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09/01/13 火

[]例の模倣写真の件

廃虚写真「模倣された」 プロ写真家が同業者を提訴

 朽ち果てた建物などをテーマにした「廃虚写真」をめぐり、写真家の丸田祥三氏(44)が、写真を模倣されたとして同業の小林伸一郎氏(52)を相手取り、写真集の差し止めや損害賠償などを求める訴えを9日、東京地裁に起こした。 

 訴状によると、丸田氏は平成4年以降、個展や写真集などで廃虚や廃線などの写真を公表しているが、小林氏の写真集から被写体や構図が似た写真が散見されると主張。旧丸山変電所(群馬県)や足尾銅山跡地(栃木県)の周辺建物など5点について、「(小林氏が)作品をまねて撮影したのは明らか」などとしている。

 会見した丸田氏は、廃虚の発掘には多大な労力があると訴え、「モノ作りする人を踏みつけにしている。偽の作品は二度と出さないでほしい」と話した。

 小林氏は代理人を通じて「何万枚の写真の一部の数枚の被写体がたまたま共通するだけで事実無根だ。(訴えは)先に撮影した被写体をほかの写真家が撮影してはならないというに等しい。断固として争う」とのコメントを発表した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090109/trl0901091929005-n1.htm

はてなブックマークのコメントを見ていると、松本/槙原裁判の影響かパクられた側が訴えを起こすとネットではまるで守銭奴であるかのように叩かれる風潮ができてしまったように見えるのがなんとも微妙。松本零士、ホントに罪深いよ。で「被写体の独占云々」を懸念しているコメントがあるが、親告罪なので悪質に稼いでいるものだけが問題になるだけなんじゃないの?濫用したら訴えた側が総スカンくらうだけじゃないか。

自分がパクられた側に立って考えれば、別に模倣されるだけだったら気分を害してもスルーするだけだと思うんだけど、後追いの方が何かのはずみに受賞とかしちゃって、そっちの評価が定着してしまうと逆に模倣者扱いされたりするので切実な問題ですよ。商業的な世界ではどっちが先にやったとかまで丁寧にみてくれないもの。その場合に抑止する手段が著作権侵害で訴えるしかなかった、という話なのでは。

本来、ある業界があったとして、そこでは作り手の倫理と業界内の評判でパクリづらいように一定のバイアスがかかっているものだと思うんだけどね。マンガでトレースがばれたら連載なくなっちゃう、みたいな自浄作用というか。

ただ、表現の業界というのが、美術でいえば公募展/現代アートみたいに文脈のことなる幾つかのセクションがあったりするので、そこが異なれば何やってもOK、みたいな空気があるのかも知れない。写真も芸術/商業、みたいな幾つかのセクションがあったりするから。

smosmo 2009/01/14 10:37 はじめまして。いつも楽しく拝見しております。

たしかに切実な問題ですね。
しかし平面絵画に焦点を絞ると、現在パターンを多用する作品が多くあります。
そのような作品においてはある程度の確率でかぶりが生じてしまうでしょう。その場合コンテクストの違うセクション(もしくは一般観衆)からみたら、それぞれの作品の差異を見いだすのは結構難しいような気がします。
大雑把な例えだと、ハーストのカラフルなドット・パターンとリヒターのカラーチャートetc..
そこをパクリであるかどうか判断するルール決めはかなりシンドそうですね。

kachifukachifu 2009/01/14 15:52 smoさま コメントありがとうございます。
パクリのルール決めというか、線引きはふつうは必要ないんですよ、多分。たとえばリヒターの作品に似た作品をハーストが作っても、日本でフォトぼかしの油絵が沢山描かれても、当事者(リヒター)にとってこれっぽちも切実ではないので。
つまりこれ、元にされた作品の作者に経済的、評価的にダメージがある、しかも悪質だと思えるときだけ問題になってくることだとおもいます。
その結果訴訟になり、判例が重なればボーダーになっていくんだと思いますが、ぼくとしてはそんなのは明文化されないような世の中であって欲しいと思うわけです。ただ、それでも現状で剽窃被害への自衛の手段は著作権侵害でうったえるしかなかったんだなあと今回気づかされた次第で。

柊 2009/01/14 15:56 ゴンブリッチを引き合いに出すまでもなく、芸術には常に「模倣」と「影響」の問題がありますよね。芸術としての「模倣」というものがあるし、「影響」があるわけで、それらを経ていない作品は歴史性を欠いているといっても過言でないでしょう。
つまり意味ある作品を作り出すためには、一定の期間の模倣の段階が必須であるし、また多くの影響(レファランス)が必須であるわけですよね。
それらと単なるパクリを腑分けしていくのが、批評の役割なのでしょうが、今まさに批評が死んでいるということを証明するのが、こういった類の起訴の多発かと思います。
いずれにせよ、ひとつの芸術作品が、より高度な芸術の出現に貢献できたならば、それはすばらしいことですが、芸術作品の商業的、利己的な利用は許されませんよね。
倫理のセンスをもった批評家の出現を祈っています。

kachifukachifu 2009/01/15 02:16 柊さま コメントどうも。
おっしゃるとおりで、リヒターだって最初はアメリカのポップアートの影響無しに自分の絵を形成できなかったわけですからね。影響を受けた制作からどう飛躍できるかこそが絵描きの能力ですよ。
こんなことを言うと「このアカデミシャンが!」と罵倒されそうですが、商品として考えたときにも作品の価値判断のために直感的な判断への反省のプロセス(=批評)が必要だと思うんですけどね。

通行人通行人 2009/01/18 12:39 小林伸一郎氏が模倣したのは、丸田祥三氏の写真構図だけではありません。
池尻清氏や中田総一郎氏の写真構図も模倣しています。
少なくとも偶然の一致ではあり得ません。
法律以前に写真家としてのモラルの問題だと思います。
それとも写真家にモラルは必要ないのですか?

http://haikyo.kesagiri.net/

kachifukachifu 2009/01/19 02:30 通行人様、コメントありがとうございます。
私のエントリの趣旨は悪質な模倣は本来創作家のモラルと業界の自浄作用でなくなっているべきもので、法でどうにかしなくてはならなくなってきている状況が悲しい、という感情の表明でした。
なので「法律以前に写真家としてのモラルの問題だと思います。それとも写真家にモラルは必要ないのですか?」と私に問いかけられている意味が理解できずにおります。

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