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山梨市講演会中止撤回について ちづこのブログNo.66

お待たせしました、続報です。
山梨市が上野の介護講演会中止の決定を撤回し、予定どおり講演会が開催されたことはすでにメディア等の報道でご存じと思います。 上野からの後日談をご報告申し上げます。

当日は400名定員の会場が満席で立ち見が出る盛況でした。市長が開会の挨拶に登場。ご立派です。そりゃこの機会を逃す手はありません。市民がこれだけ集まっているのですから。「これで株が上がりますよ」と控え室で市長にお伝えしました。 控え室でのやりとりのなかで、上野に対する詫びが一言もなかったので、挨拶の中で「上野に迷惑をかけた」と触れてほしいと二度プッシュしました。冒頭の挨拶、耳を傾けておりましたら市長は「ご無礼を働いた」と陳謝。もし一言の言及もなければ、きつーいパンチを繰り出そうとおもっていたので、ここは納得。その後市長は退出。「ひとりでも最期まで在宅で」という講演では、在宅医療をめぐる地域連携についてお話ししましたので、市長に最後まで聞いてほしかったです。

最初に、「この日この時この場に立つことに特別の感慨があります」と切り出し、市長の陳謝を受けて、冒頭に「過ちをあらたむるにはばかることなかれ。山梨市民のみなさんは、すばらしい市長をお持ちになりましたね」と発言。一部のメディアはこれを「和解」と伝えました。市長からは「介護以外には触れないこと」という「条件」をいただいておりましたから、「市長とのお約束ですから、今日は性教育の話はいたしません。楽しみにしていらっしゃる方には残念ですが。もともと話す予定ではありませんでした」と。会場は大爆笑。終始なごやかな雰囲気に包まれました。

締めくくりに今回の講演料は全額、山梨市に「ふるさと納税」するとお伝えしました。今年の山梨は豪雪で激甚被害。わけても「フルーツ王国」山梨市は大きな農業被害を受けましたので、その復興のために使っていただきたいと思いました。もともとお金の出所は市民の税金。今回は市民の方たちの強い熱意が実現した講演会でしたから、わたしにはその場に立つこと自体が報酬でした。ですから市民の皆さんのお金は市民にお返ししたい、と思ったのです。先日指定金融機関で納付を済ませました。これで山梨市事件(と呼びたいと思います)はすべて終了したことをご報告もうしあげます。

今回の顛末に関して全国のみなさんからさまざまな応援と市長に対する抗議のメッセージをお届けくださったことに、心から感謝いたします。「けんかに強い」などと言われますが、もとより好きでやったことではありません。けんかを売ったのは向こうです。わたしはふりかかった火の粉を払っただけ。できればこんなことで、使わなくてもよいエネルギーを使いたくないものです。

ふりかえって今回の出来事を考察してみましょう。 自治体による「講師ドタキャン事件」は枚挙にいとまがありません。故松井やよりさんの千代田区講演中止事件(2001)、辛淑玉さんの台東区講演中止事件(2001)、上野が関係した国分寺市事件(2006)、平川和子さんのつくばみらい市講演中止事件(2008)等々。今回の山梨市事件は、いったん自治体首長が中止の決定をしたものを撤回させたという前例として、歴史に残るでしょう。それにしても地方の自治体はこういうふうに名前が残るのですね。不名誉なことです。自治体首長としては、賛成・反対両方の市民の声を聞いたうえで、「柔軟な対応」をしたとして、評価に値するでしょう。

事実経過についてはメディアが克明に報道してくれましたから、ここでは今回の主要なアクターの動きをまとめてみましょう。それは⑴市長、⑵担当職員、⑶山梨市民、⑷全国の市民、⑸マスメディア、⑹上野、⑺ソーシャルメディア、⑻アドバイザーの8つです。

⑴山梨市長望月清賢(せいき)氏はこの2月2日に民主党推薦の前市長に僅差で勝った自民党推薦の新市長。日本会議のメンバーでもあることがわかりました。就任後、周辺の支持者等から上野へのクレームが出た様子。ブログでの発信のほか、市役所への抗議メールが「10通」という情報でした。3月3日に講演会の募集開始、2日間で164名の応募があったところで3月5日に中止の決定。当初、メディアと市民からの問いあわせに対して、担当者から中止の決定があがってきて自分はそれを承認しただけ、などと言い訳をしていました。すぐばれるウソはつかないものです。その後山梨市内外の市民から中止に対する抗議のメールや署名などが殺到。「中止の決定をするまで、(抗議ばかりが届いて)賛同者の声を聞いたことがなかった」とお聞きしましたが、164人の応募者は、賛同者ではないのでしょうか。今回、「市民の声」に耳を傾ける柔軟な市長、というパフォーマンスをしたことになるでしょう。

⑵担当職員は熱意のある誠実な方でした。間に立って苦慮されておられました。この方をできるだけ追い詰めずに着地点をさぐりたい、と思いました。3月12日に上司2人とともに説明に来訪。この件が闇から闇へ葬られては困るので、公文書を要求しました。それが市長名の文書です。同意の上、当日のやりとりも音声記録に残しました。これで中止の理由があきらかになりましたので、反論が可能になりました。開催予定日までまだ時間がありましたから、上野は納得したわけではないと、ペンディングの状態を持続しました。「予定通り講演を行う用意がある」という上野の意思を、担当者は市長に伝えてくださいました。この方は地域に応援団のたくさんいる、ネットワークの広い優秀な公務員さんだということもわかりました。

⑶いくら外野が騒いでも、市長には届きません。山梨市民の声がいちばん大事です。山梨市で地域医療を実践している医療関係者のネットワークと上野はすでに関係を作っていましたから、万が一のときの受け皿になっていただけないか、と根回ししました。たとえ中止のままの状態がつづいても、主催団体を行政から民間に切り替えて同じ講演会を実施する、と。同時に山梨市議の小野鈴枝さんを中心に市民130名の抗議署名を市長に届けるなどの動きが活発になりました。「山梨市民であることが恥ずかしい」と伝えてくださる方もいらっしゃいました。

⑷全国の市民の方々から上野への応援メールが届きました。その方たちが黙っていられないと山梨市へ電話、ファクス、メールで抗議を届けてくださいました。無党派・市民派議員のネットワーク、「む・しネット」事務局の寺町みどりさんが呼びかけて全国の自治体議員の連名で、「こういう行政権力の濫用はあってはならない」と申し入れをやってくださいました。こうした全国の動きもありがたいことでした。おひとりおひとりにお礼を申し上げる余裕がありませんでしたので、この場を借りて御礼もうしあげます。

⑸マスメディアの動きはすばやかったです。まず3月13日に地元の山梨日々がすっぱぬき、翌日全国紙の地方支局がいっせいに動きました。予定されていた上野の講演会が「諸事情により中止」の案内に何かあるとかぎつけた記者が、取材を申し込んできました。拒否する理由がないので、取材はお受けしますよ、と市の担当者には伝えてありました。まず毎日新聞、それから朝日新聞、共同通信、読売新聞、さらにテレビ山梨、NHK山梨……朝日と毎日は地方版だけでなく全国版にも載りました。この種の報道は地方版に載っておしまい、ということになりがちですが、全国版に記事が掲載されたことは大きかったです。各社のデスクの判断でしょう。新聞社も記者の集合。誰がどんな記事を書くかは、個人によって違います。
わたしは毎日新聞には恩義を感じています。毎日新聞は記者署名記事を導入した日本で最初の新聞。かつて2006年に上野の講師依頼に東京都が横やりを入れたいわゆる「国分寺市事件」の際、五味香織さんという女性記者が独自取材をして、当時東京都教育庁の生涯学習スポーツ部社会教育課長の船倉正実という役人(こういう名前はけっして忘れません)の口から「(上野が講演で)ジェンダーフリーに触れるかも」という反対理由を引き出しました。それまではすべて口頭の伝聞情報ばかりでしたので、抗議の手がかりがなかったところ、この記事のおかげで理由がはっきりし、内容証明の公開質問状を都教育長宛に送ることができました。それに故若桑みどりさんたちが迅速に反応してくださり、3日間で約1800の署名を集めて東京都庁に抗議に行ってくださいました。この経緯は若桑みどり他編著『「ジェンダー」の危機を超える! 徹底討論!バックラッシュ』(青弓社、2006年)に詳しくレポートされています。

⑹上野の作戦は非決定状態を長引かせた粘り勝ち。その際、もっともハードランディングのケースからソフトランディングに至るまでのすべての選択肢を考慮し、最悪の場合の受け皿を用意したうえで、市長の「中止」の決定を過去の既成事実にしない、という戦略です。上野が「予定どおり講演を行う用意があります」と球を投げることで、市長は当日まで毎日「中止」の意思決定を繰り返すことになります。そうすることでメディアの注目をつなぎとめることができますし、市民の方々に自分にもなにかやれることがある、という気分になっていただくこともできます。そのあいだ、上野は待機するしかないので、毎日スキーに行けたのはラッキーでした(笑)。

⑺ソーシャルメディアの役割も無視できません。上野は過去にも同じような経験をしています。経験値からいえば、望月市長より上野の方がトラブル処理のスペックがやや高かった、といえるかもしれません。ですが、過去の国分寺市事件と今回の山梨市事件とのあいだに起きた大きな変化は、上野がブログ、ML、ツイッター、フェイスブック等のソーシャルメディアを使い始めた、ということです。きっかけは3.11。それがなければツイッター等をやっていなかったかもしれません。それだけでなく、2011年4月から認定NPO法人ウィメンズ・アクション・ネットワークことWANの理事長に就任していましたから、WANサイト上に「ちづこのブログ」を開設していました。これが大きな役割を果たしました。考えてみればもともとWANは、橋下徹大阪府知事の誕生がきっかけで、バックラッシュへの対抗のために生まれた、という不幸な「出生の秘密」を持っています。そのウェブサイトが、バックラッシュに対抗するというほんらいの目的のための役割を果たしてくれたのです。それにあたってはWANの理事のみなさんをはじめ、会員の方々からの熱い支持と応援があったことをご報告して、ここで御礼もうしあげます。WANサイトを効果的に使わせていただいたおかげで、「ちづこのブログ」にはアクセスが集中し、サイトが何度もダウンする結果になり、ご迷惑をおかけしたことも併せてお詫びもうしあげます。この教訓から、集中アクセスに強いサイトづくり、も次の課題となりました。

⑻最後に、知恵袋、軍師ともいうべきアドバイザー寺町知正さんの存在をばらしておきます。岐阜県在住の地方議員、寺町さんは行政訴訟の勝訴率の高さで知られ、元岐阜県知事梶原拓氏からおそれられたと言われる市民活動家です。彼から、こういう場合どういう対処法の選択肢があるか、ひととおり教えていただきました。寺町知正さんとみどりさんは現在共著で、来年春の統一地方選を見据えた『新版 市民派議員になるための本』を準備中。そのなかに、「市民のたたかい方」のノウハウの手の内を明かしています。ぜひ手にとって学んでいただきたいと思います。ひとりひとりは無力な市民の闘い方は、徹底して遵法闘争。法律を使いたおして、筋のとおらない横車は通させない、という努力を続けるしかありません。

今回の中止決定の撤回にあたっては、以上の要因のいずれが欠けても成り立たなかったと思います。

これまでだって、冒頭にあげた講師ドタキャン事件のほか、福井県ジェンダー図書撤去事件、堺市立図書館BL図書撤去事件、「はだしのゲン」撤去事件、豊中市非常勤館長解雇事件など、バックラッシュは枚挙にいとまがありません。「クサイ臭いは元から絶たなきゃダメ」なんですが、この件が最後になるとも思えません。これからも当分「もぐら叩き」に走りまわるしかないでしょう。

こういう手の内を明かせば、対抗勢力も学習するでしょうから、経過報告にはいささか逡巡がありました。が、お互いに学習しあって高めあっていくしかありませんね(笑)。
他の自治体で類似のできごとが起きたときには、どうぞご参考になさってください。

以上の事情は『創』(5-6月合併号、創出版、4/7発売)に、編集長篠田博之さんによる上野インタビューに、より詳細に語られています。

参考文献
上野千鶴子2011『不惑のフェミニズム』岩波現代新書(こちらには国分寺市事件に関連した上野の発言が収録されているほか、過去の『創』インタビューで取材を受けた福井県ジェンダー図書撤去事件、堺市立図書館BL図書撤去事件、つくばみらい市事件等についても詳細なレポートが掲載されている)
上野千鶴子・宮台真司他2006『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーが叩かれたのか?』双風舎
若桑みどり他編著『「ジェンダー」の危機を超える! 徹底討論!バックラッシュ』青弓社
三井マリ子・浅倉むつ子編2012『バックラッシュの生け贄 フェミニスト館長解雇事件』旬報社
バックラッシュ関連データはこちら http://www.againstgfb.com/
WANサイト http://wan.or.jp/

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