日曜美術館「ポップアートの奇才 ウォーホルを“読む”」 2014.04.06

(テーマ音楽)1960年代世界のアートの中心となったニューヨーク。
あるアーティストの作品が芸術の常識を根底から覆しました。
20世紀のアメリカを代表するポップアートの巨人…死後30年近くたった今も影響力は増すばかりです。
自画像が出品された3年前のオークション。
価格はどんどんつり上がり…。
(ハンマーの音と拍手)なんと31億円で競り落とされました。
圧倒的な存在感の秘密はどこにあるのか。
読み解く鍵となるのがウォーホルが残した数々の言葉です。
(佐藤可士和)アート界の人に対してそういうのって古いよねって言ってる。
(布施英利)最終的にウォーホルが私たちに突きつけているところっていうのはそういった重いテーマ。
謎に包まれたウォーホルの実像。
その言葉は何を語るのでしょうか?今国内最大規模となるアンディ・ウォーホルの展覧会が開かれています。
初期の手描きの作品から写真を基に印刷技術を使って制作した晩年のものまで400点が展示されています。
アンディ・ウォーホル展。
最初に私たちを迎え撃つのが自画像の作品ですよね。
(秋元康)インパクトありますね。
(秋元)この目力はすごいですね。
決してなんかこうウェルカムっていう感じではない雰囲気もありますよね。
何かいつも表現者として見るものと対峙してる強さを感じますよね。
普通我々が作品を見てるんだよっていうふうになるんですけど逆にこのアンディ・ウォーホルの作品に見られてる。
改めてゲストをご紹介しましょう。
放送作家で作詞家の秋元康さんです。
(一同)よろしくお願いします。
秋元さんにとってこのウォーホルという存在魅力どんなものがあります?常にこう発光し続けてるというか何かこの辺にすごく気になる光がずっとあったっていう。
ちょうど仕事し始めた時にはもう光ってましたから何なんだろうっていう存在ですかね。
僕は美術芸術の専門家ではないので詳しい事は分からないです。
でもその説明しきれないエネルギーみたいなのは常に感じてましたね。
ウォーホルといえば彼が残した言葉もとても興味深いですよね。
例えば「僕のことが知りたければ表面だけ見ればいい。
裏側にはなにもないから」とか。
素直に受け止めたいんですけどもついウォーホルだから「ほんとかな?どうかな?」って勘ぐってしまうんですけど。
例えばこの作品を見て作品から語りかけてますよね。
つまり言葉を感じます。
この作品が語ってるという。
でも逆にいうと言葉からはビジュアルが見えてくるんですよね。
これが不思議ですよね。
作品からは言葉が見えてくる。
でも言葉からは映像が見えてくる。
それがウォーホルの言葉の面白さじゃないかと思うんですよね。
さあこちらがもうウォーホルといえばという作品の一つですよね。
キャンベルのあのスープ缶が10個並べられてます。
すごいですね。
やっぱりウォーホルの作品ってパッと見た瞬間の印象とか斬新さとかそこがほんとに素直にかっこいいなっていうそれが第一印象だったんですね。
でもそれ以上のものを僕なかなかその反面かっこよさに圧倒されてあまりつかめなかったんですね。
僕はその時代にこれが本当に芸術なんだろうかアートなんだろうかって問いかけた小石を投げて波紋が広がってくるような感じがこの作品から感じるんですよね。
つまりこれで深読みしてくれいろんな事を考えてくれっていう事。
そこにはもしかしたらアメリカの大量消費の時代とかいろんなアメリカの象徴とかベトナム戦争とかいろいろあったのかもしれませんがそれは果たしてそこまでここに込められていたのかは僕には分からない。
だけど少なくともみんなが深読みしようとしたこのアンディ・ウォーホルのアートとは何なんだろうって事を考えようとしたところが面白かったんだと思うんですよね。
代表作「キャンベル・スープ缶」。
アメリカで生まれたポピュラーなスープの缶詰。
トマトやベジタブルビーフなど10種類の缶詰がまるでお店の棚を飾るかのように並べられています。
1960年代初めウォーホルの出発点となったシリーズ。
しかし缶詰をそのまま写しただけでなぜそれがアートなのか。
1949年ウォーホルは21歳の時故郷ピッツバーグを出てニューヨークにやって来ました。
大学で絵画とデザインを学んだ経験を生かしファッション誌のイラストや広告などを制作するイラストレーターとして働き始めます。
靴が大好きでデザインも手がけていたウォーホル。
女性の足元を描いた若き日のドローイングです。
こうしたイラストが徐々に好評を博します。
人気を呼んだのは独特のにじんだ線。
ここに後のポップアートにつながるウォーホルの特徴が秘められています。
この線を描くためある手法を用いました。
下描きの上にインクを吸わない半透明の紙をかぶせ下絵の線をなぞります。
それを別の紙に押しつけます。
これを何度も繰り返すと…。
偶然生まれるにじみやかすれ。
それによって独特の味わいを持つ線が現れます。
更にこのやり方には同じ形のイラストを何枚でも繰り返し描けるという利点もありました。
そこにキャンベル缶に通じるアイデアがかいま見えると考えているのがウォーホル研究の第一人者…ウォーホルはどんな注文にも応える巧みさで一流のファッション誌のイラストや大手メーカーの広告を手がけるトップデザイナーとなり破格の収入を手にしました。
しかし30歳を過ぎた頃その成功をあっさりと捨て去ります。
イラストレーターの仕事を完全に廃業しアーティストへと転身を図ったのです。
そして1960年代初め個展を開きあのスープ缶の作品を発表しました。
最初は酷評されましたがタイム誌がウォーホルを特集。
ポップアートの誕生を象徴する作品と評されました。
キャンベル缶の作品に強く惹かれている人がいます。
アートディレクターの佐藤可士和さんです。
学生の頃からウォーホルは憧れの存在だったといいます。
注目したのはやはりキャンベル缶。
しかし先ほどの作品とは印象が違います。
これはウォーホルがアーティストに転身して間もない頃の作品です。
いろいろ模索してるというか葛藤してますよねまだね。
オリジナルとは何かとかオリジナリティーとかデザインとアートとか。
いろんなそういうはざまの中で何か新しい答えを見つけようとしてるんだと思います。
赤や黄色の絵の具がキャンバスを滴り落ちています。
よく見るとわざと絵の具を垂らし絵画としての個性を出そうとしている事が分かります。
背景には抽象画のような赤と黒のペイント。
こうしてウォーホルの模索が始まりました。
キャンベル・スープはトマトを原料にしたアメリカを代表する庶民の味です。
大量生産する事で手ごろな価格で販売。
薄めて温めればいつでもすぐに食べられる。
拡大する消費社会を支えてきた食品です。
アンディ・ウォーホル美術館にキャンベル缶誕生のヒントとなる資料が残されています。
ウォーホルが大切に保管していた缶詰の写真です。
ウォーホルは写真を見ながら作品を制作していました。
この絵は潰れた缶を写した写真にぴったりと重なります。
絵の具を垂らす事もなくただ見たままを忠実に写し取ろうとしています。
更に遺品の中から驚くべきものが見つかりました。
当時キャンベル社が作ったダイレクトメール用の封筒です。
ここにウォーホルの絵とよく似た缶詰が描かれています。
実はウォーホルは封筒の絵をそのまま作品にしていました。
斜め上からの角度や光の反射具合文字のカーブまで全く同じです。
誰がデザインしたかも分からないこの絵を堂々とコピーしていたのです。
そして絵筆さえも手放し「シルクスクリーン」という印刷技術を使って作品を大量生産するようになります。
シルクスクリーンはまず強い光でフィルムに図柄や写真を転写します。
するとフィルムにインクを通す所と通さない所ができます。
その上からインクを流し込むと版画のように同じ絵を何枚も複製できます。
ウォーホルは本来ポスターやTシャツの印刷に使われるこの技術を自らの作品に応用しました。
そうして生まれたキャンベル缶のシリーズ。
ウォーホルは工房に何人ものスタッフを雇い印刷作業の大半を任せていたといいます。
きっとオリジナルの魅力も当然分かっているんだと思うんですよ。
だけどアートっていう世界に身を置いてみるとオリジナルのものが一番価値があってそれが売買されていると。
そのオリジナルっていうのも一点ものっていう意味でオリジナルという事を言うんだったらオリジナルじゃないんだけどオリジナリティーはありますよね。
そのクリエ−ティビティーにオリジナリティーはすごくありますよね。
ウォーホルの面白いところが例えば他の絵画だと「ここの赤の色がいいですね」とかさそういう事を言ってもあんまり意味ないんですよこれは。
そんな事語ったって意味ないよっていうような事も言ってるわけですよね。
さあまた一段とこちらを見ている作品が…。
大きいですね。
エルヴィス・プレスリーをモチーフにした作品でもともとポストカードがあったものを使っているシルクスクリーンの作品だそうです。
ほんとにアメリカの象徴でもある人物で絶対的なロックスターが1人じゃなく2つここに写して反復してるっていうまたそこに何かウォーホルのトリックがとか勝手に思ってしまうんですけども。
(秋元)クリエイターにとって反復って実はすごく勇気がいる事なんですよ。
だからもしかしたらここのスペースに違うものを持ってきたら表現するものとして情報量は倍になるんですよ。
我々凡人はここに何か置きたくなりますよ。
例えばこっちがプレスリーであれば例えば反アメリカ的なものであるのかあるいは奇をてらってすごくピストル構えてかっこいいプレスリーとこちら側には便器が置いてあってこんなかっこいい人も便器に座る事もあるんだとかっていうメッセージを2つの中で入れようとか。
でもそういう事はもう余計なギミックであってこの反復同じ事を繰り返す事がいいんだっていう。
そんなね。
すごくないですかこれ。
ウォーホルにとっては別にアイデアっていうのはつまり触発っていう言葉に変えてるんだと思うんですよ。
つまりこれはアイデアとかなんとかではなくてその触発されたものをただ自分の目というものを通すとこういうふうになるんだとかキャンベル・スープのあのアイデアは50ドルで買ったんだよってありますよね。
そんな事言う人いないですよ。
これはどうやって思いついたのかとかこれはどういう芸術性があるとかそういう事を語る事が愚かであるっていうふうにメッセージしてるような気がするんですよね。
わあこれですよ。
ウォーホルなんかこう「マリリンはこれだ」っていうぐらい象徴的な作品になってますよね。
大胆ですね。
この作品見ると必ず思うのがウォーホルのアーティストとしての色彩感覚ほんとにピカイチだなっていう。
(秋元)でもやっぱりテーマが分かりやすいですよね。
同じものでも色彩感覚を変えるだけでセクシーに見えたり優しく見えたり温かく見えたり怖く見えたりなんか人間の目とか感覚なんてすごくあやふやなもんだっていうところがアンディ・ウォーホルから言われてるような。
そもそもベースは一緒ですもんね全く。
もうなんかウォーホルの絵見ると何かを問いかけられてるように見えるようになってしまいましたね。
去年1億ドルおよそ100億円という破格の値段で落札された…画面の左側に15枚の写真が印刷されています。
よく見ると全て同じ交通事故の写真です。
猛スピードで激突したのでしょうか。
車体は電柱に食い込み激しく壊れています。
ハンドルの奥には運転していたと思われる人物の死体。
キャンベル缶などポップな作品と同じ時期にウォーホルは「死と惨事」というシリーズを制作していました。
「自殺」と題された作品。
目を凝らすと小さな人影が見えてきます。
ビルから飛び降りた瞬間の写真を基に作られました。
同じ画像を反復させて右側にも薄いコントラストでプリントしています。
ウォーホルは通信社が配信する報道写真だけでなく独自のルートを使って警察の現場写真を入手し陰惨な光景を選びました。
「死」をキーワードにした研究で知られる美術批評家の布施英利さん。
「死と惨事」のシリーズはウォーホルの深い芸術性を映し出していると言います。
人生にとって一番大きなテーマは何かっていうとやはりその一つは「死」だと思うんですよね。
そういう意味でウォーホルはこの世の人間にとって一番大きなテーマに真正面から取り組んでいるっていうか真正面から迫っているっていうところがあってそこから目を背けていないっていう。
がらんとした部屋に椅子が1つ置かれています。
死刑を執行する電気椅子です。
シリーズの中でもウォーホルが特に執着したのが電気椅子でした。
同じ写真にカラフルでポップな色を重ね何度も繰り返し作品にしました。
ウォーホルが生きているこの時代があるいは人間というものが死をペラペラにしてしまっているという。
つまりウォーホルは死をペラペラなものだと考えたのではなくて時代を描写するというか時代をそのまま映し取るものとして死をペラペラにして…。
確かにウォーホルの作品は一見すると表面的なもののように思えてくるわけですけどもよく味わえば味わうほどそこには深いテーマがあって虚無であるとか死の闇の深さとか他にないほどの深淵をそこにたたえてるわけでペラペラを通してその向こう側にある死というものが見えてくる。
…というのがウォーホルがやろうとした事やった事なんだと思いますね。
ザラザラとした粗い粒子で焼き付けられた女性の写真。
どれもケネディ大統領夫人ジャクリーンです。
この作品はアメリカじゅうを悲劇に陥れた歴史的な事件を受けて作られました。
1963年テキサス州ダラスを訪れたケネディ大統領とジャクリーン。
オープンカーでのパレードの最中大統領は狙撃され暗殺されます。
そして連日大統領の死を悼む映像がテレビを通してアメリカ全土に流されました。
子供たちの手を握り葬儀に立つジャクリーン。
ウォーホルはその数日間の画像を集めました。
葬儀での姿。
暗殺の直前空港に降り立った時の笑顔。
メディアを通して全米が目撃した悲劇をいま一度作品として人々に提示したのです。
どんな重たいテーマでも何度も何度も繰り返すと軽くなると。
それはウォーホルが現代社会の中から学んだ事だと思うんですけども何ていうかな…まあ要するに「消費される」って事ですよね。
テレビの中である事件が何度も何度も繰り返して報じられるとだんだんまひしてきてしまうというところがあって。
それに近い効果があって。
そういったものに対するある種の批評としてウォーホルはそれを繰り返すっていう技法を使っていると。
モノがあふれているむなしさ…そういう現代社会に対してウォーホルはイエスって言ってるわけですよね。
モノがあふれている世界というのは生の世界っていうか生きてる世界でモノがあふれてる世界というのはしかしむなしい。
同じように死の世界もむなしいというものがあった時にその虚無感みたいなものを真正面から取り上げてそういった何重にも折り重なった虚無感というものをウォーホルは受け入れて私たちの前に提示してくれる。
それはいろんなベールに包まれたウォーホル像の一番奥にある本当のウォーホルの姿だったんじゃないかなというふうに思いますね。
当時はいわゆる報道写真から切り取ってきてるわけですよね。
全てデザインソースっていうものはほんとにちまたにあふれているものでもあるわけですよね。
その見方や捉え方で芸術に持っていけるっていう。
しかも暗殺という事件を取り扱ってる作品でその他にも死にまつわる作品が相当シリーズで続いている。
でやっぱり言葉を残してるんですよね。
「死について深淵なテーマなんてないんだ」と。
「薄っぺらいものなんだ」っていう言葉さえ残してるあたりがまたザワザワするというか…。
うん。
芸術とか死とか愛とかお金とかそういうもの…みんなが深く考えるものそういうものっていうのは実はそんなに大したものじゃないんだと。
もっと薄っぺらなもので大した事ないよ。
死というものは例えば死について「どうなんだろう?」とみんなで語り合っても結論出ないでしょと。
でもそんな事どうでもいいじゃないと。
つまり目に見えてるもの感じてるものが全てなんだと。
「死」という言葉があってその向こう側に何か一生懸命メッセージを探そうとする。
でも死は僕が描く一枚の絵みたいなもんで一枚の作品みたいなもんでそれ以上ないんだよと。
だから「薄っぺら」っていう表現を使ったのかもしれない。
40歳を過ぎた頃からウォーホルにとってお金そしてビジネスが重要なテーマとなっていきます。
その原点は幼少時代。
ウォーホルはスロバキアからの移民の家庭に生まれました。
父親は工場で働き暮らしはとても貧しいものでした。
その父も14歳の時に亡くなります。
1970年代ウォーホルはアートとビジネスを結び付ける全く新しい試みを始めます。
「注文肖像画」と呼ばれるシリーズです。
著名なファッションデザイナーヴァレンティノ。
ウォーホルはこうした肖像画に1点2万5,000ドル2点なら3万ドルという定価を設定しました。
その金額さえ払えば誰でもマリリンのような肖像画をオーダーできるようにしたのです。
しわを消して美しく見せたり激しい筆跡をわざと残して絵画らしさを演出したり。
顧客が喜ぶよう気前よくサービスしました。
ウォーホルは数々のパーティーに出席しセレブとの交流を広げていきます。
そして抜け目なく肖像画の注文を取り付けました。
セレブ中のセレブモナコ公国のカロリーヌ王女。
肖像画の基となる写真の多くはウォーホル自身が撮影しました。
世界各地で営業を行い実に1,000点以上もの肖像画を制作したといいます。
この人の肖像画も。
ワインの販売をPRするカレンダーのために注文されました。
80年代に入るとこのビジネスは過熱し注文肖像画だけでウォーホルは年間200万ドルを稼ぎ出しました。
商品開発やデザインなどビジネスの最前線で活躍する佐藤可士和さん。
ウォーホルには現代に通じる巧みなビジネス戦略があると言います。
注文肖像画っていう…プロジェクトというかコンセプトというかそれはすごい面白いですよね。
今的に言うと「ブランディング」ですよね。
ウォーホルのブランドも上がれば今度は描かれた人のブランドも上がればどんどんどんどん輪が大きくなってくというかその力が強くなっていくといいますか…。
だから僕はやっぱり一点ずつがどうこうっていうよりもラインナップが重要なんだと思うんですよね。
アレキサンダー大王ね…頼むわけないもんね。
でもアレキサンダー大王をラインナップに入れる事ですごさを醸し出そうとしてんじゃない?「もはや俺はアレキサンダー大王にも頼まれてる。
あなたたちもアレキサンダー大王と同列ですよ」というメッセージですね。
「だからブランド価値高いですよ」というしゃれだと思います。

(佐藤)逆に今の時代で言うとすごい言い当ててるというか。
絵の具が企業とか会社っていう。
絵の具の代わりに企業とか会社という形を使って表現してるアーティストだなと思ったりする。
ほんとにいろんな意味でビジネスっていうだけじゃなくてもっとほんとに社会をキャンバスにしてやったアーティストだと思うんですよね。
それのパイオニアですよね。
社会とアートの境界線を飛び越えたウォーホル。
いつしかその存在自体が最高のアートとなりました。
赤緑青群青色。
きれい。
(CMナレーション)イマ人を刺激する。
そして1987年。
胆のうの手術のため数日の予定で入院したウォーホルは合併症で不慮の死を遂げます。
多くの謎を投げかけた58年の生涯でした。
「僕の墓にはなにも書かないでほしい。
もし入れるとしたら『全部ウソ』」っていう。
やっぱり!って思ったのとあとここでウォーホル珍しく本音がかいま見れたなっていうふうにも。
(秋元)結局アンディ・ウォーホルという人をどういう人物だったかどういうアーティストだったかを知られたくないんでしょうね。
ず〜っと煙に巻いて最後カムフラージュして死んでいったと。
だけど死んだ事すらほんとは何かのカムフラージュかもしれないっていうメッセージ性が残るわけだから。
そういういろんな事をやりながら「全部ウソだよ」とか「僕は何にも考えてない。
僕はほんとに空っぽだよ」って言われれば言われるほど「いやいやそんな事ないと思う。
何なんだろう?」って見てしまう。
つまりここに箱があるとする。
箱があって開けて中に何かが置いてあったらその置いてあったものを見て一満足してやがて飽きていきますよね。
でも開けても開けても何も入ってなかったら「何なんだろう?いやそんなわけない。
ここに置いてあるんだから何かは入ってるはずだ」と。
永遠に通る人が何人も開けたくなる。
それがアンディ・ウォーホルじゃないかと。
だってずっと彼の死後もこれだけ愛されてるわけですからね。
アンディ・ウォーホルという箱はずっとみんなが開け続けてるんですよね。
2014/04/06(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「ポップアートの奇才 ウォーホルを“読む”」[字]

ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル。アートに革命をもたらした作品とともに、数々の謎めいた言葉を残した。秋元康さんが“言葉”をヒントにウォーホルの魅力を語る

詳細情報
番組内容
キャンベルスープ缶や、マリリン・モンローをテーマに、アートに革命を起こしたアンディ・ウォーホル。今なお絶大な人気を誇る作品とともに、数々の謎めいた言葉を残した。「なんでオリジナルじゃなきゃいけないの?」「僕がやっていることは全て死に向かうもの」「うまくいっているビジネスは最高の芸術」。国内最大規模の回顧展が開かれている会場から、秋元康さんが“言葉”をヒントに、ウォーホル芸術の魅力を語る。
出演者
【出演】作詞家、放送作家…秋元康,アートディレクター…佐藤可士和,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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