広島・長崎だけじゃなかった。核兵器が使用されたもう一つの戦争・ジェルボアーズ・ブルー
1960年、フランスはアルジェリア戦争において「核実験」を行った。それは、自国植民地における核実験というタテマエをとったものの、アルジェリアの独立戦争(アルジェリアとフランス本土)が始まって6年が経過していた戦場で行われた作戦だった。
更新日: 2014年03月30日
palezioさん
1960年、フランスはアルジェリア戦争において「核実験」を行った。それは、自国植民地における核実験というタテマエをとったものの、アルジェリアの独立戦争(アルジェリアとフランス本土)が始まって6年が経過していた戦場で行われた作戦だった。
更新日: 2014年03月30日
palezioさん
1960年、フランスはアルジェリア戦争において「核実験」を行った。それは、自国植民地における核実験というタテマエをとったものの、アルジェリアの独立戦争(アルジェリアとフランス本土)が始まって6年が経過していた、いわば戦場だった。
この「核実験」によって2万人以上が被害にあったと言われる。
フランスの原子力開発
フランスは第二次世界大戦勃発直後、ノルウェーから重水を調達し、核兵器開発を開始していたが、ドイツ軍の進攻とそれに伴う占領で計画は中断された。そしてナチス・ドイツやヴィシー政権の支配から亡命してきた多数のフランス人科学者がイギリス、カナダの原子爆弾開発計画やアメリカのマンハッタン計画に参加していた。
第二次世界大戦直後、終戦直後、1945年には政府内に原子力委員会とフランス原子力庁が創設された
ドゴールは、終戦直後に原子力政策の始動を指示。最初の主要最高顧問は、フレデリック・ジョリオ=キュリーだった。
フランスは終戦直後の1945年には原子力開発を開始、商業・軍事の両方の開発を目指していた。
植民地政策、ベトナムでの失敗
第二次大戦中、ドイツ軍の侵攻を受けてフランス国内の和平派が樹立した親ドイツ政権(ヴィシー政権)は、日本軍にインドシナ(現在のベトナム)への駐留を認めるなどしていたが、終戦と同時に、連合国よりの政権が樹立すると、植民地管理を取り戻そうとする。
交渉による解決に失敗するフランスは、インドシナ戦争に突入、敗退する。フランスとしては、1954年にピエール・マンデス・フランス首相はジュネーヴ休戦協定が結んで仏領インドシナ連邦の統治下にあったベトナム国などの独立を承認することになる。
その後、最終的に米国の介入により第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)へと移行することになる。
アフリカ植民地の混乱
しかし、フランスは本土復興のために、植民地からの莫大な利益を必要としていた。そのためアフリカの植民地に巨大投資を実施、たしかに資源生産量は大幅に増加したものの、結果的に植民地の都市化を招くことになる。
都市化によって生じた知識層は、やがて独立心を高め、政党や反フランス組織を設立させていくことになる。
1954年アルジェリア戦争のはじまり
北アフリカ植民地のうちチュニジアとモロッコは1956年3月に独立を果たした。だが、チュニジアは、「フランス保護領」という扱いであり、それぞれの君主が維持されていたのに対して、アルジェリアはフランスの一部という扱いを受けていた。
1957年にはアルジェの戦いでフランス陸軍の空挺部隊が独立派を大弾圧し、「フランスのアルジェリア」政策の維持を図った。大打撃を受けたFLNは拠点をモロッコやチュニジアに移し、1958年にはエジプトのナセル政権の計らいでエジプトのカイロにアルジェリア臨時政府が樹立された。こうして第三世界各国からのアルジェリア独立の支援も始まることになる。
パレスチナ人問題・クルド人問題・ユダヤ人問題が中東においてどのように拡大していったのかをまとめました。
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アフリカ・中東の独立に深く関わったナセル
対立構造の複雑化
フランス政府はアルジェリアのムスリムにフランス人としての完全な市民権を付与することで懐柔をはかろうとするが、特権を維持することを望むコロンたちの反発を買った。アルジェリア在留のフランス軍空挺部隊はコルシカ島を占領し、クーデターを起こそうとした。
1958年5月13日、「フランスのアルジェリア」を支持する現地軍人やコロンたちの暴動は済し崩し的にクーデターに発展。アルジェリアの軍部隊が、コルシカ島を占領、本土クーデターを狙った。
フランス本土侵攻の脅威によって第四共和政政府は有効な解決策を出せずに危機に追い込まれ、崩壊状態となった。
シャルル・ド・ゴールによる第五共和制への移行
このような混迷の中でフランスは引退していた英雄に事態の収拾を求め、ド・ゴールが大統領に就任し、憲法を改正して第五共和政が成立した。
第二次大戦中、イギリスに亡命し、臨時政府(自由フランス)を設立していたシャルル・ド・ゴールが支持を集めた。
シャルル・ド・ゴールの対アフリカ政策は、フランスの影響力を残しながら、植民地を形式上独立させようというものだった。
彼は、インドシナ・ベトナムでの経験から、植民地の民族自決を無視することはできないことを理解していた。そのため、フランスの権益を確保しながら、アフリカ諸国に独自の政権を持たせるという考え方を持つ。
NATOからのフランス軍引き揚げ、米核ミサイルのフランス配備拒否、イギリスのヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟反対、アメリカのベトナム介入反対など、それまでの対米追従外交を転換した。
ソ連への接近、中国承認など、社会主義圏との共存路線をとった。
核兵器の使用が米ソ両国の破局をもたらす以上、ヨーロッパの防衛にアメリカが核を用いることはあり得ない。したがって、アメリカの核の傘でヨーロッパの防衛を確保するのは不可能
自前の核兵器を強く主張した。
ドゴールへの反発
軍は軍事拠点としてのアルジェリアの重要性を叫び、アルジェリア在住の100万人のコロンは「フランスのアルジェリア」をスローガンの下独立に反対
アルジェリアのフランス系住民は、ドゴールの政策に猛反発、軍が反対運動を公然と行う事態に発展
アルジェリアの混乱が激化
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