大正6(1917)年に建造され、今は北九州市若松区の響灘沿いで「軍艦防波堤」として眠る旧日本海軍の駆逐艦「柳」の設計図が見つかった。第1次大戦中には地中海へも遠征した。専門家は「終戦時の焼却処分を免れて、大正時代の艦艇の設計図が出てくるのは珍しい」と話している。

 柳は全長約86メートル、幅約8メートル。戦後で物資が不足していた48年、響灘の荒波から洞海湾を守る防波堤として、戦艦「大和」の護衛艦を務めた駆逐艦2隻とともに沈められた。その後、3隻は護岸のコンクリートの中に埋められたが、柳は艦の上部が地上に出ていて往年の姿をしのばせている。

 見つかった設計図は縦約60センチ、横約1メートルで、設計原図を青焼きしたもの。「佐世保海軍工廠(こうしょう) 造船部製図工場」と印章があり、「大正5年11月4日」との日付も手書きされている。