SQUAREPUSHER最新音源「Dissolver」配信中!
スクエアプッシャーのインタヴューにもある通り、スティーヴ・ヴァイを軽く超越する、78本指のロボットギタリストの超絶技巧が炸裂するプログレッシヴな1曲「DIssolver」(アルバム4曲目収録)を限定配信。聴き逃すな!
こんにちは、日本版『WIRED』です。
こんにちは。
早速なんですけど、最新EP「Music for Robots」がいかにしてはじまったか教えていただいていいですか?
去年Z-MACHINESを使った広告キャンペーンに楽曲を提供したのがはじまりだったのだが、それがあまりに楽しくて、興味深いものだったにもかかわらず、1曲しかつくれなかったので、さらにたくさんの曲をつくることのできるプロジェクトを組織してみたというわけだ。その結果がこの作品というわけさ。
Z-MACHINESに対する最大の興味ってどこにあったんでしょう?
まず最初の1曲をつくるにあたっての興味は、これがどんなキャラクターを自分自身の音楽に付加できるのか、というところだった。どんな違いをもたらしてくれるか、ということだね。空想としてしか存在し得ない曲というものはあって、それはアタマのなかにしかないものなので、それを人に聴かせようと思ったら、それを音声化するプロセスを経なくてはならない。
機械仕掛けの演奏は、
果たして聴く人の感情に訴えることができるのだろうか。
あるいは、まったく退屈なものになるのだろうか。
オルゴールを聴いているような体験になってしまうのだろうか。
音楽的ノベルティに終わるのか。
最も簡単な音声化は私自身が歌ってみることだし、それが複雑なものであれば、誰かに演奏させることになる。その音声化のプロセスが、終局的には人が耳にする音のキャラクターを多かれ少なかれ決定することになるのだが、ロボットが演奏した音楽は一体どんなキャラクターを作曲(コンポジション)にもたらすことになるのか、そこに興味があったんだ。
仮にわたしが曲を書いて、それを3つの生身のバンドが演奏して録音したら、それぞれが異なった演奏になる。それぞれのバンドがその曲に、それぞれのキャラクターを付与するからだ。それとまったく同じプロセスなんだ。ただし、ロボットの演奏なので、それは聴くに堪えないものになるかもしれない。機械仕掛けの演奏は、果たして聴く人の感情に訴えることができるのだろうか。あるいは、まったく退屈なものになるのだろうか。オルゴールを聴いているような体験になってしまうのだろうか。音楽的ノベルティに終わるのか。実際のところわたし自身、やってみるまで、どうなるかは見えなかったが、こうした疑問がわたしを駆り立てた、ということになる。
1曲やってみて、やり残したことがたくさんあった、ということになるんでしょうか。
やり残したことは、このEPをつくった後でも、まだまだある。今作の制作期間はかなり厳密に決められていたので、時間の制約のなかでやれることしかできなかったというのが正直なところだ。
なんにせよ昨年1曲つくったことで、アイデアが次から次へと出てきたんだ。昨年のレコーディングを終えてのわたしの反応はとてもポジティブなもので、「想像してたよりいいものができたな」という感じだった。
あはは。そんな感じだったんですね。
ホントのことを言うと、聴くに堪えない退屈なものができるんじゃないかと思っていたんだ。ハリボテみたいなものになるんじゃないかと。実際、そんなに高い期待をもっていたわけじゃない。クソみたいなものしかできなかったら、それはそれさ。
やってみて、どんなキャラクターがご自身の楽曲にもたらされたと感じますか?
音のキャラクターというものを言葉にして表現するのはとても困難だし、わたし自身が感じ取ったものを言葉にしたとしても、それが聴き手のみなさんにとって同様かという保証もないのはたしかだ。というわけで、わたしはそのキャラクターを言葉にすることに関して極めて慎重にならざるを得ないのだが、とはいえ、こういう言い方はできるかもしれない。
たとえば、エレキギターのような耳慣れた楽器をロボットが演奏することによって何がもたらされるか、ということを考えてみよう。エレキギターはポピュラー音楽のいたるところで使用されており、慣習的に使われているという意味では、音楽制作のうえでもっとも制度的な楽器ということが言える。こうした楽器の音は、コードひとつ鳴らしただけで、過去の音楽的リファレンスがすぐさま想起されてしまうほどにコンテキスト化されているわけだが、それがノン・ヒューマンな手によって演奏されることで、いままで聴いていたサウンドが、まったくの異物として響くことがありうる。そして、そのことによって、わたしたちが想起するリファレンスの体系を壊すことができる。
自分にとって、ロボットを使うことは、すでに手あかのついた楽器に、新しいアプローチの仕方をもたらしてくれるものだ。過去の使われ方を一新して、フレッシュな状態に戻してくれる。質問の答えにはなってはいないとは思うが、こうしたプロセスこそが、あるキャラクターを与えていくことになるのだ、と、ここでは言うにとどめておきたい。そのキャラクターがいったいどんなものであるのか、それを明示することは聴き手のみなさんにおまかせしたい。
なるほど。
とはいえだ、昨年つくった1曲をめぐる反応のなかに、この音楽に人間的な資質を感じるといった感想が少なからずあったのは興味深いことだった。「感情があるかのようだ」「繊細だ」とか、反対に「エゴイスティックだ」とか「傲慢だ」とか。こうした感想は、ポジティブなものであれネガティヴなものであれ、リスナーがこの音楽に人間的な資質を読み取ったことを表している。
しかし、ここで演奏しているのはロボットだ。そこに人間的な何かが宿ることはない。あくまでも電子工学に基づいた無感情な構造物に過ぎず、感情はもちあわせていない。「繊細さ」も「エゴ」も原理的にもちえない。それでも、彼らの演奏がかりに「感動的だ」というのであれば、それはロボットに要因があるのではない。とするなら疑問は、その「感動」はどこで発生するのか、ということだ。それは演奏の背後にいる作曲家がもたらしたということになるのだろうか?
本作であえてスティーヴ・ヴァイに似たような
ギター演奏を入れることにしたんだけれども、それは、
この演奏をスティーヴ・ヴァイを非難するのと
同じ論法で非難することはできない、
ということを明らかにしたかったからなんだ。
わたしはここで何かしらの結論を出したいと思っているわけではないが、ロボットの演奏は、このように、わたしたちの「聴く」という行為をめぐるさまざまな問いを含んでいるということができるだろう。さらにいえば、こうした音楽が、わたしたちの「聴く」という行為を、さらに拡張してくれるかもしれない。そこにわたしの興味の焦点はある。
そうなんですね。
たとえば、これはいわゆるギター音楽の世界の話だが、好き嫌いは別にしてスティーヴ・ヴァイのようなギタリストが1秒間に何音も早弾きができるのを聴いたときに、感心する人がいる一方で、それをエゴイスティックで傲慢だと感じる人もいる。わたしは本作であえて似たようなギター演奏を入れてみたが、それは、この演奏をスティーヴ・ヴァイを非難するのと同じ論法で非難することはできないということを明らかにしたかったからだ。このように、音楽に対するありきたりの反応自体を破壊することが面白いんだ。
わたしは自分の音楽キャリアのなかで、言うなれば、音楽を受動的に体験するのではなく、こうしたことを能動的に考えながら音楽にエンゲージしていくことを常にリスナーに求めてきたと思う。わたしは自分のリスナーが「消費者」であって欲しくはない。参加者であって欲しいんだ。
作曲するにあたって、これまでと違う思考が要求されましたか?
これはさっきお話した音声化のプロセスと関連する話だが、作曲という作業は、つねにそれを音声化する人や楽器、デヴァイスによって規定される。ギタリストに曲を書くとしたら、ギタリストの制約というものをつねに考えなくてはならない。
通常のギターは6弦で、通常演奏者は限られた指の本数で演奏をするわけだが、これは作曲にある種の制約をもたらすことになる。こうした制約は、無限と言えるほどの数の要素と、その組み合わせによってつくられているわけだが、これにさらに複数の楽器や演奏者が加わることで、作曲者が考慮しなくてはならない制限は、膨大に出てくる。
同じように、本作においてわたしは、ロボットたちの制約に即して作曲をしなければならなかった。彼らにもできることの限界はあるからね。たしかにロボットのギタリストは指が78本あるものの、ピッキングのダイナミクスを変えることはできない。つまり一定の強さでしか弾けない。通常のギター演奏においてダイナミクスの変化は、演奏に個性や多様性を出すうえで最も重要な要素だが、ロボットにはそれができない。ヴォリュームのコントロールができない。しかし、一方で、同時に音を出すことについてはできることの幅がぐっと広がる。
ロボットでは、6弦それぞれが別個の独立したメロディを演奏することも可能だ。たとえば4曲目の「Dissolver」の出だし部分では、6つのメロディを同時に演奏させている。一本のギターでだ。これは人間ではできないことだ。つまり、人間とくらべて優れた部分もあれば劣っている部分もあるんだ。
作曲というのは結局のところその限界と可能性を見極め、それに従って進めるということになる。そして、それは必ずしも技術的な部分に限ったことではない。音楽的なアイデア、つまりメロディやハーモニーにも作用することだが、それもまた制約や制限があるものだ。今回は、とりわけそこの見極めが重要だったといえる。
SQUAREPUSHER × Z-MACHINES
「MUSIC FOR ROBOTS」
(Warp Records / Beat Records)
- Remote Amber[2:24]
- Sad Robot Goes Funny[5:14]
- World Three[4:39]
- Dissolver[7:16]
- You Endless [3:50]
2013年夏、人間の身体能力の限界を超えた高度な音楽パフォーマンスの実現を目指し、3体のロボットで構成されたバンド、Z-MACHINESは生み出された。78本の指でギターを弾くギタリストと22個のドラムを叩くドラマーに生演奏させて作る音楽という未開の可能性に強く惹かれたスクエアプッシャーこと鬼才トム・ジェンキンソンは、この「バンド」のために楽曲「Sad Robot Goes Funny」を提供。しかし、スクエアプッシャーと日本の開発チームは、さらなる可能性を追求し続け、スクエアプッシャーからの働きかけにより、その後一か月の間に新たに4曲が書き下ろされ、データのやり取りやレコーディングなどを経て5曲入りのEP『Music for Robots』が完成した。
それぞれの曲がどういうふうにつくられていったのかをお伺いしたいです。たとえば1曲1曲ごとに技術的なテーマがあったりするのでしょうか?
制作時間が4-5週間しか取れなかったということが、まずは大きな制約としてはあったが、それ以外でまず重要だったのは、ロボットの可能性をいかに掘り起こすかということだった。それゆえ曲ごとに、探求する対象を変えていった。単に技術的なことでなく音楽上のテーマ的なアイデアも含めてね。1曲目の「Remote Amber」では人の指では押さえづらいコードを、かなり長い時間にわたって鳴らし続けるということにトライしている。これを実際に人が演奏しようと思ったら、指がひきつることになるはずだ。
あはははは。
実際にやったら相当痛いと思うね(笑)。ロボット演奏と聞いて人が最初に連想するのは演奏スピードをどこまで早められるかだと思うが、複雑な運指を要求されるコードをどれだけ長く押さえていられるか、といった地味なチャレンジもあるわけだ。
わたしは、非人間的な演奏に魅力を感じる。
実際、ベースギターの演奏家としても、
できるかぎり機械のように
演奏することを目指してきたといえる。
人間的なニュアンスを排除したいんだ。
2曲目の「Sad Robots go Funny」では、ポリフォニー、つまり同時にいくつもの音を出すという点を実験しているし、これは4曲目でもそうだ。これ以外にも音楽理論的な部分で語れることは多くあるのだけれども、このインタビューでは不要だと思うので、語るのはやめておこう。ここでは技術上のアイデアだけでなくハーモニー上のアイデアも各曲に散りばめられているとだけ言っておこう。
本作に関するコメントでコンロン・ナンカロウやリゲティ・ジェルジュの自動演奏ピアノの曲を参照してらっしゃいましたが、よく聴いてるんですか?
よく聴いてるというわけじゃない。わたしは静寂を愛する人間でもあるからね。とはいえ、彼らの仕事はわたしにとってインスピレーションになってくれたものだ。リゲティの自動演奏ピアノ曲は、さほど知られているものではないかもしれないけれどとても興味深いものだ。
パット・メセニーが機械仕掛けの自動演奏バンドで制作した作品は聴かれました?
「オーケストリオン」だね。
そうですそうです。
ちゃんと聴いたわけではないけれど、端々を聴いてはみた。わたしがこのプロジェクトでやろうとしたのは、人間が演奏できない音楽をつくるということだった。一方、パット・メセニーの作品を聴いてわたしが感じたことは、それがまるでパット・メセニーの音楽みたいだ、ということだ。それがいいか悪いかは別の話だが、かりにあの音楽を機械が演奏していることを知らなければ、いつも通りのパット・メセニーだな、と思ったに違いない。その意味では、わたしとはまったく違うアプローチと言える。わたしは、非人間的な演奏に魅力を感じる。実際、ベースギターの演奏家としても、できるかぎり機械のように演奏することを目指してきた。人間的なニュアンスを排除したいと思って演奏している。だからヴィブラートの使用をできるだけ避けている。
なんでですか?
なぜってヴィブラートは、音楽上の表現としてはステレオタイプなものだからだ。キライなんだ。だから機械に影響を受けたような演奏を心がけている。デジタルやコンピュータがいかに生身の人間の演奏に影響を与えているかという部分は、実際、ロボットの演奏と並んで最も興味あるところだ。
フランク・ザッパの「Jazz from Hell」を思い出した、という意見もあります。
ホントかい? それは興味深いリファレンスだ。言われたことなかったな。
彼がシンクラヴィアでやろうとしたのはおそらく非人間的な音楽をつくることだったように思うのですが。
たしかにそうだ。それは嬉しい。気に入ったよ。もちろんあの作品は聴いているし好きでもあるけれど、このプロジェクトのリファレンスとして考えたことはなかったよ。
さっきのヴィブラートの話でちょっと思ったのですが、あなたの演奏はジャコ・パストリアスに影響を受けていると勝手に思っていたのですが、そういうわけでもないんですか?
ティーンエイジャーの頃にハマっていたのは事実だ。ただ、当時から好きなところとそうでないところはあった。というより彼の演奏が置かれている音楽的なコンテキストがあまり好きでなかったりする。彼のソロ名義でのファーストアルバムは素晴らしいと思う。けれどもウェザー・リポートでの演奏は、言ってみれば、そうだな……陳腐だ。
もっと自分名義のアルバムをつくってくれればよかったんだがね。とはいえ、ジョニ・ミッチェルと一緒にやっているものはクールだ。ジャコがベースという楽器に革命をもたらしたことは間違いない。けれども、彼の活動のすべてがすばらしいわけじゃない。ときには一歩引いたところから、自分の音楽を眺めることができないと、本当にいいものは残せないのかもしれない。それが妥当で適切なものか、ということを常に考えないといけない。
ジャコの演奏には人間的な面と機械的な面とがある感じしますね。
まったく同感だ。ジャコの人間的な部分、つまりスムースなヴィブラートはわたしには効かないということだよ(笑)。
今回の作品制作のなかで、新しい自分を発見するようなことはありましたか?
コンヴェンショナルな楽器を新しい眼でとらえることができたというのは発見だったし、そこから新しいアイデアが次々と出てきた。扉を開いてくれたと思うし、実際に進化があった。技術的なことだけでなく、この先自分がどんな方向に進みたいかを指し示してくれたところもあった。
どんな方向ですか?
たとえば3曲目の「World Three」では、コンポジションをまるで自動筆記というか「意識の流れ」のようなものとして表現できた。作曲をしながら考え、記述したものを通して考えていくというようなプロセスだ。思いついたと同時に記述していく。これは面白かった。これまでこうした手法をやったことがないわけではないが、それをより発展したかたちで、ハーモニックなものとしてつくることができた。単にメロディを記述していくだけでなく、同時にハーモニーを構想していくことができたんだ。実際、この曲は、自分がつくったもののなかでも最も早くつくられたものだと思う。
アルバムに入らないからといって、
ある楽曲を捨て去ってしまう理由なんてどこにもない。
結局のところアルバムというものは
音楽産業が生み出したテンプレートにすぎない。
実際どれくらいで早いんですか?
さあ。測ったりはしないからね(笑)
そりゃそうでしょうけど(笑)。
作業してる間は時間は消えてしまう。一瞬だと思ったら6時間経ってたみたいにね。楽しい時間はつねに一瞬なのさ。ははは。
苦労した、とか、これはまいった、なんていう局面はなかったですか?
それはプロデューサーの松尾健二郎さんに聞いてみたらいい。わたし自身にとっては、チャレンジングな部分はあったものの解決できないことはなかったし、すべてがうまくは行ったと思う。残念だった点があったとすれば、もっとやりたいのにやれなかったことだ。実際、このロボットは自分で引き取りたいくらいだ。とくにエレキギターにおいてこのロボットがもたらしてくれるものについては、もっともっと掘り下げたいが、問題はお金の部分だ。このロボットを維持するためには多くの人手が必要だし、そのコストをどこから捻出するのか。これは大きな問題だ。
たしかに。
日本ではまだ録音物を買う人がいるけれども、残りの世界にはいないからね(笑)。収益という点から言えば、音楽を録音することは割にあわなくなっているし、どんなに機材が発達したところで、お金がなければ人に何かをお願いすることはできないからね。フラストレーションがたまる状況ではある。
Z-MACHINESはどうなっちゃうんですか?
ヨコハマの倉庫にあるらしいが、日本の倉庫代は高いって聞くからね。最終的には解体されることになるのではないかな。
引き取らないんですか?
7トンもある機械だからね……家に入らない(笑)。だし、かりにわたしが引き取ったとしても修理や補修の仕方を自分で覚えなくてはならない。こういった新しいテクノロジーが音楽の可能性を拡大してくれているのは間違いないにせよ、諸般の理由からその探求が継続されないのは残念なことで、しかも諸般の理由というのはつねに、音楽とは無関係な経済の都合だ。
ロボットにはずっと興味があったんですか?
子どもの頃から電気工学は好きだった。子どもの頃からガジェットをつくってみたりしてたんだ。そういう意味ではこうやってロボットと一緒になにかをやるのは、子ども時代からの興味の延長にあるものとは言える。とはいえ、ロボットのSF的な側面、つまり「ロボットが人類を支配する」といった話はつまらないと思う。
SFが興味を惹くのは、それが倫理的な問題をテクノロジーが含意したときだ。たとえば、自動車工場がロボットだけで操業した際に、人びとが職を失うといったことは、テクノロジーがもたらす恩恵が一方でネガティヴなインパクトをもたらす一例だが、SFがこうした社会的な面に触れていれば面白いと感じることはある。とはいえ、ロボットと人間の宇宙戦争みたいな空想物語は面白いとは思えない。むしろバカげてさえいる。
もうすでに次のアルバムにとりかかってるんですか?
そうだとも言えるし、そうでないとも言える。アルバムは自分が「これがアルバムだ」と言った瞬間にアルバムになるだけのものにすぎない。つまり自分の仕事は、いくつかのプロジェクトや楽曲群という単位で動いていて、アルバムという単位で動いているわけではない。アルバムというのはそれらをまとめて商品としてプレゼンテーションするための枠組みでしかなく、その前の制作段階において存在するのはある共通のテーマなりをもった楽曲群でしかない。過去に「Selection Sixteen」というアルバムを発表したが、あれなんかは実際にはアルバムではないんだ。別個につくられた楽曲を、ああいうかたちでプレゼンテーションしただけだ。
アルバムをつくろう!って感じじゃないんですね。
そうすることでクリエイティヴィティを制限してしまうこともあるからね。つまり「アルバムに入らなさそうだからつくるのをやめよう」みたいに考えてしまうと、可能性を自分で狭めることにもなる。アルバムに入らないからといって、ある楽曲を捨て去ってしまう理由はどこにもないし、結局のところアルバムというものは音楽産業が生み出したテンプレートにすぎない。それが音楽のクリエイティヴの上に覆いかぶさっているわけだが、本来は逆であるべきだ。クリエイティヴの要請にしたがってつくった結果、それがアルバムというテンプレートにハマるならいいが、テンプレートの要請に従ってクリエイティヴが制約されることはあってはならないと思う。
SQUAREPUSHER
| 鬼才トム・ジェンキンソンによる音楽プロジェクト。1996年にエイフェックス・ツイン主宰の〈Rephlex Records〉からデビュー後、〈Warp Records〉と契約。その革新的な作品群は、特に人気の高いジャズ/フュージョンに影響された実験的なドラムンベー スのスタイルを含め、ほぼすべての音楽ジャンルを網羅する。批評家のみならず、多くのアーティストからリスペクトを受ける唯一無二の存在。