2014-03-31
■[日記]ラノベ史語り語り
【ラノベ】作家を馬鹿にしているガキどもちょっと来い【文学史】
【ラノベ】作家を馬鹿にしているガキどもちょっと来い【文学史】に対するツッコミ - Togetterまとめ
あやふやな時系列で文学史を語ることこそ、作家と読者を馬鹿にしていないか - 法華狼の日記
乱暴に言うと、ネット上のラノベ史語りは大きく三つに分けられます。SF者から見たもの。(思想・社会学系の)批評家に影響を受けたもの。ラノベ読者・作家の実感をベースにしたもの。
この内、SF寄り史観は、ラノベ起源の話としてはそれなりの価値がありますが、あくまで起源の一つに過ぎないという分を超えている場合があります。いわゆる「SF植民地史観」というやつです。批評系は、文学に隣接した「批評映え」する作品を重視する傾向にあり、ラノベ全体の流れを通観するには偏りが大きすぎます。
では、やはりリアルタイムで見てきた読者・作家による実感語りが全面的に信用できるのか、というとそうでもない。自分の周囲の少ないサンプルを根拠に当時の空気を断定的に語ったり、既にラノベから離れている論者の場合には「最近のラノベ」に対する根拠のないイメージとの比較から結果的に「当時のラノベ」への認識も歪む、などといった危険性は当然存在します。
ではいったいどのラノベ史を信じたら良いのか?わたしからの答えとしては、どれも信じるな、ということに尽きます。
そもそも、普通にラノベを読んで楽しむだけであれば、その歴史を深く理解する必要はさほどありません。極端なことを言えば、ラノベ史というのは本来、ラノベ読者にとっては「不要」なものなのです。
これはわたしの印象ですが、最も「ラノベ史」を求めているのは、基本的にラノベをあまり読まない人であるように見えます。ラノベに興味がなくはないが、実際に読むのは様々な理由からためらわれる、という層ですね。ラノベの現物に触れることなく、ラノベというものを一通り理解したい。そういう気持ちに(結果的に)応える形で、またネットのどこかで新たなラノベ史が紡がれることになります。
それは、一種の甘えなのではないか。
誰か・何かを理解したい、という気持ち。それは時として暴力的でさえある。そのことに自覚がないと、都合よくまとめられた分かりやすく魅力的な物語に簡単に飛び付き、却って対象との距離が開いてしまうことにもなりかねない。そんなことでいいのだろうか?「理解欲」に負けるな!
まあ、「絶対、理解欲なんかに負けたりしない!!」→「理解欲には勝てなかったよ……」というのが人間のサガではありますので、全否定はしませんけど。わたしも、ラノベ史的なものが話題になれば、文句言いながら結局は読んでしまうわけだし。あくまで一つのエンタメとして扱われるなら、存在を許容することに文句はありません。
せめて注意点を一つだけ挙げるとすれば。そのラノベ史が主にどの史観に属しており、どういう偏りに警戒すべきなのかということだけは意識して読みたいですね。とりあえず、文中に「ポストモダン」という単語がひとつでも含まれていたら八割がた批評系だと思ってよいでしょう。
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