
90年代のプロレスファンなら、知らないものはいないといっていいゲームソフト。
「ファイヤープロレスリング」(略してファイプロ)シリーズ。
そのファイプロシリーズの生みの親、ゲームデザイナー・増田雅人さんが逝去。
享年48歳。早すぎる別れに、ただただ、合掌。
増田雅人さんは1966年1月1日生まれ。1984年にヒューマン入社。
1986年10月21日に任天堂から発売されたファミコンソフト「プロレス」開発に関わり、ゲームデザイン全般を担当。
1989年06月22日にヒューマンから発売されたPCエンジンソフト
「ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ」開発に関わり、1990年9月14日、ゲームボーイ「プロレス」。
そして1991年にスーパーファミコン用ソフト「スーパーファイヤープロレスリング」を開発。
一部では“攻撃的デザイナー”の異名で呼ばれていました(ケイブンシャ攻略本より)。
振り返ると20歳で伝説のゲーム「プロレス」を作り、
23歳でその後のプロレスゲーム誌に多大な影響を与えた「ファイプロ」を生み出してるんですね。
ファイプロは前作“プロレス”でできなかったことを反省し、ファンの声を汲み取って製作されたといわれています。
プロレスの醍醐味はタッグマッチじゃないだろうか。コーナーに投げるにはどうしたらいいか。
今のシステムでは連打すれば勝てるゲームになってしまっている点。
増田さんはそれらをアイディアによって乗り越えます。
コーナーだけでなく、縦横無尽のロープワークを可能にしたリング斜め置きの「ファイプロポジション」。
連打だけでは勝つことを防止する「腰を落としてからの技ボタン」
多少の変化はあれど1作目からゲームデザインは衝撃的で、そしてプロレスの醍醐味を見事に落とし込んでおりました。
スーパーファミコン移植作「スーパーファイヤープロレスリング」は大ヒット。
90年代はプロレスの地上波放送が深夜へ移行していたこともあり、
ファイプロを通してプロレスを知った、改めて魅力を掘り下げられたという方は想像以上に多いはず。
僕もそんな数多くの中のひとりです。
ファイプロは一人で作られたものではありません。それでも増田さんへ大きな感謝をささげたい。
ファイプロを産み落としてくれて心からありがとうございました。
増田さんもこれでレジェンド枠。天からプロレスとゲームの未来を見守ってくれれば幸いです。
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Posted by ryosijj at 03:07│
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