2014/04/06

第1空挺団創立56周年、習志野駐屯地創設63周年記念行事

2014年4月6日(日)、習志野駐屯地で行われた第1空挺団創立56周年、習志野駐屯地創設63周年記念行事を観てきました。

昨日、新町駐屯地行きで疲れてたのと、朝方まで雨が降っていたので行く気はなかったのですが、雨が止んで晴れてきたので慌てて出動。
「あ~、遅刻する」と思いながら急いで行ったのですが、着いたらまだ開門前。
あ、9時と勘違いしてた。。。


という訳でしばらく待った後、9時50分頃開門。手荷物検査を受けて中に入ります。
とりあえず式典が行われるであろうグラウンドに直行。手近にいた隊員さんに式次第を確認し、来賓用の屋根が邪魔なスタンド席をやめてグラウンドの端に陣地を設営。


東京中心部では葉桜になっているところも多かったのですが、習志野駐屯地ではなんとか桜が踏ん張ってくれて、記念行事に華を添えてくれています。

マイミクさんがいたので合流し雑談をしながら時間を潰していると観閲部隊が入場。


第1~3空挺普通科大隊に空挺特科大隊、空挺後方支援隊、通信中隊、施設中隊、空挺教育隊と第316会計隊が並びます。


こうやって一堂に介してみると、やっぱり習志野駐屯地は人多いですね。これに加えて特戦群もいる訳ですし。
ですが第1空挺団も中期防の中で改編が予定されているので、今後どういうふうに変わっていくのかが注目されるところです。




野田前総理を始めとする来賓が到着した後、第1空挺団長が入場し式典開始。
とりあえず式典の内容は(以下略)。
国会議員さんが多いと大変ですね。

そんな中、千葉三兄弟を発見したので撮影。

大人気の三兄弟。全然人が途切れず単独で撮ることは出来ず。
式典終了後、太鼓演奏を挟んで降下訓練展示。
上空を飛行するCH-47Jより4人の空挺隊員が自由降下を行います。



4名とも観閲台前にきれいに着陸し、拍手を浴びていました。

続いて観閲行進。
習志野駐屯地では震災後記念行事が中断されており、再開された昨年は観閲行進はなかったので、かなり久しぶりの実施になります。

普通の徒歩行進と車両行進なかと思っていたら、何やら色々付いた旗が掲げられています。


何かなと思ったら、旧空挺普通科群時代より連綿と続く団内の対抗競技での優勝旗のようで。
それだけかと思いきや、高機動車の荷台には様々な装備を身につけた隊員たちが。



そして更に道着に身を包んだ剣道、銃剣道、拳法の各部員と、レスリング部員も登場。



そして最後に空挺団OBで構成された空挺同志会のみなさんまで行進。


外国では退役軍人が軍服を着て行事に参加することはよくありますが、自衛隊では退官するとただの人扱いになってしまうのでこれは非常に珍しいことかと。
是非、他の駐屯地記念行事でも行って欲しいところです。

そして車両行進。



車両行進でも各競技会での優秀部隊を示す棒?が高機動車の荷台に置かれていたり、これまた一風変わった様子。


観閲行進だけで訓練展示がなくても色々やりようはあるんだと感心しました。

最後にC-1輸送機とCH-47Jによる祝賀飛行が行われて祝賀式は終了。



駐屯地内をぐるっとひと回りしながら桜を楽しみ帰投したのでした。

2014/04/05

新町駐屯地創設63年記念行事(予行)

2014年4月5日(土)、新町駐屯地創設63年記念行事の予行を見学してきました。
新町駐屯地は例年、新町さくらまつりと同時に開催され、土曜日の予行、日曜日の本番共に一般に公開されます。
以前より行ってみたいと思っていたのですが、年度初めで色々忙しい時期なので行くことが出来ず、今回初めての参加になります。

都内から高崎線に揺られて1時間半ほどで新町駅へ。
そこから歩いて10分ちょっとで新町駐屯地着。
都内はすでに葉桜になり始めていましたが、少し北のここでは今がちょうどソメイヨシノが満開です。


手荷物検査を受けて中に入り、まずは観覧席の前に陣地を確保。
と言っても、0900前のこの時点では確保する必要もないくらいで、昨今の自衛隊イベントの混雑ぶりが嘘のようなガラガラぶりです。

式典会場となるグラウンドの周りをぐるっと一周し、地元の名産品みたいな芋コロッケと鳥もちを食べ、桜を撮っていると観閲部隊入場開始。


この新町駐屯地には、第12旅団隷下の第12後方支援隊、第12施設隊、第12対戦車中隊他の部隊が駐屯しています。

9mm機関けん銃を装備しているのが第12旅団の特徴
この後式典となるのですが、今日は予行のため例によって執行者や来賓はダミー。
式辞なども読み上げられないので基本さくさく進みます。

ダミー第12後方支援隊長
という訳で、あまり眠くなることなく観閲行進開始。



と言っても、後方支援部隊メインなので、派手な行進ではありませんが。
でも79式対舟艇対戦車誘導弾は後継装備の導入に伴いどんどん数を減らしているので、まとまった形で見る機会はあまりありません。

そして式典終了後、30分ほど時間を置いてから装備品展示と訓練展示が開始。
装備品展示とはなんじゃいなと思っていたのですが、訓練展示の前に観閲行進に参加しなかった装備を観閲台前で紹介するというもの(なのかな?)。

紹介されたのはOH-6とUH-60JA、87式偵察警戒車に高機動車。



これらの装備を加え、いよいよ訓練展示開始です。

訓練展示は普通科を中心とした部隊による陣地攻略というオーソドックスなもの。


まずOH-6が敵陣地上空を偵察。



続いて偵察警戒車と偵察バイクにより編制された偵察隊が敵陣地を威力偵察し、その陣容を把握。


第12飛行隊のUH-60JAによりレンジャー隊員が後方へ潜入。


軽装甲機動車と高機動車で編制された普通科部隊が投入され、陣地攻略を開始します。
他の駐屯地祭だと96式装輪装甲車とか軽装甲機動車複数とかの場面ですが、今回はそれぞれ1両づつ。
でもこれが大多数の普通科連隊の実情なんですよね。


という訳で下車戦闘に移った途端、隊員が一人被弾。
応急手当を受けながら、後送の準備が行われます。


1トン半救急車が支援に駆けつけ、被弾した隊員を後送……するんですが、装甲ないし穴だらけになってそうな気がするよーなしないよーな。


そうこうしている内に、敵の砲撃を受けて今度は高機動車が被弾。走行不能に。
こちらも中レッカ車が投入され、後送されていきます。もちろん装甲なんかないので(以下略


こんな状態だと被害が増えるばかりなので、中隊長は敵陣地前の鉄条網を爆破により啓開し、一気に占拠することを決心します。

そこで用意されたのが、バンガロール爆薬筒を担いだ爆弾三勇士。


UH-60Jのドアガン攻撃で敵陣地を制圧している間に近づき、爆薬筒を設置するのです。



敵陣前に爆薬筒を設置し、


見事これを爆破!



これを機とした普通科部隊は突撃を敢行し、敵陣地を無事占領したのでした。

訓練展示終了後、ヘリが着陸したりなんやらで30分ほどしてから装備品展示が開始。
でもまだ銃火器類はさわらないで下さい状態。


陸幕長も変わったことだし、いい加減通達撤回して欲しいんですがダメなんですかね。
本物に手を触れることで得ることも色々あると思うのですが。。。

装備品展示をざっと観て撤収。
一路都内へと進路をとったのでした。

2014/03/21

在日米海軍司令部@CNFJフォロワー10万人到達記念米海軍横須賀海軍施設特別見学ツアー

2014年3月21日(金)、在日米海軍司令部が運営しているTwitterのアカウント"@CNFJ"のフォロワーが10万人に到達したのを記念して企画された米海軍横須賀海軍施設の特別見学ツアーに当選したので行ってきました。

朝0945に横須賀海軍施設のメインゲート前に集合し、セキュリティチェックを受けて入門。
最近の基地開放はセキュリティ上の理由から三笠ゲートばかりなので、久しぶりにこちらから入ります。


中に入ってまず向かったのは在日米海軍司令部庁舎。旧横須賀鎮守府庁舎になります。
中に入ると、オバマ大統領以下アメリカ海軍の各級指揮官の写真が飾られています。手前においてあるのは、3月がアメリカの女性史月間のため、その説明用のボードだそうです。


ここで在日米海軍司令部の広報の方から第7艦隊司令部の広報の方にバトンタッチし、まずはバスに乗って基地内を一周することに。

まず出発してすぐに通りかかったのが旧横須賀鎮守府時代の防空壕を再利用している第15駆逐隊の事務所。


横須賀海軍施設の山にはこのような防空壕が何キロも掘られていたそうですが、その殆どが埋め戻されてしまってるそうで。
話に聞く横須賀鎮守府管区防空指揮所も土の中に埋もれてるんでしょうね。

続いて向かったのがドライドック。
横須賀海軍施設には旧横須賀鎮守府時代から受け継がれた1号から6号までの6つのドライドックがあるのですが、一番古い1号ドックが出来たのはなんと明治4年。それも江戸幕府の小栗忠順とフランス人技師のヴェルニーが作り始めたのを明治政府が受け継ぎ完成させたものなのですが、現在でも艦船の修理に用いられています。

日本最古のドライドックである1号ドライドック。
5号ドライドック。中央にある凹みがソナーの修繕用のピット。
空母「信濃」を建造するために作られた6号ドライドック。奥には12号バースに接岸中の空母「ジョージ・ワシントン」が。
今回はバスの中からの見学だったので、うまく写真に収められなかったのですが、またいずれ日米親善歴史ツアーに参加して見学に訪れたいですね。

他にも横須賀海軍施設には色々な施設があります。

海上自衛隊の消磁所。ベースの一番奥なので、まず普通来ることはない。
防火防水訓練施設。艦艇での応急工作の訓練をここで行います。
横須賀海軍施設の消防署。日本人の基地従業員も多数勤めています。
うまく写真が撮れなかったのですが、ジェンキンス軍曹が収監されていた営倉や30種類の宗派に対応する教会、後ミドルスクールなどもありました。

ぐるっと一周回ってからいよいよ艦船見学へ。
まずはCVN-73「ジョージ・ワシントン」に乗艦します。


「ジョージ・ワシントン」は昨年12月に横須賀に帰投し、1月より絶賛メンテナンス中。そのため艦の内部外部問わず様々な器材が置かれ、ケーブルがのたうちまわっています。


一昨年のスプリングフェスタの際にも同じようにメンテナンス中の「ジョージ・ワシントン」に乗艦しましたが、その時よりも工程は遅れている感じを受けました。

GWの格納庫の中には現場事務所用のプレハブが並んでいます。
エレベーターも動いていないので、飛行甲板へはラッタルで登ります。
「インディペンデンス」「キティホーク」そして「ジョージ・ワシントン」と空母を見学したことはありますが、ラッタルを上るのは初めて。


でもちゃかちゃか登りすぎて写真は手ブレばかり。もう少しゆっくり行けばと言いたいところですが、何分時間も限られているのでこればかりは仕方ないです。
「ジョージ・ワシントン」は来年RCOHのため本国に戻り、代わりにCVN-76「ロナルド・レーガン」がやってくることになっていますが、その前にもう一度見学できればと思います。

サッカーも出来る広さの飛行甲板
シリンダーが露出しているC-13-2型蒸気カタパルト
足早に「ジョージ・ワシントン」の見学を終えた後は、9号バースに停泊中のDDG-62「フィッツジェラルド」を見学。
「フィッツジェラルド」もメンテナンス中のため、こちらも上甲板だけの見学かなと思っていたのですが、なんと艦橋まで上げていただきました。


メンテナンス中のため時鐘が降ろされていました。
なにかと思っていたのですが、MK-53 Nulka Decoy Systemのランチャーだそうです。
やっぱりゲーム機にしか見えないMk.38機関砲システムのコントローラー
中央の背の高い人が案内してくれたフィッツジェラルドの先任伍長(でいいのかな?)
改めて見ると、海自の「こんごう」型とは似て非なるものですね。

「フィッツジェラルド」ではシールと圧縮樹脂みたいな素材で出来た模型?をもらいました。
両艦のみなさま、お忙しい中色々とご配慮いただきありがとうございました。

その後フードコートに移動して昼食タイム。

A&Wだけどやっぱりポテト多すぎてお腹いっぱい。
それからSRFの売店に移動しお買い物。
私は「フィッツジェラルド」のグラスを購入。こういうカトラリー系のデザインは、どうしても欧米の方が優れてるんですよね。不思議です。

そして最後に再び出発した在日米海軍司令部庁舎へ移動。
そこで用意されていたのはフォロワー10万人到達記念のケーキ^^


在日米海軍司令部の作戦部長と広報部長も登場し、記念のケーキカットを行いました。

左が作戦部長、右が広報部長。サラダバーが凄いですね。
ケーキは切り分けられ、参加者全員でいただくことに。お味は。。予想通りベタ甘でしたw
そしてケーキを食べていると、丁度横須賀海軍施設を視察に訪れていた小野寺防衛大臣を見送った在日米海軍司令官が到着。

右が在日米海軍司令官クラウス少将。
スピーチをいただいた後、作戦部長、広報部長を交えて全員で記念撮影を行い解散と相成りました。

5時間あまりの短い時間でしたが、中々見ることの出来ない横須賀海軍施設の中を見学するという貴重な経験を頂きました。
ツアーを企画された在日米海軍司令部広報部のみなさまと、ご協力いただいた米海軍のみなさま本当にありがとうございました。
また次の機会があることを願っています。

さて、次は佐世保に行きたいですね。