67年前に上陸した読谷村の浜辺で、沖縄戦の思い出を語るドナルド・キーンさん=14日、読谷村渡具知
来県中の日本文学者ドナルド・キーンさん(90)は14日、1945年4月1日に沖縄戦で上陸した読谷村の浜辺を訪れた。戦後67年たっても過重な米軍基地を抱える沖縄についてキーンさんは「沖縄の人は十分苦労した。他県の人が苦労しないのは不公平だ。戦争はもう終わったはずだ。米軍にも言い分はあるだろうが、なぜ沖縄に米軍が必要なのか分からない」と疑問を投げ掛ける。
米軍の通訳として沖縄戦に派遣されたキーンさんは、軍艦で島に近づいた日のことをよく覚えている。ボートに乗り換え、その後遠浅の海を歩いて浜に上がった。「日本軍が待ち構えていると思って非常に緊張していたが、どこにもいなかった。最初に見たのは逃げ惑う女性と子どもだった」という。
部下に県系2世の兄弟がいた。その弟の比嘉武二郎さんから5月末か6月初めのある日、昼食に誘われた。場所はおばさんの家だという。戦争の真っただ中、建物はほとんど破壊され、食べ物も不足していた。「客を呼べる家があるのだろうか。それに自分は敵の軍人だ」。キーンさんは招待されたことに驚いたが、到着すると歓迎された。
「敵を見たら憎いと思うはずだが『ようこそ』と丁寧に言われ、とても温かい雰囲気だった」。最後は「またいらっしゃい」と見送られた。「人として家に呼ばれ、同じ建物で同じ食べ物を分け合った。沖縄戦の中で一番記憶に残る、不思議な体験だった」と、敵も味方も関係なくもてなす沖縄の人の温かさを思う。
現在、キーンさんは高齢を理由にほとんどの講演依頼を断っているというが、今回、沖縄からの依頼は引き受けた。「沖縄の方々の優しさに感謝している。多くの人が殺され多くを失ったが、ここまで生まれ変わった。県民の力は立派だと思う。この大きな島に誇りを持ち、歴史と文化を大事にしてほしい」。沖縄の未来が平和に輝くことを願っている。
(与那嶺路代)
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