このじいさんそんじょそこらのじじいじゃない。
安易に触れるとやけどする。
(聞き手)この前死についてもだいぶお話になってましたけど今死は怖くないと思ってらっしゃるんですか?なぜ君が俺に「死が怖いんですか」なんて聞くの?そんな事をねなぜ君たちは心配するのかとほんと思うよ。
それこそくだらない事だよ。
先日はありがとうございました。
しかし女にはめっぽう弱い。
「究極の愛」を語りだしたら止まらない。
愛とは何か?じいさんの周りにはいつも女が寄ってくる。
一体どんな人間なんだ。
先生はじゃあ何ですか?じいさんの名は…信州の山奥で気ままな独り暮らし。
これまで波乱に満ちた人生を送ってきた。
アガサ・クリスティーやノーベル文学賞作家の翻訳で若くして名声を獲得。
一方で数々の恋愛を繰り返し家族を捨てた。
一転して大自然に身を任せるようになった老年期には命が一つになったような愛も知った。
そして今ひとりの自由を楽しむ。
わがままと言われようとただ命に忠実に。
人生の晩年をどう生きるか。
あがき続ける日々を見つめた。
中央アルプスと南アルプスに挟まれた信州伊那谷。
その一角周囲を木々に囲まれた高台にじいさん家はある。
横浜からこの地に移り住んで25年がたった。
じいさんの朝一番の日課がお茶だ。
全く勝手にやってる事だからね。
お茶の作法なんかちっとも正式にはやっちゃいないんだよ。
全部手前勝手にやってるんだよ。
(聞き手)忘れて下さい。
じいさん形式ばった事が大嫌いだ。
お茶の作法の人はこれ3口半でぴったり飲めとか何とかうるさいんだよ。
僕は一切そんな事しないんだ。
(聞き手)おはようございます。
じいさんは日替わりでお手伝い兼仕事のアシスタントを雇っている。
独り暮らしが長いが家事はからっきし駄目だ。
10部屋もある一軒家。
いつもじいさんがどこにいるか探すのに一苦労だ。
おはようございます。
いいみたい。
今も詩やエッセーの執筆に忙しいじいさん。
ひげの手入れもお手伝いさん任せだ。
しかし油断して仕事の愚痴をこぼすと鋭い言葉が返ってくる。
(聞き手)僕なんかも好きな番組やりたいと言うと僕が個人として好きな番組こういうのがやりたいと言うとじゃあお前会社辞めて勝手にフリーでやればというふうに言われるんですよね。
会社の方が正しいよ。
あっそうですか?そうだよ。
会社はだって会社のために君が働いてると思ってるんだからね。
そうですそうです。
君は会社との間にバランス取ってないじゃん。
あっちの方が権力があるのに権力のある者に対してノーと言ってるんだからね。
それは会社の方が正しいですよ。
そういう権力のある人には「うん」と言っておけと。
ウソでもですか?それで知らん顔をしてできれば君の好きな事をやるんだよ。
会社に尽くせと言ってみたりその裏で好きな事をやれとそそのかしてみたり…。
このじいさん何考えてんだ。
東京生まれのじいさんは時折谷から都会に下りてくる。
この日はトークイベント。
お手伝いさんを連れてお出ましだ。
この日は「人生の失敗」について自らの経験を語り始めた。
失敗した人間というのは自由だろう?
(笑い)
(笑い)何について?家族について。
家族?家族?ファミリーか?はい。
そうですね。
それ分からないで俺に質問しても駄目だよ。
分かりました。
俺の経験を聞きたいというわけじゃないだろ。
じいさんがなぜこの質問に引っ掛かるかって?それはこれまでの人生で家族と大きな確執があったからなんだ。
もともとじいさんは横浜国大の英文学の教授だった。
れっきとした国立大学の先生だったんだ。
有名なクリスティーの「ナイルに死す」など翻訳でも成功を収めた。
しかしその裏側では家庭や社会に閉じ込められたような息苦しさを感じ精神のバランスを失っていたという。
胃潰瘍で倒れ胃の1/3を切り取る手術も受けた。
そんな時もう一人の自分の声が聞こえてきた。
それは幼少期の自分いわば「はじめの自分」の声だった。
子供の頃商人だった親は教育には無頓着で加島少年は海や山で好きなだけ遊び回った。
あのころの自由そのものの感覚。
なぜあれを取り戻せないんだと。
そして60を超え子供が成長した頃我慢の限界に達したじいさん。
家族と大学教授の職を捨て社会から逃げ出したんだ。
自由。
(聞き手)自由?自由が欲しかったんだな。
それはね…コーリング?コーリング。
呼んだんですか?うん。
はじめの私のコーリングはそうだったんだ。
それはあらがいきれない…自分の内側の声にあらがいきれなかったんですか?内側の声というものがねそういう意味で聞こえたんだその時にな。
家族子供…心情までは分からない?心情までは分からないところあるんですか?分からない。
そこら辺は私は分かんないんだ。
どうもそこら辺はね…。
自分というものを犠牲にする気持ちがなかったと思うね。
自由への願望が最優先だって?じいさん勝手なもんだ。
そんなじいさんが偶然たどりついたのが伊那谷だった。
その時目の前に広がる大自然が心に焼き付いた。
こんなにすごいのはなぁ。
何とも言えないんじゃないですかね。
こんな時はやっぱりここにいる幸福があるね。
ハハハ…。
何物にも代えられないからね。
じいさん本当に子供に返ったように伊那谷の野山を飛び回って遊んだ。
見てごらんこの毛虫のきれいな事。
ほらこれ見てごらんよ。
(聞き手)うわ〜きれい。
ねえきれいだろう。
ハハハハハ…こいつはまったく。
驚きの中にいると人っていい顔になるんだよ。
この自然に触れてじいさんは「はじめの自分」が再び躍動し始めた事を実感したんだ。
大変お待たせしてすいませんでした。
伊那谷での暮らしの中でなぜか詩が湧き出し絵も描けるようになった。
その2つを融合させた独特の墨彩画を編み出したんだ。
じいさんは「はじめの自分」に触れて気付かされた事を詩に込めた。
求めすぎずありのままの自分を受け入れたら随分楽になると。
たまたまこの詩が出版社の目に留まって世に出るととにかく売れた。
一番驚いたのがじいさんだ。
その言葉に人々は自らを勝手に重ね合わせじいさんはいつしか現代のセラピストと呼ばれるようになった。
特に私は求めないとか受け入れるの反対の生き方がしそうな感じな自分なので「求めない」という事の本当の意味がすごくこの人が教えて下さったという感じがして。
今は誰でも社会に流されて生きてるじゃないですか。
どうしても関わらなければ生きていけないしかといってじゃあそれでいいのかというのも分かるので作品を通して教えて頂いてるというか。
一方残された家族はたまったもんじゃない。
じいさんにどんな思いを抱いて生きてきたのか。
出版社に勤めていたが10年前から銀座にバーを開いた。
この夜上京しているじいさんも店に顔を出すらしい。
牧史さんが高校を卒業する頃にじいさんは家を出ていった。
その時精神的にボロボロになった母親を牧史さんが支えた。
勝手に家を出ていった父親を牧史さんは許す事ができずずっと関係を断ってきた。
前はやっぱりこんな事ね嫌だってしかないから。
拒否反応でしかないから。
やっぱねきついですよいろんな意味で。
何つったらいいかな…。
それが父親が家から出ていった年齢に近づくにつれて思いが変わってきたという。
こっちが54でしょ。
ようやくそういう理解という事が自分の事としてできるようになって。
ただ責めるだけじゃなくて「ああ自分もそうだよな」という事を。
同じ道を歩かざるをえないから。
それが父親と息子という関係がやっぱり同じ性を生きるという事の何というかな一つの宿命ですよね。
(牧史)どうぞ。
お待ちしてました。
こんばんは。
父と子が2人っきりで話すのは1年前に話して以来2度目だ。
生きてんの?どうやらだ。
ああ「どうやら」。
ハハハハハ…。
よく駒ヶ根にいるじゃんよ。
ああ。
逃げ出さないの?逃げ出さずにまだいるのかい?いるさ。
しょうがないなそりゃ。
僕はこの息子をね18ぐらいからほとんど世話しないでいたしろくに何もしなかったから30年ぐらいはね何だかもうお互いにお互いを見捨てたようになってたんですよ。
いっぺんそういう関係になってみるとねもう僕も諦めちゃってね。
忘れちゃうもんだね。
やっぱりいいもんだなあと思うからね。
何か不思議なもんだよ。
恨んだ…。
まあねえ恨んだ事はないけど頭にきた事はやっぱりそれはたくさんあるよ。
それは当たり前だよ別に。
ねえ。
こっちも切ないんだけどこっちもどこか切ないんだよ生きてる事自体が。
ねえ。
だから息子の事なんて構ってられないんだよ自分の切なさいっぱいで。
そうだよ。
だから…そんな程度だね50代の男なんて。
50代の男なんかそんな程度だろ?なあ。
そうだよ。
そんなもんだよなあ。
長身に黒いダウン。
伊那谷には似つかわしくない客がやって来た。
はじめまして。
運転手の佐藤と申します。
遠いところありがとうございます。
どっかで立ち食いそばでも食べられるところありますか?
(聞き手)ごはんですね。
ええ。
(佐藤)うちで…。
そうですか。
なぜこんな有名人がじいさんに会いに来たかって?それは雑誌の対談で知り合って妙に馬が合ったからなんだ。
(姜)あこっちね。
(佐藤)はい。
(姜)あ〜これはいいなあ。
あ〜…ここから見えるんだね。
いや〜いいねえ。
60を超えた姜さん。
人生の晩年をどこでどう生きるか。
大学教授の先輩でもあり90で田舎暮らしをするじいさんに話を聞いてみたかった。
お久しぶりです。
どうもありがとうございます。
いや〜よく遠いところ…。
いいえすばらしいですね。
景色だけはいいところなんです。
こちらまたすばらしい!雪をこう頂いてね。
ここだったら僕もいいなあと思う。
ここはいいところなんですよ確かに。
先生と代わりましょうか。
代わりたいぐらいだなあ。
どうもおじゃまします。
こちらねみんな僕のヘルプしてくれてる人たち。
いやいやこれはもうほんとにすばらしい人生だ。
今日は特別女性が多いんだけどそれにしてもね。
あまりくつろげないかもしれない。
あぐらかいてくれよ。
あぐらかいて。
(姜)こうやってお茶をいれるの。
これ最高だね。
毎日遊んでる時間があるというだけだよ。
それが大切な時間で。
そうそう。
やっぱり僕だってあなたの年だったらこんなのんきな事をしてなかった。
やっとこの10年間ぐらいですよこんな事をし始めたのは。
はいどうぞ。
ありがとうございます。
姜さんは還暦を迎えて初めて感じた心境をじいさんに語り始めた。
僕は60歳を過ぎたばかりですけど最近何かこう空を見たり自然に触れたりする時に何かしら今までとは違った自分が気持ちの上で出てきてそれは間違いなく社会とか今まで考えていた社会的自分とか歴史的自分というんじゃなくて何か生そのものの充実みたいなものを求めたいというか。
だからね僕みたいにようやくじいさんになってきてこういうところで生きていけるという状態になった時はね僕はもうね…そうすると僕は今度はもう一つの…僕は「今のままでいいや」と言った時の「Herenow」というのはねそういう意味で僕はとてもね今だからできる事でね。
そんな簡単には僕だってやってこられなかったわけですから。
ただ僕は割合とその両方をいつも人生の中年の頃から以降両方持ってたの。
こっちは一応大学教師なんかやったりして世間的な地位があったけどさいざとなればね…。
いざとなればというのはこっちが無くなりそうになったらねこっちは「捨てちゃったっていいや」というね。
そういう気持ちがあったんですね。
あったの。
なぜかというとこっちが大切だから。
だもんだから私も大学にいた時に60…ちょうど君ぐらいの年だ。
ちょうど60歳になってからの体験ですね。
ちょっと待てよ。
これぐらいで一休みしよう。
ああでも先生いいですねここはほんとに。
僕も東京には1週間ぐらいしかいられなくなっちゃった。
ああ分かります。
やっぱり都会というのは強い魅力はあるんだけどねその魅力さえなくなっちゃうんだから。
僕の中からね。
僕は今東京には住みたくないというのが本当の気持ちですね。
東京にはあんまりいたくないと思う今。
だんだんにそういう気持ちになるのはいい事ですよ。
今まで誰にも明かした事のない心境を語った姜さん。
東京では得られない大切なひとときとなった。
それから1週間。
姜さんにも表面的には元気に振る舞っていたじいさん。
しかしこの1年半というもの心の奥底には深い喪失感を抱えてきた。
東京での仕事などどうしても必要な時を除けば家から外出する事はほとんどなかった。
姜さんと出会って触れ合う何かを感じたというじいさん。
語り足りなかった事を長文の手紙にしたためた。
じいさんもまた誰にも打ち明けた事のない気持ちを姜さんに伝えようとしていた。
「私はこの90年の人生で親しい人の死をみとった事は一度もなかった。
しかしいま思い出すのです。
私は母の死とAMの死には慟哭したのでした」。
AMさんはドイツ人の女医さん。
日本人と結婚して来日し夫が死んだあと長野に移住してきた。
2人は10年前じいさんの個展で知り合った。
(聞き手)これじゃないですか?これこれこの観音がな。
AMは散歩が好きだから1人で散歩するうちにこれをめっけたんだ。
出会った時2人で深い林を歩きたどりついた観音像。
その光景に80にして心揺さぶられた。
これがそうだ。
その日の翌日描いたんだ俺が。
詩もね。
ドイツから来た女性がね僕らのもうすっかりやらなくなったような事をしてる。
その事に非常に驚いた記憶がある。
それが最初のあれだったですよね。
最初の出会いなんですか?精神的な出会いというかな。
なぜじいさんがAMさんに引き寄せられたのか。
これまでも自由な人生を満喫していたはずのじいさん。
しかしAMさんと2人でいると何かまた特別な感覚を味わえた。
彼女の前ではなぜかあっさりと「はじめの自分」になれる気がした。
2人は天竜川の土手を歩き桜の季節には花を愛で雪解け水の流れに耳を澄ませて濃密な時を過ごした。
しかしじいさんがAMさんと共に歩き始めて9年。
AMさんは突然白血病に侵され亡くなった。
すぐにAMさんの自宅に向かったじいさん。
死の床にあるAMさんを前に言葉を失った。
じいさんはその時の打ちひしがれた気持ちを姜さんへの手紙につづった。
心にそんな動揺が広がるとは思いもしなかったじいさん。
それからというもの2人で歩いた散歩道には足を踏み入れず過去にばかり目を向けるようになった。
いろり端に座り悲しみを手記につづる日々が続いたんだ。
「最も歩きたいが最も歩きがたい道に今日はいってみようかおゝそれが出来たらと願いつつ炉端に座っているまだ立てない」。
いわばこの谷にいた人が空の方に向かってね行って僕はここに残されたというかな。
ひとりで歩くという事にはね共にいた人間がいないという事しか感じないから。
単独行動というのはね…今までいたという人が意識の中にあると許せないんだよ単独が。
自分にね。
だから内的な淋しさというものがなかなか強かったんだね。
その後東京の姜さんから初めての手紙が届いた。
手紙にはこの前の訪問の時じいさんに言いだせなかった事が記されていた。
それは4年前に亡くなった当時26歳の息子の事だった。
「私も時折加島さんのように流れるままに生きたいと思う事がありました。
しかし私にはそれが出来ませんでした。
私は因習や常識世間の評判や掟に囚われた臆病な人間なのです」。
「その事を決定的に知らしめたのは息子の死でした」。
「想像を絶する不安を伴う神経症に悩まされた息子は自分自身を雁字搦めにする得体の知れない巨大な軛のようなものに怯え戦き自ら死を選んだのです」。
「加島さん息子はこの汚濁に満ちた『不人情』の世界に生きるには余りにも無垢だったのかもしれません。
そして私はそんな世界の囚人そのものでした」。
60代まで社会にとらわれて生きてきたじいさんは姜さんの告白を我が事のように受け止めた。
彼は自分の著作や何かでもみんな成功して何もかも成功したけどもちっともそれが充実感にならんわけだよ。
やっぱりそうじゃない生活の方がよかったんじゃないかという事を息子を通じて何か見させられたようなところがあるんじゃないかな。
伊那谷から戻った姜さんは小説の執筆に取りかかっていた。
大学の講義を終えたあと深夜まで打ち合わせをこなす。
小説の何というかスタイルとか…。
小説は「息子の死」がテーマだ。
主人公の大学生にはあえて息子の名前を付けた。
生きる事に悩む主人公からの問いに姜さん自身が答えていく内容だ。
僕自身も少し変わっていくその心境の変化ねそれをやっぱり少し書きましょう。
息子の死後ずっとそのパソコンに手を触れられなかった姜さん。
ある時思い切ってパソコンを開くとそこに息子の意外な言葉が残されていた。
それまで気付かなかった息子の声が聞こえた気がしてその場に立ちすくんだという姜さん。
その瞬間から息子の言葉との格闘が始まった。
でもその時は世界に対して憎しみとかあるいは怨念という事が一切洗い落とされてそれが僕にとってはものすごく心に残ったんですね。
まだ息子との対話にはなってないけどでも息子が残した言葉の意味を考え直してみようと。
それはどういう意味だったんだろうという事をね。
来る日も来る日もその言葉を考え続けた姜さん。
しかしその意味は浮かび上がってはこない。
姜さんはいつしか自分自身の生き方が正しかったのか突きつけられていた。
そして今年3月姜さんは大きな人生の決断をした。
(拍手)15年勤めた東大教授の職を定年を前に辞める事にしたのだ。
姜さんは今年63歳。
偶然にも加島のじいさんが大学を辞めた年と同じだ。
姜さんもまたこれまでと違う生き方に目を向けようとしていた。
そうでしょうね。
だからやっぱり…たとえ僕が回答を見つけ出してもそれは本当に回答なのかどうか。
僕にとっての回答であっても多分果たしてそれは息子が残した問いの答えになっているかどうか分からない。
分からないけどやっぱり何らかの答えを出すために向き合わなければいけないと思って。
ずっと向き合う事をある意味では避けてきたような気がするんですね。
やっぱりそれはつらい事でもあるし。
それが今やっとここを辞める事を通じてだから僕は多分一つの変化が…ここを辞める事がどうのこうのというよりはそれを通じてやっぱり変化が起きるんじゃないかと思うのね。
その変化を通じて僕が多分変わっていくんじゃないかなとも思うし。
姜さんと出会って1年。
じいさんはようやく伊那谷の野山を出歩けるようになった。
いろり端に座り込んで自分と向き合ううち不意にAMさんの声が聞こえてきたというんだ。
AMは僕がよっぽど活動的で生き生きと生きていく事を望んでいるに違いないというひらめきがあった。
それから僕はそうだというふうに僕自身にも返ってきたの。
僕自身の本性はもっと活動し何かクリエートしやりどんどんやっていく事を願っている存在なんだ。
それをAMと一緒にやれると思ったのがやれなかっただけだからAMが私にそれをやるなと言うはずがないという感じがひらめいたんだよ。
すると孤独な心にいなくなったはずのAMさんが共にいるイメージが浮かんできた。
単に淋しいだけじゃないんだよ。
驚きがあったりな。
それはむしろ何かひとりでいる事の喜びさえ湧いてくる時があるんだから。
AMというものがそばにいるような感じがある時なんかなおさらそうさ。
ウグイス一つが飛んでいくのだってそれに対する喜びというか驚きというかそういうものを分け合ってるような感じがあるわけよ。
ひとりで淋しく見ているんじゃないんだよ。
それは僕の実感だよ。
だから人ってそんなに孤独な…淋しさを恐れなくてもいいような気もするな。
AMさんの3回忌を迎えた今年5月。
じいさんはAMさんと初めて出会ったあの観音像に向かった。
2人で歩いた思い出の散歩道に来たのはAMさんが亡くなって初めての事だ。
これ。
ほら。
これがねそうなんだ。
何とも言えない顔をしてるでしょ。
まだあったね。
でもここにこれがあったという事は僕にとってはすごい救いというかな。
(聞き手)さっきも3年はここに来るのがしのびなかったというそこはやっぱりちょっとでもそれを受け入れるというか迎え入れるという作業というのは…。
そんな甘いもんじゃないよ。
受け入れるなんて言って受け入れられるものじゃない。
心の中でどっか自然に受け入れられるようになるまではできない。
人間の心の痛手というものは頭で何かやったって駄目ね。
何かもっと違った深いところにある精神が立ち直ってこないとね。
こうやってなあ…。
やっぱりな。
こういうのな…。
いやよかったよ。
とにかくここへ来られた事でね僕の立ち直りの最終ラウンドに自分が来たような気がするよ。
これ見てね。
5月の終わり姜さんが再びじいさん家にやって来た。
どうもどうもお久しぶりです。
よくおいででした遠いところ。
むしろ前よりもっとお元気になったような気が。
多分少しそうなの。
少し持ち直してきた。
今だいぶ楽になったね。
ええ。
あれ見た?あそこの。
AMさんの。
この日じいさんは姜さんに見せたいものがあった。
これまでAMさんのお骨はいつもそばに置いてきたじいさん。
それを思い切って庭にまいたんだ。
これが白いのがお骨になるんでしょうかね。
(聞き手)この辺りはみんなそうみたいですね。
(姜)そうですか…。
いやいやこういうのもいいね。
庭のところにこうやってね。
いつもいられるし本人も一番いいんじゃないかしらね。
何かこう散骨という仰々しいイメージじゃなくて。
そんなもんじゃないんですよ。
(姜)むしろ天から星が少し落ちてきた感じで。
AMはこの辺にいるけどね。
この中にもいるかもしれないけど。
やがては地面の中に沈んでいくからね。
そういう事で十分だと思うの。
そうですか。
やっぱり亡くなった人に対するイメージは何年たってもなかなか形としては失われなく自分のイメージの中に生きている。
一番最後に息子がねあなた方よく生きて下さいと言って死んでいくというね。
あれはちょうど同じものでね死んでいく者とか死んだ者は生きてる者を励ますんだという事が僕の心に浮かんだんですよ。
そうだAMも僕を励ましたんだしあなたの本を読んだらやっぱり息子があなたたちを…あなたと母親を励ましてる。
死ぬ人というのはなぜかねなぜかじゃないな必ずと言ってもいいけど生きてる人間を励ます。
よりよく生きろと励ますんだというね。
僕も加島さんが今おっしゃった事を言いたかったんですけどやっぱり最初は亡くなってから加島さんのように完全にダウンしていく事が怖かったのでむしろ考えられないぐらいにいろいろなスケジュールを入れてしまったんですね。
そうすると自分一人で落ち込む時間が無くなってくるのでなんとか表面的には活動しているように見えたと。
でも3年ぐらいするとやっぱり本当に悲しみを表現してないという事がずっとたまってきますから。
おっしゃるとおり僕は「心」という小説を書いて最後はやっぱり死んでいく人が生きている人を励ますという事をやっぱり感じました。
それがなかったら自分が多分こうやって人前で話ができてなかったかもしれません。
その亡くなった人があなたを引っ張るんじゃなくて押すって。
ああ押す。
自分がどんなに悲しんでるかを見始めたらねそれはそこから押されて出てくるんですよ。
最近僕も昔は植物にあんまり興味なかったんですけど最近はせっせと花ばっかり買ってきて今一生懸命…。
ひなたにね。
都会にいたらそうかもね。
やっぱりねどうしてこんなに可憐な花が咲いて結局はしおれて無くなっていくけどこれもまた何か自分たちを生かそうとしてるんじゃないかななんて勝手に思うようになってですね。
みんなそういうエネルギーとつながるのを持ってるんですよ。
誰も彼もがね。
それが誰も彼も持ってるのでどんな善人でもどんな悪人でも持ってるところが面白いんだよ。
息子と向き合ううち姜さんの中でもあの「はじめの自分」が動きだしたんだ。
描きましたよ!あのね遠くから見るといい作品に見えて近くから見ると駄目なの。
もう数十分しか時間がなかったから。
何か不思議な…。
ああほんとだ。
大きな悲しみを受け止めひとりの孤独も受け入れる。
それぞれ違う境遇を歩んできた2人は今ここでそんな思いを分かち合った。
ほんとにしかしベストシーズンだよ。
彼はロンリーじゃなくてアローンの方に移ったステップアウトしたような感じだよな。
ロンリーは人と離れた淋しさアローンは俺ひとりでも大丈夫だという言葉なんだからね。
ロンリネスといったらもう淋しいから人を求めてねあちこち過去へ行ったり未来に行ったり今の人を探す。
アローンといったらもうそれは過去も将来もそんな事よりも今俺ひとりでも結構楽しいんだというね。
他を求めないでなおかつ淋しくはないというかな。
先生はどうですか?今は。
俺は駄目だよ。
俺はそんなにすごくないよ。
甘ったれでもう駄目人間でさ。
いつも人と誰か手をつないでいたい人間だからね。
ただそれを無理に人の手を握ってひったくろうとはしないだけでさ。
誰か来たらもうそれにすがりつく事は自由にやるんだよ。
でも誰も来なかったらしょうがないからひとりでいる事もできる程度にはひとりなんだよ。
本来の子供のようなちゃめっ気もすっかり戻ってきたじいさん。
加島祥造90歳。
人生の晩年。
ひとりでも淋しくはない。
(グラスに落ちる音)2014/04/05(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール「ひとりだ でも淋しくはない〜詩人・加島祥造90歳〜」[字][再]
信州で暮らす詩人・加島祥造さん(90)の「求めない」「受け入れる」という考えが注目されている。人生の晩年をどう生きるか、今もあがき続ける90歳の日々を見つめる。
詳細情報
番組内容
信州・伊那谷で暮らす詩人・加島祥造さん(90)の言葉がいま注目されている。詩集「求めない」、「受け入れる」で、加島は“求めすぎず、ありのままの自分を受け入れると楽になる”と言う。しかし、これまでの人生は波瀾万丈。翻訳家として名声を得ながら、60代で社会から逃走し、伊那谷に来た。わがままと言われようと、命に忠実に向き合ってきた。人生の晩年をどう生きるか、今もあがき続ける90歳の日々を見つめる。
出演者
【出演】加島祥造,姜尚中,【語り】國村隼
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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