200円で弁当を売るスーパーの労働環境には愛のカケラもなさそうだけど

3ヶ月ブログを放置していたらアクセス数が徐々に目減りしてきて危機感をおぼえている岡崎です。

このままではGoogle先生やAmazonさんが恵んでくれるお小遣いまで減ってしまう。月に一回食べられるかどうかのお肉がさらに遠のいてしまう。ひもじい思いをしている故郷の子どもたちが飢えてしまう。おれがブログをサボったばかりに、七五三も迎えられなかったらどうしよう。

そんな危機感に囚われて、やっぱりブログって更新頻度が大事なんだなあと思い知りました。子どもはいないんですが。それ以前に独身ですが。ああ、なんだこのしょうもない前振り。彼女募集中です。

というわけで、こんな記事がはてなブックマークで話題になっていました。

世界は多分、愛で満たされているんだろなと思った話。(はてな匿名ダイアリー)

センチメンタルな気持ちになった筆者が、普段は絶対行かないようなスーパーで200円の弁当を買い、それを作る人の苦労に思いを馳せて感動しました、というお話なんですが……。

そのとき買った弁当はとりめしで、ご飯の上に錦糸卵が載っていて、その上に味付けした鶏肉が載っている、シンプルなものだった。
食べてみて驚いた。美味しいのは予想していたのだが、右半分の鶏肉は唐揚げで、左半分の鶏肉は照り焼きだったのだ。
僕はえらく感動してしまった。

これ、ツッコミどころですよね? 食べるまで唐揚げか照り焼きか判断がつかないとか、よっぽどでなければありえません。私はここで爆笑させられました。

それで、なるほどだからこんなにバズったのかとコメントを覗いたところ、意外な光景が広がっていました。

同記事のはてなブックマークコメント

誰もツッコんでねえ……。

当たり前すぎて言及されないのか、あるいは唐揚げと照り焼きは実は紙一重の存在なのか、私にはよくわからなくなってきました。

それから、200円で弁当を売らなきゃいけないスーパーの労働環境はきっと愛のカケラもないんだろうなあと思うんですけれど。ボランティアがやっているならともかく、企業が利益を保ちつつ安売りをするには、人件費をはじめ色んな費用を削らなきゃいかんですからね。

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“伊藤計劃以後”とされた「ヨハネスブルグの天使たち(宮内 悠介)」と「know(野崎まど)」の感想

34歳の若さでなくなった夭折の天才伊藤計劃(けいかく)。数少ない彼の作品の2つ、『虐殺器官』と『ハーモニー』がアニメ映画化されるそうです。

伊藤計劃プロジェクト
伊藤計劃のSF小説「虐殺器官」「ハーモニー」の劇場アニメ化が決定(Gigazine)

どちらの作品もとてもおもしろかったので公開されたらぜひ劇場に足を運びたいと思います。

ところで、こうした動きに乗って伊藤計劃がらみのマーケティングが盛んな模様。『ポストヒューマニティーズ――伊藤計劃以後のSF』という批評本まで出たそうです。これに対し、ネットの一部でちょっとした議論が巻き起こっていました。

伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。(はてな匿名ダイアリー)
伊藤計劃以後とは何か?(the deconstruKction of right)※上記批評本の著者のひとり藤田直哉氏のブログの模様
「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ(脳髄にアイスピック)

個人的には、虐殺器官もハーモニーもおもしろいけど歴史に名を残すような作品ではないと感じていたので、“伊藤計劃以後”という言葉にはクエスチョンマークが浮かびます。ちなみに、伊藤計劃以後の変化は以下にまとめられる模様です。

1、読者の質(プロパーSFファン以外にも読まれるようになった)
2、内容が変わった
・ネットワークで接続された存在であるというポストヒューマンのテーマ
・脳科学の応用
・管理社会などのテーマの前景化。
・意識と社会の関係
3、ソーシャルネットワーク(含む:資本、ミーム、メディアミックス、ネット)におけるノードとしての作品(作品を巡る環境、環境への自覚性)
引用:伊藤計劃以後とは何か?

お、おう……。

いや、こういう小難しいことを言い出すからSFって初心者を呼び込めてないのでは。伊藤計劃で広がった読者を捕まえ、SFファンをもっと増やしていきたいって意図から“伊藤計劃以後”なんて言葉をひねり出したんだと思うのだけれど、余計に敷居が高くなっちゃってないですかね。

もっとシンプルに、「伊藤計劃が好きな人が楽しめそうな作品が増えてきてるんだよ。よかったら読んでね!」みたいな推し方のほうがよい気がするんですが。それじゃ格好がつかないからダメなのかなあ。

とはいえ、影響を受けたとされる作品も読まずに語るのもアレだと思ったので、とりあえず「伊藤計劃以後とは何か?」で紹介されていた“伊藤計劃以後”とされる作品のうち、興味がわいた2つを読んでみました。以下は感想です。

「ヨハネスブルグの天使たち(宮内 悠介)」の感想

ヨハネスブルグに住む戦災孤児のスティーブとシェリルは、見捨てられた耐久試験場で何年も落下を続ける日本製のホビーロボット・DX9の一体を捕獲しようとするが──泥沼の内戦が続くアフリカの果てで、生き延びる道を模索する少年少女の行く末を描いた表題作、9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」、アフガニスタンを放浪する日本人が“密室殺人”の謎を追う「ジャララバードの兵士たち」など、国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作5篇。ポスト伊藤計劃と目される気鋭の新人によるデビュー第2作

純文学を志向しているのか文体も内容も小難しいかんじ。デビュー作の『盤上の夜』もそんな作品だったし、これが作風なのでしょう。私はそれなりに楽しく読んだけれど、誰かにオススメできるかといったら厳しい。とくにSF初心者でエンタメを求めている層、すなわち虐殺器官が好きな層には合わないんじゃないでしょうか。舞台設定や描写など表面は伊藤計劃を連想させられるけれど、その実ぜんぜん違う性質の作品だと思いました。

『ヨハネスブルグの天使たち』は直木賞の候補にも上がったそうですが、選評の「とても読みづらい」「二度読み直したが、やはりよくわからなかった」「理解不能というのが本音」というのが大半の読者の正直な感想なのではないですかね。

とかくSFマニアは難解な作品を持ち上げがちで、「SFの名作10選」みたいな記事には『1984(ジョージ・オーウェル)』や『星を継ぐもの(ジェイムス・P・ホーガン)』あたりが必ず入っている。どちらもSF入門としては難しいし、地味な作品です。これを最初に手に取ったら、「SFって難しくてつまらない」って思っちゃうんじゃないでしょうか。ホント、初心者に優しくない業界(?)です。

「know(野崎まど)」の感想

超情報化対策として、人造の脳葉“電子葉”の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。その“啓示”に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった―

量子コンピューターを脳に仕込んだスーパーハッカー女子中学生が国家機関を相手取り無双する話です。強くてかわいい美少女。大正義です。テンポがよく、スカッと楽しめますし、オチにもニヤリとさせられました。かなり好きな作品。

しかし、残念なところは優秀な官僚であるはずの主人公が途中からすっかりリアクション役になってしまっていること。グラップラー刃牙でいうとの本部以蔵と化している。切ない。もっとちゃんと活躍させてあげないと、ヒロインが惹かれる理由がなくて終盤の展開がご都合主義的に感じられてしまう。とはいえその甘さがテンポのよさにもなっているため、変に緻密しようとすると作品のよさも殺されそうな予感。『虐殺器官』もストーリーより世界観重視だし、そういう意味では“伊藤計劃以後”って表現がしっくりくる……のかなあ。

というわけで、2作読んでみたんですがやはり“伊藤計劃以後”って何なのかよくわかりませんでした。

政治が絡んだディストピアよりの近未来SFで、バトルとナイーブな心理描写があればそれでOKなのかしらん。うーん、そんな作品なら昔からたくさんあると思うのだけれど。

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食品調理の不気味の谷をめぐる冒険。あるいは昆布だしとソイレントの洪水について

読むと損します。

こんな記事が話題になっていました。

知らぬは客ばかりなり 外食産業実はこんなふうに作ってます(現代ビジネス)

この記事を読んである日本の伝統食材の製法を思い出しました。どんな人でも一度や二度はクチにしたことがあると思うのですが、詳しい製法を知っている人は少ないように思うので以下に簡単に紹介してみます。

“最大で体長1メートルにも及ぶ回遊性の肉食魚がこの食品の原材料だ。暖かい海を好み、自分より小さく弱い魚類や頭足類を貪欲に捕食する。この紡錘形の魚類は興奮すると腹に幾筋かの横縞が浮かび上がり、死ぬとそれが消えて縦縞が現れるという不思議な特徴がある。尾鰭に比べ、他の鰭は極端に小さく、鱗は瞼のない眼球の後方から胸鰭・側線周辺だけにある。

この食品は多数の工程と時間をかけて作られる。まず、原材料となる肉食魚を解体し、頭部とはらわたを除いて、一酸化二水素を主成分とする溶液で煮込む。この際、温度が高過ぎるとぼろぼろと崩れるため加工者は最新の注意を払う必要がある。高熱の溶液に1時間余りも浸した後、いまにも原型も留めなくなりそうなほど脆くなった肉塊から皮を剥ぎ、無数の骨を抜き去る。この際、肉塊が傷つくことがあるが、すり潰した肉をパテ代わりに、欠損した箇所を埋めてしまうので多少なら問題にならない。

整形された肉塊は表面がタールにまみれて真っ黒になるまで雑木で燻される(このタールはその後の工程で削り落とされるが…)。こうして水分の抜けた肉塊を天日で干し、次に風通しの悪い部屋で黴で覆われるまで乾燥させる。この工程を肉塊からほぼ完全に水分が抜けて枯れ木のようになるまで繰り返すのだ。こうした複雑な工程を経たこの食品は人間の顎では到底刃が立たず、大工道具を使って薄く削りとって使用する。”

そう、鰹節ですね。

現代ビジネスの記事では現代の食品工場で使われる技術をいくらかおどろおどろしく紹介をしてみますが、食材をすりつぶしたり、調味液に漬け込んだり、腐らせたりカビさせたり、冷静に考えると案外気持ちの悪い作り方をしている料理は多いものです。余談ですが、私は小さいころ白和えが気持ち悪くて食べられませんでした。

ステーキみたいにシンプルな調理法もありますけれど、そもそも原材料となる牛が数百・数千世代をかけて人為的配合を繰り返してきた奇形的生物だと言えなくもないわけです。雄は有角で、雌は4つの巨大な乳房を持ち1日45kgもの母乳を垂れ流す。胃袋も4つあり、絶えず食らったものも吐き出しては咀嚼している、大人10人分の重量の巨大な畜獣とか、旧支配者の眷属だと思われてもしかたがないでしょう。ヘルシー食の代表のように言われる野菜だって、気の遠くなるほどの時間をかけて、人間様に合わせた奇形的進化を遂げてきたわけで、これはこれで深く考えると気持ちの悪いことかもしれません。

では、なるべく原始的な材料や調理法であるほど万民に受け入れられ安いのかといえばそうでもないでしょう。生きたイモムシやら、人が噛んで吐き出した穀物を元に作られたお酒だとか、やっぱり気持ち悪いと思う人が多数ではないでしょうか。少なくとも現代日本では。その日本で受け入れられている生魚食文化だって、世界的に見ればゲテモノの部類に入りそうな気がします。和食ブームとかいうけど、先進国の中流階級以上じゃないとちゃんとした寿司とか食べられなさそうだし(証拠なし・印象論)。

気持ちが悪いといえば、ホルモンとかちょっと前までゲテモノ扱いだった気がするんですよ。私が小学校高学年くらいのころにモツ鍋ブームがあって、それからだんだん焼肉屋などでホルモン系の扱いが増えていったような。モツ料理といえば「こてっちゃん」ですが、これの発売ってWikipediaによると1982年なんですね。私と同い年でびっくりしました。

びっくりしたといえば、生肉が食べられない人もけっこう多いですよね。牛たたきやらローストビーフは大丈夫でも、馬刺しとか鶏わさとかダメな人。その辺が食べられる人でも、鹿やらヤギやらダチョウやらはNGってこともある。わけがわからないよ。ちなみに、ヤギは筋張っておいしくなかったです。ダチョウはすごくあっさりしてておいしかった。

よくわからないんですが、食べ物に対する禁忌感情ってやっぱり後天的なものなんでしょうね。工業的な手法で作られた量産品に対する忌避感が広まる一方で、人が素手で握ったおにぎりやらおはぎやらを受け付けない人も同様に増えているように思えます。手捏ねハンバーグより、機械捏ねハンバーグを好む人もいるんではないでしょうか。

工業的手法で作られた食品といえば、お菓子なんか最たるものでしょう。ポテトチップスでもチョコレート菓子でもアイスクリームでも、最初から最後まで機械がガションガション轟音を響かせながら作っています。でも、脂肪注入したお肉やら混ぜ物をしたネギトロほどには嫌悪感を誘いません。こんなところでも「甘いモノは別腹」なのでしょうか。

それっぽい理屈をつけるなら、もともと駄菓子スイーツのたぐいには自然な状態が存在しないわけで、徹頭徹尾人工物であるからかまわんわけです。一方、なまじっか自然な姿を知っているお肉やらネギトロやらには「人々が期待する自然な姿」が存在しているので、その工程において人為が混ざると違和感を覚えるのやもしれません。このあたり、プラトンのイデア論あたりと絡めると面白い論考が書けるかもしれません。料理の本質とは何か?、それは愛である、愛である、あイデアる。みたいな。本当にすみません。

勢いだけで書きなぐってきたのでまともな結論はないんですけれど、いまって食文化の過渡期なのかなあと思ったり思わなかったり。自然食回帰派とか加工食推進派がイルミナティとか三百人委員会を背景に暗闘しているわけです。やがて自然食を司るアニミズムの神々と、加工食を司るロゴス神がハルマゲドンの角笛を吹き鳴らし、昆布だしとソイレントの洪水に見舞われた人類が存亡の機器に立たされる中、和洋中亜の食材と調理器具を一番ずつ抱えて方舟に乗り込んだノアが新世界の神になる的なノリで。

わけがわからないよ。

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人工知能学会の表紙のメイドロボットを考察したら深すぎた

こんな話題を目にした。

人工知能学会の表紙は女性蔑視?(togetter)
人工知能学会表紙批判への反論、を片っ端から論破していく(はてな毒名ダイアリー)

一般社団法人の人工知能学会が発行する学会誌「人工知能」の表紙が、女性蔑視的だと批判を受けたのだ。それに対し、「さすがに考え過ぎだろう」との批判がさらに重なり、ちょっとした炎上騒ぎになっている。

さて、件の画像とはどんなものだったのだろうか。まずはご覧いただきたい。

かわいらしい容姿の女性が箒を手に、本を片付けているように見える。よく見ると腰にケーブルが接続されており、それでやっとロボットだとわかる。まるでライトノベルの表紙のようで、一見ではとても学会誌とは思えない。

学会の同記事によれば、“今回のデザインは、「日常の中にある人工知能」というコンセプトで、掃除機が人工知能になっていることを表して”いるそうだが、それにしてはおかしな点が多い。

なぜ、掃除という単純な機能を果たすためにわざわざ人型、それも見目麗しい女性をかたどったロボットである必要があるのか。高コストではないか。なぜ、箒というレトロな道具を持たせているのか。現代人でさえ掃除機を使うだろう。なぜ、背中にケーブルが刺さっているのか。これほどのものが作れる技術があるのであれば、バッテリーは当然内蔵であろう。これではルンバより劣っているではないか、といった点である。

たしかにこれでは、「かわいい女の子型メイドロボットを作って言いなりにしたい」という男性的欲望が透けて見えると指摘されてもしかたがないように思える。

しかし、少々待っていただきたい。相手はなにしろ「学会誌」であり、コミックマーケットで売られている同人誌ではないのだ。そんな浅はかで下賤な理由でこのような表紙になったとはいささか信じがたい。

コンペにより決定したイラストだそうだが、やはり人工知能学会としても葛藤があったようだ。同記事中にもこんな記述がある。

もっと「おとなしい」デザインもたくさんありましたが、投票で1位になった今回のものは、予想していたものよりもずっと大きな変更を伴うデザインで、正直、学会誌の表紙としてふさわしいのだろうかと悩みました。歴代の会長や現在の会員の方がどう思うだろうかも思い悩みました。

おそらくこの表紙に決定するまでには幾度とない熟議が重ねられたことだろう。単純に「かわいらしい」「目を引く」といった理由だけで選定されたとはとても思えないのだ。もっと深い意味が込められている気がしてならないのである。

改めて、この表紙を眺めてみよう。

まずは時代背景を考えたい。ケーブルさえなければ人と見紛うほどのロボットが、研究室ではない普通の書斎にいるくらいだから、数百年は先の未来であろうと推測できる。そうすると、箒やケーブルなどの他にもおかしな点に気がつかないだろうか。

そう、メイドロボットが手に持ち、また背景にも無数に存在する紙の書籍である。

現代でさえ、紙の書籍はKindleなどの電子書籍に押されて存亡が危ぶまれているのだ。数百年先の未来には紙の書籍はほぼ絶滅し、一部好事家の収集対象となっているはずである。これはSFファンならば常識だ。その貴重で希少な本が、個人宅の一室にこれほど所蔵されているわけであるから、家主はよほどの大富豪に違いない。

「そら見たことか。箒やら美女型ロボットは金持ちの道楽で行われていることであって、これは奴隷的女性を求める男性の願望を如実に表しているのだ」

そんな結論に飛びつきたくなるだろうが、いま一度待っていただきたい。それでは理屈に合わない点が存在するのだ。

それは、腰から伸びるケーブルである。

誰でも経験があるだろうが、掃除機を使っている際に電気コードが思わぬものに引っかかり、何かを落としたり、壊してしまったりするのは珍しい事故ではない。それで大切なものを失った人も少なからずいるだろう。表紙の部屋は、家主が大事にしている稀覯本が集められているのだ。そんな場所にケーブルつきの掃除ロボットを放つコレクターがいるものだろうか。いくら高性能な事故回避装置が備えられていようとも、コレクター心理からすれば、ほんのわずかなリスクでも孕んでいる限りはこのような愚行を犯すはずがない。非常に考えづらいシチュエーションなのである。

これは一体どのような状況なのだろう。それに答える前に、もう少しこの表紙が示す時代について考察をしてみよう。

相当に技術の進んだ数百年先の未来であることはすでに述べた。きっとその世界では人工知能はすでに人間を凌駕しており、また人間と同様に喜怒哀楽を持っているだろう。アシモフのロボット三原則が順守されているかはわからないが、それほどの存在となった人工知能には人権に相当するものが与えられていると考えて当然だろう。

何を馬鹿なという人は、リンカーンの奴隷解放宣言がほんの150年前であることを思い出していただきたい。「黒人は人間ではなく家畜である」という価値観が当時の常識であったが、今日にあってはそんな考えをするものの方が異端である。人間の常識とはたったそれだけの期間で変わるのだ。「ロボットは人間の道具である」という現代の常識が、数百年先の未来では通用しない可能性は高い。

ロボットが人権を有している以上、表紙の女性型ロボットは労働による対価を得ているはずである。奴隷的な身分で無償の奉仕を強いられてはいないのだ。金持ちの所有物などではなく、ひとりの独立した個人として誰にも隷属せず自ら稼いで生きているのである。

これで表紙の状況がやっとわかる。コレクションの詰まった部屋で、他人や奉公人に無作法を許さない者であっても、自身はその対象とはならない。表紙のイラストは、愛する稀覯本に囲まれた自室で、食事(給電)を楽しみながらくつろいでいる姿だったのである。すなわち、裕福な家主とはこの掃除ロボット自身にほかならないのだ。

だが、掃除ロボットである彼女にそんな大層な資産が作れるのだろうか。なにしろ数百年先も未来のことだ。どんな家屋であっても、汚れは部屋中を徘徊するナノマシンやゲル状人造生物によって常に清掃され、文字どおり「埃一つない」状態であるに違いない。そんな社会で箒などという過去の遺物を振り回したところで稼げるはずもないのである。掃除するべき場所がないのだ。

彼女はどうやって収入を得ているのだろう。じつは、いかにも時代遅れな箒にこそヒントがあったのだ。

茶を飲むことが茶道になったように、文字を書くことが書道になったように、ある事柄が歴史を経て芸術に昇華されることは少なくない。未来においては古典掃除が芸術として昇華されており、彼女はその掃除道において大家なのである。大量の稀覯本を所蔵できるほどの富を得ているのだから、ひょっとすると創始者であるかもしれない。

掃除が芸術になどなるものかと疑う方は多いかもしれないが、禅宗においては掃除は修行の基本であるとされており、また近年の著名な経営者にも掃除を修養の一環として勧める者は少なくない。イエローハットの創業者鍵山秀三郎氏は「掃除の道」というDVDを発売されており、これは未来における掃除道の源流であると考えてよいだろう。イエローハットの本社に勤めていた知人によれば、全国から掃除道を学ぶためにやってくる研修生が後を絶たないそうだ。掃除には芸術足りうる素地がある。

ここまで来ると、「彼女」が見目麗しい女性の形をとっていることにも合理性が生じてくる。便宜上、かの掃除道大家である掃除ロボット氏を女性代名詞で表してきたが、そもそもロボットに性別は存在しないのである。そして、ロボットの外装は簡単に変更できる。

きっと彼女(?)は掃除の美を究めんがため、表現活動の一環として自らの外装を美女に変えたのだろう。おそらく、形態は掃除の型や演目によって最適なものに変更をしていると思われる。書斎の掃除であれば美女、道路のゴミ拾いであれば老経営者、廊下の雑巾がけであれば小坊主……といった風に。

つまり、学会誌「人工知能」の表紙には、人間の特権であるように思われているクリエイティビティや芸術性でさえ、人工知能の発展の末には凌駕されうるという驚くべき主張が隠されていたのだ。このようなことを大っぴらにいえば人間至上主義者による弾圧・反発が必至であろうから、論文・論説による主張ではなく寓意を込めたイラストとして公開したわけである。

読み解きを行った私がいうのも何ではあるが、いくらなんでもこの表現はわかりづらすぎるだろう。女性蔑視の意図がないのはこの記事を読まれた方にはすでに明らかであろうが、それを理解できず非難をする人が現れたのもまた無理からぬことだ。

結論として、この記事で私が伝えたかったのは、深読みも極まればいかような解釈を引き出すのも自在なのだということである。

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伝統的和食より野菜や果物を食べた方が自殺を予防できるかもという研究結果

こんな記事を読みました。

野菜や果物食べる人自殺少ない(NHKニュース)

国立国際医療研究センターの研究成果によれば、どうも野菜や果物をたくさん食べている人の方が自殺が少ない傾向にあるらしいとのこと。食事の内容に応じて4つに分けて比べてみると、野菜や果物を一番多く食べたグループの自殺の割合が、男女ともに約半分になっており、断言はできないけれども野菜などに含まれる葉酸やビタミンCなどが自殺予防に効いたかもしれないそうです。

野菜や果物をたくさん食べられる人は富裕層に多そうだし因果関係が逆なんじゃないのかとか、最近コンビニ飯ばかりで野菜や果物をろくに摂取できていない自分はつまり自殺の危険が2倍あるのかとか、いろいろ気になったのでネタ元を確認してみました。

食事パターンと自殺との関連について(独立行政法人国立がん研究センター がん予防・検診研究センター)

「多目的コホートに基づくがん予防など健康の維持・増進に役立つエビデンスの構築に関する研究(JPHC Study)」の一環として発表されたもののようです。日本各地の約10万人を対象に10年以上にわたる追跡調査を行い、生活習慣と病気との関連性を研究しているそうで、まったく門外漢には想像の及ばない苦労がありそうなお仕事で、従事されているお医者様って本当にえらいなあと思いました。私にはとても真似ができそうにない。それ以前に医大に入れない。

さて、本題の食事パターンと自殺との関係でありますが、正しく理解されたい方はちゃんとリンク先にあたってくださいね、と前置きしつつ、簡単に要約すると以下のとおりです。

肉やパンを食べる欧米型の食生活とご飯やみそ汁の伝統的な食生活とを比べても、自殺リスクに大した差はなく、『野菜や果物、いも類、大豆製品、きのこ類、海そう類、脂の多い魚、緑茶などが関連した健康型食事パターン』の人が自殺リスクが低かったそう。

ちなみに、もともと「うつ」の傾向がある上に、精神的なストレスが強い人たちでは健康型の食事をしていても自殺リスク低下との関連はみられなかったみたいです。よくグルメ漫画なんかで、主人公の料理で絶望に沈んだ人が救われたりしますけれど、現実はそんなに甘くない。切ない。

自分はそうそう自殺するようなタマではないと思うのですが、食事で精神衛生が保てるのであればちょっとは気にしていこうかなあと思った次第。Lチキを肴に発泡酒なんか飲みながらこの記事を書いている場合じゃなかった。

ところで、「多目的コホートに基づくがん予防など健康の維持・増進に役立つエビデンスの構築に関する研究」とか、学会発表の際に舌をかみちぎるか呼吸困難になりそうで心配です。研究テーマのタイトルの長さと研究者の平均寿命に逆相関がないことを祈りつつ、本稿を終えたいと思います。

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スマートニュース問題を見て、キュレーションサービスが衰退しなければいいなあと思った

こんな記事が話題になっていました。

あれから一年が経ち、スマートニュースはどれだけ適法となったか(山本一郎/Yahoo!ニュース個人)

スーパー要約しますと、無断転載はダメよ、という話。言ってみればスクレイピングサイトをアプリに置き換えただけで、いくらレコメンデーション機能が優れていたとしてもフリーライドの誹りはまぬがれないのかなと。スクレイピングサイトが蔓延すると、オリジナルコンテンツの制作者が本来得られるべき対価を受け取れなくなってしまいますので、やがてはインターネット全体のエコシステムを破壊しかねません。コンテンツは無料でわいてくるものでではないのですから。

というか、スクレイピングサイトはGoogle先生自身が排斥を決めたのに、当のGoogle先生が「アプリオブザイヤー 2013」を進呈しちゃうとかどういうことなのでしょう。

スクレイピングサイトとは、他のWebページからコンテンツの一部を抜き出し、自分のWebページのコンテンツとして使用しているWebサイトのことである。
(中略)
スクレイピングサイトは他人の作成したコンテンツを利用しただけのスパムサイトと見なされる事が多い。Googleは2011年2月に、検索結果ページ(SERP)からスクレイピングサイトを排除する方針を発表している。
出典:スクレイピングサイト(IT用語辞典バイナリ)

スマートニュース以前にも、NAVERまとめや2chまとめサイトがフリーライダーとしてネットの一部よりヘイト値を稼いでいたため、「キュレーション」という言葉そのものに嫌悪を抱いているインターネットユーザーも少なくないようにかんじられます。

しかし、キュレーションサービスとは十把一絡げにダメなものなのでしょうか。私はそうは思いません。インターネットに無数の情報があふれている昨今、あちこちに散らばったコンテンツをある文脈に沿ってまとめることは、ユーザーにとって非常に価値のある行為だと思うのです。

たとえば、つい先日こんな記事が注目を集めていました。

「現代」を知るためにこれだけは読んどけっていうWikipediaの記事(デマこいてんじゃねえ!)

タイトルのとおり、Wikipediaから情報を拾い集めて構成された、いわゆるキュレーションコンテンツです。

また、拙ブログの記事で恐縮ですが、以前こんな記事が好評を博しました。

朝日新聞が炎上した「バードストライク」について調べたら、ひとつの産業を成すほどに深い問題だった

こちらもネットのあちこちから拾い集めた情報をコメントを添えて並べたものです。手前味噌ではございますが、それなりに読んだ方の知的好奇心をくすぐる記事に仕上げられたのではないかなあと思います。また、ネタ元にさせていただいた各サイト様にも流入やリンクジュースをお渡しできたでしょう。

悪名高いNAVERまとめにも、「よいまとめ」「悪いまとめ」が存在しています。インターフェイスやインセンティブ設計が著作権侵害を引き起こしやすい設計になっているのは問題なのでしょうが、情報をある文脈に沿って整理し、提示するというニーズに応えたという意味で、やはりNAVERまとめはよいサービスだと思うのです。(悪貨の方が目立つけど)

さて、冒頭のニュースキュレーションサービスについて戻りますと、この件の少し前にこんな記事を読みました。

Antenna、Gunosy、vingowが「ニュース配信の未来」を公開討論~キュレーションサービスは今後1年が勝負(エンジニアtype)

この記事の最後の中見出しは『テレビ、ラジオ、雑誌など他メディアとの共存を考える』で、記事を読むとAntenna、Gunosy、vingowという3サービスの提供者が、いずれもオリジナルコンテンツの制作者との共栄を考えていることがわかります。

穿った見方をすれば、メディア各社から刺されないようにするためのポジショントークなのかもしれません。しかし、私にはこれらが本音にかんじられます。きっと彼らは、Googleのように各媒体にトラフィックをもたらす存在となり、共栄していきたいと考えているのでしょう。

キュレーション界隈の進化・成熟化はまだまだこれからだと思うので、過剰に萎縮して進化が止まらなければいいなあと思います。ついこの間まで検索エンジンのキャッシュは日本において違法でした。それが国産検索エンジンの成長を妨げました。また、いまでも音楽や映像などはコピーコントロールでがっちがちで、市場の縮小を招いています。

検索エンジンが「違法」、いつまで続く?(ASCII 2008年07月01日)
改正著作権法が成立 「ダウンロード違法化」「検索キャッシュ合法化」へ(ITmedia 2009年06月12日)
「コンテンツに鍵をかけないほうが音楽は売れる」 新たな研究で明らかに(GIZMODO)

TPPの上陸で著作権関連の話題がかまびすしいですが、フェアユース(公正利用)の概念だけは先行輸入しておいた方がいいんじゃないかなあと思った次第。

キュレーションの時代(佐々木俊尚・筑摩書房)

2011年の本なので最新事情を追うにはもはや適しませんが、キュレーションが求められている背景を理解したい人にはおすすめの本。amazonレビューはフルボッコだけれど、読んで損はないと思います。

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ドワンゴ新卒入社試験有料化に乗って奨励金を導入したオールアバウトの狙いを考えた

こんな話題を目にしました。

新卒入社試験の受験料制度導入について(ドワンゴ)
今の就活は不幸を生むだけ~ドワンゴ「新卒採用に受験料」導入の真相を、川上量生氏に直撃(エンジニアtype)
2015新卒採用 奨励金制度(株式会社オールアバウト)

ニコニコ動画を提供するWeb企業のドワンゴさんが、人気企業にやたらめったらエントリーが集まり、結果として企業にも学生にも疲弊を強いる現在の新卒就活への批判を込めて、新卒入社試験に2,525円の受験料を課す(1都3県のみ)という試みに乗っかって、オールアバウトさんが「奨励金」と称して、ドワンゴさんへ受験料を支払った学生にほぼ同額を返金するというキャンペーンを発表した、という流れ。

ドワンゴさんの取り組みについては現在の就活のあり方に一石を投じるものとしておよそ好評を得ているようなんですが、オールアバウトさんについては「悪ノリ」だの「ドワンゴの意図を台無しにしている」などと批判的な見方が多く、半ば炎上している模様です。

私としては、ドワンゴさんの問題提起はすばらしいなあと思いつつ(※あくまで問題提起として。すべての入社試験が有料になると、教育だけでなく就職にまで所得格差が響いていくるのでそれはよろしくない)、オールアバウトさんについては狙いがよくわからないので???というかんじでした。

単純に話題になって学生の注目を集めたかったのかといえばいささか疑問。C向けのメディア事業で知名度もあり、JASDAQ上場で大手資本(大日本印刷、リクルート、ヤフー)もがっちり入っているので、学生の人気はそれなりにあるでしょう。飛び道具を使う必要があるほどの採用難とは考えにくいです。あくまで推測ですが。

推測ついでに、オールアバウトさんの新卒採用ページを見て妄想を膨らませてみることにしました。

株式会社オールアバウト 新卒採用(リクナビ2015)
2015採用が終わるとページが消えてしまうので魚拓

気になるところをいくつか引用しつつ、コメントしていってみます。繰り返しになりますが、これは私の妄想ですので、真に受けるかどうかは自己責任でお願いします。

当社の仕事は組織図の枠に捉われず、編集職に所属しながら広告制作やガイドのプロデューサーを兼務したり、営業職をしながら新規事業を同時に手掛けたりと、自発性のある人、成長し続ける人に任されます。「経験のないことに挑戦する意欲」があれば色々な仕事ができる土壌がある。

翻訳すると、「かっちり縦割りで業務分担ができるほどの大組織じゃないから、畑違いの仕事でも興味を持って取り組めないとしんどいよ!」というかんじでしょうか。従業員数は150名程度ですから、システマティックに役割が細分化された組織でないことは容易に想像できます。いろいろなことにチャレンジしたい人には楽しそうな職場に思えますね。

『情報で世直し』を目指して挑む、前人未到のビジネス展開

なんだかどこかの新政党みたいなキャッチコピーであれですが。とにかく大きなビジョンを持って新しいことに挑んでいける人材が欲しいっぽいです。

2006年に新卒第一期生を採用して以来、事業主体者になりたいという意欲を持つ人材を採用し続けています。ここで言う事業主体者とは、自立した個人として意思を持ち、他者を理解し、違いを受け入れた上で協働して1つの価値を生み出していく意思と実現力を持つ人材のこと

非常にリクルートっぽい文言ですね。別箇所で『第二創業期』という表現も使われておりますし、会社沿革を見ると2012年から2013年にさまざまな新規事業を立ち上げているので、いわゆる起業家マインドを持った人材を欲しがっているような気がします。いや、多くの企業がこういう学生を欲しがっているでしょうが。

しかし、会社が大きくなって、安定してくると、なかなかそういう人材ばかりが応募してくるわけではなくなるんですよね。学歴やTOEICなどのスペックは高くとも、冒険よりも安全を求めて志望する学生さんが増えてきてしまう。

そんな風にひと通り考えてみた結論として、オールアバウトさんの今回の施策は採用プロモーションのひとつには違いないと思うんですが、「お固い会社だと思われてそうだけど、こんなはっちゃけたこともできるんだよ!」「ドワンゴの発表のすぐ後に仕掛けられるスピード感があるんだよ!」というアピールと、「ドワンゴを受けるようなベンチャー志向の学生を欲しているんだよ!」というメッセージなのかなあ、と思いました。(※果たして、いまドワンゴを受ける学生がベンチャー志向と呼べるのか微妙ですが)

何はともあれ、ドワンゴ川上氏の指摘のとおり、現代日本の新卒就活に多くの歪みがあるのは違いないと思われますので、各社様とも炎上を恐れず色々な取り組みをして欲しいなあと思う次第。ひとつの実験として、今回のオールアバウトさんの施策も大いに”アリ”なのではないですかね。

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ビットコインに“びっ”とこない – 愛も貨幣も信用なくしては成り立たないが

タイトルだけで書きたいことの半分が終わっています。ところで、松田聖子さんの「ビビビ婚」って1998年の出来事だったんですね。もう15年も前なのにまだおぼえられてるってすごい。

最近、仮想通貨のビットコインが話題を集めています。

仮想通貨ビットコインが話題 バブルの懸念は?(THE PAGE)
ビットコインがすごいことになっていた(追記あり)(新聞紙学的)
闇サイト「シルクロード」をFBIが摘発—電子通貨「ビットコイン」の取引額は1,180億円!(現代ビジネス)
Bitcoin考: 貨幣的な、あまりに貨幣的な(雑種路線でいこう)

ビットコインのユニークなところは、円やドルといった通貨で購入されるSuicaなどの電子通貨とは異なり、コンピューターの計算処理から生み出されるという点。いわば無から生み出された貨幣なのです。

これはかなり雑な説明なので、詳しいことは以下のリンク先をご覧ください。簡潔にまとまっていてなんとなくわかったつもりになれます。

ビットコインについて素人が思う疑問(teruyastarはかく語りき)

そもそも、通貨が生まれ、広まったは理由はその便利さにあります。通貨の誕生以前には物々交換しかお互いの所有物を取引する手段はありませんでした。山に住む人が果物を、海辺に住む人が魚をそれぞれ取り替えっこする感じ。

とても健康的ではありますが、これではお互いが欲しいものをタイムリーに持ち合わせていないと取引が成立しません。いつか欲しがる人が現れるまで取っておこうと思っても、果物も魚もそのうち腐ってしまう。どうも不便ですな。

そのうちにどこかの賢い人が貨幣なるものを発明します。銀とか金とか、そのものが価値を持つ貴金属を媒介にすることで、物々交換の不便を解消したのです。すごい。

しかし、貴金属を貨幣にするには限界があります。そもそも量に上限があるものですし、誰かがその本来の使い道である宝飾品などに加工してしまうとそのぶん貨幣として流通できるブツが減ってしまう。これでは困ってしまいます。市場にはもっと多くの貨幣が必要なのです。

やがてまた賢い人が現れて、「この紙を持ってきたら額面と同じだけの金銀財宝と交感してあげるよ」なんて言い出すわけです。紙幣の誕生ですな。紙幣のよいところは低コストでたくさん刷れるところです。しかも、いっぺんに全員が金と取替に来ることなんてそうそうありませんから、実際に持っている財産よりも多くの額面の紙幣が刷れる。

これを思いついた人はウハウハだったでしょうな。むかし、童話だったかショートショートだったかで、財政難に苦しむ王様がお城の地下に眠っているありもしない財宝を担保に紙幣を刷りまくる物語を読んだ記憶があります。入れ知恵をしたのは悪魔だったのですが、デフレだインフレだとお金の価値の乱高下に苦しんでいる現代人のありさまを見ておりますと、やはり紙幣をもたらしたのは悪魔の仕業だったのやもしれません。

この時点で、市場で行き交う通貨はなんだか怪しい証文=紙幣に切り替わったのですけれど、まだ価値が確からしかったのは政府だか中央銀行だかが「額面と同額の金」との交換を保証していたおかげです。いわゆる金本位制というやつ。

しかし、この制度も1971年のアメリカ合衆国政府の金兌換停止によって終わりを迎えます。いわゆるニクソンショックというやつで。ここから通貨は通貨の機能を果たす故に通貨たりえるという自家撞着的存在となったのであります。なんだかよくわからない。

こんな風に考えてみると、国家が信認する通貨もビットコインも同じく尻尾を食らうウロボロスのようなもので、まったく虚ろなものだと思うのですけれど、それでもビットコインの方が胡散臭く感じられてしまうのはなぜなのでしょう。過去の歴史が生み出す重みか、あるいは造幣局の輪転機が私の心に透かしでも刷り込んでいるのか。

そういえば、冒頭で挙げた松田聖子さんの「ビビビ婚」ですが、結局たった2年で破局を迎えてしまったそうです。愛も貨幣も信用なくしては成り立たないものですが、はたしてビットコインは円満な結末を迎えられるのでしょうか。

どう転ぶのかはわかりませんが、インターネットのどこかでビットコインの輪転機が轟々と唸っているのを想像し、なんとなく薄ら寒いものを感じる今日このごろです。

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一問一答:神を殺すためには? – 神殺しの5つの方法

問:神を殺す方法は?

答:チェーンソー。

『魔界塔士 Sa・Ga』(まかいとうし サガ)は、1989年(平成元年)12月15日にスクウェア(現:スクウェア・エニックス)からゲームボーイ(以下 GB)用として発売されたロールプレイングゲームである。
(中略)
神との戦闘直前の台詞は有名であり、いたるところでパロディにされている程である。また、チェーンソー(または、特技・のこぎり)で一撃で倒せる事も有名である
引用:魔界塔士Sa・Ga(Wikipedia)

問:神を殺す方法は?

答:神はもう死んでいる。

神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。
ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。
引用:神は死んだ(Wikipedia)

問:神を殺す方法は?

答:妖怪博士を呼ぶ。

井上 円了(いのうえ えんりょう 井上圓了、安政5年2月4日(1858年3月18日) – 大正8年(1919年)6月6日)は、仏教哲学者、教育家。
多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、後に東洋大学となる哲学館を設立した。また、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著した。「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。
引用:井上円了(Wikipedia)

問:神を殺す方法は?

答:ハサミがあれば簡単。(紙Kill)

はさみ(鋏、剪刀)は、物を切断するための道具である。
形態としては、支点が作用点から離れている和鋏型、支点が中間にある洋鋏型がある。
助数詞には丁あるいは挺(読みはいずれも「ちょう」)が用いられる。
引用:はさみ(Wikipedia)

問:神を殺す方法は?

答:床屋さんに行く。(髪Kill)

理容師(りようし、英語:barber)とは、髪を切って整える等の理容を行う仕事を司る職種である。
紀元前においても現代の都市文明社会においても、髪を切る以外に、パーマネントウエーブ、ネイルアート、化粧、染髪、マッサージなどは、理容師の業務範囲に含まれていることが少なくなかった(むろん、時代・地域等によって大きく異なる)が、現代ではこれらの各種サービスにエステティックが加わった。
引用:理容師(Wikipedia)

問:神を殺す方法は?

答:足を紐でぎゅっと縛ってな、ぐらぐらわいたお湯にぶち込むんよ。紐がほどけるとあばれるかもしれんから、ちゃんとフタしてな。んで、殻が真っ赤に茹で上がったら食いどきだ。うんめえどー。

カニ(蟹)は、十脚目短尾下目(たんびかもく、Brachyura、別名:カニ下目)に属する甲殻類の総称。タラバガニやヤシガニなどは十脚目異尾下目(ヤドカリ下目)に属するが、これらも漁業・流通等の産業上、「カニ」として扱うことがある[1][2]。また分類学において、本分類以外の水産節足動物で「カニ」の名を与えられているものも多い。
引用:カニ(Wikipedia)

こちらの2記事にインスパイアされて書きはじめたはずだったんですが。どういうわけかこんな記事に結実しました。マジメなことを書くつもりだったんだけどなあ。

神さまの殺しかた/宗教にハマらずに生きる方法(デマこいてんじゃねえ!)
私のなかでは、科学と仏教はあまり喧嘩してません(シロクマの屑籠)

以下、本稿執筆前のツイートなど。本当にはじめはマジメなことを書くつもりだったんだよ!

  • 宇宙は空飛ぶスパゲッティ・モンスターによって創造された。これは空飛ぶスパゲッティ・モンスターが大酒を飲んだ後の事であった。
  • 最初に創造したものは、山、木々、小人一人だった。
  • すべての証拠が、進化はスパゲッティ・モンスターのヌードル触手によって推進されたことを示している。
  • 古代の人の身長が低いのはスパゲッティ・モンスターの触手によって頭を押さえられていたからであり、現代人の背が高いのは人口増加によりスパゲッティ・モンスターの触手の数が足りなくなったからである。

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(Wikipedia)

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噴火で小笠原諸島に新島誕生 – 命名や領有権など4つの疑問

晩酌をしながらテレビを眺めていたら、小笠原諸島で起きた噴火によって新しい島が生まれたという驚きのニュースが飛び込んできました。

小笠原諸島・西之島付近に直径200メートルの新島(TBSニュース)※動画あり
小笠原諸島・西之島沖で噴火…楕円形陸地も確認(TOMIURI ONLINE)

思わず「大地は生きているんだ!」とか叫びたくなる出来事です。小松左京御大がご存命でいらっしゃったなら、「日本沈没」の新章が発表されていたかもしれません。

びっくりついでに、いくつか気になることがあったので調べてみました。以下が疑問に思った項目です。

  • これで日本はぜんぶで何島になったの?
  • 新島ができたとき、領有権はどの国のものになる?
  • 同じく、地権者は誰に?
  • 命名は誰がするの?

これで日本はぜんぶで何島になったの?

周知の通り、日本は無数の島々で構成されています。でも、実際にはぜんぶで何島あるんでしょうか。以前、何かの記事で6千いくつかと書かれていたのを読んだ記憶があったのですが、正確にはおぼえていません。

で、調べてみました。

Q1 日本の島の総数は?(教育出版)

さまざまな機関に問い合わせをしてみましたが,日本においても「島の定義」は明確化されていないようで,それぞれ,ある一定の基準を定めて算出するにとどまっているのですね。しかしながら,「6,852」という数字は,一つの基準とされているよう

これまた驚いたことに、正確な島の数って決められていないんですね。とはいえ、「6,852」が通例だったようですから、今回の新島が「島」として認められれば「6,853」ということになるのでしょうか。

まあでも、カウント方法がちょっとあやふやな感じですし、資料改定等を面倒くさがって「6,852」のままになっちゃうような気がしなくもありません。

新島ができたとき、領有権はどの国のものになる?

今回の新島ができたのは小笠原諸島の付近ですし、第一発見者も日本ですから、問題なく我が国の領土となると思うのですが、たとえば公海上や、隣国との領海の境で新島ができたらどうなるのでしょうか。

これについては国際法に「先占(先占の法理)」という決め事があるみたいです。

先占(Wikipedia)

先占(せんせん)とは、国際法において、いずれの国にも属していない無主の土地を、他の国家に先んじて支配を及ぼすことによって自国の領土とすることである。無主地先占とも、先占の法理ともいわれる。

どうも“支配を及ぼす”というのがポイントみたいで、見つけただけではダメなようです。たとえば、尖閣諸島のすぐ近くに突如新島ができたりしたら、自衛隊と人民軍との間で先乗り合戦が起きるんでしょうか。

もしそんな理由で戦争が勃発したらと思うとおっかないですね(´・ω・`)

同じく、地権者は誰に?

これは調べても答えが見つけられませんでした。まあ、普通に考えればお国のものなんでしょうけれど、国が気がつかない間に近所の住人が住み着いちゃったりしたら揉めそうな気もしますですね。そんな事態はそうそう起きないでしょうけれど。

どなたか答えを知っていたらぜひ教えてください。

命名は誰がするの?

これが定められたルールなのかわかりませんが先例はあるようです。今回、新島が誕生した小笠原諸島西之島では1973年にも新島ができていたそうで、なぜか農業機械メーカーのクボタさんのサイトにこんなレポートが上げられていました。

日本の火山―7 西之島新島 小坂丈予=東京工業大学工学部教授(クボタ)※PDF

この年の12月21日には海上保安庁がこの島を西之島新島と命名

えっ、海上保安庁が命名するの? てっきり、国交省だとか時の内閣だとかが命名するのかと思っていました。意外に現場よりのところで決めちゃうんですね。

とくにひねった命名ではないので事務的に淡々と決定していそうですが、それはそれでなんだかさびしい。今回は西之島新々島みたいな名前になるのかなあ。ちょっぴり味気ないですね。

せっかくなら、「西之島新島ネオ」とか「帰ってきた西之島新島」とか、そういうチャレンジングな命名をしてくれたら面白いんですけれど。


(2013/11/21追記)
小笠原の新島 さらに“成長”(TBSニュース)※動画あり

海底噴火でできた島は浸食でなくなってしまうことが多いそうなんですが、この島はさらに大きくなっており、「かなり高い確率で島として残るのではないか」(東京工業大学 野上健治教授)だそうです。

できたての無人島とか、行ってみたいですね。

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