HOME  >  2013.9月号●特集1:幸せな「在宅ひとり死」を迎えるために

「在宅死」のための3条件

 最近、病院死が高齢者にとって決して幸せな死ではないと言われるようになってきました。救急医の方に聞いたのですが、病院に担ぎ込まれた高齢者の心肺マッサージをすると、骨がもろいからボキボキとあばら骨が折れる。その音を聞きつつも心拍の計器が動けば「3分生き延びた!」というのが、かつての終末期の医療だったとか。病院死ははたして幸せなのか、医療の介入は少ないほどよいのではないかと、死の臨床への見方が急速に変わりつつあります。
 そこで、再び在宅で死ねないか? という問いを立ててみました。以下の3点セットがあれば在宅死は可能だとわかってきました。
 第1に本人の意志。家にいたいという、はっきりした意志です。それがないと日本では家族が代わって判断することになります。第2に本人の意志だけでは不十分で、同居家族がいるうえに家族が同意してくれることです。しかも、その家族に介護力があること。気持ちはあっても、老老介護で共倒れになりそうなら無理です。
 第3にお金があること。介護保険の要介護5で1ヵ月の利用限度額は最大36万円前後*ですが、これは末期の看取りに十分な額ではありません。つまり、もうひと踏ん張り自己負担できるお金が必要だということです。
*東京23区の場合、大都市加算がある。

「在宅ひとり死」だって何とかなる!

 そうなると、在宅死は家族持ちで金持ちの特権なのか? 私のようなおひとりさまは施設の片隅か、病院で死ぬしかないのでしょうか? 在宅介護には家族がいることが前提ですが、在宅介護から家族介護を引き算しても、成り立たないのでしょうか? 「何とかなる!」が答えです。介護、看護、医療という多職種の連携があればいい。
 人の暮らしというのは究極、口から入れて、お尻から出して、清潔を保つことで成り立っています。つまり食事、排泄、入浴という三大介護をサポートしてもらえれば、死の前日まで自宅の風呂に入れて看取ってもらうことが可能です。そして、夜間も入っていただける巡回介護と24時間いつでも来ていただける訪問看護師がいればいい。医者はあくまでも脇役です。
 この体制が出来れば「在宅ひとり死」も可能です。実践していらっしゃるパイオニアがいるのでお会いしてきました。岐阜市在住、小笠原文雄医師です。日本在宅ホスピス協会の会長を務めていらっしゃいます。この方と共著で『上野千鶴子が訊く、小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(朝日新聞出版、2013年)を出しました。
 調べてみると、都心のマンションでも郊外の一軒家でも、あるいは限界集落でも、ひとり暮らしの高齢者の看取りを支える活動をされている方が医師をはじめ全国各地にいらっしゃいます。
 在宅死は、ご本人はもちろんのこと、ご家族の満足度も高いのが特徴です。とはいえ看取ってくれるのが家族とは限らない。身寄りのない方でも、在宅死を支える実践をされている方が増えてきました。家族に頼らなくても血のつながらない他人、専門職やボランティアの方たちに支えていただいて死への旅立ちを手伝っていただくこともできるようになってきました。

もっと使いやすい介護保険を

 終末期はどうしても医療の介入が必要なので、医療と介護の両方に目配りしたマネジメントが出来る人材、トータルヘルスプランナーが必要だとおっしゃって、今、小笠原先生は名古屋大学と一緒に、そういう人材育成のカリキュラムを作っておられます。
 自前でネットワークを作った例もあります。私の年下の友人は、親も兄弟姉妹も、子どもも孫も、甥も姪もいない天涯孤独の身。親友の1人がキーパーソンとなり、彼女を30人の女が見送りました。こういう支えを自前でつくれる人はよいけれど、できない人はどうしたらいいか。システムを作ることが大事です。
 天本病院もそうですが、パイオニアってすごいですね。20年、30年と続けてきて、その間に必要なしくみを発見し、積み重ねていっています。スーパースターやカリスマがいなくても普通の医師や看護師、介護士が普通の能力で出来るという実践こそが、システムを作るということです。
 ようやく私たちの選択肢の一つになってきた在宅死ですが、なかなか広がらないのは抵抗勢力があるから。その一番手は家族です。家から出ていってほしい、あるいは死にかけの年寄りが不安で家に置いておけないと言う。 もう一つの抵抗勢力は病院しか知らない医者です。こんな状態の患者さんを家には帰せない、ましてや独居の家になんて帰せないとおっしゃる。
 施設をたくさん作ったことも、阻害条件になります。待機高齢者42万人と言われていますが、都会は大変ですけど田舎はどんどん入りやすくなっています。その結果、在宅で持ちこたえようとする高齢者が少なくなるという悪循環があります。
 最後はお金の問題。いくらあれば大丈夫なのか? その前に、本当にお金を持っていないのかどうかを聞きたい。年金などのフローも株券や不動産などのストックも、家族が管理していて使えない、使わせないのが真相ではないでしょうか。先ほども申し上げたように、日本は家族の権利が強いんですね。子どもがいなくてよかったと、「負け犬」の上野はつくづく思います。
 もともと不動産はフローをストックに変えたもの、そのストックをフローに再び変えることができれば相当なお金を手にすることができます。高齢者のお金は高齢者の幸福のために、生きているうちに「生き金」として使いましょうよ。そして家族がいようがいまいが、原則1人で介護を受けて死んでいけるように、介護保険を「おひとりさま仕様」にしてもらいたいものです。
 今以上に手厚いサービスを提供しようとしたら、原資が必要です。だから消費税を5%上げることを許しました。この5%分は社会保障目的にしか使わないと前政権は約束しましたから。しかし、その約束も政権交代で反故にされようとしています。おひとりさまが在宅で死ねるように介護保険を改善していく、そういう結論で終わりたかったのですが、今後4年間その希望は消えました。
 それでも私たちは生きていかねばなりません。この後、制度に振り回されず、現場で健闘していらっしゃるお2人にご登壇いただきます。こういう方たちの存在が私たちの希望です。制度がこれからどうなるか、皆さんには真剣に見守っていただきたいと思います。

多職種チームの一員

 地域包括ケアとは医療、看護、介護が連携して、生活支援サービスや福祉サービスなどにより高齢者や弱者の暮らし全般を支えようというシステムです。  ただ、これも地域によってレベル差があるように思います。私が赴任していた北海道は隣村まで何十キロと離れているような僻地ですから、連携による総合的なレベルアップが最大の課題。住民レベルの互助、共助など、都会よりも密なネットワークが構築できるかもしれない、との印象を持っています。  オランダの例を見ると、患者さんを中心に医師のほか歯科医、栄養士、薬剤師、リハビリ職など様々な職種が関わっています。つまり、上野さんがおっしゃたように、地域包括ケアにおける医師の立場は多職種チームの一員にすぎません。

「死」をめぐって

 では、地域包括ケアの対象にはどういうものがあるでしょうか。①高齢者の在宅医療と施設訪問。扱う病気としては脳卒中、認知症、老衰、パーキンソン病症候群などです。②神経筋難病の在宅医療。筋萎縮性側索硬化症(ALS)、パーキンソン病、悪性関節リウマチなどです。③在宅での終末期医療。ここでは在宅緩和ケアや看取りなどが想定されます。  本日のテーマである「ひとり死」には認知症、在宅緩和ケア、この辺りが課題になると思います。認知症は薬などによって進行を抑えたり、周辺症状を和らげることは可能でも、認知症自体を治すことはできません。「ひとり死」の時にどうなるのか、かなり手厚い訪問看護や訪問介護が必要なことは確かです。  在宅緩和ケアはガンに限らず、呼吸障害の末期の方なども含まれます。比較的早く訪れるのが痛みで、死の直前になると、むしろ食欲不振とか幻視、全身の倦怠感に襲われます。したがって、医療が目指すのはクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の確保が主体です。  本日の底流テーマである「死」について考えたいと思い、何冊か目を通してみました。ホスピスで有名な柏木哲夫先生の『いのちに寄り添う』を読んで、私なりに感じたことを述べます。事件・事故、災害時に行う「救急医療」は、いわば「差し出す医療」。一方、病院への入院や外来診療という「急性期医療」には、医療の実践において医師の人間力が関わる。人間としての優しさであったり、患者への理解といったことです。柏木先生の言葉によれば、それは「支える医療」。それに対して、慢性期病棟や在宅診療の「慢性期医療」では、より幅広い人間力が必要で、より人間関係が大事になります。「寄り添う医療」という言い方をされています。私は非常に好きな表現です。  しかし、ホスピス病棟や在宅ホスピスの「緩和医療」はどうでしょう。傷みや不安を取り除く医療を実践するわけですが、患者が死を受け入れようとする時、医師の人間力では荷が勝ちすぎます。死にいく人を“背負う”こと、それを柏木先生は宗教と言い、小笠原先生は哲学に託しています。それを胸に留め、「あいクリニック中沢」の院長として在宅緩和医療に取り組みたいと思います。

最期をどこで、どう迎えるか

 私どもの高齢者施設は「暮らしに制限なし、何でもあり」という心のバリアフリーを前提とした支え方に力を入れております。4年半で20数名の方を看取らせていただきました。私は施設のトップとして、ご家族のご意向を尊重するは当然のこと、しかし人生の終焉をどう迎えていただくかについて、胃ろうは作らず最期まで口から食べることを支えさせていただきたいと、入居時にお伝えしています。  お食事が徐々に取れなくなった83歳の男性のお話をします。  誰が見ても老衰状態にあることは分かるのですが、ご家族、特に娘さんの強い希望もあって病院に入院されました。すると、医師主導の形で胃ろう造設の提案が示されたのです。そこで私と看護師、相談員が病院に出向き、ご家族も交えて医師、看護師間でカンファレンスを開いてもらいました。病院の医師も迷惑だったろうと思いますが、3回目の時「先生の親御さんだったらどうなさいますか?」の問いが功を奏したのか、ご家族同意の上、私どもの施設に戻ってこられました。  もちろん、ご本人のご意向も確認しましたよ。「あと何年ぐらい生きたい?」と尋ねると、「8年」とおっしゃる。正直、8年は無理かなと思いつつ、「わかった。8年間おいしいものを食べて元気に暮らそう」と。  胃ろうを作る、作らないは、人として最期をどう迎えるかということと直結していると思います。食べられなくなったら本来、人は終わりですよ。そういう覚悟、腹のくくり方が出来ていない。私たち一人ひとりがやがて迎える死というものに、ちゃんと向き合っていないのではないかという気がします。

市民一人ひとりの覚悟

 私の長い看護・介護の経験を通じて、終末期に至るまでの長い人生とやがて迎える最期にどう向き合うかは、ご本人のご意向を確認することに加え、やはり医療と看護・介護、地域の関わりが欠かせません。最前線にいる介護士の「生きる」を支えるために看護師が後ろで支え、その後ろに医師が支えるサポート体制。これがポイントです。  地域の関わりについては、マンション住まいだったりすると隣人との助け合いが少なすぎる。地域に互敬互助*を定着させなければ立ち行かないだろうと危惧しています。それと安心して立ち寄れる、あるいは困った時に利用できる駆け込み寺があるかどうかです。  そういう意味で、「ゆいま~る中沢」の介護保険外ショートステイは斬新で魅力があります。私も少し若かったらやりたいですよ。地域にこういうところがあると心強いし、安心です。  地域を支えるための医療と看護・介護の連携・ネットワークをより強固にすることともに、これからは市民一人ひとりが自立し、出来ることは自分で行い、助け合う意識と行動力が必要です。地域包括ケア体制に甘えることなく覚悟を決めて、心豊かで尊厳ある生き方に向かうこと、それが出来るまちづくりを多摩市に限らず、全国で実現していただきたいと切望しています。同時に、実現できるようなまちづくりに、微力ですが貢献したいと思います。 *田中とも江さんが作った造語