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法華狼の日記

2014-04-01 四月の馬鹿話

[][][]『これ艦』〜大日本帝国幻艦隊不沈史〜

 その老人は英国の名探偵よろしく杖で地面を叩いた。

「これは艦です」

 私は首をかしげた。いったい老人は何をいっているのだろう。


 ここは東京の中心地。

 聞こえてくるのは自動車の騒音と信号機の音色。

 せわしなく行きかう人々は、ひたすら前を向いて歩いている。もちろん動くことのない足元に注意をはらう者などいない。

 しかし当惑する私を見て、老人は目を閉じていった。

「耳をかたむけましょう。二十一世紀の今だからこそ、日本海軍のあるべき姿が感じられるはずです」

 私も立ちどまり、いわれるがまま目を閉じた。

 しばらく待っていると、少しずつ喧騒が遠くなっていく。

 やがて足元から、規則的な水の音が聞こえてきた。

 それはたしかに波の音だった。


 かつて大日本帝国の連合艦隊は、その名を世界にとどろかせていた。

 それが良い意味なのか悪い意味なのかはわからない。

 ある軍艦などは、英国に派遣された時、飢えた狼のようだと現地で評された。

「けして誉め言葉ではありません」

 当時の日本では賞賛と受けとめられたが、実際は老人がいうとおりだった。

 飢えた狼が恐ろしいのは、強いためではない。

 空腹を満たそうとして、なりふりかまわず襲ってくるからだ。

 むしろ飢えた兵ほど弱いものはない。

 小さな艦体に武装をつめこみ、兵士の生活よりも戦闘を優先する。「飢えた狼」と呼ばれた足柄は、そんな頭でっかちの危なっかしい巡洋艦だった。

 第二次世界大戦の末期、単独で行動していた足柄は、英国の潜水艦に攻撃されて海に沈んだ。

 就航から沈没まで、わずか二十年間。

 投入された技術と資材は失われ、後には何も残らなかった。


 日本の軍艦が飢えた狼のようになったのは、海軍軍縮条約のためだ。

 各国の海軍が、それぞれの国力に見あった軍艦しか持てないよう、たがいに制限することにした。

 しかし不満をおぼえた日本海軍は、大きさだけ制限にあわせつつ、できるかぎり武装をつめこむように軍艦を設計した。

「頭でっかちになりすぎで、ある艦は戦いもせずに転覆しました」

 老人がいっているのは友鶴事件のことだろう。荒れた海にも強いはずの水雷艇が沈没し、日本海軍が軍艦の設計思想を見直すはめになった出来事だ。

 それでも不満をおさえられなかった日本海軍は、軍縮条約が切れる前から巨大戦艦の建造を計画していた。

 世界最大の戦艦、大和だ。

 秘密裏に建造された巨大戦艦は、戦争が始まっても箱入りで大事にされたまま。そうしている内に、航空機をもちいた戦術の発達とともに時代遅れとなった。

沖縄本島に米軍が上陸した。それは四月一日です」

 そういえば今日は四月馬鹿だった。

 老人のいうことも、やはり馬鹿馬鹿しい絵空事なのだろうか。

 しかし現実は空想よりも残酷だ。沖縄へ向かった大和は、大きすぎる艦体に不足した燃料で出撃するしかなく、航空機の攻撃になすすべもなく沈んだ。

 最初から無駄とわかった戦いで、多くの乗組員を道づれに。

 進水から沈没までは、足柄よりも短い五年間。

 今も大和の残骸は海に沈んでいる。


 老人はひどく真面目な顔をして、杖で地面を突きながら歩いていく。

長門のように大戦で沈まなかった艦もあります」

 しかし長門は米軍に接収され、核爆弾の標的とされて海に沈んだ。

「核開発を競う踏み台になりました。殺して殺される戦争が終わっても、平和の役にはたちませんでした」

 それはさすがにいいすぎだと思う。だからといって反論する気も起きない。

 連合艦隊の軍艦は、どれも人命と物資を無駄にしただけ。それが客観的な事実なのだろう。当時の日本は軍縮条約に反発したが、それは無謀な膨張主義につながる結果となった。

 しかし軍縮条約を素直に受けいれていればよかったという話でもない。歴史にもしもはありえないのだから。

「それは思い違いです。歴史の事実として軍縮は意味があったのです」

 老人がたちどまり、歩いてきた道をふりかえる。

「これこそ軍縮条約のために幻となった艦の姿です」

 つられてふりかえった視線の先に、水の上にそびえる鉄の構造物がある。

「子供のころ、これのおかげで空襲から逃げのびることができました」

 ここまで来て、ようやく私は理解した。


 東京では、鉄の軍艦であるはずだったものが、陸と陸をつないでいる。

 太平洋戦争よりも前のこと。関東大震災の教訓から計画され、軍縮条約であぶれた人員と資材が投入され、さまざまな造船所が技術の粋をこらして作りあげた。

 東京大空襲にも耐えぬき、八十年の時をへた今なお、立派な艦隊のごとき威容を誇っている。

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 それらは戦前から戦後にかけて都市の生活を支えつづけた。

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 そしてこれからも人々をわけへだてなく支えていくのだろう。


白髭橋

その後、東京大空襲などにも他の橋とともに多くの人々を救う役割を果たした。

現在も、荒川、墨田、台東三区を結ぶ重要な橋である。

 (東京都の案内板より)

写真は下記の東京都広報サイトの新旧風景比較ページから。

白鬚橋(墨田区) | 東京WEB写真館 東京いま・むかし | 東京都

足柄の写真や英国艦との比較は下記エントリがくわしい。

艦艇写真のデジタル着彩 : 重巡洋艦『足柄』 Heavy cruiser Ashigara 1937

いうまでもなく、このエントリは純然たるフィクションである。しかしエイプリルフールというわけではない。

また、タイトル等はブラウザゲーム『艦これ』から着想したものの、いわゆる二次創作ではない。

hokke-ookamihokke-ookami 2014/04/01 23:14 ちなみに元ネタは半藤一利の持ちネタ。いくつかの書籍で似たような指摘をしています。

周 2014/04/02 02:27 ワシントン海軍軍縮条約で日本に割り当てられた戦艦の合計排水量は30万トン。一方、WW1で疲弊したとはいえ総合的な国力は日本以上の仏伊は17万5000トン。国力では列強の中でも最弱と言っても過言はない日本が金の掛かる戦艦を何隻も作れば、財政上の重荷になることは解り切っているのに、アメリカ海軍に対抗できれば良いという近眼視的な発想で身の丈に合わない買い物をして今まで以上に貧しくなる。そんなことも解らなかった、解ろうともしなかったから大日本帝国は崩壊した。そして、未だにそういった事を理解しない連中がネット上にわんさかいるのが性質が悪いことだ。(そういった連中が書いた架空戦記は、日本が第二次大戦後も軍事大国でありつづけるために、経済力や技術力を底上げするという本末転倒も甚だしい思考の元、対米戦役の準備をしていたりして、連中が蛇蝎のごとく嫌うDPRKの先軍政治と何処が違うんだと言いたくなる。)

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