趣味Do楽 落語でブッダ 第4回「露の団姫“松山鏡”〜落語の中の仏教説話〜」 2014.04.02

落語と仏教のコラボレーションでブッダのありがた〜い教えをご案内!落語はもともとお坊さんの「お説教」がルーツともいわれる伝統芸能。
実はブッダの教えのエッセンスがちりばめられている。
そこでお寺の本堂に東西の噺家がそろい踏み。
仏教にまつわる古典落語を披露します。
今回は上方で活躍する若手の女流噺家露の団姫さん。
こんな所におなご隠しよって!おなご!これ〜!おめぇおらの亭主とるだか!開演です!
(読経)舞台は滋賀県・東近江にある古刹…「落語でブッダ」番組講師の…毎回落語を通して仏教的に深読みをしていくそんな番組です。
今回の演目は…越後の国現在の新潟県松山村を舞台として鏡にまつわる人々の思いが交錯しちぐはぐなお話が展開されます。
「松山鏡」の登場人物。
正直者の正助は両親の墓参りを欠かさない孝行者。
妻のお咲は働き者だがちょっぴりやきもちやき。
そして家の裏手にあるお寺の尼さん。
問題は全員「鏡」というものを全く知らない事。
それでは露の団姫さん「松山鏡」どうぞ。
(拍手)ありがとうございます。
越後地方にございます松山村という所には昔鏡というものがなかったそうでございます。
するとこの村に正直正助というあだ名が正直と付くぐらいですから正直一途で親孝行者。
親が生きておりますうちから早くに母親を亡くしまして父親一筋に「おとっつぁまおとっつぁま」と十二分に孝養を尽くしましてこのおとっつぁまが45で亡くなる。
亡くなりましてからも毎日朝早よう起きまして墓の掃除をして墓参りをする。
これは孝行の鏡やという事になりましてこの度お上の方からご褒美が下るという事になりました。
お代官所へお呼び出しになった正助に向かいましてお代官様。
この方が松山村の正助であるか。
正直者また親孝行者という事でお上の方にも聞こえておる。
この度こなたに褒美を下げつかわす事になった。
何か望みのものがあれば何でも申すがよいぞ。
そらおらにだってぇ望みはごぜえますけれども…。
まあ無理な話でごぜえますので。
無理な事はないぞ。
お上ご威光をもってかなえると申した以上どんな望みでもかなえてしんぜる。
さあ申せ申すのじゃ!さようでごぜえますか。
んだら言わしてもれえますけれどもまだまだとっつぁまに孝行が足りねえと思うておりますから夢でもようごぜえますとっつぁまに会いてぇとっつぁまにお会いしてぇと思うておりますだが夢にも出てきた事がごぜえませんのでどうぞこの一つとっつぁまに会わせて下せえまし!いやしかしこなたの父親はもう死んでおるのであろうが。
さようでごぜえましょ?ですからおらは無理じゃと申しました。
それをおめぇさまが言え言えとおっしゃる。
んだで言わしてもろうたけど初めから無理じゃと分かっていた話でごぜえますので結構でごぜえます。
困った代官は「正助は45歳で亡くなった父親と顔がうり二つ」と聞きつけ家宝の「八咫鏡」をまねて作った「鏡」の事を思い出します。
早速鏡を箱に入れ家来に持ってこさせ正助の前に…。
正助こなたの望みをかなえてしんぜる。
その箱の中を開けてみるがよいぞ。
え?何でごぜえますか?この箱の中にとっつぁまが入ってるでごぜえますか?ちょっくらごめん。
はぁ〜とっつぁま!久しぶりでごぜえますな!元気でごぜえますか?何とか言うてくれましな。
ものは言われましねえか。
久しぶりでうれしいと見えて涙ぐんでござらっしゃる。
とっつぁまもうれしいおらもうれしい。
だどもとっつぁま心なしか亡くなられた時より若う見えまんな。
どうもお代官様ありがとうごぜえます。
父親に会えて満足か?もうこれ以上の事はごぜえませんのでありがとうごぜえます。
ではその箱をこなたに下げつかわす。
家へ持って帰って十分に孝養を尽くすがよい。
だが余人に見せるでないぞ。
頂いて帰りました。
この「余人に見せるでないぞ」と言われたもんですからこれを納屋の納戸の中の長持ちの中に収めまして朝起きますと…。
おとっつぁまおはようごぜえます。
今から畑に行って参ります。
また帰って参りますと…。
おとっつぁま今仕事から帰って参りました。
今畑から帰って参りました。
朝な夕なにこれをやってるもんですから妙だなと思うたんが正助さんの嫁はんというのでございましてね。
何やおかしな具合。
朝な夕なにそわそわ納戸へ入っていく。
納戸に何かあるのかしらんと思って入ってみると…。
ありゃ!こんな所に見た事のねえ長持ちが置いてあるだが…。
開けてみるベか。
ありゃ!朝な夕なにそわそわそわそわ納戸の中に入ってくと思うたらこんな所におなご隠しよって!おなご!これ〜!おめぇおらの亭主とるだか!人の亭主とるような顔かその顔は!狸みてえな不細工な顔しよって。
べべべべべ!おらがべ〜したらおめえもべ〜しよるだか?己憎たらしい!閉じ込めてやる!おもしろないもんを見たもんですさかいやがての事に亭主が帰って参りますと…。
やれ〜今帰った〜。
飯食うべか?まんまなら勝手に食え!勝手に食えっておめぇなんちゅう事を言うだ。
おらおめぇの飯作る事はねえ!どこぞのおなごに食わしてもらえ!どこぞのおなごて…。
おらなおめぇより他におなごは知らんぞな。
まあ〜そげな事!コケコ!ちょっくらコッケッコ!何だべ血相変えて。
コケコ!コケコ!ちょっくらコケ!鶏やがな。
どうした?どうしたもこうしたもあるかい!納戸の中の長持ちのあれは何や?あれおめぇ見ただか?そうよ。
驚きやがった。
朝な夕なにそわそわそわそわ納戸の中に入ってくと思うたらあんな所におなご隠しよっておなご!まあ〜それもおらよりもべっぴんならともかくあんな狸みてえな顔したおなご!狸みてえな顔したおなご?そんなものはおらんぞな。
「おらんぞな」っておるから言うてるだに!おめぇおらと一緒になる時に何ちゅうただ。
小野小町か照手姫か露の団姫かっつうたもんが!今になったらもう狸だ?己このじじぃ離縁してやる!離縁するぐらいやったら殺してやる!さあ殺せ!殺してやる!さあ殺せ!つかみ合いの夫婦げんかとなるのは当然の成り行き。
この騒ぎを聞きつけたのが家の裏手にある尼寺の尼さん。
驚いて仲裁に入り双方の事情を聞くと…。
まあまあまあ待て待て待て。
落ち着け落ち着け。
どうした?どうしたもこうしたもありますかいな。
正助さんが納戸の中におなごを隠しております。
いいえおらそんな事しておりません。
いいえおなごがおります。
おなごがおります!まあまあまあ待て待て待て。
なになに?正助どんが納戸の中におなご?そんな事で生きるの死ぬの…。
それじゃったらな今から私がそのおなごに会うて話をしてきたるでな。
しばらくいたしますと帰って参りました。
件の尼さん。
やれ〜正助どん悪い事はできねえ。
まあまあ嫁ごも抑えてやれ。
納戸の中長持ちの中のおなごはなおめぇらがけんかしてるのを聞いたであろうで面目にゃあと言って頭きれいにそって尼になりよったんや。
(拍手)
(拍手)尼さんが鏡をのぞいたら浮気女が頭を丸めてたと思ったわけですね。
それにしても団姫さんこのサゲのために頭丸めたんですか?お疲れさまでございました。
ありがとうございました。
随分オリジナリティーの高いサゲとなっておりますが。
そうですね。
全身を使ってパッと表現しましたわ。
この独特のサゲはいつからやってるんですか?これは出家して比叡山の修行が終わって帰ってきてからしてます。
そうでしたか。
なるほど。
露の団姫さんは天台宗のれっきとした僧侶なんですね。
この番組って落語と仏教に橋を架けようというそんな番組なんですけどもまさにふさわしい人に今回登場して頂いた。
「ひとり落語でブッダ」状態ですよね。
そうですね。
落語家でありながら出家もしておりますんで…団姫さんは18の時…3年の内弟子修業を終え独り立ちしました。
2012年には比叡山で正式な僧侶になったのです。
そして団姫さんならではの体ではなく頭を張ったあのサゲが出来上がりました。
納戸の中長持ちの中のおなごはなおめぇらがけんかしてるのを聞いたであろうで面目にゃあって頭きれいにそって尼になりよったんや。
(拍手)「松山鏡」の噺は「百喩経」というお経の中にその原型が見られます。
古代インドの仏教説話を百近く集めた「百喩経」。
その中の「宝筺鏡喩」が「松山鏡」の基になっています。
現在では残念ながら原典は残っておらずに簡約だけが残ってるというお経なんですがこの中に宝箱の中に鏡があるという短い話がありますがこれが原型と言われていますよね。
続いては「釈の深読み」コーナー。
今回の演目「松山鏡」自分の都合を投影してしまう鏡に映ったものを自分の都合でゆがめて認識してしまう。
そんなお噺でした。
そこは仏教の説くところでもありましてつまり自分の都合という枠組フィルターを通して…そんなわけなんですよ。
例えばお互い憎しみ合ってる夫婦がいるとするでしょ。
そうなると旦那さんが使った食器触るのも気分悪いという事が起こったりしますでしょ。
はい。
それはただのコップなんですが旦那のコップというだけでもう触りたくない。
世の中にはあれらしいですよ旦那さんの食器だけゴム手袋はめて洗う奥さんがいるらしい。
別れた方が早いですやん!それ見たらショックでしょうね。
どうやって曇りのない心にしていくかそこに仏道というのがあるんですけども。
なぜ人間はありのままに見る事ができずゆがんだ見方をしてしまうのでしょうか?仏教では人間の心を八つに分けて考える立場があります。
「八識」といいます。
まずは五つの感覚「五識」。
目で見たり手で触ったりするいわゆる「五感」の事。
第六番目には「意識」があります。
「意識」って仏教用語なんですね。
私たちはこの六つの機能で物事を認識しているのです。
仏教では更にその奥に「潜在意識」のような領域があると考えます。
第七番目の「末那識」。
「欲望」や「執着心」を生み出す根源です。
「欲望」や「執着心」がここで泉のようにこんこんと湧き出てくると考えられています。
仏教で面白いのは更にその下に八番目の「阿頼耶識」がある事です。
この「阿頼耶識」は過去の行動や考えた事の影がたまる貯蔵庫のような場所です。
「末那識」や「阿頼耶識」が「五識」や「意識」に影響を与えるため人間の認識はゆがんでしまうのです。
「阿頼耶識」と言いまして…倉庫みたいなものですね。
我々の行った行為あるいはしゃべった言葉考えた事というのはその場で終わらずに何らかの連鎖を起こす残り香のようなもの。
その残り香がここに蓄積されていくそんなふうに考えまして合わせて八つ「八識」と言います。
憎んでいる夫のカップが汚く見えてしまうのはなぜなのか?仏教の「八識」で考えてみましょう。
まず「五識」が「カップ」というものを認識します。
更に「意識」が「これは夫がふだん使っているカップ」と捉えます。
ここまでは問題ありませんね。
ところが夫に浮気をされていた場合憎しみが第七番目の「末那識」に湧き出します。
これが影響して「五識」や「意識」がゆがむわけです。
その結果夫のカップに憎しみが張りついて妻には「憎ったらしい夫の汚いカップ」と見えてしまうのです。
更に「七識」で湧き出した憎しみの残り香のようなものが一番深い「阿頼耶識」にたまります。
「阿頼耶識」にたまった残り香はまた次の思考や行動に影響を与え怒りや憎しみの連鎖を引き起こすわけです。
自分で自分の思いをベターッと張り付けてしまってそこで苦しみが生まれる。
旦那のコップと思うから腹立つんですよね。
そういう事ですね。
簡単に言うたら思い込みですよね。
そういうのが恐ろしいなあっちゅう話で…。
私比叡山の修行で行ってきまして。
大体平均して10Kgくらい痩せると言われてるんですよ。
結構過酷なんで。
そうですよね〜。
私その比叡山の修行に行って帰ってきたら私の家族とかファンの方ですとかね…。
ほんまはね私体重変わってなかったです。
よう頂いてたんで。
そんな過酷な修行でも体重変わらんかった。
私はよう頂いてたんで変わらへんかったんです。
自分は何も変わってないのに人によって私が「太った」という人と「痩せた」という人がいるんです。
せやらからこれはこの人たちがきっと比叡山の修行に行っても団姫はこういう性格やから太って帰ってくるやろと思うてはる。
こっちの人は比叡山の修行に行ったら絶対に痩せて帰ってくるやろと思うてはる。
そういう事ですね。
つまり自分の枠組み通して団姫さんを見てたわけで団姫さんという人物そのものをありのままを受け取る事は難しいという事ですよ。
この八識ゆがんだ認識を心と体でトレーニングしてまるで大きな丸い鏡のような心それを理想として考えるんですね。
それが「大円鏡智」という仏教用語があります。
悟りを開いた理想の心を示す言葉で大きな鏡として表現しています。
理想の心とはどこにもゆがみのない何の色もついていない鏡のような状態なのです。
ちなみにうちの子供ですね長男はこの大円鏡智からとって大智という…。
あっそうですか!大層な名前でお恥ずかしいかぎりなんです。
お友達のお坊さんに「うちの子供大円鏡智から大智いう名前にしたんですよ」って言うたらそのお坊さんが「そしたら2人目は円鏡になるの?」って。
何か落語家みたいな名前ですね。
我々仏教では本当にゆがんでいない鏡を理想とするわけですよ。
でも…そんなふうに仏教では説きます。
また鏡というのは対象物がそこにあるとそのまま映しますが対象物がなくなるともう何も映っていない。
それが仏教では理想の心と考えるのですがなかなかそうはいかずに…ですから色とか形とか自分の都合でゆがめて映してるわけですよね。
それは結果的には苦の原因となるというふうに仏教では考えます。
「大円鏡智」は理想の心の在り方を鏡に例えています。
そこに何もなければ何も映さない。
残像も残さない。
ゆがんだ認識を正しい智慧に変える方法を仏教は教えています。
まず自分の心を一旦落ち着けて一息ついて物事を正しく見る目を養わなければいけないのかなとそういうふうに思いますね。
ほんとですね。
大体我々判断間違えたり失敗したりする時ってイライラしてる時か怒ってる時なんですよ。
心が落ち着いてる時はあまり失敗しないんですよね。
まずはそこを自覚するところから第一歩が始まるんじゃないかそんなふうに思っています。
そうですね。
今日はありがとうござました。
ありがとうございました。
古典落語「松山鏡」は人は誰しも自分の心を映す鏡を持っていると教えてくれました。
さて…どのように見るかはあなた次第です。
今回の内容はこちらのテキストに詳しく紹介されています。
今後の放送予定も掲載されています。
私が出家をいたしまして初めて頭をそった時うちのおばあちゃんが泣いたんですね。
「あんたな女の子やのに髪の毛ないの嫌やろ?髪ないの嫌やろ」言うて泣いたんですね。
せやから私おばあちゃんに言うたったんです。
「おばあちゃん私はな髪
(神)よりも仏の道を選びます」。
2014/04/02(水) 01:25〜01:49
NHKEテレ1大阪
趣味Do楽 落語でブッダ 第4回「露の団姫“松山鏡”〜落語の中の仏教説話〜」[解][字]

古典落語から仏教を深読みする「落語でブッダ」。第4回は露の団姫「松山鏡」。人間はなぜ、ゆがんだ見方をしてしまうのか?仏教は人間の深層心理を解き明かす!

詳細情報
番組内容
古典落語から仏教を深読みする「落語でブッダ」。第4回は、女流噺家であり僧侶でもある露の団姫が「松山鏡」を披露する。人はみな「心の鏡」を持っている。なぜ人間はゆがんだ見方をしてしまうのか? 仏教の「八識」「唯識思想」から考える。仏教の名解説者・釈徹宗が、「自分の都合」で、心の中にある鏡をゆがめていないかを問いかける。
出演者
【出演】落語家…露の団姫,【講師】如来寺住職・相愛教授…釈徹宗,【語り】三宅民夫

ジャンル :
趣味/教育 – 生涯教育・資格
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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