ハートネットTV「第82回全国盲学校弁論大会」(前編) 2014.04.02

今月4日杜の都仙台で80年以上の伝統を誇る弁論大会が開かれました。
視覚障害のある人々が日頃の思いをスピーチに込める全国盲学校弁論大会です。
会場の宮城県立視覚支援学校には地区予選を勝ち抜いた14歳から59歳までの出場者9人が集まりました。
(取材者)おはようございます。
(2人)おはようございます。
スピーチの制限時間は7分です。
その短い時間に目が見えなくなった時の衝撃や障害を受け入れるまでの葛藤そして将来の夢などを語り込んでいきます。
会場は家族や友人盲学校関係者など200人近い観衆で埋まりました。
カンカンカンカン。
楽しそうな音を立てながら私は歩いていました。
心の中は全然楽しくないのに。
問題はその障害そのものよりもその障害をありのままの自分の事として受け入れられない自分自身の心が一番の問題だと気付きました。
会場の皆さんいつ笑うんですか?今でしょ。
(笑い)今笑ったあなたその笑顔を大切にしてずっとずっと笑っていきましょう。
聞く人に勇気と感動を与えた第82回全国盲学校弁論大会。
前編の今日は接戦の末惜しくも入賞を逃した6人のスピーチをダイジェストでお伝えします。
トップバッターは福岡県立福岡高等視覚特別支援学校…井上さんは歩行訓練がうまくできずくじけそうになった時当時の担任の先生がかけてくれたひと言が頑張る原動力になった体験をスピーチにしました。
演題は…「白杖の持ち方が違うやろ!手の位置が違うやないか!」と言う先生の声。
私は学校から自宅近くの駅まで一人で帰る練習を4年生から始めました。
それは私にとって大変難しい事でした。
いつも同じ失敗を繰り返して注意されていました。
一番悔しかったのは切符を買う窓口に行くルートを間違えた時の事です。
前回も同じところを間違えて注意されたばかりだったのです。
分からずウロウロしていて「止まれ!もう一回戻れ!」と言われた時には「またやってしまった!」と思いました。
「あ〜もう嫌だ!次も絶対うまくいかんよ。
もういっそやめてしまえば楽やん」と思い始めました。
そんな時私と同じ全盲の先生がこのような事を言われました。
「駿一人で通学できるようになったら世界が広がるぞ」と。
そして盲学校以外の世界を知る事ができた事などいろいろな体験談をお話しして下さいました。
それを聞いた時自分がなぜ歩行の練習をしてきたのかという本来の目的をハッと思い出しました。
将来職場まで自分で通勤できるようになる事そのためには学校から自宅まで帰れるようになる事が第一歩だという事を。
練習を重ねた結果ついに中学2年生の3学期には先生から「一人で帰っていい」と言われました。
その時のうれしさといったら今でも忘れられません。
興奮して飛び上がり「やった!」と叫びました。
今では毎週一人で学校から自宅近くの駅まで帰っています。
私は学校から自宅近くの駅まで帰るのに5年という長い時間がかかってしまいました。
途中で何度もあきらめようと思いましたがそこでやめていたら一人で帰れるようになっていなかったと思います。
次の目標は通学だけにとどまらずもっと自由にいろんな所を歩けるようになる事です。
そのために習った事を生かして練習していきます。
どのくらい時間がかかるか分かりませんがあきらめずにこれからも。
(拍手)将来は今のところ按摩マッサージ指圧師を目指してます。
この人と話してて楽しいなまた来たいなと思われるようなそんなマッサージ師を目指して勉強したいと思います。
次は…最年長の出場者です。
視力の低下が進んだ藤井さんは去年長い間勤めた職場を辞め盲学校に入学しました。
障害を受け入れるまでに時間がかかりましたが現在は鍼灸師になろうと決心し勉強を続けています。
演題は…皆さんは網膜色素変性症という目の病気をご存じですか?この病気は個人差はありますが徐々に視野が狭くなり視力が低下し明るい光にまぶしく逆に薄暗い所では見えにくくなります。
私もその患者の一人ですがご覧のように見た目は何も悪いところがないように見えるので人からよく「見えないなんてうそだろ」と言われます。
しかし私の見え方は細い筒の中から外を見ているような感じで正面しか見えません。
私が病気の症状を具体的に感じ始めたのは40歳を過ぎてからでした。
まぶしさや薄暗さに苦労したり足元のゴミ箱を蹴っ飛ばしたり人によくぶつかるようになりました。
病気の事を知られるのが気まずく家族以外には黙っていました。
そのように障害を隠す生活だったのである旅行先のホテルで朝食の会場が薄暗くバイキング料理を何も取る事ができずに一緒にいた同僚に「体調が悪く食欲がないんだ」とうそを言いじっと我慢をしていたひもじさややるせなさを思い出します。
そんな時私の病気の事を知った友人たちが私の障害について一緒に考えてくれました。
友人たちは「いつ誰がどんな障害を持つか分からないのだからありのままを素直に打ち明け助けてもらったらいい」と勇気づけてくれました。
その事が私が障害と向き合う第一歩となりました。
ちょうどそのころ同じ病気の仲間の集まりである日本網膜色素変性症協会という組織を知りすぐに入会しました。
仲間たちは同じ病気でありながら明るく前向きに過ごしていました。
この出会いが私の障害に対する考え方を変えました。
障害には体の障害や心の障害などいろいろあります。
しかし問題はその障害そのものよりもその障害をありのままの自分の事として受け入れられない自分自身の心が一番の問題だと気付きました。
人という字はお互いに支え合う形をしています。
人は一人では生きていけないと思います。
ありのままの自分に自信を持って多くの人に支えられながら頑張りたいと思います。
そのかわりに卒業後は支えてくれる人々の肩凝りや腰痛を治療し和らげる事で今後生きていきたいと考えています。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)次は…周囲に対して心を閉ざしていた小学部時代ある友人との出会いによって変わる事ができた体験を語ります。
演題は…私は人を助けたい。
落ち込んでいる人を励まし温かく包み込み希望を与えられる人になりたい。
それは苦しい体験を乗り越えて思った事です。
私はもともと人と関わるのが大好きでした。
幼稚園に入園する事になりうれしくてうれしくて早くその日が来てほしいと思っていました。
しかし幼稚園では私の思いに反し男の子から言葉の暴力をかけられました。
「このままやったらずっとやられるばっかりやんか。
そうややり返したらいいんや。
あっちからやる前にこっちからやり返そう。
そうしたら自分だって守れる」。
気が付けばやり返す事が止まらない自分になっていました。
そしてとうとう私は先生に怒られました。
「なああんた何でいじめんの?」。
気が付けば私は悔しくて泣いていました。
なぜなら本当はやり返したくなかったからです。
そんな時私の1つ下に全盲の男の子が入学してきました。
「では1人ずつ握手をして下さい」。
先生にそう言われてしかたなくそこに行きました。
私の順番が来て手を握ると彼はその手を離そうとしません。
「何で離さへんの?」。
私は初めての経験にびっくりしました。
彼の手のぬくもりを思い出しどんどん会いたくなってきて毎日教室に遊びに行きました。
彼は遊びに行く度に喜んでくれ「ありがとう」と言ってくれました。
こんな私にも感謝してくれる人がいるのだと思いこの人となら友達になれると思いました。
私は自分の居場所ができた気がしました。
そして少しずつ周りの人も優しく見えてきました。
「そっか。
私間違ってたんや。
こうやって接していけばほかの人も優しく見えてくるんや」。
私に力を与えてくれた彼は別の学校に進学し今はあまり会えなくなりましたが私の心はとても成長しました。
彼と出会えたのも目の病気のおかげです。
絶望と孤独感でいっぱいの人がいたら希望の光を届けていきたいです。
かつて私が彼からもらったように。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)自分が緊張を力に変えて話せたというのがすごいうれしかったです。
めちゃくちゃ緊張しました。
会場に母と兄が応援に駆けつけた…スピーチのテーマは村田さんにとってなくてはならないこの白杖です。
演題は…カンカンカンカン。
楽しそうな音を立てながら私は歩いていました。
心の中は全然楽しくないのに。
私が初めて白杖を手にしたのは中学2年生の冬でした。
「これを持って歩いたら目が見えない人って思われて別の世界の人のように扱われるんかな。
周りの人にわざとらしく避けられたり変な目で見られたりするんかな」と考えるようになりそれから白杖を持つ事が怖くなりました。
ある日友達と出かける事になりました。
友達に「白杖って持っていく?」と聞くと「もちろん持っていくよ」と言ったので少し決心をして「じゃあ私も持っていく」と白杖を持って恐る恐る出かけました。
お店で男子高校生が通路を塞いでいたけれどそのうちの一人が私たちを見つけると「おい邪魔になってんぞ」と周りに声をかけてくれ「どうぞ」と道を開けてくれたのです。
ほかにも駅やスーパーなどでたくさんの人が「手伝いましょうか」と声をかけて下さいました。
最初はその優しい言葉にさえおびえていました。
でも本当に心から言って下さっているんだと伝わり心が温かくなりました。
人は私を避けるどころか近寄ってきて親切に助けてくれました。
わざとらしく避けるとか変な目で見られるなんて決めつけていたけどそれは私の思い違いでした。
今いろいろなところで自分と自分以外の人との間に線を引いている人が多いような気がします。
私みたいに一歩踏み出してみると世の中の見え方がガラリと変わるかもしれません。
あれだけ見る事も触れる事も嫌だった白杖が人のおかげで今ではとっても大切なパートナーです。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)何て言うのかな…出場できたのもこの白杖のおかげなので。
あと東京に来ていろいろ考えさせてもらえたのもこの白杖のおかげなので今は感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
フフフッ。
次は…演題は…「私福祉の専門学校に行きたい!」。
私は高校3年生になって新たな夢を見つけました。
きっかけは最近大好きな祖父が入院した事です。
私は大好きな祖父のために何もしてあげられないのかと悔しくなりました。
そんな時介護の仕事に興味を持ちました。
「私も人を助ける仕事がしたい」。
そう思いました。
18歳の私が夢をかなえようと思う時一番に味方してほしい人それは母です。
私はこの新しい夢について母に話してみました。
「福祉の勉強がどんなに大変か分かる?勉強が嫌いなあんたができると思うの?」。
確かに私は勉強が得意ではありません。
だから母の意見が正論すぎて何も言い返す事ができませんでした。
でもまだ始めてもいない事を最初から否定する母に腹が立ってしかたがありませんでした。
母はやはり遠回しに専攻科を勧めます。
「この家は広いからね。
ここで開業したらもうかるね」。
でも私は「行かない!絶対に行かない!」。
そう言って部屋に籠もりそれ以上母と話そうとしない日が多くあります。
もともと自分の気持ちを伝える事があまりなかった私はどんなふうに伝えていいか分からないのでただやりたい事を一方的に伝える事しかできていません。
私なりにやりたい理由もあるのに伝えない伝えようともしない。
そんな自分が悔しい。
そんな自分が一番嫌いです。
でもそんな私の一番の味方は母なのです。
小学生の時も中学生の時もいじめを受けていた私に一番に気が付いてくれたのは母だしその時学校やクラスの子に電話をしてくれたのを私は知っています。
いじめられた時やり場のない苦しみ悲しみ言葉に表す事のできない複雑な感情を母にぶつけた事がありました。
「あんたがこんな体で産まなかったら私は幸せだった」。
お母さんごめんね。
私は一番言ってはいけない事を言ってしまったのです。
お母さんだってたくさん悩んだに違いない。
苦しんだに違いない。
そう思えば思うほど自責の念に駆られました。
私はいくら背伸びをしても小さいかもしれないけれど等身大の私で生きていたい。
もう逃げない!もうあきらめない!もう迷わない!「私福祉の専門学校に行きたい!」。
18歳の私はまだまだ頼りないかもしれませんがお母さん私を信じて!ご清聴ありがとうございました。
(拍手)やっぱり自分の思いを伝える事がなかったんで今私はこう思ってるんだという事をお母さんに理解してほしかったです。
弁論大会で初めて気持ちを知らされました。
ちょっとびっくりしましたね本当の気持ちを知って。
最後は…安達さんは自分の弱点と頑固な父親との衝突をユーモアを交えながら語りました。
演題は…180.5cm。
札幌の町を歩くと背の高い人を見かけますが自分もなかなかの高身長だと思います。
棚からものを取る時に真っ先にお声がかかります。
油断をすると入り口に「ゴン!」と頭をぶつけます。
重い衝撃が全身を貫きます。
授業で覚えたキーワードが頭から抜けていくのはそのせいでしょうか。
(笑い)苦労する事はまだあります。
それは周りの人が私を誤解する事です。
スポーツができそう。
ギターをかっこよく弾けそう。
女子にモテそうだとか。
スポーツやギターも期待に応えられるレベルではない事が悔しいのです。
自分のふがいなさにいつも落ち込みます。
そんな気持ちになるきっかけを与えてくれたのは高等盲学校への入学です。
私は3歳から旭川にある盲学校で育ちました。
小さい頃は目標とする仲間がいましたが学年が上がり身近に超えたい相手がいなくなると次第に学校生活が退屈になりました。
自由にのびのびと学校生活を楽しんでいる普通校。
そこでなら私は自分の目標を見つけられる。
私は普通校へ進学したいという憧れだけを高めていきました。
ある日親に胸の内を話すと「高等盲学校へ行き理療師になりお金を稼いでから好きな事をしなさい」と言われました。
小さい頃から頑固そして短気な親父が好きじゃなかった。
高校1年の職場体験でマッサージの治療院に行くとそこには患者さんと真剣に向き合う理療師さんの姿がありました。
治療院を開業して十数年になる親父の姿が重なりました。
毎日一人でいかに闘っているか。
お金を稼ぐ事は決して楽ではない事を身にしみて感じました。
そんな現実の大変さを日々引き受けている親父の説得に私が勝てる訳がなかったのです。
体力をつけるために高等盲学校へ入学して始めたグランドソフトボール。
大阪での全国大会。
相手チームに点差を大きく開けられていました。
突然監督が「星矢ダイソーに行け」と言うのです。
私がトボトボと歩き始めると「お前は何をやっているんだ!」と監督。
「100円ショップに買い出しに行こうと思いまして」。
「ばか野郎。
代わりに走ると書いて代走と読むんだ」。
(笑い)「早く行け」と監督。
自分の常識のなさに恥ずかしくなりました。
自分自身を知らなかった事にも腹が立ちました!高等盲学校への入学という1つのきっかけが自分を知る一歩になりました。
私はこれを自分の成長だと考えています。
180.5cmの自分をもっと強くたくましく骨太にする事がこれからの私の目標です。
私の体には頑固な父の血が流れています。
ありがとうございました。
(拍手)まだ具体的に決まってはいないんですけど理科の勉強好きなんでそういう好きな事を生かせる仕事になれたらいいなって考えています。
具体的には理科の先生とか。
ハハハハッ。
スピーチの全文はホームページでお聞き頂けます。
明日の後編では3位までに入賞したスピーチをお伝えします。
2014/04/02(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「第82回全国盲学校弁論大会」(前編)[解][字][再]

去年10月4日に仙台で開かれた、全国盲学校弁論大会の模様を伝える。88人の参加者の中から、全国7地区の代表9人が、自らの生き方や夢などをテーマに思いを語った。

詳細情報
番組内容
番組では、去年10月4日に仙台で開かれた、全国大会の模様を、2日間にわたって伝える。盲学校に在籍する中学部以上の生徒を対象とした全国盲学校弁論大会。昭和3年から続くこの大会は82回目を迎える。盲学校には再起をかけて入学する中途視覚障害者も多い。今回は全国7地区の代表9人、14歳から59歳という幅広い世代が、障害を受け入れるまでの心の葛藤や自らの生き方、将来の夢などをテーマに思いを語った。
出演者
【出演】河野多紀

ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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