- 2014年04月01日 12:04
反捕鯨で示されるアングロサクソン諸国の団結について考察する
1/2日本の調査捕鯨は「違法」、国際司法裁が中止命じる
反捕鯨国のオーストラリアが日本の南極海での調査捕鯨の中止を求めた裁判で、オランダ・ハーグの国際司法裁判所は調査捕鯨は国際条約違反だとして、今後、実施しないよう日本側に命じました。
この裁判は、反捕鯨国のオーストラリアが日本が南極海で行っている調査捕鯨は事実上の商業捕鯨だとして中止を求め、2010年、国際司法裁判所に提訴したものです。
裁判では、調査捕鯨が国際捕鯨取締条約で認められている研究目的といえるかどうかが最大の争点でした。判決で裁判所は日本の主張をことごとく否定、研究目的とは言えないとして、南極海での調査捕鯨を行わないよう命じるなど日本にとって非常に厳しい判決となりました。
「残念であり深く失望している」(日本政府代表 鶴岡公二外務審議官)
裁判所の判事は、16人中およそ10人が反捕鯨国出身で、ほとんどが判決で捕鯨継続に反対しているのを見ると、日本の主張そのものが正しく理解されたのか疑問視する声もあります。控訴は認められておらず、日本政府は判決に従う考えです。
南極海以外に日本は北太平洋でも調査捕鯨を行っていますが、今後、これも見直すのか、日本の捕鯨は岐路に立たされています。(01日05:58)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2161911.html
うむ、オランダ・ハーグの国際司法裁判所は調査捕鯨は国際条約違反だとして、今後、実施しないよう日本側に命じました。
一審制であるICJ(国際司法裁判所)においては控訴は認められておらず、日本政府は判決に従う考えです。
記事に「裁判所の判事は、16人中およそ10人が反捕鯨国出身で、ほとんどが判決で捕鯨継続に反対しているのを見ると、日本の主張そのものが正しく理解されたのか疑問視する声もあります」と記されていますが、今回16人中12名が賛成票を投じました。
各国裁判官の投票行為をまとめておきます。
■票1:国際司法裁判所の裁判官の国籍と投票行為(16名)
氏名 国籍 地域 役職 賛成票投票国 ペーテル・トムカ スロバキア 東欧 所長 ★ ベルナルド・セプルベダ・アモール メキシコ 中南米 副所長 ★ 小和田恆 日本 アジア 判事 ロニー・アブラハム フランス 北米・西欧 判事 ★ ケニス・キース ニュージーランド 北米・西欧 判事 ★ モハメッド・ベヌーナ モロッコ アフリカ 判事 レオニド・スコトニコフ ロシア 東欧 判事 アントニオ・アウグスト・カンサード・トリンダージ ブラジル 中南米 判事 ★ アブドゥルカウィ・アハメド・ユスフ ソマリア アフリカ 判事 ★ クリストファー・グリーンウッド イギリス 北米・西欧 判事 ★ 薛捍勤 中華人民共和国 アジア 判事 ジョアン・ドノヒュー アメリカ合衆国 北米・西欧 判事 ★ ジジョルジオ・ガヤ イタリア 北米・西欧 判事 ★ ジュリア・セブチンデ ウガンダ アフリカ 判事 ★ ダルバー・バンダリ インド アジア 判事 ★
捕鯨国日本にとって完全な外交的敗北でありますが、ICJのこの裁判官たちの国籍と投票行為を見れば、そもそもこの裁判は日本にとってアウェー同然であったことが理解できます。
さて、今回賛成票を投じた国の中でも、イギリス、米国、ニュージーランドは裁判を起こした豪州とともに熱心な反捕鯨国強硬派として知られていますが、これにカナダも含めれば、これらの国にはいくつかの興味深い共通項を見いだせます。
イギリスを除いて全て大英帝国を宗主国とした大英連邦構成国、旧植民地です。
そして米国や豪州・ニュージーランドは植民地時代は母国イギリスの船団の捕鯨基地として発展、大勢のアングロサクソンが入植して、鯨を世界的規模で乱獲してきた歴史を有しています。
例えば豪州では、大阪大学西洋史学研究室がネットで公開している中西雅子氏の文献から「1830年代初頭まで、海産物はオーストラリアの最も主要な輸出品であったが、1830年代の中葉から羊毛がそれらに取って代わった。オーストラリア近海で見つけられるクジラはセミクジラ、ザトウクジラ、マッコウクジラ」であったことが記されています。
「オーストラリア辞典」
捕鯨
イギリス、アメリカなどからの捕鯨者が1790年代からオーストラリア近海で操業するようになった。19世紀に入るとオーストラリアから捕鯨を行う者も現れる。ボタニー湾は1788年捕鯨基地として提案されたが、東インド会社の独占権の問題もあり、1798年までオーストラリア南方の海域での捕鯨は公式に認められていなかった。1800年代末までに捕鯨はオーストラリア植民地にとって重要な産業へと発展した。アザラシの脂や皮とともに、鯨油、鯨蝋、ひげが主要な輸出品となった。彫刻を施した歯は珍重品とされた。1830年代初頭まで、海産物はオーストラリアの最も主要な輸出品であったが、1830年代の中葉から羊毛がそれらに取って代わった。オーストラリア近海で見つけられるクジラはセミクジラ、ザトウクジラ、マッコウクジラである。
捕鯨には近海捕鯨と遠洋捕鯨の2種類の方法が用いられた。近海捕鯨は1806年、ヴァンディーメンズランド(タスマニア)のウィリアム・コリンズにより始められたものであり、岸にある基地から小型船によりクジラが捕獲された。この近海捕鯨は19世紀初期には最も一般的な方法であったが、遠洋捕鯨 が最盛期となる1850年までに行なわれなくなった。オーストラリアで費用のかかる遠洋捕鯨が盛んになったのは、海外資本の投資によるところが大きい。ロンドンの株式仲介人であったベンジャミン・ボイドは捕鯨業に投資したことで有名である。遠洋捕鯨に移行することで、基地はヴァンディーメンズランドだけでなく、ニューサウスウェールズ、ポートフィリップ、南オーストラリア、西オーストラリアにも数多く建設された。
捕鯨は20世紀になってからも続けられたが、貿易の面では以前ほどの重要性をもたなくなった。クジラの数の減少が懸念され、1946年国際捕鯨委員会が設立され、捕鯨業を制限した。1977年から捕鯨業に対する調査が行われ、翌年には西オーストラリアのチェインズ・ビーチCheynes Beachにある最後の捕鯨基地が終業した。さらにフロスト報告書に基づき、1980年に制定されたクジラ保護法により、捕鯨は全面的に禁止された。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/dict-html/01262_whaling.html
アメリカやニュージーランド、カナダも同様ですが、イギリスを母国としたこれらアングロサクソンによって行われた世界的規模での鯨の乱獲は、日本やその他北欧諸国とは異なり、上記資料にもあるとおり、「鯨油、鯨蝋、ひげが主要な輸出品となった。彫刻を施した歯は珍重品」として扱われましたが、鯨肉の大部分は食用としては使われず無駄に破棄されてきました。
ちなみに、ペリーが日本に開国を迫った理由は、カルフォルニアと中国とを結ぶ太平洋航路の中継地点として日本が重要視されていたからです。
主要な理由のひとつに捕鯨業が盛んになり、19世紀の半ばになると、米国の捕鯨の漁場は大西洋が乱獲で取り尽くしたことから、太平洋に替り、捕鯨船の数も急増した結果、カムチャッカ半島からオホーツク海まで進出する必要性が出てきたことです、東アジアに捕鯨船の寄港地や捕鯨基地が必要になったからであります。
アングロサクソン反捕鯨国には歴史的には植民地時代から捕鯨基地として発展してきた点と、かつて捕鯨と鯨加工が一大輸出産業として成立し鯨の乱獲を世界的規模でおこなってきた点が共通しています。
さらに捕鯨が盛んになるにしたがい、アングロサクソンが大量移住してきて、先住民族を虐殺しわずかに生き残った者は移住地区に押し込め、人種隔離政策を強引に実施し、強引に白人国家を建国した共通の歴史も有している国々です。
- 木走正水(きばしりまさみず)
- 新聞・テレビの報道分析が高い評価を受けている。
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