日記 2014年4月1日〜:月::日

2014年4月3日 夜

PCゲーム、almagestは、攻略できるようになった。優秀な人材を集めたら、簡単に勝てる。あと、援助の額と信頼される度合いは、実生活にも役立つ。しかし、簡単に勝てるようになったら、これは卒業だろう。

 

2014年4月3日 夜

私は、アメリカ人の聖書通ほど丸暗記はしてないけれども、一般的な知識は、日本人の平均をかなり上回る。しかし、知っていても、聖書の理解はたいしたことがない人は多い。それよりは、私はかなりよいほうだ。

 インチキくさいのが出てくると、意欲がわいてくる。前回、悪宇宙人コンタクティに影響を与えてくれ、と依頼した。早速、保守雑誌のような影響が出ている(willの冒頭の提言と似る)。彼の交信を改善してくれとは頼んだが、私を批判しない類にしてくれよ、と担当霊に苦情を言う。やれやれ。

 特に、ヨハネの黙示録。この解読がちゃんと出来ている人には、お目にかかったことはない。私の解読が正しい、という幽霊は数人いる。以前の私の解読は間違っているから、公表するな、と言われていた。が、今は、彼らは人々に明かしてもよい、という。恥じるべき解読ではない、ということらしい。

 聖書の真偽はまず、現実に即して判断しないといけない。何も知らない人には書いておく。善悪の二元論は、ユダヤ教がゾロアスター教によって受けた影響だ。タルムードの形成された時期。イラク地域でユダヤ教が研究されていた時期が紀元前2-5世紀だったかな。イスラエル国家がなくなってから、その宗教は、イスラエルとメソポタミア地域に、残った。タルムードに2種類がある。それだ。

 で、イラク地域で発展を遂げたグループの中に、ゾロアスター教の二元論が入りこんだ。それを、キリスト教はひきずっている。現在のユダヤ教では、二元論は認められていない。キリスト教は、二元論を採用している面では、亜流なのだ。というわけで、二元論こそがキリスト教というのは、キリスト教徒のみ。真に神の教えに二元論があると思わない人々もいる。私はまったく二元論は相手にしない。

私は、二元論は正しい教えではない、とみなす。理由は簡単。善と悪、それそのものを考えるとよい。悪というのは、正しい方法ではないこと。効率の悪い方法をさす。善・良いは、正しくて良い方法をさす。手段の可否について、あらわす言葉なのだ。手段とは、方法で、道具や技術、技能のことだ。

 あれは、よい方法。あれは、悪い方法。鍵を考える。簡単に開けられるし、不良品が多いから、泥棒に入られやすく、悪い鍵。良い鍵は、泥棒に入られにくく、壊れにくい鍵。鍵の良悪とは、そんなものだ。一つの基準、鍵のよしあしという中に、鍵の善悪はおさまる。しかし、それは見た目は、全部、鍵なのだ。

 善悪といっているが、本当は、善のみで評価されている。鍵の中で、よいものがある。あまりよくないもの。かなりいいもの。何もよくないもの。良さの度合いという基準で、判定されている。目的があって、それを達成する手段かどうか。どの程度達成するか。それが、本来、問われている。

 つまり、手段の良否は、一つの基準で計られているのだ。一つなのに、善悪で言うと、二つ基準があるように思ってしまう。それは、やや本質的ではなく、原理的でない、おかしい、といえる。

ユダヤ教では、神は一つなので、2つでない。2つの原理などありようがない、と教えられる。私は、神は地球政府のよう。悪は、その辺りの矮小な犯罪組織と扱う。二元論を持ち出すのは、性善説、性悪説から抜け出ない曽野綾子並みで、格下扱いとする。誰が言おうと、悪の手先か、安物の理論(中国の哲学にはそういうのがかなり多い)とみなし、否定する。ゾロアスターの影響も自らの哲学から排除できないのは、ユダヤでは嘲笑される。そんなものは、私の思想の範疇にはない。

 悪は、その目的を達成しそうな感じがあるが、本当は達成しないもの。紛らわしいものを区別するために、用いられている。悪は、ニセモノ・まがいものを区別する知識なのだ。それ以上の価値を置くのは、愚かだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年4月2日 夜

交信は、54億年後の私。それとイギリスのスピリチュアリズムの有名人の霊と、話す。昨日の報告を聞く。指定通り会っていた模様。仲介役は、友人の霊能者らしい。今日は霊能力が低下ぎみで、はっきりといえない。

透視ではっきりしない。今は、透視方式で情報を得ている。以前は、霊スクリーン式。それのほうが見やすかった。それは視力悪化の危険性があるため、減らしている。透視の方式は、視力は悪化しない。

M 8.2 チリ北部地震

 メキシコ南部でなかったのか? マヤ遺跡のサインで、チリ北部は初かな。前にあったかな。大地震の日だけ当てた。あまり自慢にならない。

守護霊の真相編 -- この見地にたどりついたら、人生とは何かを知っている

まず、毎日きている守護霊の強弱を感じ取ることすら、普通の人間には至難の業である。さらにその守護霊が誰か、およそ推定することもだ。

今週は頭が働かない。これは意図的に行われている。しばらくしたら、週間守護に使いがくる。その前に、意識が低下しておかないと、彼らにありがたみを感じないため。

強い守護霊がくると、必ず何か失敗する。自分の守護でないとき、彼らは必ず生活上で失敗させる。彼らに頼らないようにするため。

主権のある霊とない霊。主権があるとは、自由に何かをさせてくれる強い霊のこと。それがない霊とは、彼らが何か部分的なことをするだけで手一杯で、自由には動くこともできない。もしくは見守り役として介在する程度。

人生は完璧。こう思わせて、守護の誘導通りに生きることが、最もよい人生だと思わせる。実は、その人生は完全からはほど遠い。それを理解しないと、過ちをなくす意味を理解しない。

一般的成長。人は最初はなんでも下手で、やがてうまくなる。この成長ラインは全ての人がたどる。天才と呼ばれる人も同じ。レオナルドダビンチのこと。

 

 

2014年4月1日 夜

交信は53億年後。

いつも通り、合体霊してもらい、相手を観察。してもらうのは、未来の自分と女性と、優秀な者達とその守護。

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