この間、同窓会のお誘いが来ました。これで3回目ですが、ほんとうに行きたくないので、断りました。
なぜなら、前回行った時に、皆が皆「幸せゲーム」をしていたからです。
社会人になりたての1回目の同窓会は、旧友と会って近況報告するのが、楽しかったのです。
どこそこに住んでるとか、あそこに就職したとか、誰々と結婚した、とか話をして、懐古談に花を咲かせるのって良かったんです。
あの先生はどうしている、とか、あの頃こんなことしたよね、とか、ああ、一緒にあんなバカなことしていたな、とか。
旧友と話をしながら、だんだんと昔の記憶が(美化されて)蘇ってくるもので、なんだかあの頃は良かったなぁ、という遠い目をしながら
ノスタルジックな気分に浸ることができたのです。また、順風満帆な友人の話を聞こうものなら、
ああ明日からも自分も少しは頑張ろう、などと元気づけられることも確かにあったのです。
でも、前回の同窓会に参加したら、とてもイヤになってしまいました。
なぜなら、各自の近況を報告しあっていると、結局それが「幸せゲーム」になるから、です。
「いかに自分、もしくは自分の周囲が幸せであるかを競い合うゲーム」のことです。
誰が決めたのか知らないのですが、同窓会などの公共の場では一定の幸せランクが決まっているみたいでして、
順にだいたい、以下の通りになるみたいです。
-女性の場合は、結婚した、子供ができた(or連れてくる)、高学歴・高収入の恋人がいる、海外旅行に行った、など
-男性の場合は、役職がついた、ボーナス○○万もらった、海外出張・転勤をした、家買った、株で大儲けした、など
大抵こんな話題です。つまり、多数の人間が興味を引く話題、ということです。
まぁ、もっと大別すると、
-幸せな家庭を持った
-財産を手にした
-地位を手にした
3つのカテゴリーのどれかの話しかないのです。男性と女性で優先順位が異なる、というのも社会の中での価値観を反映していますが、
結局は似たような話ばかりです。こんな話ばっかり聞いていると、なんか途中でアホらしくなってしまったのです。
ちなみにこれは、自身の話をする時はもちろん、先輩や友人などの話をする時にもこの基準を前提に話がされるようです。
例としては、「○○先輩が弁護士と結婚したんだって」、「○○のヤツ、株で○千万稼いだってよ」、などです。
このわかりやすい3つを絶対的な基準として会話がなされるわけなんです。
(こういう場では、「幸せって人それぞれ」、とか「貴方の考え方次第で幸せにも不幸にもなれるのよ」、
この幸せゲーム、逆の立場に居る人間には必然的に不利になるのです。
例えば、結婚しない、出世できない、金も稼げない、友人少ない、恋人もいない、ような人(自分のことですが)は
スタート地点からゲームにおける最下層ランクに位置するのです。
当然、そんなゲームには参加したくないです。
もちろん、このような不利な立場の人間が参加するもう一つの手段として、ピエロになる、という方法もあります。
惨めなポジションにも関わらず、敢えて参加し、皆から嘲笑と侮蔑との対象になり、
他の参加者に優越感を味わってもらうことで、何とか存在価値を認めてもらう、ということです。
そんな人間失格状態で参加することもできますが、これは、想像するだけでかなりの精神力と忍耐力が必要であり、
かなりの虚無感を伴う行動ですので、私にはできません。
同窓会を開く時に、ちゃんと最初からゲームのルールと参加資格を明記しておいて欲しいです。
要はゲームを楽しめる人だけで楽しんでほしいわけです。
ちなみに、「ネタになる不幸せゲーム」だったら面白そうなので、行きたいです。勝ち残れそうだし。
-女性の場合は、買い物で借金まみれになった、風俗で働いている、結婚式で男に逃げられた、整形失敗した、犬のフン踏んだ、など
-男性の場合は、ギャンブルで借金まみれになった、会社をクビになった、毎月サービス残業200時間してる、ニート・無職になった、株で大損した、など
でも、「ネタにならない不幸せゲーム」だったら、どうしようか迷うな・・・
-男女とも、家族が逝ってしまった、うつ病になった、借金取りに追われていて眠れない・死にそう、不治の病(ガン)になった、など・・・