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2014-04-04

ホワイ・ソー・シリアス? 『アナと雪の女王ホワイ・ソー・シリアス? 『アナと雪の女王』を含むブックマーク

アナと雪の女王』鑑賞。

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公開初日の初回、字幕2D版で鑑賞。劇中の曲「レット・イット・ゴー」もアカデミー歌曲賞も受賞し、アニメ映画史上、世界で最もヒットした映画になったそうな。

本作ではディズニープリンセスものとしては初の2人のヒロインが登場するという謳い文句が掲げられている。邦題にもあるように、天真爛漫な妹「アナと」特殊能力を隠し、後に「雪の女王」となるエルサ。2人のキャラクター代表されるように、本作には相反する2つの心象「二面性」がテーマになっている。

そもそも、各メディアで繰り返し流される「レット・イット・ゴー」は雪の女王ことエルサの糾える縄のような感情を現すように、序盤と終盤で曲調まで変わる。能力を隠し閉じこもって生きてきたエルサは唯一残された家族であるアナと別れて孤独になりながら、しかしもう能力を隠さずに自由に振舞って良いという解放感を文字通り謳歌している。

物語序盤で能力を隠すため引き裂かれた2人。アナはその境遇理解できずエルサに「雪だるま作ろう」と無邪気に誘う歌でも、アナははしゃいで家の中を走り回っているのに対し、エルサは部屋に籠り日に日に強くなる能力を恐怖する様子が描かれる。この曲もほがらかに遊びに誘う序盤と終盤で印象が変わる。曲の終わりごろでは両親の死が描かれ、ドアを挟んで背中合わせにたたずむ2人の姿が象徴的だ。

戴冠式を前に閉ざされたドアが開き「生まれてはじめて」大勢の人と会えると喜ぶアナと、やはり「生まれてはじめて」大勢の人と会わなければならない恐怖に緊張するエルサの対比がされ、アナパートとエルサのパートでやはり曲調が変化する。

極めつけは雪だるまオラフが歌う「あこがれの夏」だ。オラフは未だ経験したことの無い「夏」にあこがれるのだが、雪だるまにとっての夏は死を意味する。それを知らずに無邪気に唄う姿を見守るアナやクリストフは吞気にしているが客席のこちら側は、陽気で楽しくて愉快な歌が自らの死を伴っていることに、複雑な思いを抱かせる。

ヴィランにも二面性は投影されている。若き王子ハンスはアナ孤独共感し、エルサ捜索に出かける間アレンデール国住民たちを守る、信頼の置ける存在として登場する。しかし後半、その様子は自分の地位を確保するための姿であったことが明かされる。

アナと雪の女王』はベースとなっているアンデルセン童話雪の女王から、かなり大胆な改変がされている。ストーリーはもちろん設定も登場人物も大幅に違う。それでも「雪の女王」をベースにしたのは「二面性」に依るところであろう。

原作雪の女王」で少年カイと少女ゲルダを引き裂くのは「悪魔の作った鏡」だ。この鏡は美しいものを歪ませ、醜さを誇張して見せるというもの。うっかり悪魔が落して割った、その鏡のかけらがカイの目と心臓に刺さってしまう。そのためにカイは人々の本当の姿が見えなくなり、ゲルダと仲違いをし、雪の女王のもとに引き取られる。

鏡が象徴するのは実像に対する虚像自分では否定したい偽らざる真実、であろう。

人目を気にしない解放感には孤独がある。遊びの時間楽しいが、必ず終わりの時が来る。大勢の前に出なければいけない行事に、知らない人と会うワクワク感はあるが、コミュ能力を発揮しなければいけない億劫さもある。そして、イケメンで人当たりの良い男にはウットリなびいてしまいそうなものだが、初対面からのお泊りは慎重にならざるをえない。

アナと雪の女王』は原作が孕んでいたテーマを引き継いだことで、必然的物語と語り口になっている。


と、昨日『ダークナイト』を見ながらおもいついた。

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