄を極悪な人物になったというような、彼らの英雄性を誹謗するような説なのです。
なんていうか、日本人にはチンギスは草原を駆け世界に覇を唱えた爽やかな英雄のイメージがありますが
実際のチンギスは虐殺した人数、一千万、世界中に略奪と強姦と破壊の嵐を尽くした人物で、「敵を虐殺し、美女を我がオルドに入れるのが最大の喜び」と称した人物です。
他にホラズムの破壊の件や死の間際に彼を侮辱した西夏という国を根絶やしにし破壊尽くせと遺命したりしました。
まあ、だから義経=チンギス説が否定されるべきとは言わないけど、
義経ファンは彼がこんな人物になったという説のどこが嬉しいんだか・・・まあ、たんに無知なだけだろうけど・・・
チンギス・ハンをクローと呼ぶ事実などありません。
日本の狂信的チンギス=義経論者の聖地巡礼的な調査による、
いかがわしいものです。
戦法の一致については名将の戦法などそんなものです。
それと、義経=チンギス説のロマンにひたる人に言いたいのですが、
さしずめ、義経=チンギス説は坂本竜馬=ヒトラー説もしくは西郷隆盛=スターリン説、もしくは山本五十六=ポル・ポト説のようなものです(年代のズレはご容赦を)何が言いたいかと言いますと好意的なイメージの英雄を極悪な人物になったというような、彼らの英雄性を誹謗するような説なのです。
なんていうか、日本人にはチンギスは草原を駆け世界に覇を唱えた爽やかな英雄のイメージがありますが
実際のチンギスは虐殺した人数、一千万、世界中に略奪と強姦と破壊の嵐を尽くした人物で、「敵を虐殺し、美女を我がオルドに入れるのが最大の喜び」と称した人物です。
他にホラズムの破壊の件や死の間際に彼を侮辱した西夏という国を根絶やしにし破壊尽くせと遺命したりしました。
まあ、だから義経=チンギス説が否定されるべきとは言わないけど、
義経ファンは彼がこんな人物になったという説のどこが嬉しいんだか・・・まあ、たんに無知なだけだろうけど・・・
197: 日本@名無史さん 2002/01/10 16:32:00
義経、弁慶一行が北海道に渡った可能性はかなり
高いね。
伝説では衣川から青森県の三厩に至る逃亡コースが
はっきりと存在しているし、北海道には弁慶岬という伝説地
があるそうだ。
さらに、イザベラ・バードの記録によれば明治時代までの
アイヌには義経を祭っていたもの達もいたらしいのである。
義経一行が北海道まで行っていたとすれば、アイヌが大陸との
交流を通じて義経伝説を大陸に伝えたとしてもおかしくはない。
高いね。
伝説では衣川から青森県の三厩に至る逃亡コースが
はっきりと存在しているし、北海道には弁慶岬という伝説地
があるそうだ。
さらに、イザベラ・バードの記録によれば明治時代までの
アイヌには義経を祭っていたもの達もいたらしいのである。
義経一行が北海道まで行っていたとすれば、アイヌが大陸との
交流を通じて義経伝説を大陸に伝えたとしてもおかしくはない。
199: 日本@名無史さん 2002/01/10 16:36:00
>>197
義経弁慶が生きて渡った可能性は非常に怪しいと思うが、彼らと一緒に戦った
連中が渡った可能性は高い.. ようにも思う
義経弁慶が生きて渡った可能性は非常に怪しいと思うが、彼らと一緒に戦った
連中が渡った可能性は高い.. ようにも思う
206: 日本@名無史さん 2002/01/15 21:25:00
だから清の皇帝が証言してるんだって。
愛信覚羅家は清和源氏の流れを汲んでいるって。
愛信覚羅家は清和源氏の流れを汲んでいるって。
207: 日本@名無史さん 2002/01/16 01:17:00
>>206
それは時期にもよるが、
満州に対する日本の持つ権利の正当性を認めさせるために
日本が圧力をかけたとは考えられないか?
とか言いながら、俺も義経=チンギスを信じたいんだよな。
それは時期にもよるが、
満州に対する日本の持つ権利の正当性を認めさせるために
日本が圧力をかけたとは考えられないか?
とか言いながら、俺も義経=チンギスを信じたいんだよな。
210: 日本@名無史さん 2002/01/16 11:05:00
>207
江戸時代の話しだぞ?
江戸時代の話しだぞ?
212: 日本@名無史さん 2002/01/16 11:11:00
「一番好きな天皇様」スレよりコピペ
270 :日本@名無史さん :2001/06/27(水) 22:43
やっぱり多くの日本人の先祖になった清和天皇かな。
その子孫には中国の皇帝になった人もいるしね。
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
270 :日本@名無史さん :2001/06/27(水) 22:43
やっぱり多くの日本人の先祖になった清和天皇かな。
その子孫には中国の皇帝になった人もいるしね。
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
215: 日本@名無史さん 2002/01/16 11:31:00
「朕姓源義経之裔其先出清和故号国清トアリ清ト号スルハ清和帝ノ清ナリ」
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
(『国学忘貝』「図書集成」1783)
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
(『国学忘貝』「図書集成」1783)
218: 日本@名無史さん 2002/01/17 07:45:00
>>215
それってトンデモ本じゃないかい?
それってトンデモ本じゃないかい?
219: 日本@名無史さん 2002/01/17 17:09:00
>>218
トンデモ本って言葉が流行りすぎたから、
間違った使われ方するなあ。
トンデモ本というよりも偽書もしくはインチキ本だよ。
トンデモ本って言葉が流行りすぎたから、
間違った使われ方するなあ。
トンデモ本というよりも偽書もしくはインチキ本だよ。
221: 日本@名無史さん 2002/01/18 14:53:00
愛新覚羅の子孫のDNAと、日本の源氏の子孫のDNA
を相互比較して鑑定すれば、何代前で、つながった
のか・・あるいはデタラメなのか判るはずだから、
誰かやってくれないかな・・・
を相互比較して鑑定すれば、何代前で、つながった
のか・・あるいはデタラメなのか判るはずだから、
誰かやってくれないかな・・・
222: 日本@名無史さん 2002/01/19 07:02:00
愛新覚羅家とチンギス家は、男系で繋がっていないと思はれ
231: 日本@名無史さん 2002/02/02 11:46:00
考古学を研究している私は、先日、研究室にこもる生活のあいまの息抜きのつもりで、近所にある縄文遺跡を散策していた。
そのとき、ふと傍らの草むらを見た私は、偶然そこに乾電池が転がっているのを発見した。
縄文時代の遺跡に乾電池!こいつは大発見だ!
私は震える手で乾電池を握り締め、研究室に戻るとその分析を開始した。
もし、これを縄文人が造ったのであれば、彼らはわれわれがこれまで考えていたよりもずっと、高度な文明を有していたということになる。
乾電池の表面には文字らしきものが書いてあった。驚くべきことにそれはアルファベットだった!なんということだ。縄文人は地中海文明と行き来するほどの一大文明だったのだ!
アルファベットを読んでみる「Panasonic」…Panasonic!パナソニック!まさに空前の発見だった!わたしはおもわず天を仰いで涙した。自らの幸運に感謝した!
縄文文明は地中海にまで版図をのばし、電力を使用するほどの高度な文明だった!そして、その時代からすでに松下電器産業は存在していたのだ!
それから、私は文字通り寝食を忘れて新たな論文の作成にとりかかった
そのとき、ふと傍らの草むらを見た私は、偶然そこに乾電池が転がっているのを発見した。
縄文時代の遺跡に乾電池!こいつは大発見だ!
私は震える手で乾電池を握り締め、研究室に戻るとその分析を開始した。
もし、これを縄文人が造ったのであれば、彼らはわれわれがこれまで考えていたよりもずっと、高度な文明を有していたということになる。
乾電池の表面には文字らしきものが書いてあった。驚くべきことにそれはアルファベットだった!なんということだ。縄文人は地中海文明と行き来するほどの一大文明だったのだ!
アルファベットを読んでみる「Panasonic」…Panasonic!パナソニック!まさに空前の発見だった!わたしはおもわず天を仰いで涙した。自らの幸運に感謝した!
縄文文明は地中海にまで版図をのばし、電力を使用するほどの高度な文明だった!そして、その時代からすでに松下電器産業は存在していたのだ!
それから、私は文字通り寝食を忘れて新たな論文の作成にとりかかった
235: 日本@名無史さん 2002/02/03 08:15:00
>>231
ワラタ
ワラタ
引用http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1005124090/l50
日本人にはあまりいないタイプ
皇別の子孫の繁栄っぷりを考えると、源氏(天皇家)はD2系統かO2系統だろう