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1級身体障害者でフリーライターで家庭教師なよくわからない人間、だいちゃん(∀)の勉強法とか雑談ブログ

『人は”見た目”や”肩書き”で判断される』――個性を殺してきた日本人

髪型 ホスト

photo by istolethetv

ホストみたいだとよく言われますが、一度も経験したことはありません。

どうも、だいちゃん(∀)です。

 

「人の魅力は見た目じゃなくて中身だ。」

昔から人々の間で言われ続けている言葉だ。捉え方によっては間違いでは無いと思う。しかし、この一文だけでは、人によって捉え方が違ってくるはずだ。

 

「見た目がどんなに良くても性格の悪い人に魅力は感じない。」 このように捉える人もいるだろう。このような捉え方をした場合、ここでいう見た目は「自分好みかどうか」という話をしていることになる。

派手な人好みな人間の話す「見た目の良さ」は派手な人のことであり、清潔感のある人が好みな人間の話す見た目は「清潔感のある人」である。その人の好みによって「見た目の良さ」の基準が変わってくる、ということになる。 なので、派手な人が嫌いな人間は派手な人を見ると嫌悪するし、地味な人が嫌いな人間は地味な人間を見ると嫌悪する。

「性格の良さ」にしてもそうだ。

「自己主張の激しい人を好む人間「もいれば、「謙虚な人」を好む人間もいる。

「自己主張の激しい人を好む人間」からすれば、謙虚な人は「何か物足りない」という風に感じるだろう。

「謙虚な人を好む人間」からすれば、自己主張の激しい人は「苦手な人」となり、どちらの場合も相手に対して「あの人は性格の悪い人」と感じる可能性がある。

「苦手」と「嫌い」は言葉の意味が違うので、あくまで可能性の話だ。 ようは、「見た目が良い」だとか「性格が悪い」だとかは、人の好みに大きく左右されると私は言いたいのだ。

 

ボクシングの亀田興毅君や、女優の沢尻エリカさん、元ライブドア代表取締役の堀江貴文氏、公認会計士で経済評論家の勝間和代氏。これらの人々を「性格が悪い」と感じる人もいれば「性格が良い」と感じる人もいるわけである。 だが、一般論として、日本人は欧米諸国に比べて「謙虚な人」を好み、自己主張の激しい人を嫌う傾向にあるように感じる。

 多くの企業では、入社時に従業員の髪型や服装を統一化し、個性を殺すように教育する。学校教育でも中学や高校までは髪型や服装に規制がある。 しかし、大学では髪型や服装は自由なところのほうが多い。

 

なぜ中高ではダメなのに大学では良いのか。そして、なぜ企業に勤めるとまた規制されるのか。

 

それは、団塊世代の好みに企業や学校が合わせている、悪い言い方をすると「媚びている」のだ。 取引先やお客様、生徒の保護者の目を気にしているからこのようなことが起きているのだ。なので、これらの人が皆「髪型や服装を自由にするのなんて常識」と思っていれば、学校や企業でこれを規制することは無くなるはずだ。

大学で髪型や服装が自由な理由は、大学生の保護者が口を出してくる可能性は極端に低いからだろう。 見た目や性格の良さなどというものは好みの問題でしかないのだ。

確かに美女や美男子と言われている人には目の大きい人が多いなど、一般的に好まれやすい見た目というものは存在する。汚い服装をしているよりは清潔感のある服装をしている方が好まれやすいというのも同様だ。 しかし、それらも全て好みの問題だ。

 

なので、私は全ての日本人にこう発言したい。 「もっと個性を尊重すべきだ」 と。

だいちゃん(∀)

 

こういうタイトルってだいたい「釣り」タイトルなんだけど、こういうことを言う大人にはなって欲しくないね。