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2014-04-01

三人のスピーチ全文。思ったこと。



「何で終わるんですか」


国民が思ってることを代表して聞いてくれたのが、国民の末っ子であり続けた慎吾ちゃんだった。



何か結局興奮して寝れなかったので、書いてみる。

SMAP三人のスピーチ書き起こしと、思ったこと。




草なぎ剛

タモリさんお疲れ様でした32年間。
え〜、そうですね、本当にタモリさんには沢山お世話になりまして、言いたいこと沢山あるんですけど。

あの〜、日本にはすごい面白い人がたくさんいるなぁと、また改めて思いまして。
すごいコメディアンが沢山いるなと!
あの〜、もう、お笑い怪獣だらけだな!と、今日思いまして。

あの〜、本当に僕らまぁSMAPとして、アイドルとしてですね、こういうお笑いの一線で活躍されている方と、こう18年、20年と一緒にこう、仕事できたっていうのは本当に今日、奇跡だなと思いました。

で、当時は本当にそんな方々なので、前に出て行くこともできなくて、本当に悩んでることが多かったんですけど、今日本当、思いました。
無理だな!と。
この人達の中で、前に出て、何か発言するのは、すごいことなんだな、って、まぁそれも改めて思いました。

で、そうです。本当にタモリさんにはお世話になってるんですけど。
あの〜、そうですね、みんな、本当に、ここにいる人はタモリさんのことが大好きで。
で、タモリさんから沢山の影響を受けた人達がみんなで、その中で、僕も何をやろうかなと思ったんですけど。
あの〜、タモリさんのそばにいるとですね、何か、物事とかを違う目で見る目ができて、何か、色んな、こう世界とかを、違う目で自分が見れるようになったりとかして。
あの、色んな世界を広げてくれるのが、タモリさんのすごい素敵なところだなぁと、僕はあの〜、そんなまだ、20年くらいなんですけど、あの、思いました。

それと、何か、物事の固定観念とかを、こう、取り除いてくれるところが、何かすごい素敵な、あの〜、おじさんだなぁと思ってます。

え〜、それと、まぁみんなもそうだと思うんですけど、あの〜、タモリさんの笑顔を見てますと、何か、あの〜、笑った顔を見てると何か、自分が悩んでることとかが、何か、馬鹿らしいなと思えて、あの〜、何か元気に、あの、前向きになれる自分がいるので、あの〜、タモリさんの笑顔は、本当にみんな、大好きだと思います。

僕も何か、年取った時にですね、タモリさんみたいな素敵に笑える人間になりたいなぁと思います。

あの、これからも、え〜、あの〜、格好良くて、そして、ちょっと変態なおじさんで居続けて下さい。



中居正広

え〜、タモリさん。32年間お疲れ様でした。
え〜、僕がいいともに携わる、のはちょうどこの2014年の4月ぴったりで、ぴったり20年になりました。

え〜、振り返ってみますと、94年の、この4月…。
ん〜、…まだ有名でもないですし、その、ジャニーズのアイドルとして人気もあるわけでもなかったですし、知名度もなく、ましてやマネージャーさんとかもいない、僕らを、まず、レギュラーとして迎え入れてくれて、え〜、まず、深く感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

やっぱり、…バラエティって非常に残酷なものだなぁ、とも思います。
おかげさまで歌もやらさせてもらって、お芝居もやらさせてもらって、バラエティもやらさせてもらって。
歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって、
ドラマもクランクアップがあって、映画もオールアップがあって。
何か、始める時に、そこの終わりを、ゴールに向かって、え〜、それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。
でもバラエティは、終わらない事を目指して、進むジャンルなんじゃないかなと、覚悟を持たないと、いけないジャンルなんじゃないかなと、思いながら、いいともに出させてもらったのをきっかけに、僕は、バラエティを中心に、SMAPとして、やらさせてもらおうかなと。

……非常にやっぱり、バラエティの終わりは……寂しいですね。

他のジャンルは評判がよかろうが、悪かろうが、終わりがあるんですけど、バラエティって……、ゴールないところで、終わらなければならないので、こんなに残酷なことがあるのかなと、思います。

当時、俺と香取で、本当何も出来なかったんですね。
「今日はこれやろう」「今日はこの話やろう」って言って何もやらなかっ、出来なかったんですけど…、
でも、番組を…、タモさんをアシストする事が、楽しい番組を、娯楽を提供する手段の一つでもあるという事を僕は学びました。


残念ですね……。
こんなに残念なことはないと思います。

さっきも話してましたが、タモさんは、あの、怒りもしないですし、
褒めもしてくれない方でしたけど、
ここ、ようやく2年、3年、4年前くらいから、ようやくご飯を食べれるように、タモさんとなり、
ある時お酒を飲んだ時、タモさんが、まぁ酔っぱらってたという事もあったんですけど、
僕のこと優しく抱きしめて…、優しく頭を撫でて…っ、

「中居、俺お前に感謝してるからな。本気でお前のこと感謝してるからな」って、言ってくれたのがすっごく…っ、すっごく嬉しかったです。

今こんな形でジャニーズとか、バラエティとか普通にやってますけど、
本当にあの、いいとも出させて、俺と香取で出させてもらってぇ…、
ジャニーズも、バラエティとか全然知らない、育て方とか知らない中、
こんな、チャンスを与えてくれてありがとうございました。


20年間、…ケガしたり病気した事で休んだ事ありました。
でもどんなことあっても僕は20年間、アルタに通い続けました。

ある人は、お正月になったら1年に1回休んでる人がいて、何でこの人1年に1回…ハワイにいくために…。
(鶴瓶イジリに)

毎年毎年休みやがってぇ…。
特大号の物真似でぇ、自分がウケなかったからっつってぇ、不参加になって…。


…誰かと比較するのは好きじゃありませんが、僕は20年間、本当に休むことなく、サボることなく、私的なことを除いて、しっかりと全うできたと、20年間で、タモさんが「もう成人だから卒業していいんだよ」と、仰ってくれてるんじゃないかなと、勝手に解釈をして、
今後もいいとものレギュラーとして、胸を張って「いいともをずっとやってたんだよ」と、胸を張って恥じないように、今後もバラエティ、他のジャンル含めて頑張っていきたいと思います。

タモリさんありがとうございました。



香取慎吾

32年間お疲れ様でした。
え〜、え〜…、僕は…、94年から、17歳の時から、20年間お世話になりました。
この4月でちょうど20年です。

まず……、すごく涙が出そうな、思いが……、えー、昼間も月曜日だったんであったんですけど、昼で終われればあそこで僕泣いてたんですけど、夜もあったからすごい、変な一日でした。
本当は昼間で終わりたかったですけど…。

後、昼間始まる前に、あんまり20年僕行ったことのないタイミングでトイレに行ったら、ちょうどタモさんと一緒になっちゃって。
タモさんは気付いたかどうか分からないですけど、タモさん小の方にいたんですけど、そのまんま僕挨拶せずに大きい方に隠れましたすいませんでした。


ちょっとぉ……、あの…、大きいです。20年って。
しかも10代からだったんで。

タモさんは、特に何も教えてくれませんでした。
でもずっとタモさんの背中は見てました。
20年一度も怒られたことないです。小っちゃいことでも怒られたことないです。
僕酷かったのが、90年代、97年か8年かくらいの頃に、いいともカップが始まったくらいの時間、12時50分くらいに遅刻して入ったことがあります。
有り得ません。すいませんでした。
それを終わって、謝りに行った時も、「ああ、ああ、分かった分かった」って怒りませんでした。


えっとぉ…、信じられません、まだ…。
答えはいりませんが、……ちょっと我慢できず言います、答えはいらないですけど、そもそも何で終わるんですか。

えぇ〜…、あの〜、え〜、いっぱい言いたいことあるんですけど、 本当に色々考えて、もうここずーっと、ここのところ考えてたんですけど、結局は何も考えずに、ここまで来ました。

あの、ツヨポンが凄く仲良くてタモさん家行ったりするの、すっげぇずっと羨ましかったです。
後、僕あの何か携帯の番号教えたりとか、あんまそういうのが苦手な人でなかなかタモさんと話す時間もなかったりして、 で、中居君とかそういうのも凄くする、するんですけど、で中居君とか食事よく行ったりしてるのも知ってて、「ああ、そうなんだ」とか言いながらも僕も行きたかったです。
まあお前が、何か番号渡したら、お前が行きゃいいだろって話なんですけど、そういうの本当に苦手で、本当、でも…っ。


え〜…、後、あのー、生放送で、毎週20年間、出さして頂いて、 テレビに出ている僕ですけど、
SMAPでも、辛かったり、苦しい時があってぇ……。
そっ、そんな時にぃ…、笑ってなきゃいけないのが辛い時もあってぇ… 。
「笑っていいとも!」って言うのが辛い苦しい時もあったりするんだけどぉ……、
始まったらぁ…、笑顔になってる自分が居てぇ……。
苦しかったりする時にぃ…、昼間にいいとも見るとぉ、 あぁタモさんやってたり皆またやってる……。


ごめんなさいほんっと……。
ほんっとにありがとうございました……。


タモリさんこれからもぉ、辛かったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?
(タモリ「いいとも!」)
ありがとうございました!




SMAP三人のスピーチは三者三様でとても素晴らしかったけれど、中でも慎吾ちゃんのそれは胸に迫り来るものがあった。


慎吾ちゃんの、フレンドリーそうに見えて、本当のところは誰のことも心に介入させない絶対零度の闇の部分が割と好きなんだけど、同時に何か、ごめんなさい、とも思う。


10歳で芸能界入りして以降、売れない時期もあったとは言うものの、ずーーーーーーーっと絶えることなく注目を集め、多忙なトップアイドルグループで居続けるって、とても華やかなようで絶望も深そう。

だって人間の記憶なんて5歳以前は怪しいもので、そう考えると慎吾ちゃんが一般人として純粋に生きてきた記憶はたった5、6年くらいなものなのかもしれないと思うと何かすごい残酷。
ドップリ芸能界。

子役からずっと生き残ってる人も多いけど、浮き沈みなく、ずっと誰もが知ってるSMAPとして思春期青年期を晒されてきた慎吾ちゃんとは芸能界に浸かってる濃さがやっぱり違う。


慎吾ちゃんはどれだけ仲良くなっても電話番号を教えないことで有名だけど、もしかしたら素の自分を出すことより、アイドルとして芸能人として存在する方が、慎吾ちゃんの場合は簡単なのかもしれない。


あまりの忙しさに「自分を商品のように感じることはない?」と聞かれた慎吾ちゃんは、こう答えたことがある。


「愛される商品ならいいんじゃないんですか?」


私はこんな達観したアイドルの回答は見たことがない。

全て受け入れてSMAPとして生きてるようで、全てを諦めてるようでもある。
潔くもあるけど、悲しくもある。


ファンを幸せにする為に、慎吾ちゃんは本当の笑顔に蓋をしてしまったんじゃないかと思って、罪悪感を感じてしまう。


心のドアに思いっきり鎖回して南京錠ガチャガチャつけて、これで誰も俺の心の闇に入ってこれないぞ、
でも、あぁ、鍵閉めちゃった、誰も俺の心に入ってこないんだ、外に出れないんだ、本当はこんな闇の中じゃなくて、外に出たいのに。みたいな、そんな生き方をしなければSMAPとしてトップを走り続けられなかった慎吾ちゃんのものすごい不器用な生き様が思いっきり剥き出しになった、衝撃的なスピーチだった。

SMAPの中で一番年下のポジションでありながら、常に冷静で俯瞰で物事を見ることができる慎吾ちゃんが、テレビで溢れる感情を堪えきれずに落涙する姿を初めて見た。

初めて鎖がちぎれた瞬間を見た気がした。

鎖がちぎれたドアの向こうには、すごく純粋な、少年のような慎吾ちゃんがいて、その少年慎吾ちゃんが、大事な番組が終わって、自分を優しく解放してくれる大人に対して
「何で終わるの?」「本当はずっと羨ましかった」って、ここに来てようやく本音を吐露したんだと思う。

あの泣いてる彼は、アイドルの、SMAPの香取慎吾ではなかった。


でも、芸能界で自我の形成をしてしまった慎吾ちゃんは、消え入りそうな小さな声で謝った後、
「これからも辛かったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?」と聞き、タモリさんが「いいとも!」と言うと、笑いながら涙を拭った。
それが何とも言えず、切なかった。