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米国史上最悪の「科学研究不正」の反省と対処に学ぶこと

大西睦子
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最終報告書を受けて野依理事長らが会見したが、「トカゲの尻尾切り」との批判も   (C)時事

「STAP細胞」論文不正問題や、最近多発する様々な基礎研究、および臨床研究不正事件で、日本人研究者の倫理的な問題が議論されています。4月1日には、理化学研究所の調査委員会が、「STAP細胞」論文は小保方晴子ユニットリーダー個人の「捏造」であったとする調査結果を発表しました(小保方氏自身は、調査結果は納得できないとする憤りのコメントを発表しましたが)。

 では、果たして日本では、研究者は、データの改ざん、捏造やコピーなどしてはいけないということを、本当に知らないのでしょうか? そしてそれは、日本の倫理教育のレベルが低いためであり、これから倫理問題に関する授業を増やせば、今後、研究者の不正行為が減るのでしょうか?

 そもそも、科学者は不正行為をしてはいけないことは十分に知っています。カンニングをしてはいけないし、他人のものを盗んではならない、他人を傷つけてはならないことは、幼い頃に誰もが学びますよね。ですから、表面的な改革だけでは、私は、何の解決にもならないと思います。今回は、米国における不正問題の歴史、改革、現在の取り組みを参考に、今後の日本における対策について考えたいと思います。

 

「人体実験」の道具に

 さて、科学の倫理問題を考える上で、私たちが知るべき歴史的事実があります。それは、米国史上最悪の研究不正と言われる「タスキーギ梅毒実験」です。

 この研究は、1932年から1972年まで40年間にわたり、アラバマ州タスキーギの農村で、米国政府の公衆衛生局によって行われました。ほとんどの対象者は、貧しく、読み書きができない計600人の黒人男性。このうち399人が、すでに試験開始前に梅毒に感染している罹患者。残る201人は未感染の健常者で、罹患者との対照のために選ばれました。研究目的は、梅毒に感染した罹患者の、死に至るまでの自然経過観察です。

 対象者の黒人罹患者は、研究者らに、「bad blood=悪い血」を持っているため治療が必要で、その治療のための研究に参加すれば、米国政府から無料の医療サービスや死亡時の埋葬を受けられると言われました。貧しい彼らにとって、無料の医療サービスは夢でしたから、喜んでこの研究に参加しました。

 ところが、実は罹患者たちは自分が梅毒に罹っていることは知らされておらず、それどころか、実際には治療など施されていなかったということも知りませんでした。梅毒の治療をしなければ、感染後3-10年で、梅毒性ゴム腫と呼ばれる腫瘍が皮膚、筋肉や骨などに発症し、さらに感染後10年以上経過すると、心臓循環器系を侵して死に至らせたり、あるいは脳神経系を侵して進行性麻痺や脊髄瘻、難聴、失明などを起こして死に至ります。つまり、399人の梅毒罹患者は、何の治療も施されないまま死に至るまで放置され、無残な経過を観察されるという「人体実験」の道具にされたのです。1947年にペニシリンが梅毒の標準治療になっても、彼らには提供されませんでした。すべての対象者は、葬儀給付を受けるために病理解剖を受けることが義務づけられました。死後の解剖のデータを収集するためでした。

 

「恥ずべきこと」

 1972年、内部告発によりこの研究の恐るべき実態が発覚し、『ニューヨーク・タイムズ』と『ワシントン・スター』(1981年に廃刊)で報道され、この研究不正が一般の人に知られて激しい非難と抗議を受け、研究は直ちに中止となりました。

 同年の研究終了時、399人の最初の感染者のうち、74人が生存していました。が、すでに28人の男性は梅毒で死亡し、100人はその合併症で死亡していました。さらに感染者黒人男性の 40人の妻が梅毒に感染し、19人の子供が、先天梅毒を持って生まれました。

 この悪名高い研究不正は、いかに当時の米国政府の監視が甘く、怠惰であったかを、全米に知らしめました。

 その後、米国政府は、同じ過ちを繰り返す事のないように、74年、臨床研究全般におよぶ倫理綱領と言える「国家研究法」を法律として制定しました。この法律によって、倫理基準の普遍的な3原則、つまり「人格の尊重」「恩恵」「正義」という指針が定められました。そうした動きが、後にインフォームド・コンセント(説明と合意による納得診療)の確立など、臨床研究の対象者の保護に関する規制に大きな変化をもたらしました。さらに、米国政府は研究の監視機関として、アメリカ合衆国保健福祉省の組織下にある、被験者保護局(Office for Human Research Protections:OHRP)を設置しました。被験者保護局は、治験を行うときに、倫理性、安全性、科学性に問題ないか審査するための治験審査委員会(Institutional review board :IRB)の規制当局です。そして97年には、クリントン大統領(当時)が、「米国政府がやったことは恥ずべきことだ」と公式に謝罪しました。

Clinton Apologizes To Tuskegee Experiment Victims, All Politics,May.16.1997

 この不正以降、研究に対する医師、研究者や一般の人たちの態度は大きく変化し、改革が起こりました。その後も、ルールやポリシーは何度も見直し、改訂され、成熟、安定化していきました。さらに、論文が掲載される前の査読により、同じ分野の専門家による評価や検証が強化され、また各大学は倫理教育などを開始しました。

U.S. Public Health Service Syphilis Study at Tuskegee,CDC

 

不正が及ぼす莫大な損害

 ところが残念なことに、生存競争の激しい研究の世界において、研究者のプレッシャーは壮絶で、もちろん、「タスキーギ梅毒実験」のような悪質な研究不正に手を染める不届き者がいまもいるとは思えませんが、論文などの不正の根絶はなかなかできません。

 日本では報じられていないと思いますが、実は昨年、ハーバード大学のポスドク(博士号を取得した後、常勤研究職になる前の研究者のポジション)が、学会の抄録で結果を差し替えた事件がありました。

 指導教官である担当教授はこの不正に気づいたとき、直ちに大学に報告し、ハーバード側は、相当しっかり内部調査を行いました。内部調査終了後、教授はアメリカ国立衛生研究所(NIH)に報告。その結果、この一連の問題が一般公開されました。

 と同時に教授は、研究室のメンバーにもこの不正を報告しました。教授が不正に気づいた理由は、同じような研究をしている他施設の仲間の、どうしても結果が出ないという悩みを知り、自分の研究室だけから陽性の結果が出たことに疑念を感じたからです。論文化する前の「抄録」の段階で教授が研究不正に気づいたので大事にはなりませんでしたが、研究室にとって、研究費の損出は多大でした。

 ニューヨーク州バッファローの「ロズウェルパークがん研究所」の研究者らは、研究不正1ケースが及ぼす損害額は、52万5000ドル(約5400万円)と推定しました。研究に使用したコスト、不正が発覚した後の調査にかかるコスト、さらに不正後の修復に必要なコストを計算すると、これだけ莫大な損害が出るのです。

The Costs and Underappreciated Consequences of Research Misconduct: A Case Study,PLOS Medicine,Aug.17.2010

 さらに同研究者らによれば、科学研究における不正行為を監視する政府機関「米国研究公正局」に、2009年の1年間だけで報告された217ケースから考慮すると、毎年米国で報告される研究不正による損害は、110 ミリオンダラー(約110億円)を超えると推定されています。これが公的研究機関によるものであったり、あるいは何らかの公的補助を受けている研究であれば、その損害は国民が被ることになるわけです。

 

効果に時間はかかるが……

 その調査論文の中で、同研究者らは以下のように述べています。

「人間の自然な性質からすると、不正を根絶することは難しいかもしれません。ところが、米国の多くのアカデミアが試みている方法で予防は可能です。その方法とは、研究者に対する教育と研修、規則の制定と実行、よき指導者の育成、研究者の監査と監視、不正に対する調査と報告の実施に努めることです。ただし、これらの効果がわかるまでには時間はかかります。ちなみに、これらの予防対策は、不正が及ぼす損害に比べてかなり低コストです」

「タスキーギ梅毒実験」のような臨床研究の不正と、「STAP細胞」論文のような基礎研究の不正問題を同じように扱うのは飛躍と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ただし、臨床研究も、基礎研究も、扱う対象がヒトであるか、細胞であるかの違いはあっても、どちらの最終目的も、病気や生命の仕組みを解き明かすことに違いはありません。ですから、私は、基礎研究の不正も、臨床研究の不正も同じであると思います。もちろん、日本と米国では、文化や歴史が違いますので、米国の制度をそのまま日本に採用するのは難しいかもしれませんが、現在、米国の多くのアカデミアが取り組んでいる予防対策に、私は大いに賛成です。みなさんはどう思われますか?



大西睦子

執筆者:大西睦子

内科医師、米国ボストン在住、医学博士。1970年、愛知県生まれ。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、2008年4月からハーバード大学にて食事や遺伝子と病気に関する基礎研究に従事。

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